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魔女編
15:降嫁の希望
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「おーい、リカルド!」
将軍ことリカルド・シヒスムンド・イグナシオが城の廊下を歩いていると、馴れ馴れしい声に呼び止められた。
将軍であるシヒスムンドを、通常親しい者しか許されないファーストネームで呼びかける人間は、一人しかいない。
後ろから追いついてきたのは、いかにも貴族の優男だ。
シヒスムンドの眉間のしわが深くなる。
「何の用だ。ベルトラン」
「そう邪険にしないでくれ。少しの世間話ぐらい許されるだろう」
この男はベルトラン伯爵家の次男だ。たれ目に泣きぼくろの色気のある容姿で、頻繁に女性から秋波を受ける軟派な印象の男だが、見た目にそぐわず、帝国の将官として一軍を任されており、この国ではシヒスムンドに次いでの強者である。
「お前ほど暇ではない」
「将軍閣下は相変わらずお忙しいな。……頼みたいことがあるんだ」
シヒスムンドはベルトランと軍属となって以来の付き合いだが、この無遠慮な男をひどく嫌っている。
「職務に関することでなければ、聞くつもりはない」
再び歩き出そうとするが、前に回り込まれる。
いくら二番手とはいえ、シヒスムンドとの力量の差は歴然。その気になれば瞬時にひねりつぶせる程度の男である。それをベルトランも承知しているはずが、気に障ることばかりしてくる。
「あの、マリエルヴィから持ち帰った愛妾なんだが」
嫌いな男が嫌いな女の話を持ち出してくる。不快の相乗効果でシヒスムンドの苛立ちは最高潮に達した。
「私に降嫁してもらえるよう、陛下に口利きを頼めないか」
「何?」
それは、意外な申し出だった。
「なぜそんなことをしなくてはならない」
「愛妾の降嫁は、臣下にとって誉れだ。最近の武功に対する褒章は、金品を予定されているだろう。それはいいから代わりに彼女を貰いたい」
確かに、降嫁は栄誉と考えられている。皇太后も妃もいない当代においては、この帝国で最も高貴な女性は、後宮の愛妾たちなのだから。しかし、それは一般的な話である。あのメルセデスでは、むしろ受け入れる側に不利益しかない。家名も傷つくかもしれない。
「あれを与えられても不名誉でしかないはずだが」
ベルトランはにやりと笑い、声を落として顔をシヒスムンドに寄せる。
「私は爵位を継がないから家名などどうでもいいんだよ。それより、先遣隊を壊滅させるほどの女を『しばらく』蹂躙できるほうが魅力的だ。夜会で顔を見たんだが、あの血の気のない白い首は結構そそる」
貴族の女たちが誉めそやす彼の目は、陰湿そうな色欲で光っていた。
この男は、貴族として恵まれた生を受けただけでなく、類い稀な才を持ち、軍人としてもこの上ない評価を受けている。しかし、限られた者だけに見せるその人格は、シヒスムンドからすると最低な下種野郎だ。
メルセデスを手に入れて、助けの来ない自宅に監禁し、嬲り者にしようという魂胆だ。責め苦は苛烈を極め、おそらく降嫁すればすぐに死んでしまうだろう。ベルトランもそのつもりだから『しばらく』とわざわざ前置きしたのだ。
心底、生理的に受け付けない類の人間だ。だからシヒスムンドはベルトランを蛇蝎のごとく嫌っている。
「そのようなこと……」
(待てよ)
シヒスムンドは、メルセデスの処分方法を検討していたところだった。
ベルトランへの嫌悪感から提案を却下しようとしていたが、よく考えれば彼への降嫁は、それ自体は合法で、メルセデスがなぶり殺しにされれば部下たちの仇も打てて、むしろシヒスムンドの希望を全て叶える提案だ。
(選択肢としては十分あり、だな)
シヒスムンドはようやくベルトランの目を見た。
「……っ」
焦ったように、瞬時に逸らされる。
必ずしも、この男にやましいところがあったわけではない。こうして親密さを装って近づいてくるベルトランでさえ、結局は帝国の悪魔を恐れており、目を合わせることができない。ただそれだけだ。第一、やましい魂胆は先ほどわざわざ口に出していた。
ベルトランは友人のように振る舞って見せても、シヒスムンドへ心からの親しみは感じてはいない。単に、そう振る舞った方が、シヒスムンドを除いた周囲への印象が良いからそうしているだけだ。
この個人的な頼みも、シヒスムンドが親愛の情等で引き受けてくれるとは、微塵も期待していない。シヒスムンドが、皇帝と最も親しく、かつ立場上抑えているがメルセデスを処分したいと思っていることを、全て見抜いた上で依頼してきているのだ。
(俺の目すら見返せないくせに、侮り利用しようとは小賢しい)
しかし、利害は一致している。
「考えておく。だが全ては陛下がお決めになることだ」
ベルトランの肩を押しのけて歩き出した。
「あ、ああ。感謝するよ」
背後からの声にそれ以上反応せず、場を後にする。
ベルトランの思惑通りになるのは癪だが、それさえ目をつぶれば得るものは多い。
まず本来彼に与えられるはずだった報奨金が丸々浮き、メルセデスを愛妾として後宮で飼うための費用や人手が不要になり、降嫁後に死ねば兵士や国民たちの溜飲が下がり、シヒスムンドの胸もすく。そして、仮にも妻を死なせるベルトランは、それを綺麗に隠すだろうが、上手く探れば証拠を押さえられるかもしれない。その弱みを握れば、あの男を御すこともできる。
