弄する贄は蜜を秘める

晦リリ

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25.祝宴と報せ

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 戻られませぬ、と報が入ったのは祝宴のさなかだった。
 次から次へと注がれる酒杯を傾け、舞を披露するものに拍手を送り、あれやこれやと絡んでくる昔馴染みと話をして宴を楽しく過ごしていた幡嶺は、贄代からの報を感じて、杯になみなみと注がれた酒の水面を見つめた。
(戻らぬとはどういうことだ)
『昨日朝方にお見送りしてから、お迎えの場所に参られませぬ』
 問いかけると、ややあって返事が戻る。他人に聞かれるものではなく、あくまで幡嶺が使役している贄代との間に敷かれた連絡網を通じてのものだ。
 返事は莢珂につけた贄代からのものだった。
 贄代は贄の代替になるものだ。本性はもともと幡嶺のもとに贄として送られてきた少女たちで、本体は別にあった。人のようでありながら人ではなく、幡嶺の意思や命令に沿って動いている。幡嶺の意にそぐわない行動はとらないので、留守をする間は贄代の一人に莢珂の世話を主だって見るように指示していた。
 最初の頃こそ、村に戻せばそのままどこかへ逃げるのではと思ってもいたが、莢珂は毎日行っては戻ってくる。夜になれば幡嶺の隣で眠って、手を出せば顔を赤くしながらも肌を合わせてくれた。なので家を三日も空けることになっても、莢珂ならばこの隙にと逃げ出したりなどしないと思っていた。
 それがどうだ。
 戻らないということは、逃げたということか。
(刺陽山をさがせ)
『かしこまりました』
 ふいと贄代の気配が消える。刺陽山を含む山脈は広く長大だ。幡嶺ならば瞬時に越えていけるが、人の足であれば一日やそこらで越えられるものではない。気配を探ればすぐに見つかるだろうと杯を傾け、苛立ちにひりつく喉を潤した。
「幡嶺さま」
 酒など、幡嶺にとっては水のようなものだ。いっそ杯などではなく、甕ごと飲んでやろうかと思っているところに声をかけられて上向くと、美しく着飾った少女が立っていた。幡嶺のもとにいた贄代と同じ姿をしている彼女は、その本体である少女だった。
「お酒、足りてるかしら」
「……れん……蓮花か。甕ごと飲んでやろうかと思っていたところだ」
「あのね。蓮花は四十年前に贄から上がったでしょ。私は姶紗あいしゃ。いつになったら覚えてくれるの?」
「贄代まで名前で呼ばん。忘れても仕方ないだろう」
「それはそうだけど、いい加減覚えてよ。お酒、今日の若往じゃくおうさまなら許してくださると思うけど、暴れるのはやめてちょうだいね」
「うるさい、早く上座に戻れ」
「いやだ、機嫌悪い」
 けらけらと笑う姶紗はつい最近までは幡嶺の贄だったはずだが、長い付き合いということもあってか気の置けない仲だ。
 さあさあ飲んで飲んでと、とくとくと注がれる酒が杯になみなみと注がれる。普段ならばどこか行ってろと邪険にしたが、今日はそうもいかない。ここは晴れやかな祝いの宴で、彼女はその主役だ。
「もしかして、最近ご執心の新しい贄の子が心配?」
 ここで一献していくつもりなのか、姶紗は自分もさっさとちいさなおちょこに酒をそそぐと、くすくすと笑いながら隣に座った。
「お前、会ったことがあったか」
「お屋敷に戻ったときに何度か見た程度ね。あとは若往さまとか、黒縒くろよりさまとかからお聞きしたの。近頃の幡嶺は酒宴にもなかなか顔を出さない。それなのに、新しい贄のために薬を求めたり、お守りを頼んだり、って。水脈も動かさせたって話も聞いてるんだから」
「黒縒め……」
 確かに、莢珂が困った様子で相談してきたので、それを解消すべく動いた。けれど、神といえども得手不得手はある。そのため伝手を辿ったが、噂になっていることは盲点だった。
 口を滑らせたとして名前が挙げられた神は、少し離れた席に座っている。隣に愛妻を座らせて機嫌よく目を細めている彼は、どうやら幡嶺の視線に気づいたらしい妻になにごとか言われて視線をこちらへ向けると、にやと笑った。
 人の姿をしているが、その実は山をひと巻きするほどの大みずちだ。水を操ることが得意で、水脈を動かしたのもこの神だった。古くからの知り合いである彼は顔が広く、彼を介して莢珂に相談された火傷の子の薬や、安産のお守りを手に入れていた。
 口が軽いと文句を言ってやろうかとも思ったが、祝宴でやることではない。酒をあおって自分を宥めると、それで、と姶紗が話を続けた。
「贄代にはしないの?」
「………」
 今まで、幡嶺のもとへは何十人もの少女が贄として召し上げられた。目の前にいる姶紗もその一人だ。けれど、贄の本体である少女たちは、誰一人として屋敷にはとどまっていない。いるのは彼女たちの姿を借りた贄代たちだけだ。いる贄といえば、莢珂だけだった。
 もとより、幡嶺は贄を要求したことは一度もなかった。
