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22.不実の車輪
しおりを挟む三日の休みがあけた朝、莢珂は村へ行くことになった。
「なにかあれば、贄代に言え。俺が必要なら、伝えるようにしておく。次第によってはすぐ戻る」
「大丈夫です、ありがとうございます」
今日で村へ来るのが最後になることを茗鈴や村長、お世話になった村の人々に伝えたら、だらだらと長居せずに昼には帰るつもりだ。あとは幡嶺が明後日帰ってくるまで留守を守る。
やりたいことなどはなにもないが、これからは贄としての役割がなくなる。従者として仕えられるよう、女人たちに声をかけて屋敷の仕事を教えてもらうつもりだった。
「行ってきます」
幡嶺に見送られ、いつものように女人と一緒に村へ飛ばされた。
移動した先の境内は相変わらず閑散としているが、以前に比べて祠は磨き上げられている。境内は掃き清められて雪も積もっておらず、祠の屋根も雪払いがされていた。
以前まではそれなりに手入れはされていたものの、礼穣祭の時以外は特に足を運ぶ場でもなかった。けれど今では村へ実りと加護を与えてくれた山神である幡嶺が祀られているとあって、とくに管理されるようになった。村人たちは幡嶺が関与していないことでも良いことがあれば山神さまがいてくださるおかげと祠を拝みに来る。悪いことがあったりしても、きっといい方向へ導いてくださる、と気持ちの切り替えができるようになった。幡嶺もあだなすような悪い神ではないし、村人のためにと穀物を分けてくれたことも多々ある。
わずかなことからだが、そういうことが信仰や交流につながり、幡嶺の祠が大切に祀られるのは莢珂としてもうれしい事だった。
今日で莢珂と村とのつながりは消えるが、幡嶺と村は、これからも繋がっていくだろう。それを莢珂は見守っていればいいのだ。
帰りにまた来るので、その時には手を合わせてから戻ろう。
そんなことを考えながら村長の家へ行くと、いつも通り囲炉裏の傍で茗鈴と苑麗が手作業をしていた。
「おはよう、茗鈴」
「莢珂兄さん。どうしたの、三日も来ないで」
顔を出すと茗鈴は驚いたように手に持っていた布を置いて、莢珂に近づいた。どうやら幡嶺からもらった布を裁断して、色々なものを手縫いしているようだった。
「少し、考えごとがしたくて。茗鈴、村長さんは……」
「村長さんなら、厩にいると思う。最近よく厩にいるの」
「わかった、ありがとう」
厩は村長の屋敷の裏庭側にある。場所も知っているのでそちらに向かうと、厩では村長が馬たちに櫛がけをしていた。
「ああ、莢珂か。おはよう」
莢珂に気付くと笑顔で挨拶をしてくれる村長は、まさか数日前に金銭や馬を私欲でねだったとは思えないほど穏やかだ。いつも通りの優し気な笑顔で櫛を動かし、寒さに鼻を鳴らす馬の頭を撫でていた。
「おはようございます。あの……」
「山神さまに、あのことは伝えてくれたか」
「……っ…」
いつも通りの村長の顔だったので気を抜いていた。あの発言自体が夢だったように朗らかな様子に油断していただけに、体が引きつったのが自分でもわかった。
「それは……その…」
言いよどむ莢珂をよそに、村長は厩のなかを動き回り、あくせくと働いている。本来はこんな人なのだ。他力本願など、きっと一時の気の迷いだ。
「……願いごとは、伝えてません」
厩の隅に屈んだ村長は、ごそごそと大きなつづらを取り出している。あれは普段、村長が山向こうの街へ行くときに使っているものだ。あれに様々なものを詰めて行くのを何度も見送ったことがあった。
幡嶺に願いを伝えることはなかったが、前のようにまた自分の足で地に立つような生活を送ってほしい。莢珂ができることは、もう全て終わっていたのだ。
「村長さん。あの……俺、今日で村へ来るのをやめようと思います」
「また急だな。なにかあったか?」
腰をあげた村長は、驚いた顔をしながらもこまごまと動き回る。馬に鞍やあぶみだけでなく、ハミや手綱までつけているので、どこかへ行くところだったのかも知れなかった。
「何かあったわけではないです。俺は本当なら村に戻ってくることもできませんでした。村を手伝いたいと山神さまにお願いをしたので、特別に手伝いとして戻ることを許してもらっていただけです。前みたいにとはいかないけど、冬も越えられるようになりました。だから、俺はもう……」
「それなら、最後に山神さまにお願いしてくれたっていいだろう」
「山神さまは、自由に願いを叶えるためにいるわけではないです。大丈夫です、ちゃんと村を見守ってくださっています」
「そういうことじゃない。俺が欲しいのは、馬と金と家だと言っただろ」
