雪降る夜に君の名を

晦リリ

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13.理由

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 ルーンの両親の形見をヴォーレフが家まで取りに行った日から、一週間が経った。傷は日を追うごとに良くなり、熱も出なくなった。添え木をしても引きずっていた足も完治し、朝に来訪した医者からもう大丈夫とお墨付きをもらったルーンは、待っていたとばかりにベッドから出て働きだした。

 傷も足もすっかりよくなったが、ずっと臥せっていたのだ。体力は衰えているだろうからほどほどにしろとヴォーレフは言ったが、活気の有り余るルーンは言うことを聞かない。休んでいた間に看病をしてもらった分はもちろん、できなかった仕事をこなしたいと、屋敷中を駆け回った。

 熱心に動き回るルーンは、少し休めとたしなめても、座ったそばからそわそわして落ち着かない。仕方がないのでしばらく放っておいたヴォーレフだったが、ふと、開け放した扉から行ったり来たりする姿が見える少年に声をかけた。

「おい、ルーン」

「はいっ」

 軽い足音は一度遠ざかったものの、すぐに雑巾を片手にしたルーンが現れる。外では雪がちらついているというのに、ルーンは腕まくりをして頬を上気させていた。

「廊下はもういい。ちょっとついて来い」

「はい」

 子犬のようについてくるルーンと二階に上がり、ヴォーレフは数ある部屋の扉をばたんばたんと開け始めた。

 屋敷の二階には、ヴォーレフが寝室として使っている広い部屋と、それよりは狭いものの大小さまざまな部屋があと五部屋ある。どの部屋も家具がないのでまったく使われておらず、開けるたびにうっすらと埃が舞い上がるなか、部屋を確認して最後の一つを空けたヴォーレフは、日差しの差し込む小部屋に目を細めた。

「ここを掃除する。お前は床と窓だ。俺は壁と天井を拭く」

「ヴォーレフさまもなさるんですか? お急ぎでなければ、僕ひとりでも大丈夫ですが……」

「お急ぎだ。さっさとやるぞ」

 寝込んでいた分体力が有り余っているのか、急げよ、と金茶の髪をぐしゃりと撫でやると、ルーンはさくさくと動き回り始めた。

 部屋はそれほどの広さもないので、二人で動けばそれほど時間もかからない。昼前には終わり、それぞれ着替えて昼食をとった後、ヴォーレフはコートを羽織った。

「出かける。お前もついてこい」

「はい」

 すっかり体調はいいらしく、ルーンは久しぶりに外に出ると、寒い寒いと言いながら首に巻いたマフラーをぐいぐいと引き上げている。その横に、ヴォーレフは庭の一角に立てかけておいた荷車と縄を寄せた。

「なにか運ぶんですか?」

「ああ。運ぶものはあとで乗せるから、ルーン、まずはお前が乗っとけ」

「僕がですか? でも」

「早くしろ」

 急げと急かすと、ルーンが荷台に飛び乗る。しっかりと前輪のあたりに乗ったのを確認して、ヴォーレフは荷車を牽き始めた。

「重くないですか?」

「重いどころか、お前、もうちょっと太れ。ここ最近でまた痩せやがって」

 午前中にはひらひらと舞っていた雪も、もうやんでいる。踏むたびにきしきしと鳴る雪を軍靴の底に感じながらヴォーレフが向かったのは、ルーンの家があるスラム街だった。

「ヴォーレフさま、あの……」

 まだ恐怖は癒えていないのだろう。先ほどまでの元気な様子は鳴りを潜め、ルーンはいつの間にかヴォーレフの真後ろに来ていた。舗装がところどころ崩れている悪路に車輪をとられないように注意しながら荷車をひいていく。やがて、ルーンの家の前に到着した。

 一週間来ないうちに、ルーンの家ははずれた扉や割れた窓から風雪が入り込み、廃墟さながらになっていた。

「ルーン、降りろ」

「……はい」

 ひどく鈍重な動きで荷台を降りたルーンの顔色は、ひどいものだった。それでもこれが体調不良からくるものではないことは明白で、荷台から降りたきり動けずにいるルーンに手を差し出すと、縋るように細い手が絡みついた。

 ヴォーレフの腕をしっかりと抱きしめたまま、ルーンは得体のしれない深い洞窟でも覗き込むように、そろりと家の中をうかがった。

 昼下がりにもかかわらず薄暗い家の中は、暴漢たちが荒らしたあと、更にヴォーレフが乱闘したせいで荒れ放題だ。あまりの惨状にごくりと唾を飲んだ小さな頭が揺れるのを見下ろしながら、ヴォーレフは先に歩いて、なかば引きずるようにしてルーンを家に入れた。

「なんでもいい、持って行きたいものを荷台に積め。デカいのは俺が動かす」

「持って、行きたいもの……?」

 ぴったりとくっついたまま、ルーンははじかれたようにヴォーレフを見上げた。

「ぼ……僕、どこかに行かされるんですか?」

「馬鹿言うな、お前は今日から俺のうちに引っ越すんだ」

 唇を震わせるルーンの頭を軽くたたいて、抱きしめられている腕を引き抜いたヴォーレフは、倒れている椅子を引き起こした。何度も倒されているが、脚も折れていないし、背も割れていない。

「これは使えるな。持っていくか?」

「うちって……ヴォーレフさまの、お屋敷ですか?」

「前に言っただろ、お前を住まわせるって」

 最初に言ったのは、ルーンが熱に浮かされて微睡んでいた時だ。両親の形見を渡したあとに改めて話すつもりではいたが、結局それから住み込みの件については触れずにいた。それでもヴォーレフの中では決定事項だ。今更取り下げるつもりもなく、ルーンも元気になったのだから、さっさとやってしまおうと思い立ち、今日ここへ足を運んだのだ。

「今日掃除した部屋、あそこがお前の部屋だ」

「えっ、でもあんな広いお部屋……」

「広いったって俺の部屋の半分だろ」

 ヴォーレフの部屋は広いので、その半分とはいえ、確かにルーンにあてがう部屋はそれなりに広い。少なくとも、この家と同じか、それより少し小さい程度だ。もう少し小さい部屋もあったが、あの部屋は日当たりもよかったし、ちょうどヴォーレフの部屋の向かいだ。離れたところにあるよりはいい。

 なにか言いたげにしているルーンを置いて荷台に椅子を積み、扉のないドア枠をくぐって家に戻ると、ルーンは寝室のキャビネットのそばに立ち尽くしていた。

「おい」

「え、あっ、は、はいっ」

「ぼうっとすんな。体調悪いのか?」

「いえ、そういうわけでは……」

 首を振るものの、ルーンはキャビネットに手のひらを当てたまま、ぼうっとしている。まさか熱でも出たかと首の後ろや額に手を当ててみたが、特に発熱している様子はなかった。

「ルーン」

「はい……?」

 呼ばれたルーンは、まるでたった今、眠りから覚めたような顔をあげた。やはりどこかおかしい。チッと舌打ちして、ヴォーレフはルーンの触れているキャビネットに手をかけた。

「これは持って行きたいのか?」

「はい」

「わかった。退いてろ」

 ぼんやりとして危なっかしいルーンを退け、腰を深く落としたヴォーレフは、キャビネットを持ち上げた。こつさえわかっていれば、もともと鍛えているので、これくらいでも軽いものだ。そのまま荷台に乗せようと動き出したヴォーレフは、視界の端で小さな頭が近づいてきたことに気付き、ぎょっとして動きを止めた。

「おいっ」

「はいっ、あの、お手伝いを」

「退け! 挟まりたいのか」

 このまま気付かずにヴォーレフが進んでいれば、ルーンはドア枠とキャビネットの間に挟まれていたかもしれない。ようやく傷も体調も治ったというのに、こんなことで怪我をさせてなるものかとヴォーレフが怒鳴ると、ルーンは飛びのいて、寝室の奥に走りこんだ。それでもまだ不用意に近づいて来やしないかと睨みをきかせながらヴォーレフが荷台にキャビネットを下ろすと、ルーンはすぐさま寄ってきた。

「ヴォーレフさま、あの」

「なんだ」

「あの……、その」

 もぞもぞと言い淀んだルーンは落ち着きなく視線をさまよわせた後、意を決したようにヴォーレフを見上げた。

「家賃はおいくらになりますか」

「はあ?」

「お家賃です。あ、それとも給料から差し引かれるのかな……」

「家賃なんか気にすんな」

「しますよ! だって、あんな立派なお屋敷のお部屋をお借りするんです。前のお屋敷で住み込みをしていた方々は、あのお部屋の半分を二人で使っていました。それで、毎日銀一枚だったんです。あのお部屋なら、四人で使えます」

