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第五章・帝国の王女
567.Main Story:Angel VS Kile
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忘れるという行為は、俺にとって救いであった。
思い出せないという事象は、俺にとって“当たり前”のものであった。
だから、うん。
こうして──その“当たり前”を恐れ、忘却を恨んだのは……数百年生きていて、初めての経験なのだ。
♢
「ぁああああああああああっ! いくら俺がチートでもコイツ等の相手は流石に無理ゲーだっつーの!!」
「騒々しいぞ、塵芥が。大人しく死ね」
絶対零度の魔剣を振るい、時には氷魔法で翻弄する。皇太子の猛攻に押され気味だからか、変人王子は醜く喚き散らしていた。
だがその情けない声とは打って変わって、あいつはたった一人で俺と皇太子二人の相手をしている。──それも、本気を出さずに。
どう考えても異常な数の魔力属性を使い分け、変人王子は俺と皇太子の攻撃を防ぐ。こちらがどれだけ変化球を繰り出そうが、あいつには何故か通用しない。『初見殺しか? 上等だ!』と不敵に笑い、奇想天外な魔法で対応しやがるのだ。
その厄介さたるや。もう既に、少しばかり面倒になってきた程。
そもそも俺はどうしてこいつと戦っているんだ? 俺、あいつの手伝いでわざわざこの国に来た筈なんだが……。
どういう経緯だったか、とこの数時間を振り返る。
その間も皇太子と変人王子は魔法や剣でしのぎを削っていて、目の前では何色もの魔法陣が輝きを放つ。様々な魔法が入り乱れ、色硝子のような幻想的な光が舞い踊り、その下では黒い魔剣と鋼の長剣が火花を散らしていた。
だがそれも長くは続くまい。時間が経てば経つ程、変人王子の顔色が悪くなってゆくのを、俺達は見逃さなかった。
皇太子もそれを分かっているのだろう。強烈な殺意を放ちつつも、堅実に持久戦に持ち込む姿勢が窺える。あのクソガキの息子とは思えん程に理性的だ。
「っ!?」
「手が悴んだか。この寒さの中では、人間は最良の状態を維持出来ない。──氷と戦闘に気を取られ、冷気に気づかなかったようだな、間抜け」
カランッ! と音を立てて落ちる変人王子の剣。その手は震え、皇太子の言葉通り悴んでいるようだ。
先程からこの辺り一帯に漂う冷気。吐く息は白く、魔法を発動し続けなければ、血──液体なんて瞬く間に凍てつく、季節外れの氷の国へと変わり果てていた。
これこそが皇太子の狙い。氷魔法を乱用する事で放出した冷気から意識を逸らし、且つ変人王子に魔法で応戦させる事で奴の魔力消費を誘う。
持久戦に持ち込み、冷気と魔力の過剰消費であいつの身体を徹底的に疲弊させてから、確実にその息の根を止めるつもりなのだろう。
「ふっ……んなモン、こわくともなんともねぇよ! そもそも俺はなぁ──火の魔力も持ってんだわ!!」
「チッ…………しぶとい奴め……!」
変人王子が足元に燃え盛る花々を咲かせる。それを見て、皇太子はぐっと顔を顰めた。
熱の所為──ではなく、正真正銘疲弊の証だろう。変人王子の頬にはぽつりぽつりと冷や汗が滲み出し、その呼吸も徐々に大きくなってゆく。
もはや俺に戦う意思はない(元々無かったのだが、あいつが邪魔をするので仕方なく戦っていた)し、被害が出る前に止めてやるか。後で国王に文句を言われても困るし。
「徒花よ、生命を吸い上げ咲き誇れ──氷華繚乱!」
「汝は魔女。汝は罪人。汝は架刑に処されし者。故に、汝はこの場にて死に至るだろう! 魂焦がす裁きの炎!!」
──あ、まずい。これ、二人共死ぬ。
肉体を突き破り鮮血を吸い上げる肉食の氷華を咲かせる魔法と、火炙りで死んだ罪人ように業火で命を焼き尽くす魔法。
直撃したら最後の、即死の魔法。
何度か死に目に遭い、世界の理によってその死を無かった事にされてきたから分かる。あれは、死ぬ。
どうする、どうすればいい? もしここでこいつ等が二人揃って死んだ日には──……、
『アンヘルも来てくれたんだ。朝弱いのに、ありがとう』
あいつは、笑わなくなるんじゃないのか?
