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第五章・帝国の王女
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どれだけ努力しても無駄だ。
僕の万の努力は、姉さんの一の鍛錬にも及ばない。
『───貴様を弟などと思った事はこれまでの過去で一度もないし、これより先の未来でも一度もない』
ドレスではなく軍服を身に纏い、その女は僕を冷酷に見下ろした。
『近衛隊に入隊したから何だ。たかがそれしきの事で、貴様が誉れ高きイーター家の面汚しである事実に変わりはない』
確かに僕は、貴女と比べてかなり弱い。圧倒的な武の才を持つ貴女からすれば、僕など箸にも棒にもかからない存在だろう。……だけど、憧れていた。誰よりも、貴女の才能に魅せられていた。
だからこそ、僕は血の滲む努力をした。その末になんとか女王近衛隊に入隊したのに。
姉さんは、それでも僕を認めてくれない。
『何をするも貴様の自由だが、これ以上イーターの名に泥を塗るなよ』
……ああ、分かったよ。どこまでも、いつまでも認めて貰えないのなら。僕は僕の自由にする。
姉さん。いつか、貴女を──……。
♢♢
女王近衛隊には、圧倒的な武勇を誇る姉弟がいる。
第一部隊|《マエストーソ》部隊長、過去を呑む妖精エディエラと、第五部隊|《フリオーソ》部隊長、未来を喰う妖精アドラ。
姉のエディエラは歴代最速で部隊長にまで出世し、女王近衛隊隊長ラヴィーロの右腕として、“雨の戦争”にて反逆者の多くを屠った。
弟のアドラは時期に恵まれず、参戦こそはしていないものの。犯罪者の検挙等で着実に成果を重ね、部隊長の座を勝ち取った。
古くからの功臣イーター家の者である彼女等は、当然のように女王近衛隊に入隊し、その力を遺憾無く発揮してきた。
そしてそれは、世界が違えど変わらない。
「……弱いな。この程度の実力で女王陛下に仇なすとは、片腹痛い」
大剣を木の枝のように振り回す、大きな一角を持つ赤髪の美女──エディエラは告げた。
見下す視線の先には、黒髪の兄弟が蹲っていた。どちらも腕や腹部に大きな傷があり、黒い制服に血が広がっている。
「……どうしよう、兄ちゃん。あの女、僕達と相性が悪過ぎるよ」
「そうだね。闇の魔力が一切効かないとなると、俺達は純粋な武力で戦うしかないから……骨が折れそうだ」
影と精神を操る闇の魔力。希少なそれを持つ兄弟、偽名ルティ──アルベルトと、その弟エルハルト──偽名サラ。彼等は前代未聞の敵と遭遇していた。
エディエラの固有奇跡、軌跡解析は相手の過去の全てを否定する。
努力も、研鑽も、経験も、知識も、技術も、何もかも全て──。故に、彼女と対峙した者は等しく無力になり、等しく地に伏せる事となる。
それは当然、人間も例外ではない。
アルベルトとサラはエディエラと対峙した瞬間、闇魔法の多くを使えなくなり、更には戦闘技術まで奪われ、単純な戦闘すらままならなくなった。
その為、諜報部の精鋭であるこの二人が、ここまでの不覚を取られるに至ったのだ。
秀才では磨き上げたその才を取り上げられ、凡才に成り下がる事を強制される。
彼女の前に立てるのは、真なる天才のみ。
アルベルトとサラは──どちらも努力を積み重ねて現在の境地に至った、秀才の部類だ。故に、彼等はこれまでの努力全てを否定され、一方的に嬲られていた。
(……魔法が使えなくなったけれど、僕の呪い自体は発動している。あの女、一体何をしたんだ……?)