「お前、俺が毎日銀四枚を請求すると思ってるな」

「……そうだと困るので…もっと狭いお部屋が……」

「今日からお前の給金は毎日銀六枚だ。家賃は毎日銀一枚差っ引く。お前の給金は明日からも銀五枚だ。わかったか」

「そっ、それだとお給金が変わりません! それに僕には、ヴォーレフさまにそこまでしていただく理由がありません」

「……」

 ルーンの困惑は、至極まっとうなことだ。

 ヴォーレフトルーンは、雇用者と従事者の関係だ。それ以上でもなければそれ以下でもない。ヴォーレフもそれを理解している。理解はしているが、ルーンから家賃をもらうことなど考えもつかなかったし、ルーンがこの家に住み続けることは到底許せることではなかった。けれどなぜ許せないのか、答えは自分でもわからない。

(理由……)

 自分の中に、ヴォーレフはどうにか答えを見つけようとした。

 まず、ルーンに何かあれば、自分の生活が揺らぐ。今回が顕著な例だ。ルーンが働けないので、ヴォーレフの食生活はそっけないものになったし、掃除も週に一度はしてみたが、手間がかかって仕方なかった。暖炉の手入れや薪割りはヴォーレフがもともとやっていたが、そういえば洗濯も面倒だった。

 ルーンがいなければ、ヴォーレフの生活は面倒と億劫に満ちたものになる。二度とそうならないために、ルーンが危険な目にさらされる可能性を少しでも減らそうとするのは、当たり前の思考回路ではないのか。そうは思うものの、胸のどこかでもっと違う理由が頭をもたげそうで、けれどそれがなんなのか、ヴォーレフにはわからない。

 見下ろしているルーンの瞳は真っ青に澄んでいる。その透明さが自分でもよくわからない気持ちの奥底を見透かすようで、ヴォーレフはどこかすわりの悪さを感じて、ルーンの頭に手を伸ばした。

「気にすんな。……もう持って行くものはないか」

 やわらかい金茶の髪をくしゃりと撫でることで、ヴォーレフは視線から逃げた。不快ではないが、胸のあたりがやたらと落ち着かなかった。

「いえ、もうなにも…あ、ベッドは持って行けますか」

 ぐしゃぐしゃと撫でられるせいで、ルーンの頭は揺れている。ルーンの中で、とりあえず家賃の件はひと段落ついたのか、それ以上言ってくることもなく、ヴォーレフは内心ほっとしながら首を振った。

「ベッドは手配してある。今日届くはずだから、これは置いていけ」

「じゃあ、あの……食器とか、持って行きたいです」

 一度家の中に入ったルーンは、バスケットに皿やカップ、カトラリーをまとめると、ついでにと部屋の隅に積み重ねられていたシーツを持ってきた。

「他には」

「あとは、もう……」

 もともと物が少ない家だ。キャビネットが一つと椅子が一脚なくなっただけで、がらんとした印象を受ける。家の中を一度見渡したルーンはどことなく寂しげだったが、床に空いた穴を見るとじりっと後ずさって、そのまま荷台に飛び乗った。

「もう、大丈夫です」

 隠れるようにキャビネットにもたれかかるルーンにとって、この家は亡き両親と暮らした思い出の場所であるとともに、死の恐怖を味わった場所でもある。ぎゅっと体を縮こめたルーンを一瞥したヴォーレフは、荷車の持ち手を握った。

 帰る道すがら、ルーンは静かだった。途中で落としてやしないかとヴォーレフが肩越しに見やると、キャビネットにもたれて膝を抱える悄然とした姿があった。

(……これでいい)

 ルーンが実家から離れなければならなくなったのは、さすがに気の毒だとは思う。ヴォーレフには親兄弟もいなければ実家もないが、ルーンがあの家と両親を愛していたのは知っていた。けれど、あの家に残しておくことは、どうしてもできなかった。ヴォーレフの生活が、ルーンにはかかっている。理由はそれだけで十分なはずだ。

 空気は冷たいが、冬の晴れ間がやわらかく降り注ぐ日なたは暖かい。そんな中をぎしぎしと軋みながら進む荷車が屋敷につくまで、ふたりは互いに黙りこくったままだった。
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感想 4

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みんなの感想(4件)

kaoryu
2022.04.13 kaoryu

リリさんのお話、全部好きです❤
2人のこれからを楽しみにしてます!

解除
花屋 和加葉

凄くキュンキュンしながら読ませていただきました!
こんなに萌える小説を読んだのは初めてで、今まで書いた事はなかったのですが、思わず感想を書かせていただきました!
このお話しのファンです…!
2人の関係がこの後どうなるのか、とても気になります…^^!
更新を心から楽しみにしております!

解除
2020.12.25 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

晦リリ
2021.01.15 晦リリ

お返事遅れてしまいました…!
辛いことはこれからもいくつか起こる予定ですが、ハッピーエンド目指してがんばります!

解除

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