弄する贄は蜜を秘める

晦リリ

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24.黒

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 ぱらぱらと砂や小石が落ちてきては頬を打つ。莢珂はうっすらと開いた視界の向こう、投げ出された自分の手が土にまみれているのを見ていた。
 体のいたるところが痛い。足のあたりがじんわりと熱い液体で濡れていて、鉄さびのような匂いもする。もしかしたらどこか怪我をして、血が出ているのかもしれなかった。
 木々が生い茂り、雪さえもまばらな地面のうえに莢珂は転がっていた。
 さっきまで入っていたつづらはどこかへ引っかかっているのか、視界には見当たらない。ふただけが離れた場所に落ちていてひしゃげていた。そしてその傍には壊れてばらばらになった、荷車だったらしいおびただしい木片と、白い息を吐きながらもがいている馬、それを起こそうとしながらも自分も足を引きずっている善祥がいた。
 つづらの中でいつの間にか眠っていた莢珂が目覚めたとき、既に荷車は雪道のうえにはなかった。がたんと大きく揺れて目を覚ましたのだが、なにが起こっているのかわからないまま開いたつづらから投げ出された。手足を縛られたまま転がり、やがて斜面から先がなかったため、七尺ほどの高さから落ちた。
 おそらく雪で道の境い目がわからずにそこを踏みはずして荷車が落ち、引きずられる形で馬ともども落下したのだろう。
「ん……んぅ、ん…」
 どうにか起き上がれないかと、痛みで軋む体をもぞもぞとうごめかせる。善祥が布をかませてくれていたせいもあってか、手首の縄はやがてもするとほどけた。
「いっ……うう……」
 下にしていた右側は、もしかしたら折れたのかもしれなかった。ひどく痛むので、どうにか無事だった左手で口の布を取ると、冷たい森の空気がじっとりと湿った口腔に入り込んだ。
「莢珂!」
 ふらふらと起き上がったところで善祥が気付いたらしく、よたよたと歩み寄ってくる。暗がりなのではっきりとはわからなかったが、脚以外にも怪我をしているようだった。
「大丈夫か、怪我は」
「脚が……腿を怪我したかもしれません。あと、右腕がすごく痛くて」
「ちょっと待ってろ、縄を解くから……」
 なかば倒れこむように膝をついた善祥が足首の縄をほどいてくれる。どうにか足も動かせるようになったが、見てみると脚衣の腿のあたりが色濃く染まっていた。
「枯れ木で切ったかもしれんな。俺も腕をやった」
 どちらのものとも知れない血の匂いが漂う。互いに流血をともなうほどの怪我を負っていた。
「ここはどこですか」
「俺もわからん。もうじき山を抜けると思ったんだが…、だいぶ落ちた。荷車も壊れた」
 どうにか起き上がった馬の傍には木片が散らばっている。とうてい曳いていけるようなものではない。積んでいた荷物もそこかしこに落ちていた。
 見たところ、落ちた場所は広く開いた場所だった。落ちた場所は枯れ木のそばだったが、ぐるりと中央を開けるかたちで広場のようになっている。けれど莢珂たちが落ちた場所の反対側はまた崖になっているのか、生えている樹の高さが明らかに違った。
「ここ、広場じゃないですか。樹が真ん中だけきれいに刈られてる」
「もしかしたら集落があったかもしれんな……この辺りに村があった話を聞いたことがある。でもだいぶ昔の話だぞ。今はもう……」
 見たところ、奥の方にぽっかりと木々が生えていない場所があった。けもの道と言って差しつかえないような荒れ具合ではあったが、もしかしたら道を下れば村があるのかもしれなかった。
「……下まで行ってみる。すまんが、ここで待っててくれ」
「はい」
 善祥は足を引きずりながら道を下っていき、荒れ果てた広場には馬と莢珂だけが残された。耳が痛くなるほどの静寂のなかを、いななく馬の鼻声だけが響く。
 しばらく座り込んでいたが、冷えた空気が徐々に体温を奪っていく。そういえばかぶっていた厚い布はどこにいっただろうかとあたりを見渡すと、ばらばらになった荷車のあたりに落ちていた。
「っいたた……」
 どうにか立ち上がって布を取りに行く。幸い、脚の傷からの出血は止まったようだった。
 痛みでまっすぐ立つことはできないが、歩くことはできる。どうにか布のもとへたどり着いた莢珂は、ふと周囲に散らばった木片に目をやった。
「黒い板……?」
 壊れてしまった荷車は、特に装飾や塗装などされていないものだった。散らばっている木片も茶色いままのものが多かったが、黒塗りの板がひしゃげて下敷きになっており、どうやらそこにあった木製の何かを巻き添えにしてしまったようだった。
 触れてみると埃が指先につく。ところどころ塗装がはがれていたり木目が裂けていたりしたが、黒い木片はどうやらもとはしっかりしたものの一部のようだった。
(なんだろう、これ。立派な木を使うもの……)
 厚い布をまとい、ほっと一息つきながらぼんやりと考えていると、ふいにブルルッと大きく馬が震え、落ち着かなく二度三度脚をばたつかせた。善祥が戻ってきたのかと顔をあげた莢珂は、木々の合間に人影を見た。
「ぜん……」 
 声をかけようとして、ふと気付く。善祥が行った方向とは逆で、道も何もない場所に人影は立っている。それに善祥よりも大柄だった。
 馬がじたばたと騒いで走り出したのは一瞬だった。手綱を引き寄せる間もなく木々の合間に突っ込んでいき、すぐに見えなくなってしまった。
「お前」
 馬が駆ける音が遠ざかっていくなか、木々の間からしゃがれた声が響いた。
「お前お前お前お前お前お前お前、贄にする」
「うぁ」
 声を漏らしたときにはもう、目の前にその存在があった。
 真っ黒な毛並みの影だ。そこがばくりと開き、唾液のしたたる牙がぎらぎらと光る。
「あがなえ」
「あっ」
 焼けるような痛みが肩口に走る。思わず後ろにのけぞって倒れた莢珂は、わずかな声を出すことしかできなかった。
 目の前に立った獣は、じゅるりと赤い唾液をこぼす。それはまぎれもなく、肩口に食いつかれた莢珂の血だった。


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