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しおりを挟む屋敷に来て、更にひと月が経った頃だった。
夜半、ふと目を覚ました芹は違和感を感じてもぞもぞと褥の中で身じろいでいた。
怖い夢を見たわけでも、寝つきが悪いわけでもない。なぜ自分が起きてしまったかはわからなかったが、自然と厠に行こうとして体を起こした芹は、不意に下腹のあたりに不快感を覚えた。
毎日風呂に入っていて、今日も夕餉の前に体を清めた。衣服もすべて着替えて、清潔な状態で布団に入った。それなのに、腿のあたりになにかがべっとりとまみれている。火皿の油でも零したかと思ったが、それならば上掛けにもかかっているはずだが、火皿は灯台の上にちゃんと乗っていた。
「……気持ち悪い」
零したのでなければ、よもや漏らしたかとも思ったが、それほどさらさらはしていない。何なのかはわからないが不快感は確かなので、着替えてしまおうと小袖をはだけると、ふと露わになった股間に目が行った。
普段、厠に行くときや湯殿を使う時以外は全く意識しない場所だ。まじまじと見るような趣味もないし、意味もなく触ることもない。けれど、芹はごくりと唾を飲んでそこに触れた。
普段はしんなりとしている芹の両方ある性のうちのひとつは、やんわりと緩く頭をもたげていた。
なにか病気だろうかと触れてみるも、特に血が出ていたり、腫れているわけではない。ただ、いつもよりなぜか敏感になってしまっていて、自分の指先で触れたにもかかわらず、びくりと腰が震えた。
なんだかわからないが、股間がむずむずする。思わず握りこんでしまった未熟な自身どころか、脚の合間に隠された、陰茎以上に自分でさえ触ったことがほとんどない場所までもが疼く。
この感じは久しぶりだが、初めてではない。蘇芳を想っているうちに、時折こんな風に下腹の奥が熱を持って脈動することはあった。けれど、今はただ眠っていただけだ。
自分の体に一体何が起きてしまったのだろうかと戸惑いながら、脱ぎかけた小袖を中途半端にまとったままでいた芹は、とりあえず体を清めようと、ぎこちなく動き出した。
腿のあたりは濡れたままだし、べったりとして気持ちが悪い。けれどこんな夜更けに湯殿を使うわけにはいかないので、箪笥から引き出した手拭いを手洗い用の水瓶が置いてある厠で濡らすべく暗い廊下へ出た。
明るい昼間ならともかく、夜の闇に沈んだ廊下は、差し込む月明りでしか足元が見えない。転ばないようにそろそろと歩いていると、通った障子の向こうから、聞きなれた声が響いた。
「芹様?」
五の館には芹の部屋以外にもいくつか座敷があるが、そのうちのひとつが蘇芳の部屋だ。芹の部屋から厠に行く場合、蘇芳の部屋の前を通るのは遠回りになってしまうのだが、誤ってこちらへ来てしまったのかと足を止めると、すらりと障子が開いた。
「なにかありましたか」
寝着姿の蘇芳は珍しい。しっかりと着込んだ普段の姿でも凛々しいが、薄い小袖姿になると、しっかりとした体つきがより一層露わになって、芹はわけもなく乾いた舌を僅かに動かして潤した。
「あ……ううん、厠に行こうと思って」
「厠なら反対側に回った方が近い。送りましょうか」
「うん、お願い」
今来た道を戻るだけだが、濃い闇がみっしりと影を落とす廊下は、妖に慣れてきた芹でも怖い。素直に頷くと、深夜に起こされたというのに、嫌な顔一つせず、蘇芳はついてきた。
「迷いましたか」
「迷ったのかな……寝ぼけたのかも。目覚めが悪くて」
「悪夢でしたら、獏を呼びましょうか。喜んで食べてくれるかと」
「夢じゃないよ。起きたら、なんか……体が変で」
「体? どこか痛みますか、それとも気分がすぐれませんか」
暗がりで表情は良く見えないが、蘇芳の声は驚きと焦りが滲んでいる。心配させる言葉を選んでしまったかと焦った芹は、慌てて手拭いを握った手をひらひらと振った。
「ち、違うよ。体調は大丈夫。ただ、なんていうか…体がおかしくて」
「おかしい?」
こそこそと話をしながら歩いているうち、気付けばふたりは芹の部屋の前まで来ていた。厠までは更に廊下を歩かなければならないが、芹は一度自室に入った。自分で行きたいのはやまやまだが、中途半端にきざしたままの自身が布に触れるたびに腰が震えてしまい、とてもじゃないが、厠まで行けそうになかった。
「ごめん、蘇芳。体を拭きたいから、手拭い濡らしてきて」
「かまいませんが……体がおかしいとは、どういうふうにですか」
「拭きながら言うよ。教えてほしいこともあるし」
病気でないならいいが、こんな風に半ば立ち上がったままというのは困る。局部を見せるのは恥ずかしい気もしたが、仕方がない。
差し出された手拭いを手に、蘇芳は首を傾げながらも廊下の向こうに消えて行った。
それほど離れてはいないが、戻ってくるまでに間がある。灯台の火皿に小さな火を灯して僅かな明かりを得ると、着替えを準備し、ついでに布団が濡れていないかいま一度確認する。幸いにもどこも濡れている様子のない敷布をばさばさと触っていると、水桶と手拭いを手にした蘇芳が早くも戻ってきた。
「芹様……まさか、お漏らしですか」
