花と娶らば

晦リリ

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 黒縒が統治するこの神域に来て、芹は自分の世界が毎日どんどん広がっていくのを、明確に感じていた。
 ここへ来る前はどんなに恐ろしいことが待ち構えているだろうかと心配も不安もあったというのに、今は微塵もそんなものはない。
 なにせ、朝起きてから夜寝るまで、芹は自由だった。
 大鳥居の外に出なければ屋敷からも出てもいいと許可を貰っているので、好きなように外にだって出られる。おかげで、芹は憧れていた市にも足を運んでいた。
 幽閉される前に行ったことがある市はにぎわっていて華やかだった記憶がある。ここの市はどんなものだろうかと、蘇芳と連れ立って屋敷を出た芹は、少し歩いたところで開かれている市の様子に目を輝かせた。
 まっすぐに拓けて伸びた太い道の左右には所狭しと店の軒や露店が立ち並び、店先には様々な商品が陳列されて、それらを売り買いしているのは、もはや見慣れた鬼妖やごくたまにいる人間だった。
「こちらでは通貨は特にありません。基本が物々交換ですね。あとは金粒とか」
「離れに置いたままだった書物とか持ってくればよかった。なにかと交換できたかも」
 貨幣を使ったこともないが、勝手に店先から商品を持っていくことがいけないこととは、買い物の経験がない芹にもわかる。
 せっかくなのでなにかしら買ってみたかったが、物々交換に充てられるほど私物はないし、金の粒など持っているはずもない。
 もう藤村の家を出たのだし、自分も何か屋敷で手伝いをしたり働いたりして、自分で使う金の工面くらいはすべきだと考えていると、耳元でしゃらりと石が擦れるような音がした。見ると、蘇芳が手のひらに乗るほどの小さな袋を持っていて、どうぞ、と芹に差し出した。
「黒縒様からお預かりしました、お小遣いです。要りようのものがあれば買うようにと。ただし、無駄遣いはいけませんよ」
「お小遣い…」
 生まれてこの方、金銭など持たされたことのない芹にとって、それは初めての小遣いだった。
 受け取ると、小袋の割にずしりと重く、ざらざらと音がする。紐でくくられた口をそろりと開けると、中には黄金色をした小さな粒が大量に入っていた。
「これが金?」
「はい。物々交換するものがないときは、これを使います」
「本とかも買えるかな」
「買えますよ」
「お団子とかも?」
「はい」
「蘇芳も買ったりする?」
「一つ目入道がやってる団子屋が、草紙を扱ってる店の隣にあります。大きくて美味しいと評判です」
「じゃあまずはそこ行きたい。それから、墨がもうないから墨も買って……」
 あれが欲しい、これはあるだろうか、そういえば昼餉はどうしようかと話しながら一日中市を周った芹は、陽が落ちかけたころ、そろそろ帰りましょうと声をかけられて帰途につく途中、支えを失った人形のようにがくんと膝から力が抜けたのを感じた。
 慌てたのは蘇芳で、持っていた風呂敷包みを放り出して芹を抱きかかえた。
「体調がすぐれませんか、芹様」
「ううん……なんかすごく疲れた…膝ががくがくする」
 一日中歩いたことなど、生まれて初めてだった。あれやこれやと楽しくて、疲れにも気付かずにいたが、ふと、今日はすごく楽しかったと思った途端に膝から力が抜けて、ひどく疲れていることに気付いた。
 抱えられて初めて、足が棒のようになり膝も笑っていることに気付く。長時間草履をはいたことなどない足の指の股に鼻緒が擦れて、足袋にはうっすらと赤いものが染み出ていた。
「申し訳ありません、気付かず…」
「蘇芳のせいじゃない。すごく楽しかったから…疲れたのにも気付かなかっただけだよ」
 ひょいと軽く抱き上げられると足が浮いて、足の裏からじんわりと痺れるような感覚が上がってきた。
「このまま戻りましょう。芹様、荷物を」
「うん」
 放り出された荷物を拾うべく、蘇芳が芹を抱いたまま屈んで、そのまま軽く傾ける。落ちないようにと蘇芳の首に片腕をかけて、もう片手で荷物をさらうように拾うと、そのまますいと持ち上げられた。
 一日歩き回って、あれやこれやと欲しいものや興味をひくものは山ほどあった。
 見るものすべてが目新しく、ひとつひとつ手に取って眺めた根付は可愛かったし、棚にみっしりと書物が詰まった写本屋では、どうしても一冊に決められずに、絵草紙を二冊買った。途中で寄った茶屋では串に刺さった焼き団子を三つも食べたせいで、その後に昼餉のために入った蕎麦屋では満腹と戦いながら蕎麦をすすることになった。その後も通りがかった呉服屋では薄手の小袖を一枚買い、香木店でも気に入った匂いの香木の小分けを選んで購入し、他にも菓子屋に寄ったりもした。
 それほど散財はしなかったが、店に立ち寄るだけでも十分楽しめた芹は、今日一日で買ったものを包んでいる風呂敷を抱きしめ、自分を抱いていても一切歩みが遅くならない蘇芳を見やった。
「ごめん、蘇芳も疲れてるのに」
「お気になさらず。それほど重くもありません」
「そうかな、俺、こっちに来て食べてばっかりだけど」
 藤村の家でも十分な食事を運んでもらっていたが、こちらへ来てからは、量も質もぐんとあがった。毎日三食食べているので体重が少しくらいは増えたかと思ったが、蘇芳は足取りが危うくなることもなく、帰途を歩いて行く。しっかりとした腕に抱かれて揺られて思わずあくびなど噛んでしまいながら、芹はふと、こんなにも力が強いのは、蘇芳の本性が鬼だからなのだろうかと考えた。
 どう見ても人間にしか見えない姿をしているが、蘇芳の本性が鬼だというのは、もう二度も見た事実だ。最初こそ驚いたものの、性根が悪しきものに変わるわけでもなく、姿が変わるだけだ。今はもう恐ろしいとさえ思わないが、力の源はどこだろうかと、斜め下から蘇芳の横顔を見ていると、不意に蘇芳が視線を下げて、芹を見た。
「顔になにかついていますか」
「ううん。なんで蘇芳はこんなに力が強いのかなって思って」
 身長こそ芹より七寸ほども高いが、鬼の姿ではない今は、筋骨隆々というわけでもなく、いたって普通の体躯だ。
「鍛練してるから?」
「それもありますが、俺の本性は鬼なので…いまもそれほど重さは感じていません」
「じゃあ、俺が米俵くらいになっても大丈夫?」
「大丈夫ですよ。それに芹様は細い、もう少し肥えてください」
「食べてるんだけどな、あんまり肉にならない。俺も筋肉つけばいいんだけど」
 あまり外に出られない生活を続けていたせいもあるだろうが、そもそも芹はあまり贅肉もつかなければ、筋肉もつかない体をしている。小袖から突き出た自分の頼りない腕についた薄い肉を指先で挟んだが、それほど摘めもしなかった。
「俺も鍛練しようかな。蘇芳、見てくれる?」
「構いませんが…芹様はそれほど肉がつかない体なのかもしれません」
「え、なんで」
 芹としては大真面目に体を鍛えようとしていただけに突然の蘇芳の言葉は驚きだ。なんで、と身を乗り出すと、落ちますよと冷静に叱られた。
「芹様は両性です。男性の体でもありますが、女性の体でもありますから」
「両性って……そうだけど。そんなに違うものなのかな」
 外界と遮断されて生きてきたせいか、芹は特異な性別で生まれた自分の体を、それほど意識したことはなかった。他人の裸は見たことがないし、自分の裸体をまじまじと眺める趣味もない。生まれた時からこの体なので、それ以外はよくわからなかった。
「極端に言えば、男性の方が筋肉はつきやすいです。芹様はどちらでもあるので、中間になればいいですね」
「女の人よりは筋肉がつきやすいってこと?」
「多少は。俺も詳しくはわかりませんが」
「誰かに聞いたらわかるかな」
「そうですね……気になるなら今度、薬師を招いて話を聞きますか。黒縒様お抱えの方がいらっしゃいます」
「その人も妖?」
「はい。ですが薬事はもちろん、病にも深く精通しています。芹様に以前塗った軟膏を作った方です」
 そう言われて思いだすのは、蜂に指を刺された痛みと、つい先日あった鬼の襲撃で負った傷だ。確かによく効いて、特に副作用などもなかった。
「それならお願いしたいな…俺、自分の体の事、よくわからないから」
 父母には幼い頃、お前は男と女どちらでもあると言われていたが、その自覚がないまま育ってしまった。成長して男らしくなるかといえばそうでもなく、けれど胸が膨らんだり尻が丸くなったかといえば、そうでもない。どちらともつかないまま育った芹は、自分の体について、あまりに無知だった。
「それでは、俺から黒縒様にお話をして、それから席を設けましょう」
「あ、でも明後日は、その……穂摘と会う約束をしてるから」
「わかりました」
 離れから出たことで世界が広がったものの、溢れる情報を前にして、芹は知らないことが多すぎる。しかしそれらをひとつひとつ吸収していくことは純粋に楽しい。
 初めて自分で買ったものを包んでいる風呂敷を大事に抱える芹を、しかし蘇芳はどこか痛ましいものを見るような目で一瞬見下ろしたが、無邪気な主がその視線に気付くことはなかった。


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