上 下
3 / 180
魔女編

2:王国の陥落(2)

しおりを挟む
 シヒスムンドが空いた手で腰の剣を抜き放つ。それは持ち上げられる王太子の視界にも入った。

「ま、待て! 私ではない!」

 王太子は慌てて叫ぶ。

 それを待ち望んでいたシヒスムンドは、口角を吊り上げ酷薄な笑みを浮かべた。
 掴んでいた手が離され、王太子は床に崩れ落ちる。

「そうだ。お前ではない」

 僅かに生き残った先遣隊の兵士が証言していたのだ。王太子と思しき、王族の甲冑を身に着けた人物が、魔力を駆使してほぼ一人で、二十名の先遣隊を壊滅させたと。
 先遣隊の異常に気づき駆け付けたシヒスムンドとも、三度ほど切り結んだその手練れ。どう見てもこの王太子ではない。立ち居振る舞いからして、この王太子は弱すぎる。
 すなわち、影武者が必ず存在するはずなのだ。

「五日前、お前の甲冑を誰に着せた?」

 国王は悔やむように顔を伏せた。シヒスムンドの問いかけの意味を悟ったようだ。
 自分の息子は独断で兵を挙げたが、戦いへの恐怖から自身は城に隠れ、他人を戦いに行かせたのだと。名誉のための戦いすら満足にできないのだと。

 王太子が答える代わりに震えながら視線を向けたのは、屈強な近衛兵たちのいる前方ではなく、謁見の間の端の方だった。
 そこには、落城前に逃げ遅れた下働きの女たちが数名、膝をついているだけだった。女たちはシヒスムンドと目が合うと、恐怖に引きつる顔をさっと伏せる。

「ほう、面白い。……そこの女共、来い!」

 膝をついてうつむいたままの女たちは、呼ばれているのは自分たちだと分かっていたが、動くどころか顔すら上げられずに震えている。

 動かない彼女らに、シヒスムンドがしびれを切らした。
 進路上にいた赤絨毯の脇の近衛兵たちを半ば蹴り倒しながら、彼女たちの前へまっすぐと進んだ。

 膝をつきうつむく女が七人。近寄って見下ろせば、誰が目当ての人物か一目瞭然だった。
 一番後ろの一人だけ、まるで震えていない。

 シヒスムンドが彼女に目を止めたとき、彼女はゆっくりと顔を上げた。シヒスムンドに気づかれたことを、彼女も感じ取ったのだ。
 シヒスムンドの金色の瞳と、女の青灰色の瞳が交わったその刹那、這いつくばったままの王太子の声が飛んだ。

「そいつは魔女だ! 私はそいつに唆されたのだ!」

 玉座の間の空気が変わった。
 国王夫妻も、近衛兵たちも、震えていた下働きの女たちさえもぐるりと振り返り、誰もが一瞬、シヒスムンドの存在を忘れて、その女を凝視する。
 彼女は今更、怯えていた。近衛兵でさえ恐れる帝国の悪魔ではなく、王国の民衆たちの無数の目に身をすくませている。

 シヒスムンドは唇を歪めて笑い、女へ手を伸ばした。

「今回はお前にしよう」




 当代のヴァルネシア帝国の皇帝には、正確にはその腹心であるイグナシオ将軍ことシヒスムンドには、とある習慣があった。
 それは国を一つ落とす都度、その国から女性を一人戦利品として連れ帰り、帝国の後宮へ愛妾として迎えることだ。

 美しい女性はすでに国内に大勢いる。なので、皇帝の気を引く、帝国にいないような珍しい女性もそろえ、帝国の後継者をより多く確保するというのが名目だ。
 血縁者が死に絶え唯一の皇族である皇帝には、まだ後継者がいない。諸侯らはその不安定な状況に頭を悩ませるも、解決を皇帝と親密なシヒスムンドへ放任し、彼の習慣に頼りきりだった。

 メルセデスを後宮へ加えることには、この習慣が始まって以来の諸侯の反対を招いた。
 理由は明確である。これまでの戦利品の女性たちは、全員非戦闘員であった。一方、メルセデスは、シヒスムンドに対抗できるほどの強大な魔力を持つ危険な存在だ。帝国貴族の娘もいる後宮へ置くなど、賛成する者は誰もいない。
 また、彼女はマリエルヴィ王国の王太子を唆し、抗戦と先遣隊の襲撃を決めさせた。そして影武者として戦場で剣を振るい、先遣隊の兵士たちを大勢殺害した。兵士の中には貴族出身の者もいた。メルセデスは帝国の臣民にとって仇でもあるのだ。

