15 / 30
本編
15
しおりを挟むお梅は、あれあれしろさんたらと言いながらも、志郎がずっと隠していたことを教えてくれた。
「驚かせてごめんよ。あのね、あたしたちは…、あ、ねえしろさん、言ってもいいかい?」
依然志郎は薬を保管している部屋から出て来ない。お梅が一応と伺いを立てると、ひどくくぐもった低い声が分厚い引き戸越しに届いた。
「……ああ」
「しろさんがいいって言ったんなら、あたしも喋れるよ。あのね、あたしたちは…ああ、もちろん、しろさんもだし、村の人たちもそうなんだけど…、まあ、人間は、妖怪って言うね、人種なんだ」
「妖怪…」
人種と言われても、妖怪である時点で人ではない。
ぽつりと呟いた穂摘に、お梅はまた首を伸ばしているのか、左右に揺れる声でそうだよと返した。思い返してみれば、思い当たることは幾つかある。お梅の声がいつもすいっと突然近くに寄っていたのは、身体より先に首が伸びてきていたからだったのだ。
「その…妖怪は、いやかい?」
呆然としたまま穂摘が座り込んでいると、酷く心配そうな声が上に下にと揺れた。
「いっ、…いやじゃない…です」
正直なところ、恐怖を覚えないと言えば嘘になる。首が伸びる人間など、穂摘は見たことがない。それでも首を振ったのは、彼女の優しさを知っていたからだった。
穂摘が弾かれたように首を左右に振ると、途端に細い腕に身体を抱きすくめられた。ふわりと鼻を掠めるのは、いつもよりずっと近くに感じるお梅の香の匂いだ。
「本当かい? ああ、嬉しいねえ嬉しいねえ!」
嬉しい嬉しいと繰り返しながらお梅はぎゅうぎゅうと穂摘を抱きすくめ、強張るその背を撫でた。
(…おかあ)
優しい手のひらは火事で喪った母親を不意に思い出させ、目頭がじわりと滲むような熱を持ち始める。泣いてはいけないと、思わず穂摘もお梅の背を抱き返した。
「嬉しいねえ、穂摘ちゃん。そうだ、ねえ、妖怪が嫌じゃないなら、しろさんのお内儀さんになっちまいなよ」
「えっ」
滲みかけた涙が唐突に引っ込んでしまうようなことを言われて穂摘が素っ頓狂な声を出すと、それを意に介していないお梅は上機嫌な声を襖の向こうに投げた。
「聞いたかい、しろさん。穂摘ちゃん、お内儀さんにしちまいなよう」
「えっ、ええっ」
妖怪を厭うつもりはないと答えはしたものの、それが直接嫁入りに直結するわけではない。それなのにお梅はもう決まったかのようにうきうきと声を張り上げ、返答のない襖に向かって声をぶつけ続けた。
「ねえ、こんないい子、そうそう居やしないもんだよ。長にも早く嫁御をもらえって言われてたじゃないか。いい機会なんだから、決めちまいなよ」
「お、お梅さんっ」
「なんだい? ああ、気にすることはないよ。大丈夫大丈夫、ちゃあんとあたしが皆に声をかけて、立派なお式を設けるからね」
「ち、ちが、ちがっ」
そういうことを気にしているわけではないのに、お梅は見当違いでしゃべり倒してくる。内心の動揺からまともに穂摘がしゃべれないでいると、沈黙を守っていた襖の向こうから、志郎の声が響いた。
「…だめだ。穂摘は、村に返す」
硬い声がきっぱりとお梅の提案に却下を下した。その瞬間、もとより光を断たれていた目の前の闇が、ずんと暗さを増して穂摘の双眸を染めた。
(あれ…?)
闇はじわじわと胸をも侵食し、不可解な不快感をもたらしてくる。どうしたのだろうと訝しむ穂摘だったが、お梅と志郎のやり取りが進むに従って、その闇が広く体中を支配し始めたことを感じていた。
「どうしてだい。こんな可愛い子だよ、気立てもいいのに」
「穂摘は、だめだ。村に返す。…すぐにだ」
志郎がそう言うのとほぼ同時に、がらりと襖が引かれる音がした。襖越しでない、明瞭な志郎の声が響く。
「…帰ってくれ、お梅さん。穂摘は、だめなんだ」
「どうしてさ。教えてくれないんなら、あたしだって引き下がれないよっ。それにしろさん、穂摘ちゃんはふたなりだ。長だって…」
「帰ってくれ!」
「きゃあ!」
「お梅さん!?」
ずいとお梅が穂摘から離れ、小さな悲鳴が響く。慌てて両腕を伸ばした穂摘だったが、彼女にその両手が触れることはなく、代わりにがらがらぴしゃんと引き戸が引かれる音がした。
「お梅さん? お梅さんっ」
どうしたのだろうか、なにがあったのだろうかと穂摘が声を張り上げると、今度は穂摘が強い力で抱き上げられた。志郎の腕だ。
「この馬鹿しろさんっ! いい子逃したって、あとで泣けばいいんだよっ」
引き戸の向こうからなのだろう、怒りを含んだお梅の高い声がくぐもって聞こえる。それが遠ざかったのは、志郎が奥の間へ穂摘を運んでしまったからだ。
そっと降ろされたのは畳の上で、いつも通りの丁寧な仕草だった。しかしそれでも、雰囲気が違った。いつもは穏やかで温厚な志郎の雰囲気は、今や抗いようのない圧力と色濃いと戸惑いを含んでおり、穂摘は声もかけられず、間近にいるであろう志郎におそるおそる手を伸ばした。
ふらりと揺れる手に、ぽすりと志郎の身体のどこかが触れる。その手が体温の低い大きな手で包まれた。
「…明後日、村に返す」
零された声は、なぜか酷く苦しげに掠れていた。
一瞬強く穂摘の手を握った手のひらが、すっと離れる。それを追うことも出来ずにいる穂摘を置いて、志郎はぎしりぎしりと畳を軋ませながら遠ざかり、やがて家から出て行ってしまった。
それきり、怒り治まらぬといった様子で戻ってきたお梅が見つけるまで、穂摘は一人呆然と座り込んでいた
20
お気に入りに追加
204
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

離したくない、離して欲しくない
mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。
久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。
そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。
テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。
翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。
そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので)
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる