これはさいごの■のはなし

晦リリ

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これはさいごの■のはなし

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 扉を開けると、恋人が死んでいた。

「ああ、……死んだのか」

 一応口の上に手をかざしてみたり、胸に手を当ててみたり首の太い血管を確かめてみたりしたけど、やっぱり恋人は死んでいた。
 死んだとなると、葬式をあげなければいけない。 
 さてどうしよう。
 葬式の方法なんて古今東西さまざまだ。あいにくと、彼がどうやって送ってほしかったかなんて聞いたことがなかったから、俺は首をかしげた。
 風が吹き込むたびに揺れるカーテンがひらひらと舞い、血の気を失った頬の上で影がおどる。そのさまを見ながら、まずは花を集めようと思った。
 死ぬとかたまってしまうので、動かせなくなる前に胸の上で指を組ませて、それから俺は庭に出た。
 なんの花を集めよう。花の名前はたくさん知っている。

「リリー、チューリップ、クローバー、タンポポ、キキョウ、シオン、カランコエ……」

 あればいいなと思いながら庭を歩くけれど、季節も生息域もバラバラな花たちがあるはずもない。ついでに言うと、庭に花を率先して植えていたわけでもない。
 けれど、白い小さな花の集まりをてっぺんにつけた、ゆらゆらと揺れる花が庭の一角にかたまって生えていた。
 あれはたしか、食べられる花だ。たまに彼が掘り起こして根の部分を料理していた。

「これでいいか」

 花の部分だけ刈り取ろうかと考えてしゃがんだところでひらめいた。
 そうだ、花を集める前にしなきゃいけないことがある。

「穴、掘らないと」

 死んだ恋人を埋める穴。俺しかいないので、俺が掘るしかない。
 そうと決まれば花を集めるより先に穴掘りだ。
 倉庫に頭を突っ込んでごそごそ探ると大きなシャベルがあった。それを片手に庭をうろうろ。どこが最適なんだろう。
 ふたりでよく昼寝をした大木の根本がいいかな。それとも洗濯物を干し終えたあとに必ず座っていたベンチのそば、それとも前に飼ってた猫のアルが永遠に眠る切り株のそば。もしくは庭の端の端はちょうど崖になっていて、そこから釣りをする時に腰かけていた石があるんだけど、そのあたりがいいだろうか。
 少し考えて、よく世話をしていた庭の一角に決めた。
 ここなら俺が毎朝起きて「おはよう」をすぐに言いに行ける。
 すぐに土にシャベルを突き立てる。どれくらい深く掘ればいいだろう。どれくらい多くの土を彼にかぶせればいいだろう。彼はとても細くて軽いから、あんまり多くの土をかぶせてしまったら折れてしまうかもしれない。あ、でももう死んでるのか。そうだよな、そもそも土に埋めたら重いも何も、呼吸できなくて死ぬよな。死んでるから呼吸しないし、重くもないから別になんともないだろうけど。それなら別に、深くてもいいか。
 とりあえずざくざくざくざく掘り進む。でっかい機械とかあればいいんだろうけど、ないから自分の体を動かすしかない。
 遠くでモーと声がする。気づけば夕方になっていて、そうだ、牛と豚と鳥に餌やんなきゃと思った。
 恋人は死んだので、置いとくだけでいい。腐られたら困るけど、年中涼しいこの辺なら、明日までも大丈夫だと思う。
 とりあえず生きてるやつらは手がかかるので、餌をやりに行って、俺も適当にトーストなんかで腹を満たして、また穴を掘りに戻る。
 俺の腰ほどまで掘ったところで顔をあげると、満天の星空がきれいだった。
 そういえば、彼も夜空が好きだった。
 あれがリベル、ベテルギウス、プロキオン、カペラ……そう言って指さしては何度も教えてくれたけど、結局俺は覚えられなくて、どれがリベルでどれがプロキオンかわからない。
 そうだ、せっかくだから外に出してやろう。
 今日は最後の夜だ。もう見えちゃいないけど、夜空の下に連れてきてやろう。明日からは土の下だから。
 もうカッチカチになっちゃってる恋人を連れてきて、草の上に敷いたブランケットの上に転がす。ごめんな、こんなカチカチじゃなかったらもうちょっと優しくできたんだけど。
 今日は疲れた。だって、動物の世話をして畑をちらっと見て戻ったら恋人が死んでるんだもの。彼を埋めるための穴を掘らなきゃなんないなんて、昨日のうちでは予定になかった。そのうちいつかとは、思っていたけど。
 寝返りを打って、彼のほうを見る。胸のうえで両手を組んで、目を閉じて夜空に向かっている。夜空をいっぱいに浴びているみたいで、ああ気持ちよさそうだな、と思いながら俺も隣で眠った。
 翌日起きると、カッチカチだった彼は少し戻っていた。少し急がないとな、と考えて、俺は昨日も食べたパンを食べて、牛豚鳥に餌をやって、それからまた穴を掘った。
 深く深く掘ってるけど、でも掘り起こす奴なんていないし、たぶん狼やなんかもいない。熊もいない。

