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第五章・帝国の王女
681.Side Story:Iliode
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「──であるからして」
「この件につきまして報告が」
「当主様にお聞きしたいことが……」
「予算の振り分けは如何なさいますか?」
「侯爵様」
「侯爵様!」
「アランバルト様──……」
私はこの場に不必要な存在だと、心より思う。そもそも私は領地の運営に関与していなければ、侯爵家やその縁筋──ランディグランジュの家業などにも一切関わっていない。そのような事実上の部外者が、現侯爵アランバルトの弟というだけでこの席に座り続けることを強要されることに、理解がてんで及ばない。
必要とされているのはアランバルトだけだろう。何一つ自主的には発言せず、ただの置き物と化している男など邪魔ではなかろうか。……そうは思っていても、アランバルトが『お前もランディグランジュの一員なんだから、たまにはちゃんと参加しろ』と言い募るものだから。
侯爵直々の命とあらば、未だにランディグランジュを名乗ってしまっている以上無視することなど不可能で。長ったらしい元老会議の間、ただひたすらに紅茶を飲み続けていた。
早く我が主の元に戻りたい。あのいけすかない執事一人に王女殿下のお世話と護衛を任せてなどおけん。性根が捻くれたルティのことだ、どうせ後で散々自慢される。やれあの時の主君が素晴らしかっただの、やれあの時の主君が麗しかっただの。
みなまで言われずとも、その程度の常識など私の方がよく理解しているが。ああも自慢げに語られたところで、理解しているから全く悔しくなどないが。
羨ましくなどない。ないのだが、それはそれとして非常に腹が立つ。私が王女殿下にお仕えできなかった間もこの男は我が主の傍にいたのだと、改めて事実を突きつけられて……ディオ達風に言えば、『クソムカつく』のだ。
だからこそ。
「──あら! こんにちは、イリオーデ様。今日は珍しく機嫌がよろしいようですね」
元老会議から解放された私は、晴れ晴れとした気持ちで颯爽と荷造りを終え、すぐにでもこの領主城を後にしようとしていた。
そうして馬を拝借しようと厩舎へと向かっていた際、一人で素振りをしている彼女と遭遇したのだ。
「……ご機嫌麗しく、リズベット嬢」
「その荷物……もうお帰りになるのですか?」
「あぁ。元老会議が終わった以上、私がここに留まる必要は無いので」
「そうですか。では最後に一度だけ! お手合わせしていただいてもよろしいでしょうか! アランバルト様から、イリオーデ様は剣の天才だと伺っておりますので……!」
彼女は期待に満ちた目を爛々と輝かせ、こちらを見上げてくる。
近々私の義姉となる伯爵令嬢、リズベット・キレン。実家の借金をどうにかすべく単身騎士学校に乗り込み、武勲を立てようとしていたらしい、花や手芸より剣と体術が好きだと言う随分と逞しい令嬢だ。
アランバルトからは普通の伯爵令嬢と聞いていたが、やはり普通ではない。だが……帝国の剣の奥方となるのなら、それぐらいでなければ。血を見ただけで叫ぶような軟弱な者は、アランバルトの妻として相応しくなかろう。
私としても逞しい婦人の方が好ましい。王女殿下程の強さは求めないが、まあ、強ければ強い程良いだろう。
「…………では、少しだけ」
「! ありがとうございます、イリオーデ様!」
荷物が入ったトランクを地面に置き、対峙するように彼女との距離を確保してから長剣を構える。
「いつでもどうぞ、レディ」
「よろしくお願いしますわ!」
告げると、令嬢ながらもしっかりと剣を構えて彼女は突撃してきた。
♢♢♢♢
「……──つ、つよい……! 流石は王女殿下の騎士……!!」
「当然だ。私は王女殿下の騎士として、誰が相手だろうが勝ちを譲ってはならないので」
「ひゃー……息一つきれてないし、汗もかいてない……やっぱり凄いですねイリオーデ様は」
肩で息をしながら、リズベット嬢は清々しい表情で笑った。と、そこへあの男がやってくる。
「イリオーデ! こんな所に……って、リズベット嬢まで。一体何、を……」
言いながら視線を下に落とし、アランバルトはすぐさま何かを察したようで、苦笑した。
「リズベット嬢、イリオーデとの手合わせはどうだった? この天才の相手は中々に骨が折れただろう」
「正直に言えば物凄く大変でした。手加減していただいているのに、それでも剣を受け流すので精一杯で……でもですね、アランバルト様!」
「ん?」
「イリオーデ様、手合わせをしながらご指導してくださったんです! この僅かな時間に私の弱点を見抜き、それを克服する術を授けてくださったんですよ、イリオーデ様が!」
「そうなのか。それはよかっ……え? い、イリオーデが? 指導……!?」
泥酔して笑っている父を見た時のような顔をしないでほしい。そしてその顔でこちらを凝視しないでほしい。癪だ。
「ど、どうしたんだイリオーデ。指導なんてそんな、柄にも無い……そんなに元老会議に参加させ続けたことが負担だったのか? しばしば頭に異常が発生するぐらい……?」
「失礼にも程があるぞアランバルト。私だって他者に助言することはある。有望な者であれば尚更だ」
「……俺の知らないイルだ。大人になったんだな、イル…………」
本当に失礼な男だな。実兄でなければこの場で地に沈めていたぞ。
「お二人は、仲がよろしいんですね」
「「!?」」
「なあんだ、アランバルト様の勘違いじゃないですか。あんなに、『俺は弟に嫌われ──』っ」
「ちょっと待ってくれリズベット嬢それ以上は! どうか!」
「はんれへふはー?」
何かを口走ったらしいリズベット嬢の口を、アランバルトは青い顔で慌てて塞いだ。その後も暫く、二人はあれやこれやと言い合っていたが……随分と、仲が良いようだ。
「…………よかった」
ぽつりと。気がつけば、思いもよらぬ言葉がこぼれ落ちていた。
「何か言ったか、イリオーデ」
「どうされました?」
兄夫婦が会話を中断し、こちらに意識を向けた。これは悪いことをしたと思い、私は胸に手を当てて腰を曲げ、告げる。
「──出戻りした身分でありながら、長らく世話になりました。これにて私は帝都に戻り、職務へ復帰して参ります」
はっと息を呑むアランバルト達に向け、私はずっと伝え損ねていた言葉を放った。
「アランバルト・ドロシー・ランディグランジュ侯爵、並びに奥方のリズベット・ドロシー・ランディグランジュ侯爵夫人におかれましては、これからの日々がより輝かしく、そして華々しいものであられますこと、微力ながらも願っております。そして、遅ればせながら──この言葉を以て、お二人の新たな門出を祝福させていただきたく存じます」
二人は瞬いていた。身内相手にここまで畏まることなどそうそうないからだろうか。
何かと、苦労と……心配をかけていた我が兄。どうかお前がありふれた幸福を手に入れて、私よりも長く生きることを、願っている。
「リズベット嬢……いや、義姉さん。どうか、アランバルト兄さんをよろしくお願いします」
「! 勿論ですわ! アランバルト様のことは私が絶対に幸せにしてみせます! ですので……こちらこそ、不出来な義姉ですがよろしくお願いします」
言って、彼女は握手を求めてきた。
……よかった。アランバルトの奥方が、リズベット嬢のような婦人で。彼女ならばきっと、アランバルトを幸せにしてくれるだろう。
「イル……リズベット嬢…………」
感動でもしたのか瞳を潤ませ、アランバルトはぽつりとこぼす。
「……奥方の前で無様な顔をするな、情けない」
「し、仕方ないだろぉっ!? だってお前が、お前から、あんな言葉を聞けるなんて……思ってなかったんだ……それに、また兄さんって…………」
「私をなんだと思っているんだ」
元老会議の期間中一度も伝えてこなかったから、そう思われても仕方はないだろうが……それはそれとして失礼だな。
「では、私はこれにて失礼します。──私が死ぬより先に破局したら、一族の恥部と罵ってやる。努努忘れるなよ、アランバルト……兄さん」
「そうならないように最善を尽くすさ。だからお前も……兄より先に死ぬような兄不孝な真似はしないでくれよ、イル」
「──最善を尽くそう」
別れらしい別れは告げないまま、馬に跨り領主城を後にする。
王女殿下のお傍に戻れる喜びと、我が兄の吉報の喜び。二つの幸福な感情により、私の口元は自然と弧を描いていた。
♢♢
「ねぇ、アランバルト様。全然嫌われてなんかないじゃないですか。寧ろ、イリオーデ様はかなりアランバルト様のことを気にかけていましたよ?」
「……そう、みたいだ」
「ふふっ。涙、拭いてあげましょうか?」
「大丈夫、大丈夫だ……」
情けない。こんな簡単に泣いてしまうなんて。いくら現役の騎士でないとはいえ、これではランディグランジュの名折れではないか。
だとしても、
「俺、ちゃんと兄としてあいつに慕われてたんだなあ……俺のこれまでは、無意味じゃなかったんだ……」
この涙だけは止められない。止めたくない。