「違うよ! ただちょっと……蘇芳、障子閉めて」
「はい」
お漏らしなどする歳でもないのにと憤りながら布団を隅に押しやると、蘇芳も後ろ手に障子を閉めて、水桶をそろりと下ろした。桶の中には半分まで水が汲まれていて、ゆらゆらとなめらかに水面が揺れていた。
「体拭くから…後ろ向いてて」
「わかりました」
見せるにしても、せめて綺麗にしてからがいいと、絞られた手拭いを受け取って、自分でごそごそと下腹を拭う。相変わらず芹の未熟な陰茎は頼りなくゆらゆらと中途半端に立ち上がって揺れており、脚の間を拭くためには邪魔でしかなかった。
不用意に触れてしまわないように気を付けながら内股や脚を拭き清めて、用意していた替えの寝間着に着替えると、ようやくさっぱりとした。けれど股間はきざしたままで、はあとため息を吐いた芹は、水桶に手拭いを落とした。
「蘇芳。いいよ、こっち向いて」
芹が声をかけると、律儀に背を向けていた蘇芳が振り返る。体ごと向きなおると、着替えた芹を頭の先から下まで眺めた。
「着替えをなさるほどでしたら、湯殿を用意しますが」
「大丈夫、脚のあたりだけだったから」
「脚…? 怪我をなさったのですか」
「怪我じゃないよ。起きたら、べたべたするので濡れてたから、着替えたくて」
「べたべた?」
「うん。……あと、なんか…その……」
「他に何か?」
真剣な様子で蘇芳は聞いてくるが、局部を晒して聞いても構わないものだろうか。あまり人に見せる場所でないということくらいは芹もわかっているが、もし何か病だったら困る。健やかに居るようにと黒縒からは言われているし、万が一神気に影響などあったら、芹がここにいる理由が無くなってしまう。
迷っていても解決はしないし、悪いものだったら結局は診てもらわなければならない。
散々に迷った末に、芹は着替えたばかりの寝間着に包まれた膝元をぐっと握りしめた。
「股間が、おかしくて」
「……股間?」
怪訝な顔をした蘇芳が視線を下げ、芹は自分の顔がかっと熱くなるのを感じた。仕方のないことだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。そもそも、風呂に入れてもらったことは何度もあるし、おしめだって蘇芳が替えたこともあると聞いている。芹が両性だと知っている、数少ない人物でもある。なにをいまさらと、ぱっと顔をあげた。
「お、おかしくて……なにもしてないのに、こうなっちゃって……」
恥ずかしいやら情けないやら不安やらで、つんと鼻の奥が痛くなってくる。泣いたことなどほとんどないのに、こんなことで泣くなんてと悲しくさえなってきたが、さっさと終えるしかない。
呆然としている蘇芳の前で、芹はおもむろに寝間着の前を分けた。
夜のひんやりとした空気にさらされた股間はやはり僅かに浮いていて、手のひらで押さえると妙な感じがする。それだけでも十分に芹を困惑させるのに、気付けば脚の間の秘匿された場所までが、なんだか漏らしているような感覚で濡れはじめていた。
正体のわからない液体は腿にかかっていたし、触ってもいない場所は妙にぬたぬたと濡れはじめるし、大量の書物を端から入れ込んできた芹の知識を総動員しても、こんな症状に思い至るものはない。どうしたらいいのかと、すんと鼻をすすりあげるのが精いっぱいだった。
「俺、なにか患ってるのかな。ここはこんなだし、ま、股の間もおかしいし、お腹の奥も、ずくずくする……く、薬師様とか、黒縒様にお願いしたら、呼んでもらえるかな…?」
薬で治るものなら、どんなに苦いものだってきちんと飲んで、体を治したい。そうでなければ、ここに居られない。
親兄弟と離れてまで人ではないものが総べる場所に来たのに、病で蘇芳の傍にいられなくなってしまうのは怖かった。
「ねえ蘇芳、黒縒様にお伝えした方がい……」
「芹様」
不安にかられた芹の声が思わずうわずった瞬間、遮ったのは蘇芳の声だった。
「く……黒縒様にお伝えはしなくてもいいかと思います」
「でも、もし病だったら」
「病ではありません」
きっぱりと言う蘇芳の顔は、灯台の火皿の上でふらふらと揺れる小火に照らされている。見慣れたその顔は、珍しくどこか苦しげに見えた。
「俺が…俺がお教えしていいことかわからず、そのままにしておいてしまったのが悪いのです。申し訳ありません」
「教え…?」
「……あとで怒っていただいて構いません」
なにを、と問いかけようとした芹を、伸びてきた腕がおもむろに抱き寄せた。驚くよりも先に抱きしめられて、息を吸うと鼻腔いっぱいに蘇芳の匂いがする。それは芹が何よりも安心する匂いだったが、なぜか今は、理由もわからないまま濡れそぼってしまった脚の間を落ち着かなくさせた。
「蘇芳、なにが…」
「失礼します」
ごそりと動いた蘇芳に身を任せたまま、芹は突然襲ってきた感覚に目を眩ませた。
締め切った部屋では純粋ゆえの淫靡な指南が始まったが、整えられた瀟洒な庭は、そんなことなど素知らぬように、涼やかな虫の鳴き声が響いていた。
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