「これぐらいでいいか」

 深さはちょうど俺の胸元のあたり、彼の身長でいうところの顎くらい。まあいいだろう。
 穴から出て、さてさてと花を摘む。
 二十本ほども取ったらもうなくなってしまったけど、白くて小さな花だ。まだ全然足りなかった。
 それでもとりあえずは花が摘めたので、彼を穴に入れることにした。
 着替えをさせてあげれたらいいんだけど、まだいろんなところがかたいからちょっと難しい。

「うーん……」

 なんだかしっくりこない。
 少し考えて、俺は家から俺のコートと本とハサミとシーツを持ってきた。それらと一緒に花を持ってはしごを降りる。

「これを君にやるよ」

 いつだったか、いいコートだとほめてくれた俺のチェスターコート。ちょうど洗ってあったし、死者を送るにふさわしく白い。
 組んだ手が隠れてしまうのはなんとなく残念だったので、その手の下あたりにコートをかける。彼は寒がりだったから、ちょうどいいはずだ。
 それから庭で摘んだ花を彼の周りに置く。やっぱり足りなくて、むしろ手向けというよりも香草を散らされたディナーみたいに見えた。なので、俺ははしごに腰かけて、ハサミで本を切りはじめた。
 それほど手先が器用なわけではないけど、ひとつひとつ切り抜いていく。ひとつ切っては彼の顔のそばに、胸に、肩に、組んだ手の近くに置いていく。

「こんなもんかな」

 三十ページ分ほども切ったろうか。彼の周囲を、切り取られた鮮やかな花の写真が取り囲んでいた。
 本物はないけど、これで許してほしい。ついでに言うと本は俺のものなので、本を切るなんてと怒らないでほしい。いや、怒ってもいいな。怒ってほしい。

「……さあ、さよならだ」

 シーツを広げる。彼の上に直接土をばさばさとかぶせてしまうのはかわいそうな気がしたから、せめてとシーツで彼と花と切り抜きを覆った。
 白いシーツのうえに、土を入れていく。掘った分をどんどん戻していくと、あっという間に白は見えなくなった。
 どれくらいで彼は地に還るのだろう。そういえば、そういうことは知らなかった。死んだ後のことなんて研究したことがなかったし、どちらかというとどうやったら殺せるだろうと考えるのが俺の仕事だった。
 けれど、それも以前の話だ。
 殺すものはもうないし、彼が死んだのは時間の流れと彼の内的要因だ。そもそも長く生きる体じゃなかったし、彼は長い生を望んではいなかった。

「こんなもんか」

 彼が埋まった分、穴に入りきらなかった土は仕方ないのでばらして広げ、埋葬は終了だ。

「ああ、目じるし……忘れてたな」

 ぺたんとならされた土を見て、なんか忘れていたなとぼんやり思っていたものを思い出した。
 ここに彼が眠っていますよという目じるしを何にするか忘れていた。
 適当な石でもいいけど、うっかり蹴り飛ばしてしまうかもしれないし、十字を作っても彼自身がそういう思想だったわけじゃない。
 なににしようかなと思ったけど、よくよく考えたら、誰かがここに彼が眠ることを知るわけもないし、誰も来やしない。もう誰もいないんだから。彼を想うのは俺が最後だ。
 気がつけば、もう昼になっていた。
 遠くで牛が鳴いている。シャベルを放って、俺は家畜たちのところへ行った。
 牧場の柵を外して、豚小屋の扉を開け放って、鶏小屋の窓も扉も全部開いた。
 動物たちはぞろぞろ出ていく。もう用はないから、好きに生きて死んでくれ。
 モーモーブーブーコケコケと騒がしく散らばっていくのを見送って、俺は自分の部屋へあがった。
 汚れたシャツとズボンを脱ぎ捨てて、クローゼットをのぞく。とはいってもそれほど服はない。あれこれ迷うこともなく、今はもうほとんど着なくなった古びて黄ばんだ白いシャツと、土汚れのしみがとれずに残っているチノパンにした。
 髪を適当に整えて、それから俺は、部屋に飾っていた絵の額縁をはずしにかかった。有名な画家が描いたものらしいけど、これはただのコピーで、その画家の名前も俺はよく知らないし、興味がない。ただ、この額物が隠すにはちょうど良かった。
 やたら豪華な額縁の縁に掘られた小さなでこぼこをなぞる。すりりと木が擦れる音がしてスライドし、人差し指が埋まるほどの収納が現れる。そこに入ったものは、ふたが取れると同時に落ちて、ことんと床に軽く跳ねた。
 小指ほどもない小さな小瓶。それを胸ポケットにおさめてキッチンへ。

「ちょうど最後か」

 棚から取り出した瓶には、彼ががんばって作ったコーヒーのもとがある。とはいえ、コーヒーなんて手に入らないので、これは本で読んだとかいうタンポポで作ったものだった。苦くて、時には妙に草の味もしたけど、俺も彼もわりとこれが好きだった。
 ちょうど二杯分あったのでタンポポコーヒーをいれたマグカップを二つとランチマット代わりのタオルを手に庭に戻る。
 昼下がりの庭は、心地よい風が吹いていた。
 空には雲しかなく、岬の下からは波音が聞こえる。風に揺れた葉がさわさわと擦れる音も耳にやさしい。ちちち、と鳥の声がしたが、なんの鳥かはわからなかった。
 彼が眠るつちくれのそばに座り込み、草の上に敷いたタオルのうえにマグカップを並べる。
 思えば、ふたりで並んで、よくマグカップを傾けたものだった。
 最初はガラス越しに、俺は一杯で軽めのランチが行けるくらいのコーヒーを、彼はいくつもの検査を経たうえで試薬を混ぜたミルクを。
 ガラスがなくなると、俺は自分で淹れたコーヒーを、彼はただのミルクを。
 初めて外に出てみた日は、カフェで同じカフェオレを二杯頼んだ。
 いろいろあって、埃にまみれた賞味期限が一か月過ぎた缶コーヒーを見つけてきて、大丈夫だろうかと心配しながらもふたりで分け合ったこともあった。
 この家を見つけ、住みついてからは、書棚にあった本でタンポポコーヒーを知り、自分で煎じては、俺のために淹れてくれた。もうそれも、この一杯で終わりだけど。
 こくり、こくりと飲み干して、最後のひとしずくまで胃におさめたあと、マグカップを置き、俺は胸ポケットの小瓶を取り出した。
 今日のために持ち続けていた小瓶だ。俺が作った、俺のための薬。
 まるで水のようなそれを口に含む。苦いコーヒーを飲んだあとだからか、少し甘く感じられた。
 少し盛り上がった墓の隣にそろりと寝転ぶ。地面は少しひんやりとしていたから、やっぱり彼のうえにコートをかぶせてあげたのは正解だったのかもしれない。
 彼のことはなんでも知っていた。
 朝の目玉焼きは半熟より固焼き。枕は低いほうが好き。注射は嫌いだった。右足より左足のほうがちょっと大きかった。星の本が好きだった。薬はイチゴの味をつけると喜んで飲んでいた。スキップが出来なかった。キスは好きなのに呼吸の仕方が下手だった。冬になると末端から冷えて、だから冬の間は暖炉から離れられなかった。試薬の影響で左目は見えていなかったけど、その分左耳が良かった。初めて抱き合った日は二日も起きられなかったのに、ずっとにこにこしていた。俺のためにタンポポを掘っては、手間のかかるコーヒーづくりをしてくれた。
 そんな彼を、俺は愛していた。だからずっとそばにいた。だから、この愛が、恋が、彼が奪われるのは我慢ならなかった。
 もしも俺を知るひとが今もいるなら、きっと世紀の大悪党として、歴史に名を刻んだかもしれない。けれど、それももうないだろう。俺と彼以外に、あのワクチンを飲んだものはいないのだから。
 執着だと、異常だと、笑ったやつらはもういないけれど、これだけは言っておこう。誰にも、もちろんもう死んだ彼にも聞かれない声だけど、これが俺の最期の言葉だ。

「なあ、愛してるよ」

 もう呼吸も浅い。だが言ってやった。気持ちがいい。
 来世だなんだはわからないし、もう人間などいないので、来世とやらがあっても人間にはなれないだろう。けれどまた生まれたその時は。
 そう思うこの心が、これが恋じゃないなら、この世にきっと恋はない。






これはさいごの恋のはなし・おしまい
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