 ただ刺陽山にとどまり、時折人と出くわしたりしているうちに神として勝手に祀られるようになった。そのうち、飢饉だか洪水だかは忘れてしまったが、何か人里が騒がしいと思ったら少女が贄として差し出され、代わりに助けてほしいと言う願いが届くようになった。人を救おうが救うまいが、幡嶺には関係がない。けれど暇だったので手を貸してやったら、定期的に贄が届くようになった。けれど贄の彼女らもおびえているのは最初だけで、あとはしたたかに動き回る。贄として幡嶺の隷下にするため、彼女らは基本的に死ぬことはなくなる。人数的に減ることはなかったので、そのうち少女が片手ほどの数になった。すると今度は誰が幡嶺に好かれているかと騒ぎ始めたので、屋敷に贄をおくことをやめたのが二百年ほど前のことだった。
 それからは、召し上げた贄は幡嶺に属するものとして契約を結んだあとは、人手が足りなかったり、伴侶が欲しいと相談してくる神たちに譲っていた。
 けれどそうすると幡嶺の屋敷を世話するものがいなくなる。荒れられても面倒なので、人手として奉公させている贄たちの姿を借りて適当に誂え、こまごまと用事をこなすように仕立てたのが贄代だった。姶紗もその一人だったが、嫁いだからにはそういうわけにも行かない。数日前に契約を解き、贄代も処分していた。
 本来ならば、三ヵ月も屋敷に置けば長い方だ。屋敷に自分以外の誰かがいるという空気に飽きてしまうのもあるからだ。大体は三ヵ月やそこらで奉公先や嫁ぎ先が決まって、幡嶺の屋敷はまた静かになる。けれど、今回は違った。
 いつも女を寄越してきたので今回も女が送られてくるものだと思っていたら、よくわからない匂いの半端なものを寄越されて憤ったはずだった。
 それなのに気付けば贄代にもせず、世話を焼き、願いを聞き、世にも珍しいその体を抱いた。三ヵ月を過ぎれば自分も飽きるかと思ったがそうでもなく、今回の三日の留守も日帰りにしようかとすら思っていた。けれど、莢珂ならば逃げ出さないのではとも思ったので、試すように三日も屋敷を空けると告げたのだ。
 それなのに姿をくらました。
 もし逃げ出したのであれば見つけ出して閉じ込めてやる。屋敷の奥に頑健な部屋を作って、泣いて謝るまで抱きつぶしてやる。
「贄代にはせん」
 物騒なことを考えながら杯を傾けると、姶紗はまるでその考えを見透かしたように肩をすくめた。
「贄代にはしないし、奉公もさせないし……やっぱりご執心じゃないの」
「うるさい」
 実のところ、幡嶺もよくわからないのだ。
 今までのように奉公に出すつもりはさらさらない。もちろん、伴侶を探している神に譲る気もない。長く存在しているので気まぐれに抱いた男女もそれなりの数がいたが、すぐに飽きてしまって手放した。しかし莢珂にはまだ飽きることがない。むしろ毎日顔を見なければ落ち着かないものだから、わざわざ屋敷から村へ通いにさせていたほどだ。
 けれど、なんでこんなにも気にかけているか、幡嶺自身もわからない。考えたこともなかった。
 ねちねちと絡んでくる姶紗に辟易していると、贄代の気配が戻ってきた。
『山脈のふもと、渓曽山けいそざんにおります』
(渓曽山? 一人でか)
 贄代のしらせにあがったのは、刺陽山を擁する山脈のふもとにある山だ。そこを抜ければ平地となり、やがて少し大きめの街に出る。
『蹄陵村の村長とともにおります』
(村長? なにをしている)
『わかりませぬ。幡嶺様の隷下れいかではない獣の神がおります。莢珂様を害しております』
「なんだと」
 思わず声が出た。
 明るく軽快で朗らかな場にはまったくそぐわない声だ。けれど、騒いでいる神々は気にする素振りもない。各々好きに騒いで飲んでいる。長く存在しているものばかりなので、多少のことは気にも留めないのだ。それどころか、幡嶺の様子がおかしい、なにかが始まるのではとうきうきしているようですらあった。
「どういうことだ」
 周囲の好奇の視線などどうでもいい。はっきりと声に出てしまうほど我を忘れてがたりと幡嶺が立つと、相変わらず贄代は感情のない淡々とした声で告げた。
『莢珂様を、贄にするとおっしゃっています』
 やんややんやと周囲がはやし立てた。
 珍しいものが見られるぞ、と誰かが楽し気に言っている。伸びてきた腕が姶紗を幡嶺から引き離すように抱き寄せ、黒縒が隣にいる愛妻を守るように引き寄せた。
 せめて座敷から出なければと歩き出すも、既に変異は始まっている。座っていた井草の円座は、幡嶺が踏んだあとが黒く焼け焦げていた。
 一歩踏み出すたびに、体の大きさに比例して足音が大きくなっていく。
 やがて濡れぶちに立った瞬間に跳ね上がった幡嶺は、晴天の空へ駆け上がった。背後の喧騒はあっという間に遠くなる。
 ごうごうと激しい音を立てて吹き荒れる風の中を、巨大な獣が尋常ではない速さで駆けていく。時空も距離もまたいで、幡嶺だった獣はやがて小さな山に激突するように降りて行った。



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