あなたの命がこおるまで

晦リリ

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3.寄り添う

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 季節の変わり目には、強い風が吹く。けれど、その風がどこか濡れているような気配を感じた日和は、氷穴の入り口まで引きずった氷鷹を、もう少し奥へと押しやった。
 ごろんと無造作に転がされた氷鷹は、苦しげな顔をしているものの目覚める様子はない。日和よりも大分上背のある体をぐっと縮めて強張らせている様子は、寒がっているように見えた。
 温め鳥は大きな街に行けば少しは数がいるものだが、氷鷹はそれ以上に珍しい存在だ。地域に一人いればいい方で、近隣では一番大きな街に一人だけいると聞いていた。けれど、彼は一昨年亡くなっている。
(どこから来たんだろう。新しい氷鷹になるのかな)
 氷鷹はいるだけで守り神になるとされている存在だ。日和たち温め鳥はただただ体温が高いだけで、多少自らの熱をさらに上げることはできるが、せいぜいがそこまでで、火を操ったりすることはできない。けれど氷鷹は異能とさえ言われるほどの強大な力を有する。
 水の気配に聡く水脈を探り当てること、待機中の水分や水そのものを使って氷塊を作り出すこと、そしてその体そのものが異常なほどの低体温であることが氷鷹の特徴で、能力の強い氷鷹であればあるほど、体温は氷に等しいと言われていた。
 異能を持ち、その体質も常人とは大きく異なる彼らだが、それでも人ではある。強大な力を有する彼らの唯一の欠点は、己の寒さに凍え続けているということだった。
(大丈夫かな、俺の体温でどうにかなるといいけど……)
 日和も温め鳥だ。普段は滅多にすることがないが、自分の体温をあげることが出来た。
 腹の奥から肩甲骨の辺りまでをぶるりと震わせる。徐々に熱が上がってきて、薄い胸の下で心臓がいつもより少し早まったのがわかった。
「う……」
 掠れた呻き声をあげる氷鷹をどうにか座らせ、氷穴の壁にもたれさせる。投げ出された脚の上にまたがった日和は脚の間に腰を下ろすと、向き合った状態で氷鷹に抱き着き、翼を広げた。
 氷鷹はそもそも体格がいい鷹の一族であるため大柄な者が多いが、温め鳥は小柄な者が多い。相対的に翼も氷鷹に比べると小さいが、それでも精一杯広げると腕に抱いた氷鷹の上半身を包めるくらいにはなった。
 体と翼がいつも以上にじんわりと熱を帯びていき、わずかな吐息さえ真っ白になる。
 氷鷹は、その能力と異常なまでの低体温によって、時には自滅することもあるという。能力を使い過ぎて体が内側から凍りついたり、極度の冷えによる衰弱で死ぬことがあるらしいが、日和の腕に抱かれている氷鷹がどれほどの状態なのかはわからない。ただ、やがてもすると苦しげに寄せられていた眉間の皴がやわらぎ、体のこわばりもとけてきた。
「う、あ……ああ……」
 どこかほっとしたような声が漏れて、投げ出されていた両腕がぎこちなく持ちあがる。もっと近くにと言うように背を抱かれ、ぴったりと体をくっつけると、ひんやりと冷たい両手が日和の肩甲骨と翼の間の隙間に入り込んだ。
(冷たい……でも気持ちいい)
 服越しにもわかるほど冷えた手が、熱のこもりやすい場所を冷やす。そうでなくとも抱きついた氷鷹の体は本当に生きているのかと思うほどに冷たく、けれど暑い時期に体を預ける岩肌や河川の流れとは違って人の体だ。少しばかり硬いが不思議と心地よかった。
 どのくらいそうしていたのか、山を吹き抜ける風の音に、日和ははっと目を開けた。
 氷鷹を温めているつもりが、いつの間にか寝ていたらしい。気付けば氷穴の入り口近くの岩肌に寝転がった氷鷹の上に、翼を広げたまま布団のように覆いかぶさっていた。
「あ、起きてる。少しは温まった?」
