18 / 30
本編
18
しおりを挟む数ヶ月ぶりに戻った村は、なにも変わっていなかった。畑にはぽつりぽつりと作物が実り、そこかしこで農作業に精を出している人がいる。小さな子どもが数人、転がるように駆けていくのを横目で見ながら、穂摘の足は自然と家に向かっていた。
細い畦道を歩き、あえて柏木の屋敷の裏を通ってついた家は、やはり焼け跡でしかなかった。あの火事から何度か雨露に濡れたのか、炭化した柱は、触れるとしっとりと湿っていた。
全てが焼け焦げたなかをしばらく眺めていた穂摘だったが、ふと思い立って墓場に足を向けた。あまり交流はなかったが、村の人が弔ってくれたのではと期待を込めて墓場を見て回り、ようやく小さな石が添えられただけの墓を見つけた。墓には生前母が好んでつけていた櫛が燃えずに残ったのか、半分が焦げたそれが供えられていたため、それとわかった。
次に来たときには花を添えようと、小ぢんまりとした墓に手を合わせてしゃがみこんでいると、ざりっと砂利を踏む音がして、穂摘は瞑っていた双眸を開いた。
墓に用があるわけではないのか、近付いてきた男は手に弓矢を持っている。
(重吉さん)
こちらを見て、訝しげにしながら近付いてくる男は、瀕死の穂摘を山道に放って逃げた重吉だった。目が合っているというのに重吉は穂摘だと気付いていないのか、じゃりを蹴りながら近付いてくると、じっと視線を合わせた。
「なんだお前、どこのだ」
「え…」
好かれてはいなかったが、顔をすぐに忘れられるほど短い付き合いではない。まさか二ヶ月見なかっただけで忘れたのかと驚きと怒りに立ち上がると、重吉は目を二三度瞬かせたあと、にやと笑った。
「名前、教えろよ。俺は柏木の重吉だ。そら、そこの屋敷のだ」
この男はなにを言っているのか。怒りに眩暈すら覚えながら口を開こうとすると、へらへらと笑ったままの重吉が唐突に近付き、穂摘の肩を抱いた。
「お前みたいな別嬪、見たことねえ。なあ、名前教えてくれよ」
「……重吉さん」
「ん?」
この男は、仮にも許婚だった人間を見捨てた罰にでも当たったのだろうか。そら恐ろしささえ感じながら穂摘が重吉を呼ぶと、軽薄を絵に描いたような彼は、上機嫌で顔を向けてきた。
「穂摘」
「ほづみ? 俺にゃあ巡りの悪い名前かと思ったら、そうでもないもん…だ…」
名を名乗ってなお軽口をたたいていた重吉だったが、じっと穂摘を眺めているうちに、顔色がさあっと変わった。口がもつれ、驚愕に目が見開く。肩を抱いていた手が離れ、ざりっと砂利を鳴らしながらたたらを踏んだ重吉は、自分を見つめてくる人物にようやく心当たりを見出したのか、顔面を蒼白にしながら口を開いた。
「お前…お前、あの穂摘かっ」
「そうです」
「なんで生きて…」
「親切な方に助けていただいたんです」
ひんやりとした怒りに満ちていた胸が、一瞬志郎を思い出してふわりと温もりを抱く。無意識に瓢箪を抱き締めながらぐっと体を強張らせると、重吉はまだ信じられないものを見るように目を擦り、頭を振った。
「それでもお前、痘痕だらけだっただろ。白粉でも塗ってるのか」
「白粉なんて塗ってません。火傷を治していただいたんです。痘痕はわからないけど…」
「嘘つくな、どこにも痕がない、痘痕も火傷もだ」
そう言われても、鏡など持っていない穂摘はわかりようもない。ただ、腕を見てみると確かに痘痕などないと今更気が付いた。火傷の痕はもちろん、転んでつくった傷痕もまったく見当たらない。白くすべすべとした肌はまさに玉の肌だ。記憶にあった自分の肌とはまったく違う。
信じられない気持ちで腕や足を見ていると、おもむろに手を掴まれた。顔をあげると、重吉が至近距離にいた。
「今のお前なら、嫁にもらってやってもいいなァ。女でもこんな別嬪はそうそういやしねえ。お前、親父には会ったのか」
「まだ会ってません」
掴まれた手をさり気なく振りほどき、穂摘は一歩後ずさった。にやにやと笑っているが、この男は途方もなくひとでなしだ。
両親の弔いさえ済んでいるならすぐに村から離れようと考えていた穂摘が首を振ると、重吉は一歩踏み出して距離を縮めた。
「そりゃあいけねえ、親父にはお前も世話になっただろ」
「挨拶なら一人で行けますっ」
重吉から離れたい。悲鳴のような声をあげて彼の脇を駆け抜けると、重吉は慌てた様子でしばらく穂摘、穂摘と叫んでいたが、墓場から抜け出してしまうとその声も聞こえなくなり、姿も見えなくなった。
勢いのまま村を駆けて横切った穂摘は、気付けば志郎とわかれた山にあがるための山道の手前にいた。
濃い緑に囲まれた山道を見上げても、そびえる山の至るところを探しても、穂摘を守ってくれる大きな手のひらの持ち主はもうどこにもいなかった。
20
お気に入りに追加
204
あなたにおすすめの小説
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない
バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《 根暗の根本君 》である地味男である< 根本 源 >には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染< 空野 翔 >がいる。
ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない??
イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
あなたの隣で初めての恋を知る
ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
トップアイドルα様は平凡βを運命にする
新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。
ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。
翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。
運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる