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巣ごもりオメガと運命の騎妃
16.同盟会議
しおりを挟む滞在四日目のこの日、ミシュアルはドマルサーニ皇宮の広間にいた。
広間の中央には大きな円卓があり、それを囲んで二十名ほどが着席している。そのなかにはハイダルはもちろんサリムもいて、イズディハールの隣に座らされたミシュアルは緊張しながらも友人の姿があることに少しばかりほっとしていた。
今日はサマネヤッド同盟の会議の最終日だ。
昨日まではミシュアルも市街地を周ったり皇宮内にある美術館を見学したりしていたが、今日は会議に参加して欲しいとイズディハールに言われて同席していた。
しかし、こんな場には足を踏み入れたことがない。一応前もってなにか勉強すべきことはあるかと聞いてみたが、聞くだけでいいと言われ、前知識もないままいつも以上に猫背になってしまいながらミシュアルは居心地悪くその場にいた。
会議は、サマネヤッド同盟の掲げる規律を読み上げることから始まった。
そして議題はまず、国庫が厳しいというロカム公国の融資や助力の嘆願から始まり、それについての議論がなされたあと、少しの休憩を挟んだ。
時間にしてせいぜい一時間ほどだったが、あまりに慣れない場にミシュアルは疲労困憊だ。しかし、これからイズディハールの隣で生きることを考えれば、こういう場面はどんどん増えるはずだ。
(回数をこなせば、そのうち慣れるはずだ。鍛錬と思えばなんともない)
体を動かす鍛錬とは違うが、そう考えればいくらか気は楽だ。それに、隣にはイズディハールがいる。自分がしっかりしなければ、彼の恥にもなるだろうと背筋を伸ばしたミシュアルだったが、会議が再開されると、次にあがった議題に思わず顔をうつむけてしまいたくなった。
議題は、オメガの人身売買についてだった。
「……ですから、多少の緩和を考えてはどうかと思うのです。それに、人身売買などではありません。オメガに出会いの機会を設けているのです。ぎちぎちに統制してしまっては、その貴重な出会いの機会の損失になると……それに、昔はその……ナハルベルカやドマルサーニでも普通に行われていたというではありませんか」
そう言いながらも額に噴きだす汗を布で拭いているのは、先の議題でも国庫のひっ迫を訴えていたロカム公国のタルハ・サガバル・ロカム大公だ。縦にも横にも大きな体を揺すって汗をぬぐい、ちらちらと視線を泳がせている。立派な口ひげをしているというのに、向けられる視線から逃れるようにうつむきがちなせいでひげはほとんど見えなかった。
そんな彼を一蹴したのは、同盟の盟主国であるナハルベルカの王イズディハールだった。
「確かに、我がナハルベルカでも過去を紐解けばオメガを売買していた記録はある。しかし現在、人身売買は重罪だ。オメガならずとも国民は国の宝であり、民の一人一人は尊重し、守るべき人間だ。誘拐することはもちろん、他国に売りさばくなど到底許せることではない」
イズディハールの舌鋒は鋭く、その刃はタルハ大公に容赦なく突き立てられていく。同じように円卓を囲んでいる他国の代表たちもひそひそとさざめき、大公を支持する雰囲気はなかった。
ミシュアルも、歴史を学ぶ上でオメガの人身売買については知っていた。
百年ほど前、オメガは主に上流階級に多いアルファたちのもとへ貰われるために、誘拐されたり親に売られたりするのが当たり前だった。しかし抑制剤の精製技術の向上などにより徐々にその人権が確立され、今では誘拐はもちろん、売買も重罪になっている。
歴史を習いながら、その頃に生まれなくてよかったとぼんやり思ったものだったが、その脅威がまだ完全になくなっていないということは単純に恐怖を覚える事実だった。
一方、イズディハールにきつく糾弾されたタルハ大公は、黙りこくっていた。円卓をじっと見つめ、なにか言わなければとは思っているようだったが、時折開く口からはなにも声が出ない。すると、今度はハイダルが口を開いた。
「ドマルサーニも同じ意見だ。売買を緩和するということは、オメガのためという大義名分のもと、自由を奪われる人間と自由を奪う人間がいるということ。国を統治するものとして、許してはいけないことだ」
ハイダルは皇太子だが、彼が玉座に座る日は近い。年若いながら、余裕と重みのある声に周囲がその通りだと頷くと、とたんに大公は顔を上げ、ハイダルを睨むように見た。
「お、お言葉ですが、ハイダル皇太子殿下。現在も運命制度でつがいを得る貴国に言われるとは思いもしませんでした」
「なっ……」
ハイダルが鼻白み、隣に座ったサリムもさっと顔色をなくす。
絶句したふたりと、息を呑む周囲をぐるりと見渡すと、タルハ大公は一度唇を震わせたあと、がたがたと立ち上がるなり続けざまに言い放った。
