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2.奉納
しおりを挟む扉の向こうから、しゃんしゃんと軽やかな鈴の音がする。重なって聞こえるのは二人で舞っているからであって、舞い手のうちの一人は莢珂の妹、茗鈴のものだった。そしてもう一人は村長の娘の苑麗のものだ。
慣習に従うならば、莢珂がここに座っているはずはなかった。
つい半年ほど前まで、蹄陵村には贄に選ばれそうな十五から十八までの少女は二十人ほどもおり、大礼穣祭には誰が贄に選ばれるかという話し合いは幾度ももたれていた。
村で一番の美人と名高い宿屋の次女の花寧、器量はそこそこだが娘が多く家が貧しい威家の四女の弯寿、信心深く山神の祀られた祠への参詣を毎日欠かさない反物屋の末っ子長女の西紗。
二十人弱いる中で、大体この辺りで選ぼうかという目星もつきはじめていた頃だった。
唐突に、村でばたばたと人が倒れだした。最初は腹部のわだかまりのような違和感から始まり、やがて嘔吐、下痢、衰弱と坂道を転がり落ちるように体調が悪化して、ものの二週間も経たずに息絶えてしまう。一ヶ月で十人ほども死んだ。
旅人が悪い病でも持ちこんだかと疑われたが、大概の旅人が利用する宿屋の従業員たちはその頃はまだけろりとしており、なんらかのたたりではないか、それとも災い、もしくは流行り病かと混乱が生まれた。
誰が罹患しているかわからないが、日々の暮らしを送らなければならない。皆が得体も知れない不安を抱えながら過ごしていくうち、翌月には毎日のように死人が出始めた。
集落の外にいる親族を頼ってあわてて村を出て行くものもいたが、昔からここに住んでいるから出られないと迷っているうちに一家全滅してしまった家もあり、若い夫婦が相次いで倒れ、なすすべもなく残された赤子が、見つけた時には手遅れだったという悲しい事件も起こってしまった。
原因も対処もわからず半年経った。百人が村を出て、二百人と少しが死んだ。残ったのは百人ほど。残った村人のなかに、大礼穣祭の贄になれる年齢の少女はいなかった。
村の一大事に、こんな時に祭りなどという声もあったが、こんな時だからこそ神に加護をという声もあり、大礼穣祭が行われることが決まったのが、十日前だった。
大礼穣祭を行うにあたって、贄は不可欠だ。せめて年齢がいちばん近い娘を見繕った結果、あと二ヶ月ほどで十五になるのが村長の娘である苑麗だった。
村のためなら致し方ないかと思われたが、村長は頷けなかった。
「苑麗には家を継ぐ婿を迎えてもらわないといかん。うちは徐苑も朗苑も……長男も次男も死んだんだ」
莢珂も杷家の代表として参加した話し合いの円座で、村長はうなだれていた。
相次いで二人の息子を亡くし、同時に歴代続いてきた村長の家としての跡取りも亡くした村長の頬からは、肉がごっそりと削げてやつれていた。
「それならば十四歳は誰かいたか」
「渠家の明蘭は十四になるんじゃなかったか」
「馬鹿、渠家は先月村を出てっただろ」
「十八か十九……二十にはなってなかったはずだが、機織りの……ああ、苓家の古祥はどうだ」
「古祥は三日前に死んだ」
「十五から十八、そこらか……」
いつもならば軽口が飛び交う気心の知れた円座にも今は困惑と不安と苛立ちが居座り、重い静けさが落ちている。
年齢にそぐう少女があらかた見つからない。今ですら惨憺たる有様で、これ以上悪くなられては村が全滅しかねない。それに、今年はどうあっても贄を供えなければならなかった。
「誰かいないか。今年は絶対贄を連れて行ってもらわねばならんぞ。……村に加護がないのは、前の大礼穣祭で贄が召し上げられなかったからかもしれん」
「そういえばそうだったな……」
父と同い年ほどの男たちが円座を組んで静まりかえっているのを眺めながら、莢珂は家に置いてきた妹のことを考えていた。
杷家はもともと、三人家族だった。父と莢珂、妹の茗鈴だ。母は十年ほど前に病で亡くなっており、父が男手ひとつで育ててくれた。けれど、その父も四か月前に謎の病で急逝してしまった。残ったのは莢珂と、五つ年下で十二になったばかりの茗鈴だけだ。幸い二人とも罹患せず、日々細々と暮らしていた。
今日は突然呼び出されて話し合いに参加することになったため、茗鈴には先に休むように言い置いて家を出てきた。
村はほとんどが顔見知りで、物盗りなども滅多にない。それでも一人で家に残してきた妹が心配で、そろそろ帰らせてもらおうかと腰をあげかけたところで、ふと村長と目があった。
村長の目は半眼のうえ澱んでぼんやりとしていたが、おもむろに見開かれた。
「莢珂、お前、いくつだったか」
「十七になりました」
「茗鈴は」
「妹は十二です。…に、贄にはなれません」
贄に選ばれるのは十四歳からだ。けれど、今の村には年齢にあう少女が見つからない。それならばと妹に目を付けられるのはたまらないと思わず立ち上がると、村長も素早く立ち上がった。さっきまでうなだれて生気を失っていたとは思えない早さだった。
がっしりと、食い込むほどの力で腕を握られる。いやだと思わず首を振った。妹は、茗鈴は生き残った唯一の家族だ。そして、まだ十二歳。差し出すことなど出来ない。
「村長、すみません、茗鈴は、妹はっ」
「すまない莢珂、お前、贄になってはくれないか」
「……えっ……」
一瞬なにを言われたのかと瞠目した。けれど、強張った体とは裏腹に頭の中はめまぐるしく色々な情報が交錯して、村長の言葉の真意を理解した。
「おっ、俺、は」
「十四から十七の娘はもういない。だが、お前なら……半分そうだろう」
周囲の視線が自分に集まっていた。莢珂は自分の顔が赤くなっていくのを感じて、ぐっと俯いた。
普段はその話題に触れられることはなく、村人の一人として扱われていたが、莢珂には同じような体の人間がいると聞いたことがないような特異な特徴があった。
「男を供えるよりも、半分女のお前なら、もしかしたら山神様もお許しくださるかもしれない」
「……っ」
なにも言い返せない。
実際、莢珂は完全に男というわけではなかった。生まれつき、股の間には二つの性があった。股間の異変以外はなにごともなく健康だが、心配した親が村長や村医者に見せてまわり、友人にも相談したため、莢珂が両性であることは皆が知っている。それでも普段は畑を耕したり馬を世話したり、おもに男性がこなす仕事をしていた。見た目も黒髪に黒目で特段際立つわけでなく、少年とも少女ともつくような少し整った顔はしていたが、目立って美しいわけでもない。村の誰もが莢珂を少年として扱っていた。
だからこそ自分でも忘れているほどだったが、それさえ思い出すほど、村長は切迫しているようだった。
「でも、でも俺が行ったら茗鈴がひとりに……」
母は幼い頃に死んだし、父ももう亡い。莢珂が贄になってしまえばそれなりの礼品は贈られるが、茗鈴が一人になってしまう。それだけは出来ないと首を振ったが、村長はそれならと追いすがった。
「茗鈴ならうちが世話をする。養女に迎えて、不自由のないように育てる」
「でも、俺は……っ」
「頼む莢珂、この通りだ。……おい、お前たちも頼めっ」
腕を離すと、村長は額を床に擦りつけた。促された他の男たちもざわざわと動いて土下座する。
父と同じか、それ以上の面々ばかりが頭を下げている。彼らはそれまでも莢珂や茗鈴を可愛がってくれたし、とうとう両親ともに失ってしまったふたりを気にかけ、あれやこれやと声をかけたり相談に乗ってくれた人々だ。見捨てられるほど縁がないわけではない。
贄になったからと言って、必ず召し上げられるわけではない。もしかしたら娘ではないからと、置いておかれるかもしれない。それでも、贄をささげたことにはなる。
迷いも恐怖もありはしたが、結局莢珂は頷いた。茗鈴を養女として迎えてくれるなら世話をしてくれるだろうし、村長の家の苑麗とは茗鈴も昔から仲が良い。決して悪くはならないはずだと、ならないでいてほしいという願いを込めて、莢珂は浅く顎を引いた。
それからはあっという間に大礼穣祭の準備が進んだ。その間にも村人は三人死んだ。