俺なんて所詮、大多数の一人に過ぎないだろうが……それでも俺は、あの女に笑顔を向けられたい。名を呼ばれ、挨拶を交わす仲でありたい。
大勢の中の一人でもいいから、あの不憫な小娘の底抜けに明るい顔を──馬鹿みてぇに幸せそうな顔を、これから先も見たかった。
それが、叶わなくなるというのか?
誰かも分からない女の為にこんなにも焦るなんて、俺らしくない。だが──忘却された記憶が。思い出せない過去が。その誰かの為に動けとせっついてくる。
「……──!」
地面を蹴りながら手首を爪で切る。変人王子の襟首を掴んで跳躍し、足元に迫る氷の華を、血魔法で作った血板で押し留めた。
「アンヘル……!?」
「あぁクソ、血がごっそりなくなった。後で補充しないと…………無事か、変人。無事じゃなかったらぶん殴るぞ」
「なんで?!」
間抜けな面をしているが、とりあえずこのガキは無事のようだ。もう一人のガキは──……あちらも、大丈夫そうだ。
「──どうやら、我々は何かに間に合ったようですね」
「……そのようです」
巻き起こる竜巻に炎は連れ去られ、火の粉となりて舞い散る。皇太子を守るように立つのは、二人の男。
「ご無事ですか、フリードル殿下」
「……──ケイリオル卿。暫し不在とお聞きしていましたが、何故、ここに」
顔に布を着けた災害野郎と、青い髪の騎士。遠くで嘶く馬は、あいつ等に乗り捨てられてご立腹のようだ。
「何が起こるか分からないこの状況では即戦力が必要と判断し、ランディグランジュ領まで彼を迎えに行っていたのです」
「わざわざ、ランディグランジュの神童を……」
「はい。では、僕は城に戻ります。現状把握や軍事指揮等、やる事が山積みなので。失礼します、フリードル殿下」
早々に会話を切り上げ、布野郎は馬に跨り城へ向かう。
その時だった。キョロキョロと辺りを見渡す青髪の騎士に向け、変人王子が叫ぶ。
「いい所に来てくれたな、イリオーデ! ちょっと、フリードルの相手を頼んでもいいか?」
「……何故私が?」
「ソイツ、アミレスの邪魔してるんだよ! あと──ぶっちゃけ、俺は相性が悪い!!」
……──アミレス。喪われた記憶の中の誰かも、そんな名前だった気がする。
「皇太子殿下が王女殿下の邪魔を……!?」
「おう! つーか現状把握出来てる? 説明が必要なら今すぐ言ってくれ!」
「此方に向かう道中にて、ケイリオル卿から帝都で起きている事件については、粗方聞いている。特定の少女を見るな──と念押しされたのだが、この解釈で正しいか」
「俺もよく分かってねぇけど、その解釈で大丈夫っぽい! したっけ、フリードルの事は任せたぞ!!」
「了解した」
くるりと踵を返し、青髪の騎士は皇太子と対峙する。
それを見届けるやいなや、変人王子は瞬間転移で距離を取り、冷や汗の滲む面でこちらを見据えてきたものだから、丁度いいと一つ問う。
「なあ、変人。つい先程、おまえは『精神を狂わせることで人格改変を帳消しにする』と言っていたな?」
「え。この魔導具のことなら、まぁそうだけど……それがどうしたんだよ」
「ふぅん。いい事聞いたぜ」
「……?」
小首を傾げて訝しげにこちらを見つめてくる男は、無視しつつ。俺はあいつに倣い、とある博打に打って出た。
「……──忘却機構、停止」
「忘却って……おいアンヘル! お前がそんな事したら────!!」
精神を狂わせるのならば、この方法が手っ取り早い。
この身を守る為に忘れ続けた、数百年分の記憶と艱難辛苦──それを一度に受け入れたならば、容易に、精神崩壊を誘える程のものとなるだろう。
「────────ッ!! っぅ、ァ………………!」
これから俺は、生き地獄を味わう。その入口ですらこれ程の苦痛なのだ……さぞや、絶望的な責め苦を受ける事となるだろう。
死ぬ気で掴み取った救済を手放すなど、我ながら愚の骨頂だと思う。
だがそれでも。
