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魔女編
2:王国の陥落(2)
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シヒスムンドが空いた手で腰の剣を抜き放つ。それは持ち上げられる王太子の視界にも入った。
「ま、待て! 私ではない!」
王太子は慌てて叫ぶ。
それを待ち望んでいたシヒスムンドは、口角を吊り上げ酷薄な笑みを浮かべた。
掴んでいた手が離され、王太子は床に崩れ落ちる。
「そうだ。お前ではない」
僅かに生き残った先遣隊の兵士が証言していたのだ。王太子と思しき、王族の甲冑を身に着けた人物が、魔力を駆使してほぼ一人で、二十名の先遣隊を壊滅させたと。
先遣隊の異常に気づき駆け付けたシヒスムンドとも、三度ほど切り結んだその手練れ。どう見てもこの王太子ではない。立ち居振る舞いからして、この王太子は弱すぎる。
すなわち、影武者が必ず存在するはずなのだ。
「五日前、お前の甲冑を誰に着せた?」
国王は悔やむように顔を伏せた。シヒスムンドの問いかけの意味を悟ったようだ。
自分の息子は独断で兵を挙げたが、戦いへの恐怖から自身は城に隠れ、他人を戦いに行かせたのだと。名誉のための戦いすら満足にできないのだと。
王太子が答える代わりに震えながら視線を向けたのは、屈強な近衛兵たちのいる前方ではなく、謁見の間の端の方だった。
そこには、落城前に逃げ遅れた下働きの女たちが数名、膝をついているだけだった。女たちはシヒスムンドと目が合うと、恐怖に引きつる顔をさっと伏せる。
「ほう、面白い。……そこの女共、来い!」
膝をついてうつむいたままの女たちは、呼ばれているのは自分たちだと分かっていたが、動くどころか顔すら上げられずに震えている。
動かない彼女らに、シヒスムンドがしびれを切らした。
進路上にいた赤絨毯の脇の近衛兵たちを半ば蹴り倒しながら、彼女たちの前へまっすぐと進んだ。
膝をつきうつむく女が七人。近寄って見下ろせば、誰が目当ての人物か一目瞭然だった。
一番後ろの一人だけ、まるで震えていない。
シヒスムンドが彼女に目を止めたとき、彼女はゆっくりと顔を上げた。シヒスムンドに気づかれたことを、彼女も感じ取ったのだ。
シヒスムンドの金色の瞳と、女の青灰色の瞳が交わったその刹那、這いつくばったままの王太子の声が飛んだ。
「そいつは魔女だ! 私はそいつに唆されたのだ!」
玉座の間の空気が変わった。
国王夫妻も、近衛兵たちも、震えていた下働きの女たちさえもぐるりと振り返り、誰もが一瞬、シヒスムンドの存在を忘れて、その女を凝視する。
彼女は今更、怯えていた。近衛兵でさえ恐れる帝国の悪魔ではなく、王国の民衆たちの無数の目に身をすくませている。
シヒスムンドは唇を歪めて笑い、女へ手を伸ばした。
「今回はお前にしよう」
当代のヴァルネシア帝国の皇帝には、正確にはその腹心であるイグナシオ将軍ことシヒスムンドには、とある習慣があった。
それは国を一つ落とす都度、その国から女性を一人戦利品として連れ帰り、帝国の後宮へ愛妾として迎えることだ。
美しい女性はすでに国内に大勢いる。なので、皇帝の気を引く、帝国にいないような珍しい女性もそろえ、帝国の後継者をより多く確保するというのが名目だ。
血縁者が死に絶え唯一の皇族である皇帝には、まだ後継者がいない。諸侯らはその不安定な状況に頭を悩ませるも、解決を皇帝と親密なシヒスムンドへ放任し、彼の習慣に頼りきりだった。
メルセデスを後宮へ加えることには、この習慣が始まって以来の諸侯の反対を招いた。
理由は明確である。これまでの戦利品の女性たちは、全員非戦闘員であった。一方、メルセデスは、シヒスムンドに対抗できるほどの強大な魔力を持つ危険な存在だ。帝国貴族の娘もいる後宮へ置くなど、賛成する者は誰もいない。
また、彼女はマリエルヴィ王国の王太子を唆し、抗戦と先遣隊の襲撃を決めさせた。そして影武者として戦場で剣を振るい、先遣隊の兵士たちを大勢殺害した。兵士の中には貴族出身の者もいた。メルセデスは帝国の臣民にとって仇でもあるのだ。
だが彼らの反対は、シヒスムンドの一声で退けられた。
「諸侯らがこれまで私に丸投げなさってきたとおりに、今回もこれまで通り私の一存で決めさせていただいた。今更何か問題でもおありか?」
悪魔と呼ばれる将軍の金色の瞳にねめつけられて、反論できる者は皇帝以外にいない。
メルセデスは現在戦う意思がない。また、彼女が兵士たちと渡り合えたのは、強大な魔力で身を助けていたからで、魔力を封じる手枷をつければ、もはやただの人である。
