雪降る夜に君の名を

晦リリ

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1.雪の夜に

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 ヴォーレフ・ランドが少年を拾ったのは、彼がすべてを失くした日の夜のことだった。

 街中は一日中降り続いた雪にそこかしこが埋まり、少年が身に着けていたケープの赤色がなければ気づけないほどだった。

 空からひらひらと無数に舞い落ちる雪に体のほとんどを覆われた少年は、かろうじて生きている。薄く開いた唇は割れて血の気を失っていたが、その隙間からこぼれる息が白くたなびいては消えていた。

「っくし……あー…クソ」

 酒臭いくしゃみをひとつして、ヴォーレフはその体を雪の下からずるりと引きずり出した。軽すぎる体をひょいと肩に担ぎ上げる。戦場の前線で戦っていた過去を持つ彼にとっては、怪我をした同胞よりも軽くて持ちやすいな、というていどのものだった。

 拾ったものの、連れ帰ってどうこうしようという意図はなにもなかった。ただ、街にひしめく家々の窓からは穏やかな明かりがこぼれている。それなのに暗く冷たい雪の上で誰にも気づかれずにいた少年が、昔の自分を思い起こさせたからだった。

 物心ついたころから両親や兄弟はおらず、家と呼べるような場所もなかった。出来る仕事をなんでもしているうちに、腕っぷしの強さと物おじしない性格を買われて十二歳で傭兵の仕事をもらえるようになった。

 国内外では戦争がひっきりなしに起きていたおかげで傭兵稼業に困ることはなく、戦いに参加しているうちに軍の関係者に声をかけられて、国王軍に所属することになった。十三歳の時だった。それから十三年、朝から晩まで戦場をひた走り、いとまなく戦い続けた。

 ところが、いつまでも争いは続かない。

 戦いを重ねて互いに疲弊していくうち、その他の近隣諸国が目を光らせ始めたのだ。このままではより弱った方から、こちらの戦いを眺めている他国に攻め入られかねない。そういった背景から、何年も続いていた戦争は上から水をたたきつけられた火のように沈静化した。

 だが、ヴォーレフにとっては朗報などではない。これまで戦場で生きてきたのだ。あのままスラムにいたところで、いつまでも廃墟に住み着いて泥水をすするような生活がずるずるち続いていたはずだ。戦争があってこその傭兵稼業でなければ、腕一本でのし上がることはできなかった。その戦争がなくなるということは、食い扶持を失うも同然だった。

 戦場を失ったヴォーレフだったが、更にヴォーレフはその腕で得た誇りをも失った。左の胸が重くなるほどに得てきた勲章をすべて奪われたのだ。更には、まったく関係のない将軍の罪をかぶることになった。

「ヴォーレフ・ランド。お前に土地と建物をこれまでの功績の報奨として進呈する。だがこれは、イゼル将軍のおこなったレーメル国第三王子隊討伐をお前主導のもとということにする対価でもある。……お前がこの先、罪を犯した場合は、土地建物はすべて没収となる。意味がわかるな?」

 要するに、体のいい厄介払いと制圧だった。

 いまや同盟国となった王国の王子を手にかけた将軍の罪をかぶり、その罪により今までに得た勲章を剥奪される。その代わりに家と土地をやるから、それさえも取り上げられたくなければ、これからは問題を起こさずに静かに過ごせという脅しだ。

 ヴォーレフは、家も土地もいらなかった。なんなら金も、自分が食っていられる程度あればいらなかった。けれど、平和に向けて歩き始めた国に戦争で活躍した傭兵など必要ない。せめて軍隊に残ろうと、軍の兵舎から追い出される今朝まで足掻いてはみたが、上官からの返答は変わらなかった。ヴォーレフは懲戒としての除籍という不名誉極まりないでっちあげの理由で排斥された。

 目の前が赤く染まるほどの怒りなど、人生において最初で最後だったかもしれない。

 堪えられずに上官に殴りかかり、部屋中を暴れまわって兵士三人がかりで抑えられて城外に放り出された。それでも食ってかかったが、これ以上逆らうようならと銃口さえいくつも向けられるとさすがにかなわない。ヴォーレフは軍から去らざるを得なかった。

 怒りに頭はぐらぐらするし、よほど人相が荒々しくなっていたのだろう。通りを歩けば人々が道を開け、それにすらいらいらしながらも、とりあえずヴォーレフが向かったのは過去に得た勲章や理不尽な冤罪と引き換えに得た家だった。兵舎からも追い出された今となっては、そこしか行き先がなかったというのもあった。

 門やら玄関やら倉庫やら、やたらと数のある鍵と一緒に渡されていた地図を手に家を探すと、街はずれの屋敷に行き当たった。大きな鉄門の鍵を開けて入った先には、広大な敷地と二階建ての石造りの邸宅、井戸と厩舎、少し向こうには今は何も植えられていない畑があった。

