君がため

晦リリ

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本編

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 数ヶ月ぶりに戻った村は、なにも変わっていなかった。畑にはぽつりぽつりと作物が実り、そこかしこで農作業に精を出している人がいる。小さな子どもが数人、転がるように駆けていくのを横目で見ながら、穂摘の足は自然と家に向かっていた。
 細い畦道を歩き、あえて柏木の屋敷の裏を通ってついた家は、やはり焼け跡でしかなかった。あの火事から何度か雨露に濡れたのか、炭化した柱は、触れるとしっとりと湿っていた。
 全てが焼け焦げたなかをしばらく眺めていた穂摘だったが、ふと思い立って墓場に足を向けた。あまり交流はなかったが、村の人が弔ってくれたのではと期待を込めて墓場を見て回り、ようやく小さな石が添えられただけの墓を見つけた。墓には生前母が好んでつけていた櫛が燃えずに残ったのか、半分が焦げたそれが供えられていたため、それとわかった。
 次に来たときには花を添えようと、小ぢんまりとした墓に手を合わせてしゃがみこんでいると、ざりっと砂利を踏む音がして、穂摘は瞑っていた双眸を開いた。
 墓に用があるわけではないのか、近付いてきた男は手に弓矢を持っている。
(重吉さん)
 こちらを見て、訝しげにしながら近付いてくる男は、瀕死の穂摘を山道に放って逃げた重吉だった。目が合っているというのに重吉は穂摘だと気付いていないのか、じゃりを蹴りながら近付いてくると、じっと視線を合わせた。
「なんだお前、どこのだ」
「え…」
 好かれてはいなかったが、顔をすぐに忘れられるほど短い付き合いではない。まさか二ヶ月見なかっただけで忘れたのかと驚きと怒りに立ち上がると、重吉は目を二三度瞬かせたあと、にやと笑った。
「名前、教えろよ。俺は柏木の重吉だ。そら、そこの屋敷のだ」
 この男はなにを言っているのか。怒りに眩暈すら覚えながら口を開こうとすると、へらへらと笑ったままの重吉が唐突に近付き、穂摘の肩を抱いた。
「お前みたいな別嬪、見たことねえ。なあ、名前教えてくれよ」
「……重吉さん」
「ん?」
 この男は、仮にも許婚だった人間を見捨てた罰にでも当たったのだろうか。そら恐ろしささえ感じながら穂摘が重吉を呼ぶと、軽薄を絵に描いたような彼は、上機嫌で顔を向けてきた。
「穂摘」
「ほづみ? 俺にゃあ巡りの悪い名前かと思ったら、そうでもないもん…だ…」
 名を名乗ってなお軽口をたたいていた重吉だったが、じっと穂摘を眺めているうちに、顔色がさあっと変わった。口がもつれ、驚愕に目が見開く。肩を抱いていた手が離れ、ざりっと砂利を鳴らしながらたたらを踏んだ重吉は、自分を見つめてくる人物にようやく心当たりを見出したのか、顔面を蒼白にしながら口を開いた。
「お前…お前、あの穂摘かっ」
「そうです」
「なんで生きて…」
「親切な方に助けていただいたんです」
 ひんやりとした怒りに満ちていた胸が、一瞬志郎を思い出してふわりと温もりを抱く。無意識に瓢箪を抱き締めながらぐっと体を強張らせると、重吉はまだ信じられないものを見るように目を擦り、頭を振った。
「それでもお前、痘痕だらけだっただろ。白粉でも塗ってるのか」
「白粉なんて塗ってません。火傷を治していただいたんです。痘痕はわからないけど…」
「嘘つくな、どこにも痕がない、痘痕も火傷もだ」
 そう言われても、鏡など持っていない穂摘はわかりようもない。ただ、腕を見てみると確かに痘痕などないと今更気が付いた。火傷の痕はもちろん、転んでつくった傷痕もまったく見当たらない。白くすべすべとした肌はまさに玉の肌だ。記憶にあった自分の肌とはまったく違う。
 信じられない気持ちで腕や足を見ていると、おもむろに手を掴まれた。顔をあげると、重吉が至近距離にいた。
「今のお前なら、嫁にもらってやってもいいなァ。女でもこんな別嬪はそうそういやしねえ。お前、親父には会ったのか」
「まだ会ってません」
 掴まれた手をさり気なく振りほどき、穂摘は一歩後ずさった。にやにやと笑っているが、この男は途方もなくひとでなしだ。
 両親の弔いさえ済んでいるならすぐに村から離れようと考えていた穂摘が首を振ると、重吉は一歩踏み出して距離を縮めた。
「そりゃあいけねえ、親父にはお前も世話になっただろ」
「挨拶なら一人で行けますっ」
 重吉から離れたい。悲鳴のような声をあげて彼の脇を駆け抜けると、重吉は慌てた様子でしばらく穂摘、穂摘と叫んでいたが、墓場から抜け出してしまうとその声も聞こえなくなり、姿も見えなくなった。
 勢いのまま村を駆けて横切った穂摘は、気付けば志郎とわかれた山にあがるための山道の手前にいた。
 濃い緑に囲まれた山道を見上げても、そびえる山の至るところを探しても、穂摘を守ってくれる大きな手のひらの持ち主はもうどこにもいなかった。



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