そうしてシヒスムンドは決定を押し通した。
「ま、待て! 私ではない!」
王太子は慌てて叫ぶ。
それを待ち望んでいたシヒスムンドは、口角を吊り上げ酷薄な笑みを浮かべた。
掴んでいた手が離され、王太子は床に崩れ落ちる。
「そうだ。お前ではない」
僅かに生き残った先遣隊の兵士が証言していたのだ。王太子と思しき、王族の甲冑を身に着けた人物が、魔力を駆使してほぼ一人で、二十名の先遣隊を壊滅させたと。
先遣隊の異常に気づき駆け付けたシヒスムンドとも、三度ほど切り結んだその手練れ。どう見てもこの王太子ではない。立ち居振る舞いからして、この王太子は弱すぎる。
すなわち、影武者が必ず存在するはずなのだ。
「五日前、お前の甲冑を誰に着せた?」
国王は悔やむように顔を伏せた。シヒスムンドの問いかけの意味を悟ったようだ。
自分の息子は独断で兵を挙げたが、戦いへの恐怖から自身は城に隠れ、他人を戦いに行かせたのだと。名誉のための戦いすら満足にできないのだと。
王太子が答える代わりに震えながら視線を向けたのは、屈強な近衛兵たちのいる前方ではなく、謁見の間の端の方だった。
そこには、落城前に逃げ遅れた下働きの女たちが数名、膝をついているだけだった。女たちはシヒスムンドと目が合うと、恐怖に引きつる顔をさっと伏せる。
「ほう、面白い。……そこの女共、来い!」
膝をついてうつむいたままの女たちは、呼ばれているのは自分たちだと分かっていたが、動くどころか顔すら上げられずに震えている。
動かない彼女らに、シヒスムンドがしびれを切らした。
進路上にいた赤絨毯の脇の近衛兵たちを半ば蹴り倒しながら、彼女たちの前へまっすぐと進んだ。
膝をつきうつむく女が七人。近寄って見下ろせば、誰が目当ての人物か一目瞭然だった。
一番後ろの一人だけ、まるで震えていない。
シヒスムンドが彼女に目を止めたとき、彼女はゆっくりと顔を上げた。シヒスムンドに気づかれたことを、彼女も感じ取ったのだ。
シヒスムンドの金色の瞳と、女の青灰色の瞳が交わったその刹那、這いつくばったままの王太子の声が飛んだ。
「そいつは魔女だ! 私はそいつに唆されたのだ!」
玉座の間の空気が変わった。
国王夫妻も、近衛兵たちも、震えていた下働きの女たちさえもぐるりと振り返り、誰もが一瞬、シヒスムンドの存在を忘れて、その女を凝視する。
彼女は今更、怯えていた。近衛兵でさえ恐れる帝国の悪魔ではなく、王国の民衆たちの無数の目に身をすくませている。
シヒスムンドは唇を歪めて笑い、女へ手を伸ばした。
「今回はお前にしよう」
当代のヴァルネシア帝国の皇帝には、正確にはその腹心であるイグナシオ将軍ことシヒスムンドには、とある習慣があった。
それは国を一つ落とす都度、その国から女性を一人戦利品として連れ帰り、帝国の後宮へ愛妾として迎えることだ。
美しい女性はすでに国内に大勢いる。なので、皇帝の気を引く、帝国にいないような珍しい女性もそろえ、帝国の後継者をより多く確保するというのが名目だ。
血縁者が死に絶え唯一の皇族である皇帝には、まだ後継者がいない。諸侯らはその不安定な状況に頭を悩ませるも、解決を皇帝と親密なシヒスムンドへ放任し、彼の習慣に頼りきりだった。
メルセデスを後宮へ加えることには、この習慣が始まって以来の諸侯の反対を招いた。
理由は明確である。これまでの戦利品の女性たちは、全員非戦闘員であった。一方、メルセデスは、シヒスムンドに対抗できるほどの強大な魔力を持つ危険な存在だ。帝国貴族の娘もいる後宮へ置くなど、賛成する者は誰もいない。
また、彼女はマリエルヴィ王国の王太子を唆し、抗戦と先遣隊の襲撃を決めさせた。そして影武者として戦場で剣を振るい、先遣隊の兵士たちを大勢殺害した。兵士の中には貴族出身の者もいた。メルセデスは帝国の臣民にとって仇でもあるのだ。
だが彼らの反対は、シヒスムンドの一声で退けられた。
「諸侯らがこれまで私に丸投げなさってきたとおりに、今回もこれまで通り私の一存で決めさせていただいた。今更何か問題でもおありか?」
悪魔と呼ばれる将軍の金色の瞳にねめつけられて、反論できる者は皇帝以外にいない。
メルセデスは現在戦う意思がない。また、彼女が兵士たちと渡り合えたのは、強大な魔力で身を助けていたからで、魔力を封じる手枷をつければ、もはやただの人である。
そうしてシヒスムンドは決定を押し通した。
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