36 / 38
巣ごもりオメガと運命の騎妃
17.会議のあとで
しおりを挟む
背後で扉が閉められたとたん、肩の力を抜いたのはミシュアルだけではなかった。
深く大きなため息をついたイズディハールは彼らしくなく荒い所作でベッドに体を放るように座り、またため息を吐いた。
「陛下……イズディハール様、お水を」
「……ああ、すまない」
ミシュアルも緊張と疲労で喉がカラカラだ。テーブルの上に用意されていた水差しから水をもらってゴブレットを差し出すと、イズディハールはそれを一気に飲み干し、小さな声で唸った。
「タルハめ……」
ふたりきりとは言え、イズディハールが悪態をつくなど珍しいことだ。
よほど腹に据えかねたのだろう。イズディハールの怒りは怒りは燃え尽きず燻ぶったままだった。
「国庫がひっ迫するたびにドマルサーニの援助を受けておきながら、あの言い分……人身売買についても、何度言えばわかるのか。やはりあの場でもっと突いておくべきだったか」
「まだなにかあったんですか?」
会議に慣れていないミシュアルからすれば、ひどく緊迫した時間に思えたし、これほどまでに責めるのかと驚きもした。しかしイズディハールは怒り冷めやらぬといった様子でゴブレットに手ずから水をそそいでまたもや一気に飲むと、疲れたように深く息を吐いた。
「ああ。……本当はこんなことはしたくなかったが……今回、ミシュアルを臨席させたのは、タルハ大公に圧を加えたかったんだ」
「圧?」
「同盟主であるナハルベルカの王の王伴となるオメガや、同じようにオメガであるドマルサーニ皇太子妃を前に、オメガの売買組織への関与をほのめかすようなことは言えないだろう……と思ったんだがな。見通しが甘かった」
「売買に公国が関与してるんですか!?」
突然のきな臭い話に思わず声を上げたミシュアルは、あわてて扉の方を見た。
室内にはふたりしかいないが、外には護衛が控えている。ここがナハルベルカでない以上、友好国のドマルサーニ国内であってもあまり大きな声で話していい内容ではない。
思わず自分の手のひらで口を覆ったミシュアルに、イズディハールは少しばかり怒りの温度を下げたようだった。苦笑してゴブレットをテーブルに置くと、ミシュアルの肩にもたれた。
「……会議でも触れたが、サマネヤッド同盟領内での人身売買の現状は知っているか?」
「歴史上のものだと思っていました。今でもそんなに大々的に行われているんですか? ……申し訳ありません、あまり……そういうことを知らずに育ったので」
ミシュアルは貴族の出身で、生まれた時から家には護衛や召使いがいるような恵まれた生活をしている。オメガだとわかってからはなおさら家に引きこもっていたので、家の外で起きていることに気付かなかったと自分の無知を恥じたが、いいやとイズディハールは首を振った。
「サマネヤッド同盟領内ではもうだいぶ前から規制する動きが広まっていて、ロカム公国以外では人身売買自体を取り締まる法律もある。ナハルベルカは特に規制を強めてきた。だから、人身売買自体を知らない国民がいることは、我が国がその脅威から遠いということでもある。誇らしいことだ。……だが、同盟領内で売買自体がないわけではない。大きいところだと、ナハラの手という組織もある」
「ナハラの手……」
まるで知らないことばかりだ。
イズディハールは脅威を知らずにいたことを喜んでくれたが、このままではいけないと、ミシュアルの胸には焦りが浮かんだ。
守られる国民の一人ではなく、王の隣に立つ者にならなければならない。そのためには、知識も経験も足りなさすぎる。
(本当なら、ナハルベルカでも会議に参加したり見学させてもらうべきだった。きっと、王伴はそうあるべきだ。今日のような会議でも、サリム殿も場慣れていたようだったし……)
厳密にはまだ王妃と同地位である王伴ではないが、イズディハールと将来を誓い合った仲だ。いずれその地位にあるべき言動を求められる。そのために今からでも動かねばと決意していると、黙り込んだミシュアルに何を思ったのか、腰に回した手でぽんと叩かれた。
「心配はいらない。ナハルベルカでやドマルサーニでは重罪が課せられるし、今回の会議で他の国にも援助することを明言した。公国もこれ以上悪あがきはしないだろう。ナハラの手は本拠地を持たずに一つ所にとどまらないのが厄介だが、同盟で団結して囲い込めば、撲滅の日はやがて来る」
ミシュアルの懸念は違う場所にもあったが、イズディハールがそう言ってくれるならこれほど心強いことはない。
「そうですね。同盟が手を取り合ったなら、きっと成されると思います」
王伴としてのあるべき姿は自分自身が日ごろから心がけていくとして、オメガの売買がなくなることは当事者であるミシュアルとしても嬉しいことだ。
