君がため

晦リリ

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 お梅は、あれあれしろさんたらと言いながらも、志郎がずっと隠していたことを教えてくれた。
「驚かせてごめんよ。あのね、あたしたちは…、あ、ねえしろさん、言ってもいいかい?」
 依然志郎は薬を保管している部屋から出て来ない。お梅が一応と伺いを立てると、ひどくくぐもった低い声が分厚い引き戸越しに届いた。
「……ああ」
「しろさんがいいって言ったんなら、あたしも喋れるよ。あのね、あたしたちは…ああ、もちろん、しろさんもだし、村の人たちもそうなんだけど…、まあ、人間は、妖怪って言うね、人種なんだ」
「妖怪…」
 人種と言われても、妖怪である時点で人ではない。
 ぽつりと呟いた穂摘に、お梅はまた首を伸ばしているのか、左右に揺れる声でそうだよと返した。思い返してみれば、思い当たることは幾つかある。お梅の声がいつもすいっと突然近くに寄っていたのは、身体より先に首が伸びてきていたからだったのだ。
「その…妖怪は、いやかい?」
 呆然としたまま穂摘が座り込んでいると、酷く心配そうな声が上に下にと揺れた。
「いっ、…いやじゃない…です」
 正直なところ、恐怖を覚えないと言えば嘘になる。首が伸びる人間など、穂摘は見たことがない。それでも首を振ったのは、彼女の優しさを知っていたからだった。
 穂摘が弾かれたように首を左右に振ると、途端に細い腕に身体を抱きすくめられた。ふわりと鼻を掠めるのは、いつもよりずっと近くに感じるお梅の香の匂いだ。
「本当かい? ああ、嬉しいねえ嬉しいねえ!」
 嬉しい嬉しいと繰り返しながらお梅はぎゅうぎゅうと穂摘を抱きすくめ、強張るその背を撫でた。
(…おかあ)
 優しい手のひらは火事で喪った母親を不意に思い出させ、目頭がじわりと滲むような熱を持ち始める。泣いてはいけないと、思わず穂摘もお梅の背を抱き返した。
「嬉しいねえ、穂摘ちゃん。そうだ、ねえ、妖怪が嫌じゃないなら、しろさんのお内儀さんになっちまいなよ」
「えっ」
 滲みかけた涙が唐突に引っ込んでしまうようなことを言われて穂摘が素っ頓狂な声を出すと、それを意に介していないお梅は上機嫌な声を襖の向こうに投げた。
「聞いたかい、しろさん。穂摘ちゃん、お内儀さんにしちまいなよう」
「えっ、ええっ」
 妖怪を厭うつもりはないと答えはしたものの、それが直接嫁入りに直結するわけではない。それなのにお梅はもう決まったかのようにうきうきと声を張り上げ、返答のない襖に向かって声をぶつけ続けた。
「ねえ、こんないい子、そうそう居やしないもんだよ。長にも早く嫁御をもらえって言われてたじゃないか。いい機会なんだから、決めちまいなよ」
「お、お梅さんっ」
「なんだい? ああ、気にすることはないよ。大丈夫大丈夫、ちゃあんとあたしが皆に声をかけて、立派なお式を設けるからね」
「ち、ちが、ちがっ」
 そういうことを気にしているわけではないのに、お梅は見当違いでしゃべり倒してくる。内心の動揺からまともに穂摘がしゃべれないでいると、沈黙を守っていた襖の向こうから、志郎の声が響いた。
「…だめだ。穂摘は、村に返す」
 硬い声がきっぱりとお梅の提案に却下を下した。その瞬間、もとより光を断たれていた目の前の闇が、ずんと暗さを増して穂摘の双眸を染めた。
(あれ…?)
 闇はじわじわと胸をも侵食し、不可解な不快感をもたらしてくる。どうしたのだろうと訝しむ穂摘だったが、お梅と志郎のやり取りが進むに従って、その闇が広く体中を支配し始めたことを感じていた。
「どうしてだい。こんな可愛い子だよ、気立てもいいのに」
「穂摘は、だめだ。村に返す。…すぐにだ」
 志郎がそう言うのとほぼ同時に、がらりと襖が引かれる音がした。襖越しでない、明瞭な志郎の声が響く。
「…帰ってくれ、お梅さん。穂摘は、だめなんだ」
「どうしてさ。教えてくれないんなら、あたしだって引き下がれないよっ。それにしろさん、穂摘ちゃんはふたなりだ。長だって…」
「帰ってくれ!」
「きゃあ!」
「お梅さん!?」
 ずいとお梅が穂摘から離れ、小さな悲鳴が響く。慌てて両腕を伸ばした穂摘だったが、彼女にその両手が触れることはなく、代わりにがらがらぴしゃんと引き戸が引かれる音がした。
「お梅さん? お梅さんっ」
 どうしたのだろうか、なにがあったのだろうかと穂摘が声を張り上げると、今度は穂摘が強い力で抱き上げられた。志郎の腕だ。
「この馬鹿しろさんっ! いい子逃したって、あとで泣けばいいんだよっ」
 引き戸の向こうからなのだろう、怒りを含んだお梅の高い声がくぐもって聞こえる。それが遠ざかったのは、志郎が奥の間へ穂摘を運んでしまったからだ。
 そっと降ろされたのは畳の上で、いつも通りの丁寧な仕草だった。しかしそれでも、雰囲気が違った。いつもは穏やかで温厚な志郎の雰囲気は、今や抗いようのない圧力と色濃いと戸惑いを含んでおり、穂摘は声もかけられず、間近にいるであろう志郎におそるおそる手を伸ばした。
 ふらりと揺れる手に、ぽすりと志郎の身体のどこかが触れる。その手が体温の低い大きな手で包まれた。
「…明後日、村に返す」
 零された声は、なぜか酷く苦しげに掠れていた。
 一瞬強く穂摘の手を握った手のひらが、すっと離れる。それを追うことも出来ずにいる穂摘を置いて、志郎はぎしりぎしりと畳を軋ませながら遠ざかり、やがて家から出て行ってしまった。
 それきり、怒り治まらぬといった様子で戻ってきたお梅が見つけるまで、穂摘は一人呆然と座り込んでいた



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