サラがその魂に宿している呪い、呪刻:劣等反証。彼が敵であるエディエラを嫌悪している為か、生まれ持った呪いは発動し、効果を見せる。
嫌悪する相手よりも絶対に強くなる呪い──なのだが、今の彼は軌跡解析の影響で戦い方がわからないので、惜しくも意味が失われてしまった。
その状況が、サラに更なる混乱を与える。
「疾く死ぬがよい。凡才たる貴様等に費やす時間など、私にはないのだ」
告げて、エディエラは大剣を傾けた。
そしてごうっと風を押しのけて突進する。妖精の膂力から放たれた速度は凄まじく、瞬く間にアルベルト達の目と鼻の先に辿り着き、得物を振り上げた。
狙われたのは、腹部の傷の影響で思うように動けないアルベルト。そしてその光景は、サラにとってはトラウマに近しいもので。
「兄ちゃん!」
「────っ!?」
無意識のうちに、体が動いた。アルベルトを庇うべく、サラは彼に体当たりしたのだ。
(エル……?! 俺は、また────)
十数年前と同じ光景。あの時と同じように、自分を庇い弟が傷つく。
それを悟ったアルベルトは、まるで絶望したような顔で、唇を震えさせた。
「──情けないな、お前は」
キィンッ! と剣と剣がぶつかる音がする。
エディエラが目を丸くすると同時に彼等の前に現れたのは、青空よりも濃い青の髪の、騎士。
「王女殿下の下僕ならば、主人の元に戻るまでが仕事のうちだろう。──勝手に野垂れ死ぬ事は許さないぞ」
「騎士、くん……!」
エディエラの一太刀を受け止めたのは、イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。彼は重たい一撃を防ぎながらも、暗い表情を見かねて、アルベルトに激励の言葉を送った。
それにはさしものアルベルトも恩義を感じ、しかし、負い目から俯きがちになる。
「シャルルギル、彼等を頼む」
「あぁわかった! 二人とも、こっちに来い。応急手当を…………ルティは俺が運ぶが、サラは一人で歩けるか?」
「う、うん。軽く走るぐらい、なら」
「そうか、なら急ごう」
イリオーデの背を追うように現れたシャルルギルが、特に傷が深いアルベルトを見て、咄嗟の判断を下す。傷口に触れないようにアルベルトを抱え、シャルルギルはサラと共に一時離脱。
少しばかり離れた所で、怪我人二人の応急手当に着手した。
(私の剣が防がれた。それも、現在進行形で。この男の力は、生まれ持ったものなのだろうか)
膂力、技術、奇跡に恵まれた彼女の剣を受け止められた者は、過去においてたったの一体だけであった。
その一体というのは──ある、宝石のような男。
故に、驚いた。まさか人間界で、己と渡り合える者に出会えるとは夢にも思わなかったのである。
「フッ!」
ものの試しに。エディエラは大剣で曲線を描き、燕返しのような攻撃を放った。しかし、イリオーデは「甘い」と言って、全て防ぐ。
お試し感覚で繰り出した技だが、大抵の者はこの一撃で致命傷を喰らい、死に絶える。それが常であったエディエラにとって、これは目を見張る程の朗報だった。
「……貴殿、名はなんと言う」
「騎士ならば、己が先に名乗るのが礼儀ではないか」
「それもそうだ。私はイーター家が長女、女王近衛隊第一部隊|《マエストーソ》部隊長、エディエラだ」
「イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。王女殿下の剣だ」
「そうか。では、ランディグランジュ卿──……どうか、私の剣で死んでくれ」
「…………エディエラ卿──どうか、大人しく死んでくれ」
軍妖精と騎士が切っ先を向け合う。
彼女が他者に敬称を付けた。それ即ち、エディエラがイリオーデを騎士として認めたということ。それを察したイリオーデが騎士として礼儀を尽くした事で、ここは異質な空間となる。
「──ッ!!」
「──ハァッ!」
二人同時に地面を蹴り、天才同士の死闘が開戦した。
僕の万の努力は、姉さんの一の鍛錬にも及ばない。
『───貴様を弟などと思った事はこれまでの過去で一度もないし、これより先の未来でも一度もない』
ドレスではなく軍服を身に纏い、その女は僕を冷酷に見下ろした。
『近衛隊に入隊したから何だ。たかがそれしきの事で、貴様が誉れ高きイーター家の面汚しである事実に変わりはない』
確かに僕は、貴女と比べてかなり弱い。圧倒的な武の才を持つ貴女からすれば、僕など箸にも棒にもかからない存在だろう。……だけど、憧れていた。誰よりも、貴女の才能に魅せられていた。
だからこそ、僕は血の滲む努力をした。その末になんとか女王近衛隊に入隊したのに。
姉さんは、それでも僕を認めてくれない。
『何をするも貴様の自由だが、これ以上イーターの名に泥を塗るなよ』
……ああ、分かったよ。どこまでも、いつまでも認めて貰えないのなら。僕は僕の自由にする。
姉さん。いつか、貴女を──……。
♢♢
女王近衛隊には、圧倒的な武勇を誇る姉弟がいる。
第一部隊|《マエストーソ》部隊長、過去を呑む妖精エディエラと、第五部隊|《フリオーソ》部隊長、未来を喰う妖精アドラ。
姉のエディエラは歴代最速で部隊長にまで出世し、女王近衛隊隊長ラヴィーロの右腕として、“雨の戦争”にて反逆者の多くを屠った。
弟のアドラは時期に恵まれず、参戦こそはしていないものの。犯罪者の検挙等で着実に成果を重ね、部隊長の座を勝ち取った。
古くからの功臣イーター家の者である彼女等は、当然のように女王近衛隊に入隊し、その力を遺憾無く発揮してきた。
そしてそれは、世界が違えど変わらない。
「……弱いな。この程度の実力で女王陛下に仇なすとは、片腹痛い」
大剣を木の枝のように振り回す、大きな一角を持つ赤髪の美女──エディエラは告げた。
見下す視線の先には、黒髪の兄弟が蹲っていた。どちらも腕や腹部に大きな傷があり、黒い制服に血が広がっている。
「……どうしよう、兄ちゃん。あの女、僕達と相性が悪過ぎるよ」
「そうだね。闇の魔力が一切効かないとなると、俺達は純粋な武力で戦うしかないから……骨が折れそうだ」
影と精神を操る闇の魔力。希少なそれを持つ兄弟、偽名ルティ──アルベルトと、その弟エルハルト──偽名サラ。彼等は前代未聞の敵と遭遇していた。
エディエラの固有奇跡、軌跡解析は相手の過去の全てを否定する。
努力も、研鑽も、経験も、知識も、技術も、何もかも全て──。故に、彼女と対峙した者は等しく無力になり、等しく地に伏せる事となる。
それは当然、人間も例外ではない。
アルベルトとサラはエディエラと対峙した瞬間、闇魔法の多くを使えなくなり、更には戦闘技術まで奪われ、単純な戦闘すらままならなくなった。
その為、諜報部の精鋭であるこの二人が、ここまでの不覚を取られるに至ったのだ。
秀才では磨き上げたその才を取り上げられ、凡才に成り下がる事を強制される。
彼女の前に立てるのは、真なる天才のみ。
アルベルトとサラは──どちらも努力を積み重ねて現在の境地に至った、秀才の部類だ。故に、彼等はこれまでの努力全てを否定され、一方的に嬲られていた。
(……魔法が使えなくなったけれど、僕の呪い自体は発動している。あの女、一体何をしたんだ……?)