可愛いけど全然かわいくない、俺の弟。なあ、イル──……俺、ちゃんとお前の兄さんをやれてるのかな。そうだとしたら……本当に、凄く嬉しいんだが。
「この件につきまして報告が」
「当主様にお聞きしたいことが……」
「予算の振り分けは如何なさいますか?」
「侯爵様」
「侯爵様!」
「アランバルト様──……」
私はこの場に不必要な存在だと、心より思う。そもそも私は領地の運営に関与していなければ、侯爵家やその縁筋──ランディグランジュの家業などにも一切関わっていない。そのような事実上の部外者が、現侯爵アランバルトの弟というだけでこの席に座り続けることを強要されることに、理解がてんで及ばない。
必要とされているのはアランバルトだけだろう。何一つ自主的には発言せず、ただの置き物と化している男など邪魔ではなかろうか。……そうは思っていても、アランバルトが『お前もランディグランジュの一員なんだから、たまにはちゃんと参加しろ』と言い募るものだから。
侯爵直々の命とあらば、未だにランディグランジュを名乗ってしまっている以上無視することなど不可能で。長ったらしい元老会議の間、ただひたすらに紅茶を飲み続けていた。
早く我が主の元に戻りたい。あのいけすかない執事一人に王女殿下のお世話と護衛を任せてなどおけん。性根が捻くれたルティのことだ、どうせ後で散々自慢される。やれあの時の主君が素晴らしかっただの、やれあの時の主君が麗しかっただの。
みなまで言われずとも、その程度の常識など私の方がよく理解しているが。ああも自慢げに語られたところで、理解しているから全く悔しくなどないが。
羨ましくなどない。ないのだが、それはそれとして非常に腹が立つ。私が王女殿下にお仕えできなかった間もこの男は我が主の傍にいたのだと、改めて事実を突きつけられて……ディオ達風に言えば、『クソムカつく』のだ。
だからこそ。
「──あら! こんにちは、イリオーデ様。今日は珍しく機嫌がよろしいようですね」
元老会議から解放された私は、晴れ晴れとした気持ちで颯爽と荷造りを終え、すぐにでもこの領主城を後にしようとしていた。
そうして馬を拝借しようと厩舎へと向かっていた際、一人で素振りをしている彼女と遭遇したのだ。
「……ご機嫌麗しく、リズベット嬢」
「その荷物……もうお帰りになるのですか?」
「あぁ。元老会議が終わった以上、私がここに留まる必要は無いので」
「そうですか。では最後に一度だけ! お手合わせしていただいてもよろしいでしょうか! アランバルト様から、イリオーデ様は剣の天才だと伺っておりますので……!」
彼女は期待に満ちた目を爛々と輝かせ、こちらを見上げてくる。
近々私の義姉となる伯爵令嬢、リズベット・キレン。実家の借金をどうにかすべく単身騎士学校に乗り込み、武勲を立てようとしていたらしい、花や手芸より剣と体術が好きだと言う随分と逞しい令嬢だ。
アランバルトからは普通の伯爵令嬢と聞いていたが、やはり普通ではない。だが……帝国の剣の奥方となるのなら、それぐらいでなければ。血を見ただけで叫ぶような軟弱な者は、アランバルトの妻として相応しくなかろう。
私としても逞しい婦人の方が好ましい。王女殿下程の強さは求めないが、まあ、強ければ強い程良いだろう。
「…………では、少しだけ」
「! ありがとうございます、イリオーデ様!」
荷物が入ったトランクを地面に置き、対峙するように彼女との距離を確保してから長剣を構える。
「いつでもどうぞ、レディ」
「よろしくお願いしますわ!」
告げると、令嬢ながらもしっかりと剣を構えて彼女は突撃してきた。
♢♢♢♢
「……──つ、つよい……! 流石は王女殿下の騎士……!!」
「当然だ。私は王女殿下の騎士として、誰が相手だろうが勝ちを譲ってはならないので」
「ひゃー……息一つきれてないし、汗もかいてない……やっぱり凄いですねイリオーデ様は」
肩で息をしながら、リズベット嬢は清々しい表情で笑った。と、そこへあの男がやってくる。
「イリオーデ! こんな所に……って、リズベット嬢まで。一体何、を……」
言いながら視線を下に落とし、アランバルトはすぐさま何かを察したようで、苦笑した。
「リズベット嬢、イリオーデとの手合わせはどうだった? この天才の相手は中々に骨が折れただろう」
「正直に言えば物凄く大変でした。手加減していただいているのに、それでも剣を受け流すので精一杯で……でもですね、アランバルト様!」
「ん?」
「イリオーデ様、手合わせをしながらご指導してくださったんです! この僅かな時間に私の弱点を見抜き、それを克服する術を授けてくださったんですよ、イリオーデ様が!」