屈めていた体を起こして、村長が莢珂を見た。いつの間にか彼は厩の扉のそばに立っていて、手には縄を持っていた。
「金だけでもいいんだ。それがあれば、俺は村を出られる」
「む……村を出るんですか」
彼の家は亘家と言って、代々村を治めている家系だ。跡継ぎは病で亡くなってしまったが、まだ苑麗という娘はいるし、茗鈴も養女となった。亘家はこれからも村で長を輩出する家としてあるものだと思っていただけに莢珂が声を上ずらせると村長は眉間に深くしわを刻んだ。
「……俺を責めるのか。いいじゃないか、お前には山神さまがついている。俺はどうだ、俺は、俺は、俺がどんなに気張っても、お前がもっとしっかりすれば良かったんじゃないかと言われるんだぞ。俺はやってる。それなのに、お前ばっかり、山神さまばっかり皆褒める。莢珂のおかげ、山神さまのおかげ。俺は俺ができることをやった!」
「そん……善祥さん!」
そこにいるのは、誰もが頼りにする蹄陵村の村長ではなかった。亘家の善祥という、ただ一人の男だった。
「もういやだ。こんな村出ていってやる。新しい街で、新しく生きるんだ。だから莢珂、頼む、頼むから金をくれ。馬をくれ。それがあれば、家族全員で街で暮らせる」
「それなら村はどうするんですかっ」
「俺がいなくても、誰かが先導する。どうせ亘の家は俺で終わりだ」
「苑麗がいるじゃないですか。婿を迎えれば……」
「うるさいっ」
ずいと善祥が踏み出した。
「もう嫌なんだ、村長なんてなりたくなかった。すまない莢珂、もう一度、もう一度お前を贄にさせてくれ」
「なにを……」
どういうことだと問うより先に伸びてきた手が莢珂をつかんだ。ぎょっとしてこわばった体をぐいと引き倒されて、思わず地面に膝をついた。
「善祥さん、贄って…んぐっ」
ずんと背中に重みがかかって、胸も地面に押し付けられる。背中が軋んで呻くと、その間に腕を後ろに取られて縛り上げられた。
「やめ、そんちょっ、善祥さっ……んむっ」
両手を後ろ手にまとめて縛られ、そのままごろりと転がされる。やめてくれと見上げたが、口に布を噛まされて声も出なくなった。
「んぅ、ん、んむう」
どうにか起き上がろうとするが、どんと突き飛ばされてしまえば上体の自由がきかないものだからすぐに転がってしまう。足首もまとめて縛られてしまい、起きあがることもできなくなった。
「感謝はしてるんだ。お前のおかげで病はなくなったし、村も戻ろうとしてる。でも、もう俺が村にいたくないんだ。莢珂、お前は山神さまに好かれているんだろう。今までの贄は毎日行き来したりしないし、村になにか持って帰ってきたこともなかった。お前はきっと神に好かれるんだ。不思議な体をしてるのも、きっとそのせいだ」
(そんな……幡嶺さまはただ、村に優しくしてくださっただけなのに。俺の体とは関係ないのに)
反論したいが体が動かない。それどころか善祥はつづらを引き寄せてふたを開けると、抱え上げた莢珂を入れた。
「むぅ、んんっ」
思わず体を暴れさせるが、無情にもふたが閉められる。つづらの目のわずかな隙間からもれる明かりだけが頼りになるなかでなにやら物音がして、やがて莢珂はつづらごと外に出されたと知った。持ちあげられ、そのままどさりとおろされる。軋む木の音は、おそらく車輪の音だ。荷車に乗せられたのだろう。
「しばらく我慢してくれ。俺が村を出るあかつきには、茗鈴もきっと連れて行く。ちゃんと育てる。だから許してくれ」
莢珂が入ったつづらのうえにどさどさと他のものが載せられる。最後に布までかけられると、とうとうガタガタと荷車が動きだした。
(どこかに連れていかれる……?)
「んんーっ」
とっさに喉を鳴らすが、口に布をかませられていることもあって、大きな声は出ない。すぐに誰かとしゃべっているような物音がしたが、すぐに動きだして、今度は止まることがなかった。
ガタガタと車は進んでいく。馬の足音はざくざくと途絶えず、角をいくつか曲がっていくのを感じながら、莢珂は焦りに体をよじった。
どこに行くか、なんのためにこんなことをしているのかがまったくわからない。けれど、間違いなく、善祥は村を出ていくつもりだ。
(どうしよう……)
手足を縛られてはいるが、もぞもぞと動くことはできる。体をひねってどうにかつづらのふたをずらせないかと脱出を試みたが、上にのせられたもののせいか、ふたが浮くことはない。
馬に手綱をやる声がする。車輪ががらがらと激しく回る。狭い箱に閉じ込められてなすすべもない莢珂をのせて、荷馬車はやがて村を出ていった。
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