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魔女編
3:新しい暮らし
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愛妾たちのさらし者になりながら回廊を抜けたメルセデスは、彼女に与えられた後宮の一室へ案内された。
贅をつくした後宮の建物には、多くの愛妾を抱えてなお、歓迎されていないメルセデスにさえ豪奢な居室を割り当てる余裕があった。
共同の廊下から控えの間を挟んだ居室は、天井の高い広々とした部屋で、ベッドを始め書き物机や鏡台等、一通りの立派な家具がそろっている。マリエルヴィ王国は帝国とは比べ物にならないほど国力が劣る。そこで卑しく貧しい下働きであったメルセデスにとっては、王太子の居室でしか目にしたことのない高級品で、圧倒されるばかりだ。さらに各居室に浴室まで備えているという。
「レディ・メルセデス。こちらがあなた様のお過ごしいただくお部屋でございます。お気に召しましたでしょうか」
部屋の説明をした女官の問いかけに、メルセデスは質問の意図を図れず戸惑うしかなかった。
「……なぜ、このような立派な部屋を? 牢へ入れられるものと思っておりました」
「その手枷を外すことはなりませんが、あなた様は後宮へ迎えられた御身分です。どの方も等しく居室をお持ちいただくのが習わしでございます」
女官が控えの間へ声をかけると、紺色のエプロンドレスの女性が五名入室してくる。
「彼女たちは、あなた様のお世話を専任で行う侍女です。レディと同じく帝国へ併合された敗戦国出身者もおります。いずれも身元の確かな者たちにございますので、王国でのことに関してあなた様へ危害を加えることはないでしょう」
侍女たちはスカートを摘み上げ礼を取る。メルセデスも慌てて同じようにするが、上手くできなかった。手枷は両の手首を鎖でつなぐ形の物で、この鎖があまり長くないため、肩幅より両手を開くことができないのだ。
「レディ。禁じられてはおりませんが、彼女たちに礼を取る必要はございません。彼女たちはあなた様にお仕えし、お世話することが仕事なのです」
「ですが……」
女官は諭すように説明する。
だが、いくら仕事と言われても、彼女らの洗練された所作からして、下働きであったメルセデスよりもよほど身分の高い女性たちだ。それを当然のように使うことは抵抗感があった。
「それよりもお湯を用意しております。王国よりひと月、長旅でお疲れでしょう。まだ日は高いですが、今日はもうお休みください」
王国から一か月、ずっと荷物のように扱われながら馬車で運ばれてきた。兵士たちからは常に殺意をこめた視線を受け、時に罵倒された。いつ腰に下げた剣で斬られるかと思うと、まともに眠れもしなかった。
気が張っているから今は問題ないが、緊張の糸が切れるとふらつきそうで、女官の言う通り疲労は極限まで高まっている。メルセデスは大人しく従うことにした。
「では私はこれにて失礼いたします。また明朝に参ります」
女官が部屋を辞すと、侍女たちがメルセデスを入浴させるために、それぞれ動き出す。
「レディ、お召し物を失礼いたします」
「えっ」
人に服を脱がされたことなどないメルセデスは、自然に、当然のように服を脱がせようとする侍女に驚いた。
「あら、袖を抜けませんわね……。鋏を入れさせていただきます」
「待っ――」
手枷があるため、服の袖から手を抜くことができない。もうぼろぼろの服であったこともあり、侍女は何のためらいもなく、袖から肩上までを手早く切り開いた。
侍女たちはてきぱきと迷いなく動き、メルセデスに止める間も与えない。それは逆に、世話をする相手の反応や感情を一切受け取ろうとしていないことを意味していた。彼女たちの顔には何の表情も浮かんでいない。
身元が確かであるため命令に背くことはないが、彼女らも帝国民である。愛妾たちが口にしていた通り、この侍女たちも、メルセデスが魔女と呼ばれていたことを耳にしているはず。仕事でなければ、関わり合いになりたくないだろう。
下着姿にされたメルセデスは、もはや流れに逆らうことは無駄と受け入れ、自分は家畜だと言い聞かせながら、大人しく浴室で隅々まで世話をされた。
その後、簡単なものを食べ、湯で温まり緊張が解けたのか、長旅の疲れも相まり、ベッドへ入ったメルセデスは泥のように眠りについた。
「メルセデス」
夢の中で彼女を呼んだのは、今は亡き母親だった。
夢でメルセデスは少女に戻っていて、椅子に座る母の膝に乗って甘えていた。
メルセデスと同じ黒髪に、メルセデスよりも明るい夏空のような青い目の女性。少女の頃、その美しい青い瞳に見つめられるのが何より好きだった。とても優しい人だった。
生家は隙間風の絶えない、家というよりも小屋のような建物で、人目を避けて町はずれに建っていた。山岳の国であるマリエルヴィの冬は厳しく、吹雪が続けば家がつぶれるのではないかと不安になったものだが、メルセデスにとっては母と二人で身を寄せ合えば十分満たされた暮らしであった。
「メルセデス。私たちは――。これは、神様のお与えになった試練なのよ……。どれほど苦しくても、辛くても、強く在りなさい」
貧しくとも、母はいつでも優しく、そして敬虔な人だった。
母の教えは、今もメルセデスの中に息づいている。
しかし、優しい夢の中の家が、業火に呑まれた。
母が煙に巻かれる。メルセデスはそれを見ていることしかできなくて。
「……」
最後に見た彼女は、涙を流しながら何かをメルセデスに伝えようとしたが、人々の声にかき消されて、ついにその言葉を聞くことはできなかった。
