君がため

晦リリ

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 じんわりとした痛みが下腹を襲う。重石を腹に巻きつけられたような重圧を感じながら座布団の上に座り込み、前に置いた笊の中に手を突っ込んでいた穂摘は、その日幾度目かになる溜息を吐いた。
 川での一件があってから三日目。結局着物についた鮮血は、今まで未熟なばかりで存在すらほとんど主張することもなかった少女の部分からだった。さすがに志郎の手を借りるのは憚られて手探りでどうにか布を当てているが、初めてのことで穂摘にも知識がなく、何をすることも出来ずに床に座り込んでばかりいる。
 笊に入ったよもぎをひたすら指先でちぎりながらぼんやりと考えるのは、お梅のことばかりだ。
 もうきっと来てはくれないだろう、話かけてもくれないのだろうと思うと、目許に巻いた布にじんわりと雫が染みていく。それが零れてしまうより先に袖で拭うと、今度は目許を覆っている布がよれてしまった。志郎に直してもらわなければいけないが、彼は外出している。どこまでも、なにもかも恨めしいと己の身体すら呪いながらぶちぶちと草を細切れにしていると、がらりと戸が引かれる音がした。
「今帰った」
「お帰りなさい、志郎さん」
 寝たきりの頃から世話をしてくれている志郎は、穂摘がふたなりだとお梅に知られてからも、追い出すでもなく、とくに慰めるわけでもなく、ただそっとしてくれていた。穂摘が悲しみに涙を零せば濡れそぼった包帯を換えてくれ、なにも言わずに傍にいてくれる。そうして、今までと代わりのない日々を過ごしている。
 声と音に反応して顔を上げると、よれて重ねの薄くなった布越しに、うっすらと光が見える。
(目、大分良くなってる…)
 もうそろそろ布を取ってもらえるだろうかと考えながら穂摘が顔を上げたままでいると、たすたすと畳を蹴る音が近付き、膝の上になにかがぽすりと置かれた。
「なんですか?」
 触ってみると布のようだが、着物のようではない。褌のよりもやわらかく、なんだろうと感触を頼りに穂摘が触れていると、その、と珍しく志郎が口ごもった。
「…当て布だ」
「当て布? なにに使う…あ、…あ、は…はい…」
 なんのことだと首を傾げかけた穂摘は、すぐにこの布が何のために用意されたかに思い至り、声をくぐもらせた。
 お梅が初花やお馬と言っていた、この出血のためのものだ。
「腰に紐を回せるようになっているらしいから、褌とあまり変わらない。間に布でもかませたら、少しは動いても大丈夫だろう」
「ありがとうございます」
「いや…」
 朝から出かけていた志郎だが、ほかの村にでも足を向けて、これを買ってきたのだろうか。それならば、とてもありがたい。
 そんな事を考えながら布を触れながら紐はこっち、股間に回す布はこれ、と手で確認していると、不意にふわりと鼻腔を香の匂いが掠めた。
(ん…?)
 すっきりとした優しい匂い。なんの香りだったろうと考えるより先に、布を掴んだ自らの手が強く握り締められるのを感じた。
 これは、お梅の香の香りだ。そう思った途端、思わず布を持ち上げ、思い切り顔に押し付けて匂いを嗅ぐ。布にしっとりと染みこんでいるのは、間違いようもなくお梅が好んでつけていた香の匂いだ。
(でも、お梅さんとはもう…)
 穂摘がふたなりと知れたことで、彼女との縁は途切れたはずだ。どうしてだろう、それともほかの人間がつけていた匂いが偶然彼女の香と同じだったのだろうか。
 真偽のほどを確かめる術も持たずにぱさりと膝の上に布を落とすと、ごそごそと框の辺りで荷物を降ろしていたらしい志郎が向かいに座った。
「あの、これ…」
 咄嗟に穂摘が声をあげると、ごほんと咳が響いた。
「当て布が欲しいと言ったら、通りすがりの親切な人がくれた」
「親切な人?」
 普段は真面目で戯れも言わない志郎が、珍しく笑いを含んだ声で告げてくるのに疑問で返すと、かた、と玄関の引き戸が音を立てた。癖で顔をめぐらせるも、やわらかな光が布越しに確認できるだけだ。
「ああ、あげたい人がいるらしいが、会いにいけないからとくれたんだ」
「そう…ですか」
 偶然なのだろうか。どこぞで買ったものならば、同じ匂いがほかにあってもおかしくはない。
 少しでもお梅がくれたものなのだろうかと期待した穂摘は、声を落とした。と、そこへ、
「あいたっ」
「お梅さんっ?」
 不意に、ここにいるはずのないお梅の声が響いた。
「お梅さん、いるん…わあっ」
 慌てて問いかけるも、返事はない。それでも声は近くでした。どこにいるのだろうと腰をあげて框ににじり寄った穂摘だったが、膝に乗せていた当て布が落ちたことに気付かず、それを膝で踏んで、そのまま土間に転がり落ちてしまった。
「穂摘!」
「穂摘ちゃんっ」
 受身も取れずに土間に落ちて土煙を上げた穂摘は、ぶつけた肩と腰をかばいながら起き上がった。打撲した箇所は痛いが、どこかを捻ったとか、そういった捻挫の類はないようだとほっとしながら顔をあげた彼は、落下した衝撃でほどけた布の大きな狭間から、初めてお梅を見た。
 ちゃきちゃきとした物言いをし、からからとよく笑う彼女は、なるほど少し口の大きな、けれどもさっぱりとした美人だった。年のころは十六の穂摘より七つ八つほどは上に見えた。しかし、問題はそんなところではなかった。
「あ、…あ…、おう、お、うめ、さん…」
「大丈夫かい、穂摘ちゃん。ああ、土がついてる。怪我なんかしてないだろうね? …って、あいたっ、ちょ、ちょいと待っておくれよ」
 言うなり、彼女の首は、開いた玄関の引き戸からするりと消えた。そして、やがてもせずにお梅が再度姿を現した。
「すまないねえ、角のあたりから伸ばしてたもんだから、猫に引っかかれちまったよ。ああ、ああ、そんなことはどうでもいい。大丈夫かい、擦ってやしないかい」
 おろおろとしながらしゃがみ込み、穂摘を覗き込んできたお梅はよほど動揺しているのか、首が伸びた。にょろりと、まるで蛇のように首が伸びたのだ。
「わ、わあああっ」
「穂摘ちゃん?」
「くび、首、がっ」
 とっさに穂摘が叫んだ瞬間だった。
「目を閉じろっ!」
 咆哮のような声が背後からあがり、反射的に穂摘が目を閉じるとその上から大きな手が覆ったのを感じた。ひいやりとした、触れなれた志郎の手のひらだ。
「閉じたか」
「は、い」
 あまりの剣幕にお梅の首が伸びた衝撃も吹き飛んでしまい、呆然と穂摘が頷くと、しゅるしゅると布が目許に巻きなおされた。毛も生え揃った後頭部辺りできゅっと結ばれ、すいと志郎の気配が離れる。
「布を、外すんじゃないぞ」
 今までに聞いたこともないような、強い圧力のある声だった。
 なにが彼を怒らせたのかわからないまま穂摘が顎を引くとたすたすと足音が響いて、やがて薬を保管している部屋に入る音がした。
 たすんと襖の閉められる音が静寂を震わせ、穂摘は再度戻った瞼の裏の闇を確かめるように、目許に巻かれた布にそっと触れた。
 強めに巻かれた布は、今度は擦った程度では外れそうもなかった。


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