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しおりを挟む鶏が藁の中で顔をあげ、朝を告げる第一声を響かせるより少し早い時間。清三は突然やって来た下男に声をかけられて、深い眠りに浸っていた瞼をあげた。
昨夜は昼間にあった妖たちの襲撃に荒れた屋敷内を見回って修理の手はずを整えたり、村に出て行って怪我人の把握などをしているうちに陽が暮れてしまい、随分遅くに床に就いた。寝る前にさちと芹の眠る部屋を訪れたが、さちは相変わらず死んだように眠っていて、芹も女中に抱かれて健やかな寝息を立てていた。
屋敷が襲撃にあったことは言うまでもなく事実だが、そのあと結んだ契約とやらは、もしや夢だったのではと思いながら自室に戻ったのが、おそらく日付を跨いだころだった。そのまま布団にもぐりこんで、数刻ほどしか経っていない。
一体なんだと強い眠気にくらくらしながら体を起こすと、寝ずの番を命じていたはずの下男は、申し訳なさげに背中を丸めた。
「使いの者だとしか言わんのですが……そう伝えれば、旦那様がお分かりになると」
まだ太陽も満足にのぼり切らないこんな早朝に、誰かと会う約束などしていただろうか。ぼんやりとした頭をひとつ掻いて、清三ははっと顔をあげた。
「…使いの…その、使いの者はどんな様子だ」
「どんな…普通ですね。腰に刀は佩いています。武人でしょうか」
「ふ、普通か?」
脳裏によみがえるのは、昨日交わした取り引きだ。
あの得体の知れない強大な力を使う男は、使いを寄越すと言っていた。
「ええ、はい。年の頃は十七、八に見えます」
断片的な特徴を聞いて、とりあえずと清三は息を吐いた。八尋は使いを寄越すと言っていたが、人の姿をしていない可能性だってあった。しかし、話を聞く限りは普通の人間だ。少なくとも話が出来る。
「彼は私の……ええと、知人から紹介された世話人だ。客間に…桐の間に通しておいてくれ」
「かしこまりました」
とりあえずは話をしようと、屋敷の中でも一番奥まった場所にある客間を指定し、清三は下男が下がるとすぐに身繕いして部屋を出た。
夢だと思いたかったのに、まさか本当に来るなんて。
思わず震えてしまう歯の根を抑えるようにぐっと口を引き結び、桐の間へ向かった清三は、いつの間にか山の向こうから上がりだした陽光の清浄な光を背に浴びながら、ごくりと生唾を飲んだ。
八尋は、七つを過ぎるまでは芹を連れて行かないと言っていた。だから使いの者とやらも、今すぐ我が子を奪っていくわけではない。大丈夫だ。
深呼吸を二度ほど繰り返し、地響きのような音を立てる心臓を宥めて障子に手をかける。すらりと開いたそこには、背筋を伸ばして座する青年がいた。
腰に佩いていたという刀は右側に置かれているというのに、向けられた視線の強さに思わず首の後ろがひやりとするのを感じながら、清三は乾いた喉には少なすぎる唾を無理やり飲み込んで座敷に足を踏み入れた。
八畳ほどの客間の中ほどに座っている青年から二尺ほど離れた場所に置いてある座布団に腰をおろし、清三は改めて彼を見た。
凛とした青年だった。形の良い頭を短く揃えた髪で覆い、前髪のかからない眉は中筆で一閃したように伸びている。その下の眸は涼やかでありながら、どことなく獣を思わせる鋭さもあった。
正座をした膝の上に拳を置いていた彼は、清三が向かいに座ると音もなく頭を垂れた。座しているために正確な身長はわからないが、しっかりとした体をしている。下男は十七、八の頃と言っていたが、そう言われればそうも見えるものの、不思議と二十歳をとうに超えているようにも見えた。
「……八尋様より遣わされました。蘇芳と申します」
深い声音で言うと、蘇芳と名乗った青年はまた一度頭を下げ、それから視線をあげて清三を見据えた。
「昨日、八尋様と藤村様の間で取り交わされた契約のために参りました。仔細は既に聞き及んでおります」
「契約のため……や、八尋様より伺っているが、蘇芳殿は、鬼などを退ける力がおありなのか」
「蘇芳とお呼びください。俺は鬼や妖と戦うことが出来ます。そのための鍛練を積んでいます」
静かな口調だが、腕に自信はあるのだろう。実際、体つきは細身ながら武人のそれだった。
「だが、……鬼や妖に太刀打ちすると言っても際限が…」
「御憂慮は無用。火急の際は、八尋様より加勢を賜ります」
「なにかあれば、八尋様もお越しになられるのか」
「はい。火急の際は、呼ぶようにと」
静かな声には、甘言や出任せの気配はない。さてどうすべきかと清三は迷ったが、それを全く気にせず、蘇芳は言葉を重ねた。
「芹様のお世話と身辺警護をと言い付かってきていますが、その他もなんなりと御用命下さい。また、八尋様より文をお預かりしています。お目通しください」
差し出された文は、それほど長いものではなかった。
遣わした蘇芳は、護衛と世話係として芹につけること。なにかあって、蘇芳でも対処が難しいようなら、すぐに自分が駆けつけること。また、裏山の中腹に祠を建て、そこに三ヶ月に一度、参拝をすること。これらは厳守するように。主に、そういったことが書かれていた。
ひとつの事柄も見逃さないようにとしっかりと最後まで読み切った清三は、ふと顔をあげた。
「祠とは……なぜ」
「八尋様がこの一帯の加護を手厚くするために必要なのです。それほど大きなものでなくとも構いません。人が一人入れるほどで大丈夫です」
「それならすぐに建てられるが……祠は小さな社。なにか御神体を置くべきではないだろうか」
なにかを祀るならば、それを媒体とするものが必要だ。けれど心当たりになるものはなく、清三がぐるぐると考えていると、蘇芳が懐から白い布に包まれた平たいものを差し出した。
「御神体ならば、これを置くようにと仰せつかっています」
渡されたそれを開くと、中から手を広げたほどの大きさをした皿のようなものが滑り出てきて、清三の膝にあたった。
「……これは」
割れたのではと慌てて拾い上げるも、ひびさえ入っている様子はなく、また、よくよく見ると、それは皿ではなかった。
半透明ながら、薄く青が入っている。なんとも美しいもので、これは玻璃だろうかと触れてみると、木の年輪のように、幾輪もの輪が刻まれていた。
「八尋様より賜ったものです」
それがなにかは、蘇芳は言わなかった。それきり黙ったまま、凛と背筋を伸ばして控えている。
彼を芹の護衛につけ、祠を建てて得体の知れない皿のようなものを祀る。それだけで本当に大丈夫なのだろうかという懐疑心は拭えないが、まさか追い返すわけにもいかない。幸い、昨日の襲撃で下男が怪我をしてしまっていた。芹の護衛という名目で部屋の前に置くのなら構わないだろう。
「承った。こちらを御神体とし、祠を建立しよう。蘇芳殿は今日以降、芹の護衛をお願い申し上げる」
心を決めて頭を下げた清三の手の中で、御神体となった玻璃の皿のようなものが、いつの間にか昇りつつある朝陽を反射して、きらりとまろい光を放っていた。
その日から、蘇芳と名乗る青年は、生まれたばかりの芹の護衛に就くことになった
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