「アルファが運命のつがいを得るために運命制度があるのでしょう? それもオメガの自由を奪うことにはならないのですか? 巡香会に集められるオメガたちは、そもそもそれを望んでいるんですか?」
勝ち誇ったようにタルハ大公は勢いづいたまま声を高くし、ハイダルは何も言わない。サリムはうつむいていた。
タルハ大公が言うことももっともだが、巡香会は皇太子や皇帝がつがいを得られれば、それ以降は自由参加であるとも聞いている。人身売買などとは違うと思ったが、ハイダルがそれを言い返す様子はなく、ミシュアルはもどかしく膝の上でこぶしを握り締めた。
そして、しんと静まり返る広間に、大公の声がやけに大きく響いた。
「運命制度を持つ以上、ドマルサーニが反対するのはおかしい話だ。ご自身の妃も巡香会で見つけて娶ったというのに……」
大公の声が途絶えたのは、隣に控えていたロカム公国の大臣が青ざめた顔で大公の服の裾をぐっと引いたからだった。
一瞬不快そうに顔をしかめた大公だったが、そこでようやく我に返ったのか、静まり返る広間を見たあと、顔をさっと青ざめさせた。
「し――……失礼、年甲斐もなく興奮して、思いもしないことを口走ってしまいました。申し訳ありません、ハイダル皇太子殿下、サリム皇太子妃殿下」
「……」
「……いえ」
ハイダルは背筋を伸ばして口を閉ざし、サリムは小さな声で呟く。
とてつもない空気の悪さにミシュアルは逃げ出したくなった。しかしイズディハールは深呼吸を一つすると、すごすごと椅子に座りなおした大公を一瞥し、それから円卓を見渡した。
「……とにかく、人身売買は人身売買だ。機会を与えるというのは飽くまでオメガではない側からの一方的な意見に過ぎない。他者を自身の利益のために売買することは愚かな行為だ。サマネヤッド同盟に属する国として、盟主国として、看過することも緩和することも考えていない。むしろ、そういった蛮行からオメガと言わず、民を守るのが我々為政者のすべきことではないか?」
イズディハールの言葉に、静まり返っていた各国の首脳陣も次々と賛同の声を上げる。ハイダルも気を取り直したように頷き、やがて全員の視線は黙りこくったままのタルハ大公に向けられた。
盟主国であるナハルベルカとドマルサーニをはじめとする他国が賛同し、さらにはタルハ大公は失言もしてしまった。ここで否やを唱えられるわけがない。
「ご……ごもっともです、ナハルベルカ国王陛下」
絞り出すようなその声に、イズディハールとハイダル以外の全員が詰めていた息をひそかに吐く。張りつめていた空気が一斉に緩んだ。
周囲のどこか和やかな空気とは裏腹に、タルハ大公は牙ある獣に尾を抑えられたネズミのように縮こまっている。彼を一瞥したイズディハールは、改めて円卓の上で手を組んだ。
「人身売買の完全撤廃はサマネヤッド同盟内でも早急に完遂すべき事案だ。理解と行動力が鍵になる。貴殿らには国へ帰国次第、喫緊で取り掛かってもらいたい」
イズディハールの言葉を継ぎ、ハイダルも視線をあげる。サマネヤッド同盟に属する国の代表の中では一番若い彼だが、周囲はその爛々とした目に見渡されると気圧されたように息を呑んだ。
「人員、物資、資金。不足しているものは、サマネヤッド同盟からも援助させてもらう。我らの民を守るため、同盟はそれらを侵すものを決して許してはいけない。以上だ」
ハイダルの声が広間に響き、なにかしらの合図を受けたらしいサリムが部屋の隅に控えた係に頷いて見せる。プオーと滑らかな木管の笛が高く鳴り、進行に携わっていたハイダルの側近が会議の閉会を告げた。
「どうぞ、扉に近い方からご退席ください。各お部屋にお茶と菓子を届けさせていただいております。ぜひおくつろぎください」
側近が声高に言う前を、各国の代表やその護衛たちがぞろぞろと歩いていく。中にはすっかりうつむいたタルハ大公の姿もあった。
「ミシュアル、私たちも行こう」
「え……ああ、はい……」
最後にこの場を出るのは、盟主国であり、今回の開催地の代表であるハイダルであるべきだ。いつまでも自分たちが居座っていては、彼らも出ることができない。促されて広間を出ていく間際、ミシュアルはどうにも気になって軽く振り返った。
ハイダルは近くの側近となにか話をしていて、その横にはサリムも立っている。その横顔は髪に隠されて見えず、イズディハールとミシュアルを最後に広間の扉はぱたりと閉ざされた。
結局サリムの顔色はおろか、様子もうかがうことができなかったミシュアルは、もやもやとした気持ちを抱えながら来賓宮へ帰ることになった。
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