それは過去の記憶の夢。母を失った時の夢で、メルセデスが母に教えを破らせてしまった夢。
贅をつくした後宮の建物には、多くの愛妾を抱えてなお、歓迎されていないメルセデスにさえ豪奢な居室を割り当てる余裕があった。
共同の廊下から控えの間を挟んだ居室は、天井の高い広々とした部屋で、ベッドを始め書き物机や鏡台等、一通りの立派な家具がそろっている。マリエルヴィ王国は帝国とは比べ物にならないほど国力が劣る。そこで卑しく貧しい下働きであったメルセデスにとっては、王太子の居室でしか目にしたことのない高級品で、圧倒されるばかりだ。さらに各居室に浴室まで備えているという。
「レディ・メルセデス。こちらがあなた様のお過ごしいただくお部屋でございます。お気に召しましたでしょうか」
部屋の説明をした女官の問いかけに、メルセデスは質問の意図を図れず戸惑うしかなかった。
「……なぜ、このような立派な部屋を? 牢へ入れられるものと思っておりました」
「その手枷を外すことはなりませんが、あなた様は後宮へ迎えられた御身分です。どの方も等しく居室をお持ちいただくのが習わしでございます」
女官が控えの間へ声をかけると、紺色のエプロンドレスの女性が五名入室してくる。
「彼女たちは、あなた様のお世話を専任で行う侍女です。レディと同じく帝国へ併合された敗戦国出身者もおります。いずれも身元の確かな者たちにございますので、王国でのことに関してあなた様へ危害を加えることはないでしょう」
侍女たちはスカートを摘み上げ礼を取る。メルセデスも慌てて同じようにするが、上手くできなかった。手枷は両の手首を鎖でつなぐ形の物で、この鎖があまり長くないため、肩幅より両手を開くことができないのだ。
「レディ。禁じられてはおりませんが、彼女たちに礼を取る必要はございません。彼女たちはあなた様にお仕えし、お世話することが仕事なのです」
「ですが……」
女官は諭すように説明する。
だが、いくら仕事と言われても、彼女らの洗練された所作からして、下働きであったメルセデスよりもよほど身分の高い女性たちだ。それを当然のように使うことは抵抗感があった。
「それよりもお湯を用意しております。王国よりひと月、長旅でお疲れでしょう。まだ日は高いですが、今日はもうお休みください」
王国から一か月、ずっと荷物のように扱われながら馬車で運ばれてきた。兵士たちからは常に殺意をこめた視線を受け、時に罵倒された。いつ腰に下げた剣で斬られるかと思うと、まともに眠れもしなかった。
気が張っているから今は問題ないが、緊張の糸が切れるとふらつきそうで、女官の言う通り疲労は極限まで高まっている。メルセデスは大人しく従うことにした。
「では私はこれにて失礼いたします。また明朝に参ります」
女官が部屋を辞すと、侍女たちがメルセデスを入浴させるために、それぞれ動き出す。
「レディ、お召し物を失礼いたします」
「えっ」
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「あら、袖を抜けませんわね……。鋏を入れさせていただきます」
「待っ――」
手枷があるため、服の袖から手を抜くことができない。もうぼろぼろの服であったこともあり、侍女は何のためらいもなく、袖から肩上までを手早く切り開いた。
侍女たちはてきぱきと迷いなく動き、メルセデスに止める間も与えない。それは逆に、世話をする相手の反応や感情を一切受け取ろうとしていないことを意味していた。彼女たちの顔には何の表情も浮かんでいない。
身元が確かであるため命令に背くことはないが、彼女らも帝国民である。愛妾たちが口にしていた通り、この侍女たちも、メルセデスが魔女と呼ばれていたことを耳にしているはず。仕事でなければ、関わり合いになりたくないだろう。
下着姿にされたメルセデスは、もはや流れに逆らうことは無駄と受け入れ、自分は家畜だと言い聞かせながら、大人しく浴室で隅々まで世話をされた。
その後、簡単なものを食べ、湯で温まり緊張が解けたのか、長旅の疲れも相まり、ベッドへ入ったメルセデスは泥のように眠りについた。
「メルセデス」
夢の中で彼女を呼んだのは、今は亡き母親だった。
夢でメルセデスは少女に戻っていて、椅子に座る母の膝に乗って甘えていた。
メルセデスと同じ黒髪に、メルセデスよりも明るい夏空のような青い目の女性。少女の頃、その美しい青い瞳に見つめられるのが何より好きだった。とても優しい人だった。
生家は隙間風の絶えない、家というよりも小屋のような建物で、人目を避けて町はずれに建っていた。山岳の国であるマリエルヴィの冬は厳しく、吹雪が続けば家がつぶれるのではないかと不安になったものだが、メルセデスにとっては母と二人で身を寄せ合えば十分満たされた暮らしであった。
「メルセデス。私たちは――。これは、神様のお与えになった試練なのよ……。どれほど苦しくても、辛くても、強く在りなさい」
貧しくとも、母はいつでも優しく、そして敬虔な人だった。
母の教えは、今もメルセデスの中に息づいている。
しかし、優しい夢の中の家が、業火に呑まれた。
母が煙に巻かれる。メルセデスはそれを見ていることしかできなくて。
「……」
最後に見た彼女は、涙を流しながら何かをメルセデスに伝えようとしたが、人々の声にかき消されて、ついにその言葉を聞くことはできなかった。
それは過去の記憶の夢。母を失った時の夢で、メルセデスが母に教えを破らせてしまった夢。
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