 だが彼らの反対は、シヒスムンドの一声で退けられた。

「諸侯らがこれまで私に丸投げなさってきたとおりに、今回もこれまで通り私の一存で決めさせていただいた。今更何か問題でもおありか?」

 悪魔と呼ばれる将軍の金色の瞳にねめつけられて、反論できる者は皇帝以外にいない。
 メルセデスは現在戦う意思がない。また、彼女が兵士たちと渡り合えたのは、強大な魔力で身を助けていたからで、魔力を封じる手枷をつければ、もはやただの人である。
 そうしてシヒスムンドは決定を押し通した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。

水鏡あかり
恋愛
 姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。  真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。  しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。 主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

かつて私を愛した夫はもういない 偽装結婚のお飾り妻なので溺愛からは逃げ出したい

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※また後日、後日談を掲載予定。  一代で財を築き上げた青年実業家の青年レオパルト。彼は社交性に富み、女性たちの憧れの的だった。  上流階級の出身であるダイアナは、かつて、そんな彼から情熱的に求められ、身分差を乗り越えて結婚することになった。  幸せになると信じたはずの結婚だったが、新婚数日で、レオパルトの不実が発覚する。  どうして良いのか分からなくなったダイアナは、レオパルトを避けるようになり、家庭内別居のような状態が数年続いていた。  夫から求められず、苦痛な毎日を過ごしていたダイアナ。宗教にすがりたくなった彼女は、ある時、神父を呼び寄せたのだが、それを勘違いしたレオパルトが激高する。辛くなったダイアナは家を出ることにして――。  明るく社交的な夫を持った、大人しい妻。  どうして彼は二年間、妻を求めなかったのか――?  勘違いですれ違っていた夫婦の誤解が解けて仲直りをした後、苦難を乗り越え、再度愛し合うようになるまでの物語。 ※本編全23話の完結済の作品。アルファポリス様では、読みやすいように1話を3〜4分割にして投稿中。 ※ムーンライト様にて、11/10~12/1に本編連載していた完結作品になります。現在、ムーンライト様では本編の雰囲気とは違い明るい後日談を投稿中です。 ※R18に※。作者の他作品よりも本編はおとなしめ。 ※ムーンライト33作品目にして、初めて、日間総合1位、週間総合1位をとることができた作品になります。

【R18】愛するつもりはないと言われましても

レイラ
恋愛
「悪いが君を愛するつもりはない」結婚式の直後、馬車の中でそう告げられてしまった妻のミラベル。そんなことを言われましても、わたくしはしゅきぴのために頑張りますわ!年上の旦那様を籠絡すべく策を巡らせるが、夫のグレンには誰にも言えない秘密があって─? ※この作品は、個人企画『女の子だって溺愛企画』参加作品です。 ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

子どもを授かったので、幼馴染から逃げ出すことにしました

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※ムーンライト様にて、日間総合1位、週間総合1位、月間総合2位をいただいた完結作品になります。 ※現在、ムーンライト様では後日談先行投稿、アルファポリス様では各章終了後のsideウィリアム★を先行投稿。 ※最終第37話は、ムーンライト版の最終話とウィリアムとイザベラの選んだ将来が異なります。  伯爵家の嫡男ウィリアムに拾われ、屋敷で使用人として働くイザベラ。互いに惹かれ合う二人だが、ウィリアムに侯爵令嬢アイリーンとの縁談話が上がる。  すれ違ったウィリアムとイザベラ。彼は彼女を無理に手籠めにしてしまう。たった一夜の過ちだったが、ウィリアムの子を妊娠してしまったイザベラ。ちょうどその頃、ウィリアムとアイリーン嬢の婚約が成立してしまう。  我が子を産み育てる決意を固めたイザベラは、ウィリアムには妊娠したことを告げずに伯爵家を出ることにして――。 ※R18に※

【R18】助けてもらった虎獣人にマーキングされちゃう話

象の居る
恋愛
異世界転移したとたん、魔獣に狙われたユキを助けてくれたムキムキ虎獣人のアラン。襲われた恐怖でアランに縋り、家においてもらったあともズルズル関係している。このまま一緒にいたいけどアランはどう思ってる? セフレなのか悩みつつも関係が壊れるのが怖くて聞けない。飽きられたときのために一人暮らしの住宅事情を調べてたらアランの様子がおかしくなって……。 ベッドの上ではちょっと意地悪なのに肝心なとこはヘタレな虎獣人と、普段はハッキリ言うのに怖がりな人間がお互いの気持ちを確かめ合って結ばれる話です。 ムーンライトノベルズさんにも掲載しています。

処理中です...