そこまでしてでも──……俺は、顔も名も知らないあんたの事を思い出したいと、切にそう願ってしまったんだ。
思い出せないという事象は、俺にとって“当たり前”のものであった。
だから、うん。
こうして──その“当たり前”を恐れ、忘却を恨んだのは……数百年生きていて、初めての経験なのだ。
♢
「ぁああああああああああっ! いくら俺がチートでもコイツ等の相手は流石に無理ゲーだっつーの!!」
「騒々しいぞ、塵芥が。大人しく死ね」
絶対零度の魔剣を振るい、時には氷魔法で翻弄する。皇太子の猛攻に押され気味だからか、変人王子は醜く喚き散らしていた。
だがその情けない声とは打って変わって、あいつはたった一人で俺と皇太子二人の相手をしている。──それも、本気を出さずに。
どう考えても異常な数の魔力属性を使い分け、変人王子は俺と皇太子の攻撃を防ぐ。こちらがどれだけ変化球を繰り出そうが、あいつには何故か通用しない。『初見殺しか? 上等だ!』と不敵に笑い、奇想天外な魔法で対応しやがるのだ。
その厄介さたるや。もう既に、少しばかり面倒になってきた程。
そもそも俺はどうしてこいつと戦っているんだ? 俺、あいつの手伝いでわざわざこの国に来た筈なんだが……。
どういう経緯だったか、とこの数時間を振り返る。
その間も皇太子と変人王子は魔法や剣でしのぎを削っていて、目の前では何色もの魔法陣が輝きを放つ。様々な魔法が入り乱れ、色硝子のような幻想的な光が舞い踊り、その下では黒い魔剣と鋼の長剣が火花を散らしていた。
だがそれも長くは続くまい。時間が経てば経つ程、変人王子の顔色が悪くなってゆくのを、俺達は見逃さなかった。
皇太子もそれを分かっているのだろう。強烈な殺意を放ちつつも、堅実に持久戦に持ち込む姿勢が窺える。あのクソガキの息子とは思えん程に理性的だ。
「っ!?」
「手が悴んだか。この寒さの中では、人間は最良の状態を維持出来ない。──氷と戦闘に気を取られ、冷気に気づかなかったようだな、間抜け」
カランッ! と音を立てて落ちる変人王子の剣。その手は震え、皇太子の言葉通り悴んでいるようだ。
先程からこの辺り一帯に漂う冷気。吐く息は白く、魔法を発動し続けなければ、血──液体なんて瞬く間に凍てつく、季節外れの氷の国へと変わり果てていた。
これこそが皇太子の狙い。氷魔法を乱用する事で放出した冷気から意識を逸らし、且つ変人王子に魔法で応戦させる事で奴の魔力消費を誘う。
持久戦に持ち込み、冷気と魔力の過剰消費であいつの身体を徹底的に疲弊させてから、確実にその息の根を止めるつもりなのだろう。
「ふっ……んなモン、こわくともなんともねぇよ! そもそも俺はなぁ──火の魔力も持ってんだわ!!」
「チッ…………しぶとい奴め……!」
変人王子が足元に燃え盛る花々を咲かせる。それを見て、皇太子はぐっと顔を顰めた。
熱の所為──ではなく、正真正銘疲弊の証だろう。変人王子の頬にはぽつりぽつりと冷や汗が滲み出し、その呼吸も徐々に大きくなってゆく。
もはや俺に戦う意思はない(元々無かったのだが、あいつが邪魔をするので仕方なく戦っていた)し、被害が出る前に止めてやるか。後で国王に文句を言われても困るし。
「徒花よ、生命を吸い上げ咲き誇れ──氷華繚乱!」
「汝は魔女。汝は罪人。汝は架刑に処されし者。故に、汝はこの場にて死に至るだろう! 魂焦がす裁きの炎!!」
──あ、まずい。これ、二人共死ぬ。
肉体を突き破り鮮血を吸い上げる肉食の氷華を咲かせる魔法と、火炙りで死んだ罪人ように業火で命を焼き尽くす魔法。
直撃したら最後の、即死の魔法。
何度か死に目に遭い、世界の理によってその死を無かった事にされてきたから分かる。あれは、死ぬ。
どうする、どうすればいい? もしここでこいつ等が二人揃って死んだ日には──……、
『アンヘルも来てくれたんだ。朝弱いのに、ありがとう』
あいつは、笑わなくなるんじゃないのか?