しゃん、とひときわ大きく鈴の音が鳴って、はっとして莢珂は顔をあげた。太鼓の音も、笛の音も止んでいる。
奉納の舞が終わったのか、この祠を管理する宮司でもある村長が祝詞を唱え始める。堂の中にも響いてくる声を聴きながらぼんやりとしていると、村長の妻の手によって綺麗に床に広げられていた紗の羽織りの裾がふわりとひらめいた。莢珂は動いていない。けれど、左右の裾がひらひらと祠にあつらえられた祭壇の方へはためいている。背後から風が吹いていた。
はたはたと揺らめいていた裾がやがてばたばたと床を叩きはじめ、莢珂の髪も前に流される。堂の中は薄暗いままで、扉が開いた気配はない。なぜ風が、と首だけ少し振り向こうとした矢先だった。
「お前、おかしな匂いだな」
低く通る声が響いた。聞いたことのないそれは扉を隔てた村長の祝詞のようにくぐもってはいない。ごく間近、振り返ればすぐの近さで響いた声だった。
「おい、そこの。今年の贄はお前か」
振り向いてもいいのだろうか。恐る恐る肩越しに背後を見やると、背の高い男が立っていた。
黒い羽織の中も黒い衣服をまとい、帯だけが銀に近い灰鼠色をしていて、薄暗い堂の中でもその輪郭をはっきりと際立たせていた。
長身でありながら厚みもしっかりある体躯は立派で、腰に刀でも佩けば歴戦の将と言われてもなるほどと納得してしまいそうだ。けれど無造作にまとめられてうなじのあたりでくくられ、適当に肩から流れている長髪の放埓ぶりは宮仕えをしているような堅苦しさはなかった。
まるで一介の武人だ。けれど、武人どころか人間ではないのだと知らしめてくるものが、その容貌にあった。凛々しくつりあがった太めの眉の下、くっきりとした二重は鋭い。そして、双眸は禍々しいほどに金色で、真ん中には縦に黒い瞳孔がある。これを見たことがあると莢珂は思った。
獣の目だ。
「おい、口が利けんのか」
「あっ」
見下ろしてくる視線に射抜かれて微動だにできずにいると、いらいらとした声が叩きつけられた。
「に、贄です。山神様の、贄……」
「お前か。うん……やっぱり妙な匂いがする」
長躯が屈んで、ずいと顔が寄せられる。そのまま獣じみた仕草でくんくんと嗅がれ、大きな手が後ろから回ってきて喉元を覆われた。そのまま首の筋をべろりと肉厚なものがなぞり、ざっと肌が粟立った。慣れない感触もそうだが、食われる、と思った。
「贄なんぞいらんが、まあいい。味見をさせろ」
「えっ、ぅんむっ……?」
食べられた、と思わず総毛だった。半開きだった唇を、自分のそれより大きなものが塞ぐ。口腔にぬるりとしたものが入ってきて、口蓋を舐め、歯列を暴かれる。呼吸さえも嬲られそうで思わず舌を奥に引っ込めると、何者も逃さないとでも言うようにすぐさま分厚い舌が追いかけてきた。
「んむ、っふ、ん、ん……」
じわじわと頭がしびれてくる。座っているはずなのに、その姿勢すら保てなくなる。斜め後ろに引き寄せられると正座をしていた足も徐々に横に崩れ、やがて自分を引き寄せる男の胸にしがみつくような体勢になった。
口付けなど、生まれてこの方したことがない。勝手がわからず、呼吸ができない苦しさに顔が赤くなっていくのを感じた。苦しい。だけど、頬の内側を舐められるとぞくりとするし、舌先をつつかれると体の奥がずきんと甘く疼く。
苦楽に翻弄され、とうとう口の端からこぼれた唾液が顎からしたたった頃、ようやく口付けが解かれた。
「……ああ、悪くない。貰ってみるか」
「え……」
ようやく解放されて息も絶え絶えになっていた莢珂に下されたのは、拒否や否定などしようもないほど、決定された言葉だった。
ぐいと強く抱き寄せられると視界が黒い生地いっぱいになり、鼻先を青々とした緑のような爽快な香りがよぎる。
朝露に濡れた山の匂いだ、と莢珂が思った時には、もう祠には誰の姿もなくなっていた。
すでに贄が召し上げられたとは知らない村長の祝詞だけが、朗々と無人の堂に響いた。
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