君がため

晦リリ

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「しろさん、しろさん。お薬下さいな」
 ガタガタと引き戸が引かれる音と、女性の高い声が響いて穂摘はふと目を覚ました。
 拾われ、治療を受け始めてから一週間が経った日だった。
 粥や汁などを三食食べさせ、食事の後には雫を数滴飲まされる。夕には体中を巻く布を変え、新しく薬を塗られと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる志郎は、どうやら村の中でも有名な薬師のようだった。
 日がな一日寝ていると、様々な人が志郎を頼って訪ねてくる。
「しろさーん。おや、いないのかい。ほういちゃん、しろさん、知らないかい」
「ん、ん」
 ぎこちなく首を動かすと、若い女性はそうかいと残念そうに声をあげた。まだ肌は痛むが、一週間前とは比べ物にならないほど回復している。
「それはそうと、加減はどうだい? しろさんはよくしてくれるだろう」
 足音はしなかったが、すいと声が近寄った。数日前も彼女は訊ねてきていて、布で全身を覆われた穂摘に声をかけていた。
「おうえあん」
「ああ、ああ、いいんだよ、無理しないで。ごめんねえ」
 初めて会った時、明るい声で「お梅だよ」と名乗ってくれた彼女の名前を、穂摘はまだはっきり言えない。体中の火傷は酷い有様だったが、今では快癒に向かっている。
「そうだそうだ、ほういちゃんが食べてくれるかと思ってね、葛を溶いたんだよ。冷めても美味しいから、あとで食べさせてもらいなね」
「あいあとう」
「ありがとう、かしらねえ」
 うふふ、と笑う彼女はそれじゃあねえと声をかけて帰って行ったようだった。ガタガタと引き戸が引かれ、カタンと戸の閉まる音が耳に届いた。
 静かになった屋内だが、外からは子どもの笑い声や、女性たちの井戸端会議、牛の鳴き声や男たちの掛け声が聞こえてくる。
 ここは隣村か、それとも重吉におぶわれて登った山の麓の村なのか。動けない穂摘にただわかるのは、生まれ育った村ではないという事だけだ。村にはお梅という女性はいなかったはずだし、志郎のような薬師はいなかった。
 ふわりと鼻先を掠める葛の匂いにうとうととしながら、ちちちと囀る鳥の声を聴いていると、またガタガタと引き戸が引かれる音がした。立て付けが悪いのか、この家の引き戸はいつもつっかえつっかえだ。
「ほうい」
「ひよあん」
 志郎さんと言っているつもりだが、まだ皮膚が上手くついていない唇では曖昧な発音しか出来ない。
 名を呼んで応えると、ぎしりと床が軋んだ音がした。
「具合は、どうだ?」
「あい、よう」
「そうか」
 赤の他人だが、一週間も看病してくれている志郎とは、あやふやな発音でも会話が出来る。あまり喋ると焼けた喉が痛むので長時間の会話は出来ないが、それでも幾度となく繰り返されたやり取りで、志郎には「あい、よう」としか発音できなかった声が、「大丈夫」だとわかったようだった。
「葛…」
 こと、と音がして志郎がぽつりと呟いた。
「おうえあん」
「お梅さんが来たんだな。飲めそうか?」
「うう」
 喉を鳴らして肯定すると、きし、きし、と床板が軋む音がして士郎の雰囲気が寄った。そういえば、お梅は大分近くで声がするが、いつも足音はしない。小柄で、軽い女性なのだろうかと穂摘が考えていると、とすりと志郎が腰掛けたらしい音がした。
「葛飲んだら、布を替えよう」
「……うう」
 小さく、穂摘は喉を鳴らした。
 布を替える。
 この一週間、一日に一度必ず行われている治療だ。最初の二日ほどは、意識も朦朧としていた穂摘は、激しい痛みと意識に残る熱さに苦しんでいた。その為、布を替えるという行為を殆ど無意識に受けていた。そうすることしか出来ない状態だったし、どこの馬の骨ともわからない人間を甲斐甲斐しく手当てしてくれる志郎には、感謝しきれないほど感謝している。けれども、意識も保てるようになってきた三日目から、ようやく布を替えるということがどういうことか判断できるようになった穂摘は、殆ど恐怖を感じながら、ひたすらそれに耐え続けていた。
 全身を火傷した穂摘は、それこそ頭から脚の先まで布を纏っている。それを全て剥がすと、現れるのは火傷を負った裸体だ。
 穂摘が恐れていたのは、裸体を見られることだった。
(気持ち悪く、ないのかな…)
 少し開けた口の隙間に、箸に付着させた葛が差し込まれる。未だ起き上がることの出来ない穂摘は、粥もごく少量ずつ、この方法で摂らされていた。
 口腔に入り込んできた甘い気配に舌をゆるく動かして箸を舐めながら、ぼんやりと自分の世話をしてくれる男を思う。
 もう一週間も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる志郎は知っているのだろう。
 布と薬液に包まれたこの身体に、今は亡き両親と重蔵しか知りえない秘密が隠されていることなど。



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