 うつ伏せだった顔をあげると、金色の双眸と目があった。色味は鮮やかで目尻は鋭く切れ上がっているが、まだどこかぼんやりしている。それでもさっきまでは雪よりも青白かった肌にわずかに色味が戻っていた。
 温まったなら離れようかとも思ったが、氷鷹の大きな手のひらはまだ日和の背中を抱いている。自らの熱を上げているので日和はぽかぽかしているが、外では雨が降っているし、氷鷹はまだ寒いのかもしれなかった。
 圧し掛かられている本人が構わないならいいかと、上に乗ったまま日和は氷鷹に話しかけた。
「あんた、ここの入り口で倒れてたんだよ。覚えてる?」
「……ここは?」
「香槐山……って言っても有名じゃないから、わかるかな。いちばん近くの街は明陵なんだけど」
 国都や大都市、名峰ならばすぐに現在地が把握できたかもしれないが、ここは国都からは少し離れた土地だ。山の名前を言ったところですぐに誰もがわかるような有名な場所でもない。とりあえず、この近辺ではいちばん大きい街の名前を口にすると、氷鷹は曖昧に頷いた。
「それは……わかる」
「ならよかった。俺は勒芳村の日和。あんたは氷鷹?」
 異常なほどの低体温に凍えながらも凍死せずにいるのだ。氷鷹以外にあり得ないと思いながらも問いかけると、温めてなおひんやりとした体を持つ男は顎を引いた。
「お前は温め鳥か」
「うん。って言っても、そんなに強い方じゃないから……ちゃんと温まれた?」
 見つけた時に比べて顔色は良く、会話も出来ている。それでも、まるで凍った池の表面に寝ころんでいるようだ。せっかく上げた自分の体温は役に立っただろうかと思った日和だったが、氷鷹は三度目の頷きを返してくれた。
「じゃあ村に行こう。ここじゃまた冷える」
 動けるようなら、移動した方がいい。ここは氷穴の入り口で、風が吹き込む場所だ。それに、相手が氷鷹ならば村長に報告しなければならない。地域に根付いて能力を使うかどうかの判断は氷鷹自身に委ねられているが、それでもとりあえずここよりは温かく安定した場所へと提案すると、氷鷹はゆっくりと体を起こした。
 起きあがれるようになったのなら、とりあえず大丈夫だろうと体を離そうとした日和だったが、氷鷹の手は背中から離れない。むしろしっかりと衣服を掴んでいて、緩慢なしぐさで立ち上がると、そのまま日和を抱き寄せた。
 鳥人は、その出自から体格が大きく変わる。雀の血を引く日和は小柄な方で、氷鷹は名の通り鷹の一族だ。立ち上がった氷鷹はやはり長躯で、日和は彼の肩ほどまでしかない。しかし視線がだいぶ上向くと思ったのもつかの間、ひょいと抱き上げられて、日和と氷鷹の視線は同じ高さになった。
「ちょっ……なに、俺自分で歩けるよ」
 氷鷹のような立派な翼ではないので長距離を飛ぶことはできないが、ここまでは歩いてやってきたのだ。降ろしてと体を突っ張らせた日和だったが、氷鷹はふらつくこともなくのそりと歩き出した。
「お前を抱えていた方が温かい」
「でも重いだろ」
「重くない。村はどっちだ」
「……あっち」
 実際、氷鷹は本当に重いと感じていないのだろう。片腕を日和の尻の下に回し、もう片手は背中を支えてくれているが、人間一人を持つための補助というよりは日和がひっくり返って落ちないようにしているだけという程度だ。
 軽々と抱き上げられていることは多少納得がいかないが、重さ云々より、氷鷹にとっては温め鳥の体温で暖をとる方が重要なのだ。それはわかっているので、日和はせめて村の門前では降ろしてもらおうと思いながら、氷鷹の首に両腕を回して体をくっつけた。ついでに体温も少し上げる。すると氷鷹の腕は縋るように日和の背を抱きしめた。
 不自然なほどぴったりと抱き合った、今日が初対面の二人は、まだ雪の残る山道をのそのそと降りて行き、氷穴の前にはまた静寂が戻った。
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