サラがその魂に宿している呪い、呪刻:劣等反証。彼が敵であるエディエラを嫌悪している為か、生まれ持った呪いは発動し、効果を見せる。
嫌悪する相手よりも絶対に強くなる呪い──なのだが、今の彼は軌跡解析の影響で戦い方がわからないので、惜しくも意味が失われてしまった。
その状況が、サラに更なる混乱を与える。
「疾く死ぬがよい。凡才たる貴様等に費やす時間など、私にはないのだ」
告げて、エディエラは大剣を傾けた。
そしてごうっと風を押しのけて突進する。妖精の膂力から放たれた速度は凄まじく、瞬く間にアルベルト達の目と鼻の先に辿り着き、得物を振り上げた。
狙われたのは、腹部の傷の影響で思うように動けないアルベルト。そしてその光景は、サラにとってはトラウマに近しいもので。
「兄ちゃん!」
「────っ!?」
無意識のうちに、体が動いた。アルベルトを庇うべく、サラは彼に体当たりしたのだ。
(エル……?! 俺は、また────)
十数年前と同じ光景。あの時と同じように、自分を庇い弟が傷つく。
それを悟ったアルベルトは、まるで絶望したような顔で、唇を震えさせた。
「──情けないな、お前は」
キィンッ! と剣と剣がぶつかる音がする。
エディエラが目を丸くすると同時に彼等の前に現れたのは、青空よりも濃い青の髪の、騎士。
「王女殿下の下僕ならば、主人の元に戻るまでが仕事のうちだろう。──勝手に野垂れ死ぬ事は許さないぞ」
「騎士、くん……!」
エディエラの一太刀を受け止めたのは、イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。彼は重たい一撃を防ぎながらも、暗い表情を見かねて、アルベルトに激励の言葉を送った。
それにはさしものアルベルトも恩義を感じ、しかし、負い目から俯きがちになる。
「シャルルギル、彼等を頼む」
「あぁわかった! 二人とも、こっちに来い。応急手当を…………ルティは俺が運ぶが、サラは一人で歩けるか?」
「う、うん。軽く走るぐらい、なら」
「そうか、なら急ごう」
イリオーデの背を追うように現れたシャルルギルが、特に傷が深いアルベルトを見て、咄嗟の判断を下す。傷口に触れないようにアルベルトを抱え、シャルルギルはサラと共に一時離脱。
少しばかり離れた所で、怪我人二人の応急手当に着手した。
(私の剣が防がれた。それも、現在進行形で。この男の力は、生まれ持ったものなのだろうか)
膂力、技術、奇跡に恵まれた彼女の剣を受け止められた者は、過去においてたったの一体だけであった。
その一体というのは──ある、宝石のような男。
故に、驚いた。まさか人間界で、己と渡り合える者に出会えるとは夢にも思わなかったのである。
「フッ!」
ものの試しに。エディエラは大剣で曲線を描き、燕返しのような攻撃を放った。しかし、イリオーデは「甘い」と言って、全て防ぐ。
お試し感覚で繰り出した技だが、大抵の者はこの一撃で致命傷を喰らい、死に絶える。それが常であったエディエラにとって、これは目を見張る程の朗報だった。
「……貴殿、名はなんと言う」
「騎士ならば、己が先に名乗るのが礼儀ではないか」
「それもそうだ。私はイーター家が長女、女王近衛隊第一部隊|《マエストーソ》部隊長、エディエラだ」
「イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。王女殿下の剣だ」
「そうか。では、ランディグランジュ卿──……どうか、私の剣で死んでくれ」
「…………エディエラ卿──どうか、大人しく死んでくれ」
軍妖精と騎士が切っ先を向け合う。
彼女が他者に敬称を付けた。それ即ち、エディエラがイリオーデを騎士として認めたということ。それを察したイリオーデが騎士として礼儀を尽くした事で、ここは異質な空間となる。
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