上 下
631 / 766
第五章・帝国の王女

564.Main Story:Sara VS Allbert

しおりを挟む
 ──本当は、なんとなく分かっていた。
 ただ、全てから目を逸らしていたのだ。
 だって……この方が、僕は幸せになれると思ったから。


 ♢


「……殺しなよ」
「負けたくせに偉そうだね」
「負けたからこそだよ。──敗北し、生殺与奪の権を敵に握られた諜報員に、生きる資格は無い。そうでしょ?」
「…………」

 正しい事を伝えたのに、兄ちゃんは不満げに顔を顰めた。
 僕は今、兄ちゃんに組み敷かれ、地面に磔にされている。自決も許されない状況だ。そして、彼の手には麻痺毒が塗られた短剣ナイフが握られていて、今にも僕の喉を掻き斬らんと煌めいているのだが。
 容赦なく僕の事を負かしたというのに、ここに来て兄ちゃんは最後の詰めを、躊躇っている。

「ああそうだね。だったら、サラを生かそうが殺そうが俺の勝手だ」

 短剣ナイフを影の中にしまい、兄ちゃんは胸ぐらを掴んでこちらを睨みあげた。

「──サラ。今から俺は、君を傷つける言葉を吐く。君の命は俺が握ってるんだ……目を逸らさずに、ちゃんと最後まで聞いて」

 兄ちゃんの真剣な瞳がボロボロになった僕を映す。そして、彼は宣言通り、僕を傷つける言葉を口にした。

「本当は、分かってるんだろう? 今の自分がおかしいってこと──今、自分が洗脳されてるってこと。俺よりも精神干渉に長けたサラが、気づかない筈ないよね」
「────っ!」

 鈍器で頭を殴られたような気分だ。
 僕は闇の魔力の中でも、精神干渉が得意だ。潜入任務の時は高度な精神干渉を駆使して、潜入先の関係者全ての記憶を操作し、誰よりも簡単に潜入捜査を成功させてきた。
 言わば、精神干渉は僕の専門分野。だから本当は、兄ちゃんの言う通り気づいていたんだ。
 僕の記憶が、何者かによって改編された事に。

 ──あの夜。いつも通り神々の愛し子の監視任務についていた僕は……その日以降、彼女を愛するようになった。

 彼女を一目見た者全てに精神干渉して、その人格を歪める力。そう認識しながらも、僕はそれを受け入れた。無意識のうちに受け入れてしまったのだ。
 紛い物の夢心地に包まれて、そんな現状に満足し、現実から目を逸らす。そんな日々の方が不思議と以前より幸福に思えて……余計に、気づいていないふりをしてしまった。
 だけど。兄ちゃんは、そんな僕の怠慢に気がついたらしい。

「どうして何もしなかったの? サラならきっと、ある程度抵抗だって出来た筈だ。それなのになんで……っ、なんで、尊厳を踏み躙られる道を選んだんだ!?」

 兄ちゃんの言葉が、グサグサと心に刺さってくる。なんと彼は、僕の言葉を引き出す為だけに、精神干渉を行っているようだ。

「なあサラ、兄ちゃんに教えてよ。なんで君は……全てを受け入れたんだ?」

 言いたくない。知られたくない。
 そう、思っていても。敗北者には拒否権などないのだ。

「──さびしかった」

 涙と共に、情けない言葉がぽつりと零れる。
 それを目の当たりにした兄ちゃんは、目を丸くして固まっていた。

「急に、記憶を失って……それまでのことも、何もかも分からなくなって。ずっと誰かに会いたかったのに、その誰かすらも分からない。ずっと……寂しかった。辛かったんだ」

 ボロボロと、隠してきた本音が溢れ出てしまう。

「そのまま何年も経って──僕が何も覚えていないように、もう誰も、僕の事なんて覚えていないと思ってた。だから、兄ちゃんと出会えて……兄ちゃんが僕のことを覚えていてくれて、すごく嬉しかったんだ」

 ずっと感じていた、心の穴。それは兄ちゃんとの再会で埋まった。記憶の復元は勿論のこと、僕がずっと会いたかったのは──他ならない、兄ちゃんだったから。


 僕は俗に言うお兄ちゃんっ子だった。
 隔世遺伝で僕達に発現した、闇の魔力。その件で兄ちゃん共々いじめられる事が多かったが、兄ちゃんはその度に僕を庇って矢面に立ってくれた。
 道端で食べるきのみの美味しさや、夜に見上げる星空の美しさ、木陰で眠る気持ちよさを教えてくれたのは、兄ちゃんだ。

『───エル。俺がいいって言うまで、エルはここにいて』
『で、でも……兄ちゃんは?』
『俺はエルより強いから、平気だよ。エルはこのまま、ここで待ってて』
『やだ、やだよぅ。僕も兄ちゃんと一緒に──』
『ッいいから兄ちゃんの言うことを聞いて!!』
『っ!?』
『……大丈夫。明日もまた、二人でこっそりきのみを食べに行こうな』

