君がため

晦リリ

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 ごうと燃え上がる焔は、まるで生き物のようだった。
 勤めに出ている村長の柏木家で馬の世話をしていた穂摘ほづみは、飼葉をやったあと、一頭一頭丁寧に櫛をかけていた。彼の仕事は主に馬の世話であり、散歩から食事の世話、小屋の掃除などを毎日行っている。
 いつもと同じ仕事の内容を違えることなくこなしていた穂摘は、ふと鼻先を擽った煙の匂いに、ふと自宅の方を見やった。そして、悲鳴をあげかけた。竹を組んだ柵の向こうに見えるのは、真っ赤に燃え上がる小さな民家と、その周りを取り囲むように集まってきた近所の人間だった。
「浅乃、浅乃ーっ」
 膝ががくがくと震えだす。急いで家に行かなければ。家には、一人では起き上がることもままならない母が伏せっているのだ。血の気が引いていく感覚だけを味わっていた穂摘は、絶叫を聞いてはっと身体を揺らした。
 女性の名を叫びながら走っていくのは、穂摘と同じく柏木家で働いている父の里介だ。妻であり、穂摘の母である浅乃をしきりに呼びながら駆けた彼は、周りの人が止めようとするのを擦り抜けて焔の中に飛び込んでいった。
「お、おとう…っ」
 大変だ、自分も行かなければ。母を助けなければ。
 がくがく震える膝を叱咤して馬小屋から出た穂摘は、踏み出すに連れて緊張のほどけてきた脚でどうにか自宅まで辿りついた。小さな木造の家は全体が焔に包まれている。凄まじい熱気が近くにいるだけで肌を焼くようで、幼い頃に患った疱瘡の痕が多数残る腕を抱き締めた穂摘は、ごくりと唾を飲んだ。
「…さの、あ…の…」
 ごうごうと耳朶をも焼こうとする業火の音に混じり、父の声が聞こえた。父も母も、まだ生きていると思った瞬間、穂摘は焼け落ちかけた玄関ではなく、後ろの土間に回って家に入り込んだ。
 そう広くはない家内は全てが火に舐められていた。黒い煙がもうもうと立ち込め、視界を奪う。雪のように舞う火の粉を手で避けながら一歩一歩踏みしめながら歩いていると、なにかに蹴つまづいた穂摘は、転びかけて踏みとどまった。危うく踏みそうになっていたのは、倒れた父母だった。父は母を守るように抱き込み、ぴくりとも動かない。
「おとう、おかあ」
 まさかと震える手で煤に汚れた二人を揺さぶると、里介が動いた。
「ほ、穂摘…」
「おとう、頑張って。俺もおかあ、助けるから」
「だめだ、穂摘、俺は脚をやられた。おかあを連れて逃げろ」
 言われて見ると、倒れてきたらしい柱や崩れてきた梁が、里介の腰から下を覆っていた。
「でも、おとう」
「逃げろ、穂摘!」
 強く言われ、慌てて父の下でぐったりとしている母を引きずり出そうとした穂摘は、ざっとあがってきた焔が自らの頬を焼いたのを感じた。熱い、痛いと思った瞬間、引っ張っていた母の手が動いた。
「ほづ…み…?」
「おかあ、おかあ逃げないと」
 ぐいと手を引くも、母の身体はなかなか引きずり出ない。重石になってしまっている自らの身体を動かそうと、父もうめき声を上げながら、どうにか身じろぐも上手くいかない。
 やがてもせずに、火は三人を取り囲んだ。
「穂摘、逃げなさいっ」
「いやだ、おかあもおとうも置いていけない!」
「だめよ、早く逃げなさい!」
「だっておかあ…っ」
 涙が溢れ、熱に焼かれて乾く目玉を濡らす。それでも手を離せずにいると、弱々しく息子の手を振りほどこうとしていた母が、はっとした顔をして思い切り腕を振った。
「あっ」
 一瞬だった。母の手が離れ、強く穂摘を押した。たたらを踏んで三歩ほど後ろに下がったかと思ったら、今まで父と母が居た場所に、真っ赤に焼けた梁が落ちてきた。
「おっ、お…おかあ!」
 どっと冷や汗が流れる。慌てて穂摘は燃え盛る梁に手をやり、そのまま手のひらを火傷した。少しでも早く退かせば父と母は生きているかもしれない。無理だとわかっていながら膝をつき、周りに転がっていた柱の燃えさしを梁の下に差し込む。ぐっと持ち上げようとするも、燃える梁から立ち上る火の粉が肌に触れると、あまりの熱さに燃えさしを落としてしまう。
「おとう…、…おかあ…」
 至る所が熱くて、周りを見渡せば逃げられそうな場所はどこにもない。毎日暮らしている自分の家のはずなのに、出入り口すらわからない。
 父と母を助けてと叫びたいのに、意識は朦朧としてくる。ごうと強く炎が巻いて、その衝撃に倒れた穂摘は、傍にあった水瓶にぶつかった。ガシャンと瓶が割れ、水を少し被ったことまでは理解できたが、一瞬冷えた肌から水分を奪おうとするように炎が肌を舐めたことは、最早気を失った穂摘にわかるはずもなかった。

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