 郊外ではあるものの、この土地建物をもらったのが一般市民ならば、大喜びしただろう。けれどヴォーレフに家族はいないし、なにかしら爵位があるわけでもない。仲間はいたが、友だちもそれほどいない。立派な家をもらったところで一緒に住む相手もいなければ、招く客人も思い浮かばない。巨大な家など持てあますことは明白で、広い敷地も馬を走らせられるなという程度にしか思わなかった。

 結局、その時は家には入らなかった。そのまま踵を返し、報奨金の手続きをするようにと渡されていた小切手を手に換金所へと行った。そこでは大人の頭でもひとつかみできるほど大きなヴォーレフの手のひらを二枚広げてようやく一つが収まるほどの布袋を二つ受け取った。ずしりと重いそれには、一生遊んで暮らせるほどの札束が詰まっていた。

 戦争どころか仕事などせずとも、ヴォーレフには立派な家と広い土地、大金がある。けれどそれらが、ヴォーレフにとってはかけがえのなかった血と怒号と喧騒にまみれた戦場での十三年間と引き換えになったと思うと、苛立ちは募るばかりだった。

 どうにも耐え切れず、とんでもない大金を収めた布袋を持ったまま、酒を飲みに走った。浴びるほど酒を飲み、しまいにはうっかりぶつかった客と小競り合いになって暴れまわり、店の備品を壊したと店主になじられた。それがまた頭にきて、二枚もあれば一般家庭の一ヵ月分の収入になる紙幣を五枚カウンターにたたきつけて店を出た。店主は怒鳴り声を上げかけたが、大金を見るなり口をつぐみ、怒声がヴォーレフの背を追いかけることはなかった。

 酔ってふらふらとした足取りの男が、大金の覗き見える布袋など脇に抱えていれば、物盗りやごろつきが目をつけてきそうなものだったが、ヴォーレフは人より頭ひとつほども大きい巨躯であるうえに強面だ。鍛え抜かれてがっしりと逞しい体躯や険しい表情と眉間の右側から左頬にかけて斜めに走った傷跡、それに不機嫌があいまって人相は相当に悪く、誰も関わり合いになろうとはしなかった。

 昼過ぎから降り始め、あっという間に地面を覆った雪を軍化の底で蹴りながら、なにひとつ晴れはしない心持ちで、ヴォーレフは帰路へついた。帰るとはいっても、ヴォーレフが戻ることが出来るのは、慣れ親しんだ狭く古い兵舎ではない。どこぞの貴族が売りに出したというものの、真新しく内装を整えられて新しい主人を待つ望みもしない新居だ。その事実にさえ眉間のしわを深めながら郊外へ向かう、徐々に民家がまばらになっていく静かな道を歩いている最中に、ヴォーレフは少年を拾ったのだった。

 貧富の差が激しい街では、行き倒れている子どもなどそう珍しいものではない。家を追い出されて路上で変わり果てた姿で見つかる者、そもそも定住する家などなく他人の軒先で眠るように息を引き取る者を、ヴォーレフは何度も見てきた。それはまだただの孤児であった頃のヴォーレフの仲間であったり、通りすがりに見かけた見知らぬ死体だったりした。

 そんな風に死は常に近くにあるものだったから、ヴォーレフは少年が死んでも残念だとは思わない。

 けれど、酔いに任せて拾った少年が家で死んだらどうすればいいだろう。

 そんなことさえ新居に少年を抱えて戻るまで思いつかないほど酔いが回っていたヴォーレフだったが、まったく間取りのわからない新居をうろうろと歩き回ってようやく見つけた居間で、火もない暖炉の前にずるりとおろした少年の白い頬を見ると、そうも言っていられなくなる。

 幸いにも暖炉のすぐそばには薪と火おこしに使える乾燥茸、火打ち石があった。すぐに火を熾した。パチパチと爆ぜる火を前に、ぐったりと寝ころんだままの少年はもはや死んでいるように見えた。まつ毛の先さえも動かず、濡れてへたり込んでいる金茶の髪からは融けた雪が伝って、敷かれた絨毯の長生足をもじっとりと濡らしていた。

 もし死んでいたら、自警団に引き渡そうとヴォーレフはソファに体を沈めながら思った。そのことで万が一ヴォーレフが殺したと思われても、それでいい。どうせこの先、生きている意味などない。けれど、もし生きていたらどうしようか。そのまま追い出すか、それとも―――

「……小間使いにするか」

 屋敷は広いが、さっき歩き回った時、人の気配は全くなかった。しんと静まり返った家は暗く寒く、ヴォーレフと生死不明の少年以外は誰もいなかった。おそらくメイドや執事なんてのはいないのだろう。それなら、小間使いにして雇うのもいい。幸いにして、ヴォーレフには金がある。

 なんにせよ、もう夜半だ。今日は二度も暴れまわったし、酒をたらふく飲んでいるせいもあって眠い。もう今日からは、兵舎での宿直なんてものもないのだ。

 ため息と同時に体の力を抜いて、そのまま目を閉じる。瞼の向こうでは炎が揺らめいていたが、すぐに訪れた睡魔にあらがわず、ヴォーレフはそのまま眠りに落ちた。

 窓の外では、相変わらず雪が降り続いていた。


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