 ある日、故郷の村が野盗の襲撃に遭った。
 自宅のクローゼットに僕を隠れさせて、兄ちゃんはぎこちない笑顔で僕の頭を撫でてから、クローゼットの扉を閉め戦禍の中心へ赴く。
 ──それから十数分。外から聞こえる悲鳴が重なってきた時、ふと、嫌な予感がしたのだ。
 兄ちゃんとの約束を破ってクローゼットを飛び出す。想像より遥かに酷い光景の中、『兄ちゃん!』と叫びながらその姿を捜し、ようやく見つけた時。
 蹲り震える兄ちゃんに、野盗が血塗れの斧を振り上げていた。

『やめろ! 兄ちゃんに手を出すな!!』

 兄ちゃんを守れと、体が勝手に動く。
 いつも僕を守ってくれた優しくて大好きな兄ちゃん。だから、今度は僕が兄ちゃんを守りたかったのだ。
 兄ちゃんと野盗の間に割って入り、斧でざっくりと肩を抉られた衝撃で、僕は意識を失った──……。


 その後、記憶をも失い、ボスに拾われた僕は帝都で諜報員になった。西部地区での一年以降は、僕の喪失感が埋められることもなかったな。
 でも、兄ちゃんと再会して全てが変わった。

「……──忘れていた筈なのに、ずっと、心配だったんだ。兄ちゃんが無事でよかった……! こうしてまた会えて、本当に、よかった……っ!!」
「……エル…………」

 だからこそ、僕はこの精神干渉に縋ってしまったのだ。

「ぼく、さびし、かったの。せっかく兄ちゃんと会えた、のに……っ、兄ちゃんはすぐ、異動になるし……ずっとずっと、王女殿下のこと、ばかりだし……! もう、僕のことなんかどうでもいいんだ、って──……心の穴を埋めたくて、っ彼女を…………愛するように、なったんだ」

 兄ちゃんはずっと苦労してきたのに、僕のこんな我儘で、兄ちゃんの夢を邪魔しちゃいけない。だからどうにかして我慢していたのに。
 そんな時に都合よく、寂しさを埋められそうな縋り先を見つけてしまったものだから。

「こんな愚かな僕で、ごめんなさい……! 情けない弟で、ごめん……っ、兄ちゃん……!!」

 鼻をすすり、嗚咽を漏らす。いい歳して泣きじゃくる僕を見て、兄ちゃんはさぞ失望したことだろう。

「──謝るのは俺の方だよ、エル」

 震える声で呟くやいなや、兄ちゃんは僕を抱き締めた。

「寂しい思いをさせてごめん……っ! エルと会えて、記憶を取り戻してもらえた事にばかり気を取られて、エルの気持ちを全然考えてこなかった。俺は……っ兄ちゃん失格だ……!!」
「ちがっ……兄ちゃんは悪くない──!」
「俺が悪いんだ! 俺の所為で──!」

 互いを擁護する主張が重なり、僕達はぴたりと固まった。そして程なくして「ぷっ」と笑い声が漏れ出る。

「……またこうやってエルと笑い合えるなんて。俺、本当に幸せ者だなぁ」
「大袈裟──じゃ、ないね」
「うん。俺達、十年近く離れてたんだ。大袈裟なぐらいが丁度いいよ」
「そうだね。……ねぇ兄ちゃん。一つ、我儘言ってもいい?」
「っ! 何でも言って!」

 随分と肩に力の入った様子で、兄ちゃんはこちらを凝視してくる。

「……──あの日の約束、憶えてる?」

 明日になるか、明後日になるか。もしかしたら何ヶ月も後かもしれない。
 だけど、それでもいいから。またいつか──兄ちゃんと一緒に、こっそりきのみを食べに行きたいな。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

男女比がおかしい世界にオタクが放り込まれました

かたつむり
恋愛
主人公の本条 まつりはある日目覚めたら男女比が40:1の世界に転生してしまっていた。 「日本」とは似てるようで違う世界。なんてったって私の推しキャラが存在してない。生きていけるのか????私。無理じゃね? 周りの溺愛具合にちょっぴり引きつつ、なんだかんだで楽しく過ごしたが、高校に入学するとそこには前世の推しキャラそっくりの男の子。まじかよやったぜ。 ※この作品の人物および設定は完全フィクションです ※特に内容に影響が無ければサイレント編集しています。 ※一応短編にはしていますがノープランなのでどうなるかわかりません。(2021/8/16 長編に変更しました。) ※処女作ですのでご指摘等頂けると幸いです。 ※作者の好みで出来ておりますのでご都合展開しかないと思われます。ご了承下さい。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。

sorato
恋愛
20歳女、東京出身。親も彼氏もおらずブラック企業で働く日和は、ある日突然異世界へと転移していた。それも、気を失っている内に。 気付いたときには既に娼館に売られた後。娼館の店主にお薦め客候補の姿絵を見せられるが、どの客も生理的に受け付けない男ばかり。そんな中、日和が目をつけたのは絶世の美男子であるヨルクという男で――……。 ※男は太っていて脂ぎっている方がより素晴らしいとされ、女は細く印象の薄い方がより美しいとされる美醜逆転的な概念の異世界でのお話です。 !直接的な行為の描写はありませんが、そういうことを匂わす言葉はたくさん出てきますのでR15指定しています。苦手な方はバックしてください。 ※小説家になろうさんでも投稿しています。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

処理中です...