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本編
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しおりを挟む「あらあ穂摘ちゃん、ずいぶん良くなったのねえ」
床からあがり、家の中ならば好きなように動いていいと志郎からお墨付きをいただいたのは、拾われてからちょうど一月経った日だった。
すっかり萎えてしまった脚の筋肉は弱り、ふらふらと覚束ない。それを少しでも早く治そうと、家の中をゆっくりと歩いていると、不意に声がかかった。すっかり聞きなれたそれは、お梅の声だ。
「お梅さん。おかげさまで、床上げ出来ました」
声のするほうに壁伝いに歩くと、すいとお梅の声が寄った。どうやら近くにいるらしい。いつの間に上がってきたのかと思い、ゆっくりと腰を下ろすと、うふふと嬉しそうにお梅の笑い声が耳朶にやわらかく響いた。
「本当、良くなった。しろさんが穂摘ちゃんを拾ってきた時は、あたし、これはだめだわあって思ったんだよ。まるで布っきれみたいだったもの」
「布っきれ…」
確かにそうだったのだろう。記憶の中に残る自分の焼け爛れた腕は、酷い有様だった。もう二度と自由には動くまいと感じたし、それどころか助からないだろうとすら諦観を抱いたりもした。それが今や自由に動き、死に体だったとは思えないほど回復した。志郎の薬師としての腕は、確かなのだ。
お梅の言葉に苦笑気味の声を漏らすと、陽気な彼女はまた楽しげに笑った。
「そうよ、布っきれもいいところ。でも今はもう綺麗なものよ。羨ましくなっちゃうわあ」
「羨ましいなんて…俺、体中痘痕だらけです」
「おや、そうなのかい? でも痘痕なんて…ないねえ、腕には」
がさ、とんたすんと、土間からかまちを踏み、畳にあがってきた音がした。そして、すぐ横で畳を擦って座る音がする。
(あれ、お梅さん、隣にいると思ってたのに)
ふんわりと香のかおりが漂った。
「ほうら、やっぱりない。綺麗なものだわあ」
そう言ってお梅は穂摘の左腕を取り、そっと撫でた。右はもう少しかかるからと布をあてられたままだが、左は腕と脚だけ、既に布を取られている。それでもまだ顔は布に覆われているため、肌がどの程度前と同じかを知ることはなかった。
二度三度と穂摘の腕を撫でたお梅は、ええ、と続けた。
「痘痕なんてないねえ。傷ひとつないもの」
「だって、俺、元々顔まで痘痕だらけで…そんなはずは…」
体中はおろか、顔にまで及んで肌を埋め尽くしていた痘痕を重吉は厭った。そんなはずはないと穂摘が言いかけた頃、ざりっと土間を踏む音がした。
「お梅さん。来てたのか」
声は、間違えようもなく志郎のものだ。
昼餉を食べてから山に登ってくると言って出て行ったが、もう帰ってきたらしい。がさり、ごと、と土間の辺りになにかを置いた音のあとに、畳みに上がったのか、い草を踏む音が聞こえた。
「お邪魔してるよ。穂摘ちゃん、よくなったねえ」
「うん。左側も、もうやがてだ。今日は、膏薬かい?」
「そうなのよ。また首、ぶつけちゃってねえ」
「少し待っててくれ。今擂る。…穂摘、座るなら布団の上にしておけ」
「あ、はい…」
大分良くなってきたとはいえ、まだ全快したわけではない。畳に座り続けていたせいか、軽く身じろぐと少しばかり尻の辺りが痛んだ。
「んっ」
「穂摘。無理するな、ほら、動かすぞ」
「お願いします」
ぎっと音がして、すぐ隣に志郎の気配がする。そのまま動かずにいると、慣れた男の体温が寄り添って穂摘を抱き上げた。そのまますいと移動させられ、布団の上に座らせられる。
「ありがとうございます」
「まだ良くないところもある。無理はするな」
「はい」
素直に頷くと、腰まで布団が引き上げられ、志郎の気配が離れた。すぐに襖を引く音がして、ぱたんと閉まる音がした。
普通の長屋などだと一間が普通だが、志郎の家はもう二間あった。ひとつは普段から開け放してあり、襖もない。その為、まだ火傷が酷かった頃は奥の方で穂摘は寝ていたが、今では土間に近いほうまで寄っている。もうひとつは、志郎によると、集めた薬草などを保管しているとのことだった。酷く狭く、取っ手があちらこちらと飛び出しているので危険だからと今までに一度も穂摘は足を踏み入れたことがなかったが、よく志郎がそちらへ入っていく音を耳にしていた。
「しろさんたら」
「え?」
どんな部屋なんだろうとぼんやりしていた穂摘の耳に、笑みの滲んだ声が滑り込んだ。お梅だ。
「穂摘ちゃん、いいひとに拾われたわねえ」
「あ、はい。すごく、すごくよくしてもらってます」
実際、こんなにもと思うほど志郎はこまめに穂摘の世話を見ていた。火傷の治療から日々の雑事まで、赤の他人であるはずの人間の世話を事細かにこなし、それでいて見返りを要求する様子もない。これで穂摘が見目美しい少女だったり金を持て余した長者だったりしたなら売り飛ばしたり金をせびったりも出来たろうに、死にかけで酷く手間があり、挙げ句生き延びても取り立てて見栄えのするものにもならない。それどころか、全身痘痕だらけだ。
勢い込んで顎を引くと、くすくすとお梅の笑い声がした。
「これで穂摘ちゃんが女の子だったらねえ」
「女の子?」
「そうそう。しろさん、まだお内儀さん貰ってないからねえ」
「お内儀、さん…」
つまりは、妻のことだ。
ぽつりと呟いた穂摘の声は、志郎のかけてくれた布団の上に落ちた。
「そろそろどうかって、長も言うんだけどねえ。なかなか是と言ってくれなくて」
困ったものだよ、とお梅の声には溜息が混じる。そんな声を聞いてか知らずか、すうっと襖の引かれる音がして、たすんと畳を踏む音がした。志郎だ。
「困ってることがあるのか、お梅さん」
自分のことを話題にされているとは思いもよらないのか、穂摘の横に座った志郎は、ゴリゴリと音を立てて薬を擂り出したようだった。
「なんでもないよ、ねえ穂摘ちゃん」
「う、あ、はい…」
頷いたものの、穂摘の胸中ではお梅がなんとはなしに零したであろう『女の子だったら』という言葉だけが渦を巻いている。
不意にずくんと、未熟ななりをしたまま機能もしていない器官が疼いたような気がした。
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