ミシュアルが破顔すると、イズディハールの眉間に深く刻まれていた皺もやわらぐ。どこかピリピリとしていた空気もゆるんで、そうだとイズディハールの声も明るく切り替わった。
「会議は今日で終わったんだ。明後日は少し会議が入っているが、明日はまとまった時間がとれる。一緒に街をまわろう。サリム殿と色々出かけたんだろう? 案内してくれないか」
「なら、布市場に行きませんか。出来たばかりの市場で、すごく綺麗だったんです」
イズディハールの笑顔で、ミシュアルの心もぱっと明るくなる。
課題は山積しているし、あれこれ悩むことや焦ることもあるが、それらは一気に片づけられるような簡単な問題でもない。
今までならひとりで抱え込み、どうしようもないと諦め嘆いていたかもしれない。けれど今は、イズディハールが隣にいる。彼の隣で日々を重ね、悩みも不安も少しずつ解いていけばいいのだ。
胸の奥につかえていたものが溶けていくのを感じながら、ミシュアルは明日の予定を立てるべく、乾いた喉を潤す一杯をゴブレットに注いだ。
深く大きなため息をついたイズディハールは彼らしくなく荒い所作でベッドに体を放るように座り、またため息を吐いた。
「陛下……イズディハール様、お水を」
「……ああ、すまない」
ミシュアルも緊張と疲労で喉がカラカラだ。テーブルの上に用意されていた水差しから水をもらってゴブレットを差し出すと、イズディハールはそれを一気に飲み干し、小さな声で唸った。
「タルハめ……」
ふたりきりとは言え、イズディハールが悪態をつくなど珍しいことだ。
よほど腹に据えかねたのだろう。イズディハールの怒りは怒りは燃え尽きず燻ぶったままだった。
「国庫がひっ迫するたびにドマルサーニの援助を受けておきながら、あの言い分……人身売買についても、何度言えばわかるのか。やはりあの場でもっと突いておくべきだったか」
「まだなにかあったんですか?」
会議に慣れていないミシュアルからすれば、ひどく緊迫した時間に思えたし、これほどまでに責めるのかと驚きもした。しかしイズディハールは怒り冷めやらぬといった様子でゴブレットに手ずから水をそそいでまたもや一気に飲むと、疲れたように深く息を吐いた。
「ああ。……本当はこんなことはしたくなかったが……今回、ミシュアルを臨席させたのは、タルハ大公に圧を加えたかったんだ」
「圧?」
「同盟主であるナハルベルカの王の王伴となるオメガや、同じようにオメガであるドマルサーニ皇太子妃を前に、オメガの売買組織への関与をほのめかすようなことは言えないだろう……と思ったんだがな。見通しが甘かった」
「売買に公国が関与してるんですか!?」
突然のきな臭い話に思わず声を上げたミシュアルは、あわてて扉の方を見た。
室内にはふたりしかいないが、外には護衛が控えている。ここがナハルベルカでない以上、友好国のドマルサーニ国内であってもあまり大きな声で話していい内容ではない。
思わず自分の手のひらで口を覆ったミシュアルに、イズディハールは少しばかり怒りの温度を下げたようだった。苦笑してゴブレットをテーブルに置くと、ミシュアルの肩にもたれた。
「……会議でも触れたが、サマネヤッド同盟領内での人身売買の現状は知っているか?」
「歴史上のものだと思っていました。今でもそんなに大々的に行われているんですか? ……申し訳ありません、あまり……そういうことを知らずに育ったので」
ミシュアルは貴族の出身で、生まれた時から家には護衛や召使いがいるような恵まれた生活をしている。オメガだとわかってからはなおさら家に引きこもっていたので、家の外で起きていることに気付かなかったと自分の無知を恥じたが、いいやとイズディハールは首を振った。
「サマネヤッド同盟領内ではもうだいぶ前から規制する動きが広まっていて、ロカム公国以外では人身売買自体を取り締まる法律もある。ナハルベルカは特に規制を強めてきた。だから、人身売買自体を知らない国民がいることは、我が国がその脅威から遠いということでもある。誇らしいことだ。……だが、同盟領内で売買自体がないわけではない。大きいところだと、ナハラの手という組織もある」
「ナハラの手……」
まるで知らないことばかりだ。
イズディハールは脅威を知らずにいたことを喜んでくれたが、このままではいけないと、ミシュアルの胸には焦りが浮かんだ。
守られる国民の一人ではなく、王の隣に立つ者にならなければならない。そのためには、知識も経験も足りなさすぎる。
(本当なら、ナハルベルカでも会議に参加したり見学させてもらうべきだった。きっと、王伴はそうあるべきだ。今日のような会議でも、サリム殿も場慣れていたようだったし……)
厳密にはまだ王妃と同地位である王伴ではないが、イズディハールと将来を誓い合った仲だ。いずれその地位にあるべき言動を求められる。そのために今からでも動かねばと決意していると、黙り込んだミシュアルに何を思ったのか、腰に回した手でぽんと叩かれた。
「心配はいらない。ナハルベルカでやドマルサーニでは重罪が課せられるし、今回の会議で他の国にも援助することを明言した。公国もこれ以上悪あがきはしないだろう。ナハラの手は本拠地を持たずに一つ所にとどまらないのが厄介だが、同盟で団結して囲い込めば、撲滅の日はやがて来る」
ミシュアルの懸念は違う場所にもあったが、イズディハールがそう言ってくれるならこれほど心強いことはない。
「そうですね。同盟が手を取り合ったなら、きっと成されると思います」
王伴としてのあるべき姿は自分自身が日ごろから心がけていくとして、オメガの売買がなくなることは当事者であるミシュアルとしても嬉しいことだ。
ミシュアルが破顔すると、イズディハールの眉間に深く刻まれていた皺もやわらぐ。どこかピリピリとしていた空気もゆるんで、そうだとイズディハールの声も明るく切り替わった。
「会議は今日で終わったんだ。明後日は少し会議が入っているが、明日はまとまった時間がとれる。一緒に街をまわろう。サリム殿と色々出かけたんだろう? 案内してくれないか」
「なら、布市場に行きませんか。出来たばかりの市場で、すごく綺麗だったんです」
イズディハールの笑顔で、ミシュアルの心もぱっと明るくなる。
課題は山積しているし、あれこれ悩むことや焦ることもあるが、それらは一気に片づけられるような簡単な問題でもない。
今までならひとりで抱え込み、どうしようもないと諦め嘆いていたかもしれない。けれど今は、イズディハールが隣にいる。彼の隣で日々を重ね、悩みも不安も少しずつ解いていけばいいのだ。
胸の奥につかえていたものが溶けていくのを感じながら、ミシュアルは明日の予定を立てるべく、乾いた喉を潤す一杯をゴブレットに注いだ。
73
お気に入りに追加
1,679
あなたにおすすめの小説
振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話
雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。
諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。
実は翔には諒平に隠している事実があり——。
諒平(20)攻め。大学生。
翔(20) 受け。大学生。
慶介(21)翔と同じサークルの友人。
浮気されてもそばにいたいと頑張ったけど限界でした
雨宮里玖
BL
大学の飲み会から帰宅したら、ルームシェアしている恋人の遠堂の部屋から聞こえる艶かしい声。これは浮気だと思ったが、遠堂に捨てられるまでは一緒にいたいと紀平はその行為に目をつぶる——。
遠堂(21)大学生。紀平と同級生。幼馴染。
紀平(20)大学生。
宮内(21)紀平の大学の同級生。
環 (22)遠堂のバイト先の友人。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
策士オメガの完璧な政略結婚
雨宮里玖
BL
完璧な容姿を持つオメガのノア・フォーフィールドは、性格悪と陰口を叩かれるくらいに捻じ曲がっている。
ノアとは反対に、父親と弟はとんでもなくお人好しだ。そのせいでフォーフィールド子爵家は爵位を狙われ、没落の危機にある。
長男であるノアは、なんとしてでものし上がってみせると、政略結婚をすることを思いついた。
相手はアルファのライオネル・バーノン辺境伯。怪物のように強いライオネルは、泣く子も黙るほどの恐ろしい見た目をしているらしい。
だがそんなことはノアには関係ない。
これは政略結婚で、目的を果たしたら離婚する。間違ってもライオネルと番ったりしない。指一本触れさせてなるものか——。
一途に溺愛してくるアルファ辺境伯×偏屈な策士オメガの、拗らせ両片想いストーリー。
7輪の花と6冊の本と5枚の手鏡と4本の香水瓶と3着の毛皮と2台の馬車と1つの宝石と
晦リリ
BL
とある国の王様が言いました。
「近頃とんと眠れない」
その言葉を聞いて、おつきのものは寝物語を聞かせるべく、7人の者と、7日間分のほうびを用意しました。
※Twitterにて開催されていた"2020男子後宮BL"への参加作品です。
※小説家になろうにも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。