君がため

晦リリ

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 体中が熱く、痛かった。
 寝返りを打つどころか、指先を動かすことすら出来ずに意識だけが覚醒した穂摘は、瞬きをしようとして、右目が動かないことに気付いた。縫い付けられているように、右の瞼が動かない。左の瞼は辛うじて開き、立派な天井の飾りと、窺い知れる周りの調度品に、どうやらここが柏木家だと知れる。
 どうして自分はここに居るのだろうとぼんやりと考えていると、聞き覚えのある声が耳朶に滑り込んできた。
「かなり酷いですなあ、右脚から右胸が特に。皮膚がもう無いも同じだ。このままじゃあ、二日ともたない」
 しゃがれた緩慢な声は、隣村にいる薬屋の宇和島の声だ。十日に一度、母の薬を買いに行っていたからわかる。
(あ…おかあ…)
 薬がそろそろなくなるのだ。すぐそばに薬屋がいるなら、今売ってもらおうと、自由になる左目だけをくるりと動かした穂摘は、視界の端に映ったものに、か細い悲鳴をあげた。
 薄くしか開かない視界の中には、焼け爛れた腕があった。皮膚は捲れ、焦げや煤が付着している。これは誰の腕だと思った瞬間、激痛が走った。辛うじて動いた指は赤く、しかし白い火ぶくれが皮膚に赤以外の色彩を無茶苦茶に混ぜていた。無残なそれは、穂摘の腕だった。
「ァ…う、うう……」
「おお、穂摘」
 老爺の声とは別の声があがり、人影が穂摘の上に影をつくった。小太りの壮年の男は、穂摘の雇い主である村長の柏木重蔵だった。
「大丈夫だぞ、穂摘。きっと、治るからなあ」
 優しげな声で言う重蔵だが、すぐさま穂摘に背を向け、薬屋ににじり寄った。
「どうにかしてくれ、穂摘はな、穂摘はせがれの許婚なんだ」
「重吉さんの許婚と。ですが柏木様、穂摘は、そら、男ですがね」
「………」
 薬屋の声に、重蔵は黙り込んだ。すると、襖が開いて隣の部屋から若い男が姿を現した。
「重吉」
「なんでえ、酷え臭いがするかと思ったら、穂摘か」
「お前はすぐそういうことを…」
「親父殿、宇和島の爺さんも言ってるじゃねえか。こりゃもう駄目だ。素人目の俺でもわかる。見ろよ、右は全部どろどろのぐちゃぐちゃだ。助かりっこねえ」
 父である重蔵に比べてすらりと細い重吉だが、彼がすたすたと畳の上を移動する振動すら酷い衝撃となって伝わる。真っ赤に焼けた鉄の鎖を隙間なく体中に巻きつけられたような灼熱が、意識を苛む。
「ぅア、ああ」
「左だって見られたもんじゃねえぞ。無理だね、こんなの嫁には出来ねえ」
「馬鹿言うな、穂摘はお前の許婚だ」
「そう言ってるのは親父殿だけだろ。こんなあばただらけの野郎、嫁になんぞしてみろ。俺ぁ一生笑いもんだ」
 さも嫌そうに眉間に皺を寄せて穂摘を見下ろしてくる重吉は、目があうと嫌だ嫌だと呟いて視線を外した。
「それに、まず助からねえさ。なあ、宇和島の爺さん」
「そうさなあ…まず、人間の使う薬では、もう間に合わんだろうなあ」
 ごそごそと大きな薬箱を探る宇和島の声は既に諦めの色が濃く滲んでいる。
 死んでしまうのだろうか。身体はどこもかしこも痛くて、酷く熱を持っている。目の前にある焼け爛れた腕は、どうしたって動かないし、動かそうと意識を持つだけでも痛む。まるで、全身に焼きごてを当てられているようだ。
「あ…ぅう…っ」
「穂摘、穂摘、大丈夫だ、お前はすぐよくなる、よくなって、重吉の嫁になるんだぞ」
「やめろよ、親父。どうせこいつぁもう駄目だ」
「馬鹿を言うんじゃないっ。宇和島の爺さん、どうにかならんかね」
「どうにかと言われても…これじゃあもう駄目だ。山神様の泉水にでもつけて祈るしかない…」
 ぼそぼそと、手の施しようがないのだと呟きながら宇和島は早くも薬箱を片付け始めた。
「山神の泉水? 爺さん、それはなんだ」
 唐突に、重蔵が宇和島の言葉に縋りついた。言葉の綾のつもりで呟いた老爺は驚いた様子を見せたが、へえ、と身体を折りながら重蔵に向いた。その横で、相変らず重吉は屑を見るより酷い視線で、全身が焼け爛れて虫の息を零す穂摘を見ていた。
「ひとつ向こうに、太郎山がありますでしょう。太郎山には山神様がおるんですわ。その山神様が使っている湧き水が、山神様の泉水…太郎水と呼ばれるもんです。この泉水に浸ければ、動かんようになった脚も、背中に出来たいぼも、追いはぎにやられた刀傷もたちどころに治るとか。ですがね、柏木様、わしの爺さんが言っていたようなことで、見つけたもんはおらんのです」
「それでも伝承があるのなら、山神の泉水があるかもしれんのだろう?」
「ですが…」
 口ごもる宇和島は自分が零した言葉を明らかに後悔していたが、一筋の光を得たかのように盛り上がった重蔵は気付きもしない。焼け爛れた許婚をじろじろと眺めている息子に向くと、にじり寄って腕を掴んだ。
「重吉、お前、太郎山に穂摘を連れて行け」
「馬鹿言うな、親父。そんな水に浸けてもどうせ死ぬぞ、こいつ」
「まだ大丈夫だ、そら、息はしているだろう。間に合うはずだ。今すぐ行ってこい」
「こんなの連れて山になんぞ登れるかよ。宇和島の爺さんの更に爺さんの代の話だろ? 枯れてるかもしれねえよ」
 意識をも焼かれていると感じるほどの灼熱に焦げた身で生死の境を彷徨う穂摘の上で言い争いを繰り広げる重蔵親子だったが、結局重吉が父親の押しに負けて、腹立たしげに立ち上がった。どんと畳を踏みしめた振動が体中を揺さぶり、穂摘は熱に焼けた喉から断末魔のような悲鳴を上げた。
「ひぃ…いィあああァァ…」
 痛みに悲鳴をあげるものの、身じろぐことすら出来ない穂摘を見下ろした重吉は、苛立ちに任せるように、意味もなくだんと畳を蹴った。そしてすっかり恐縮している宇和島と、早くしろと急きたてる父親、塗り薬と自らの血膿にまみれて死に体の穂摘を順に見やると、さも忌々しげに口を開いた。
「そんなに言うなら連れてってやるよ。でもな、親父殿。こいつが途中で死んだら、俺ぁ捨ててくるからな」
 痛みと熱に浮かされながら左耳に響く声の意味を理解しようとするも、激痛がそれを邪魔する。右耳が聞こえていないことすら気付かないまま、穂摘は憎々しげに見下ろしてくる重吉の視線から逃げることも出来ずに、焼け爛れた瞼の隙間からじわりと雫を零した。


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