「まったく、いい放逐先が見つかった」
まだ選択肢の一つでしかないが、第一候補であることはいうまでもない。
将軍ことリカルド・シヒスムンド・イグナシオが城の廊下を歩いていると、馴れ馴れしい声に呼び止められた。
将軍であるシヒスムンドを、通常親しい者しか許されないファーストネームで呼びかける人間は、一人しかいない。
後ろから追いついてきたのは、いかにも貴族の優男だ。
シヒスムンドの眉間のしわが深くなる。
「何の用だ。ベルトラン」
「そう邪険にしないでくれ。少しの世間話ぐらい許されるだろう」
この男はベルトラン伯爵家の次男だ。たれ目に泣きぼくろの色気のある容姿で、頻繁に女性から秋波を受ける軟派な印象の男だが、見た目にそぐわず、帝国の将官として一軍を任されており、この国ではシヒスムンドに次いでの強者である。
「お前ほど暇ではない」
「将軍閣下は相変わらずお忙しいな。……頼みたいことがあるんだ」
シヒスムンドはベルトランと軍属となって以来の付き合いだが、この無遠慮な男をひどく嫌っている。
「職務に関することでなければ、聞くつもりはない」
再び歩き出そうとするが、前に回り込まれる。
いくら二番手とはいえ、シヒスムンドとの力量の差は歴然。その気になれば瞬時にひねりつぶせる程度の男である。それをベルトランも承知しているはずが、気に障ることばかりしてくる。
「あの、マリエルヴィから持ち帰った愛妾なんだが」
嫌いな男が嫌いな女の話を持ち出してくる。不快の相乗効果でシヒスムンドの苛立ちは最高潮に達した。
「私に降嫁してもらえるよう、陛下に口利きを頼めないか」
「何?」
それは、意外な申し出だった。
「なぜそんなことをしなくてはならない」
「愛妾の降嫁は、臣下にとって誉れだ。最近の武功に対する褒章は、金品を予定されているだろう。それはいいから代わりに彼女を貰いたい」
確かに、降嫁は栄誉と考えられている。皇太后も妃もいない当代においては、この帝国で最も高貴な女性は、後宮の愛妾たちなのだから。しかし、それは一般的な話である。あのメルセデスでは、むしろ受け入れる側に不利益しかない。家名も傷つくかもしれない。
「あれを与えられても不名誉でしかないはずだが」
ベルトランはにやりと笑い、声を落として顔をシヒスムンドに寄せる。
「私は爵位を継がないから家名などどうでもいいんだよ。それより、先遣隊を壊滅させるほどの女を『しばらく』蹂躙できるほうが魅力的だ。夜会で顔を見たんだが、あの血の気のない白い首は結構そそる」
貴族の女たちが誉めそやす彼の目は、陰湿そうな色欲で光っていた。
この男は、貴族として恵まれた生を受けただけでなく、類い稀な才を持ち、軍人としてもこの上ない評価を受けている。しかし、限られた者だけに見せるその人格は、シヒスムンドからすると最低な下種野郎だ。
メルセデスを手に入れて、助けの来ない自宅に監禁し、嬲り者にしようという魂胆だ。責め苦は苛烈を極め、おそらく降嫁すればすぐに死んでしまうだろう。ベルトランもそのつもりだから『しばらく』とわざわざ前置きしたのだ。
心底、生理的に受け付けない類の人間だ。だからシヒスムンドはベルトランを蛇蝎のごとく嫌っている。
「そのようなこと……」
(待てよ)
シヒスムンドは、メルセデスの処分方法を検討していたところだった。
ベルトランへの嫌悪感から提案を却下しようとしていたが、よく考えれば彼への降嫁は、それ自体は合法で、メルセデスがなぶり殺しにされれば部下たちの仇も打てて、むしろシヒスムンドの希望を全て叶える提案だ。
(選択肢としては十分あり、だな)
シヒスムンドはようやくベルトランの目を見た。
「……っ」
焦ったように、瞬時に逸らされる。
必ずしも、この男にやましいところがあったわけではない。こうして親密さを装って近づいてくるベルトランでさえ、結局は帝国の悪魔を恐れており、目を合わせることができない。ただそれだけだ。第一、やましい魂胆は先ほどわざわざ口に出していた。
ベルトランは友人のように振る舞って見せても、シヒスムンドへ心からの親しみは感じてはいない。単に、そう振る舞った方が、シヒスムンドを除いた周囲への印象が良いからそうしているだけだ。
この個人的な頼みも、シヒスムンドが親愛の情等で引き受けてくれるとは、微塵も期待していない。シヒスムンドが、皇帝と最も親しく、かつ立場上抑えているがメルセデスを処分したいと思っていることを、全て見抜いた上で依頼してきているのだ。
(俺の目すら見返せないくせに、侮り利用しようとは小賢しい)
しかし、利害は一致している。
「考えておく。だが全ては陛下がお決めになることだ」
ベルトランの肩を押しのけて歩き出した。
「あ、ああ。感謝するよ」
背後からの声にそれ以上反応せず、場を後にする。
ベルトランの思惑通りになるのは癪だが、それさえ目をつぶれば得るものは多い。
まず本来彼に与えられるはずだった報奨金が丸々浮き、メルセデスを愛妾として後宮で飼うための費用や人手が不要になり、降嫁後に死ねば兵士や国民たちの溜飲が下がり、シヒスムンドの胸もすく。そして、仮にも妻を死なせるベルトランは、それを綺麗に隠すだろうが、上手く探れば証拠を押さえられるかもしれない。その弱みを握れば、あの男を御すこともできる。
「まったく、いい放逐先が見つかった」
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