俺なんて所詮、大多数の一人に過ぎないだろうが……それでも俺は、あの女に笑顔を向けられたい。名を呼ばれ、挨拶を交わす仲でありたい。
大勢の中の一人でもいいから、あの不憫な小娘の底抜けに明るい顔を──馬鹿みてぇに幸せそうな顔を、これから先も見たかった。
それが、叶わなくなるというのか?
誰かも分からない女の為にこんなにも焦るなんて、俺らしくない。だが──忘却された記憶が。思い出せない過去が。その誰かの為に動けとせっついてくる。
「……──!」
地面を蹴りながら手首を爪で切る。変人王子の襟首を掴んで跳躍し、足元に迫る氷の華を、血魔法で作った血板で押し留めた。
「アンヘル……!?」
「あぁクソ、血がごっそりなくなった。後で補充しないと…………無事か、変人。無事じゃなかったらぶん殴るぞ」
「なんで?!」
間抜けな面をしているが、とりあえずこのガキは無事のようだ。もう一人のガキは──……あちらも、大丈夫そうだ。
「──どうやら、我々は何かに間に合ったようですね」
「……そのようです」
巻き起こる竜巻に炎は連れ去られ、火の粉となりて舞い散る。皇太子を守るように立つのは、二人の男。
「ご無事ですか、フリードル殿下」
「……──ケイリオル卿。暫し不在とお聞きしていましたが、何故、ここに」
顔に布を着けた災害野郎と、青い髪の騎士。遠くで嘶く馬は、あいつ等に乗り捨てられてご立腹のようだ。
「何が起こるか分からないこの状況では即戦力が必要と判断し、ランディグランジュ領まで彼を迎えに行っていたのです」
「わざわざ、ランディグランジュの神童を……」
「はい。では、僕は城に戻ります。現状把握や軍事指揮等、やる事が山積みなので。失礼します、フリードル殿下」
早々に会話を切り上げ、布野郎は馬に跨り城へ向かう。
その時だった。キョロキョロと辺りを見渡す青髪の騎士に向け、変人王子が叫ぶ。
「いい所に来てくれたな、イリオーデ! ちょっと、フリードルの相手を頼んでもいいか?」
「……何故私が?」
「ソイツ、アミレスの邪魔してるんだよ! あと──ぶっちゃけ、俺は相性が悪い!!」
……──アミレス。喪われた記憶の中の誰かも、そんな名前だった気がする。
「皇太子殿下が王女殿下の邪魔を……!?」
「おう! つーか現状把握出来てる? 説明が必要なら今すぐ言ってくれ!」
「此方に向かう道中にて、ケイリオル卿から帝都で起きている事件については、粗方聞いている。特定の少女を見るな──と念押しされたのだが、この解釈で正しいか」
「俺もよく分かってねぇけど、その解釈で大丈夫っぽい! したっけ、フリードルの事は任せたぞ!!」
「了解した」
くるりと踵を返し、青髪の騎士は皇太子と対峙する。
それを見届けるやいなや、変人王子は瞬間転移で距離を取り、冷や汗の滲む面でこちらを見据えてきたものだから、丁度いいと一つ問う。
「なあ、変人。つい先程、おまえは『精神を狂わせることで人格改変を帳消しにする』と言っていたな?」
「え。この魔導具のことなら、まぁそうだけど……それがどうしたんだよ」
「ふぅん。いい事聞いたぜ」
「……?」
小首を傾げて訝しげにこちらを見つめてくる男は、無視しつつ。俺はあいつに倣い、とある博打に打って出た。
「……──忘却機構、停止」
「忘却って……おいアンヘル! お前がそんな事したら────!!」
精神を狂わせるのならば、この方法が手っ取り早い。
この身を守る為に忘れ続けた、数百年分の記憶と艱難辛苦──それを一度に受け入れたならば、容易に、精神崩壊を誘える程のものとなるだろう。
「────────ッ!! っぅ、ァ………………!」
これから俺は、生き地獄を味わう。その入口ですらこれ程の苦痛なのだ……さぞや、絶望的な責め苦を受ける事となるだろう。
死ぬ気で掴み取った救済を手放すなど、我ながら愚の骨頂だと思う。
だがそれでも。
そこまでしてでも──……俺は、顔も名も知らないあんたの事を思い出したいと、切にそう願ってしまったんだ。
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