「そうなのか。それはよかっ……え? い、イリオーデが? 指導……!?」
泥酔して笑っている父を見た時のような顔をしないでほしい。そしてその顔でこちらを凝視しないでほしい。癪だ。
「ど、どうしたんだイリオーデ。指導なんてそんな、柄にも無い……そんなに元老会議に参加させ続けたことが負担だったのか? しばしば頭に異常が発生するぐらい……?」
「失礼にも程があるぞアランバルト。私だって他者に助言することはある。有望な者であれば尚更だ」
「……俺の知らないイルだ。大人になったんだな、イル…………」
本当に失礼な男だな。実兄でなければこの場で地に沈めていたぞ。
「お二人は、仲がよろしいんですね」
「「!?」」
「なあんだ、アランバルト様の勘違いじゃないですか。あんなに、『俺は弟に嫌われ──』っ」
「ちょっと待ってくれリズベット嬢それ以上は! どうか!」
「はんれへふはー?」
何かを口走ったらしいリズベット嬢の口を、アランバルトは青い顔で慌てて塞いだ。その後も暫く、二人はあれやこれやと言い合っていたが……随分と、仲が良いようだ。
「…………よかった」
ぽつりと。気がつけば、思いもよらぬ言葉がこぼれ落ちていた。
「何か言ったか、イリオーデ」
「どうされました?」
兄夫婦が会話を中断し、こちらに意識を向けた。これは悪いことをしたと思い、私は胸に手を当てて腰を曲げ、告げる。
「──出戻りした身分でありながら、長らく世話になりました。これにて私は帝都に戻り、職務へ復帰して参ります」
はっと息を呑むアランバルト達に向け、私はずっと伝え損ねていた言葉を放った。
「アランバルト・ドロシー・ランディグランジュ侯爵、並びに奥方のリズベット・ドロシー・ランディグランジュ侯爵夫人におかれましては、これからの日々がより輝かしく、そして華々しいものであられますこと、微力ながらも願っております。そして、遅ればせながら──この言葉を以て、お二人の新たな門出を祝福させていただきたく存じます」
二人は瞬いていた。身内相手にここまで畏まることなどそうそうないからだろうか。
何かと、苦労と……心配をかけていた我が兄。どうかお前がありふれた幸福を手に入れて、私よりも長く生きることを、願っている。
「リズベット嬢……いや、義姉さん。どうか、アランバルト兄さんをよろしくお願いします」
「! 勿論ですわ! アランバルト様のことは私が絶対に幸せにしてみせます! ですので……こちらこそ、不出来な義姉ですがよろしくお願いします」
言って、彼女は握手を求めてきた。
……よかった。アランバルトの奥方が、リズベット嬢のような婦人で。彼女ならばきっと、アランバルトを幸せにしてくれるだろう。
「イル……リズベット嬢…………」
感動でもしたのか瞳を潤ませ、アランバルトはぽつりとこぼす。
「……奥方の前で無様な顔をするな、情けない」
「し、仕方ないだろぉっ!? だってお前が、お前から、あんな言葉を聞けるなんて……思ってなかったんだ……それに、また兄さんって…………」
「私をなんだと思っているんだ」
元老会議の期間中一度も伝えてこなかったから、そう思われても仕方はないだろうが……それはそれとして失礼だな。
「では、私はこれにて失礼します。──私が死ぬより先に破局したら、一族の恥部と罵ってやる。努努忘れるなよ、アランバルト……兄さん」
「そうならないように最善を尽くすさ。だからお前も……兄より先に死ぬような兄不孝な真似はしないでくれよ、イル」
「──最善を尽くそう」
別れらしい別れは告げないまま、馬に跨り領主城を後にする。
王女殿下のお傍に戻れる喜びと、我が兄の吉報の喜び。二つの幸福な感情により、私の口元は自然と弧を描いていた。
♢♢
「ねぇ、アランバルト様。全然嫌われてなんかないじゃないですか。寧ろ、イリオーデ様はかなりアランバルト様のことを気にかけていましたよ?」
「……そう、みたいだ」
「ふふっ。涙、拭いてあげましょうか?」
「大丈夫、大丈夫だ……」
情けない。こんな簡単に泣いてしまうなんて。いくら現役の騎士でないとはいえ、これではランディグランジュの名折れではないか。
だとしても、
「俺、ちゃんと兄としてあいつに慕われてたんだなあ……俺のこれまでは、無意味じゃなかったんだ……」
この涙だけは止められない。止めたくない。
可愛いけど全然かわいくない、俺の弟。なあ、イル──……俺、ちゃんとお前の兄さんをやれてるのかな。そうだとしたら……本当に、凄く嬉しいんだが。
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