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第五章・帝国の王女

546,5.Interlude Story:Others

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 神々の愛し子たる少女を無事に彼女の部屋へと送り届けた後、カイル・ディ・ハミルは考え事に興じる傍らで、足の向くままに真珠宮内を散歩していた。
 その途中で、食堂の前を通ったら中から話し声が聞こえたので、好奇心に煽られたカイルは聞き耳を立てる事にしたのである。

「──記憶がおかしい? それはつまり、アンヘル君の記憶に異変が生じたということ?」
「ああ。なんとも愉快なことに、記憶が改編され、あまつさえ上書きされた。誰かがこの俺の記憶を弄りやがったみたいだ」

 中から聞こえてきたのは、ミカリア・ディア・ラ・セイレーンとアンヘル・デリアルドの声だった。

(記憶の改編──……他の面々はそんな状態になってしまっているのか。だがそう言われると、マクベスタやアンヘルのあの反応も頷けるな)

 予想外の議題にも関わらず、カイルはどこか納得した様子。この異常事態に対しての人類最強の聖人と不死身の吸血鬼の見解を聞きたいのか、壁に背を預けて静かに話に聞き入る。

「そういえば、アンヘル君の記憶ってその忘却性の影響で改編とかの精神干渉が難しいんだっけ」
「忘却そのものが、俺の精神の最終防衛機構だからな。その機能不全対策として、忘却機能の妨げになるような精神干渉は大抵弾かれる筈なんだが──」
「現在進行形で、君は記憶を改竄されている……と?」
「そういうこった。どうなってやがるんだ、まったく……」

 うんざりとした様子で、アンヘルは大きく息を吐いた。

「うーん、精神系については門外漢だから、こうだって断言は出来ないけれど……」

 これだけは言えるよ。と、顎に当てていた手を退かし、ミカリアは顔を上げる。

「この件には、妖精が関わっている。街に現れた穢妖精けがれはおそらく陽動で、本命の妖精が水面下で何か企んでいる筈だ。きっと、僕達に起きている記憶改竄はその一環か──余波を食らったものだと思う」
(妖精────……!?)

 ミカリアの言葉にカイルは度肝を抜かれた。
 カイルはここ暫く部屋に篭って作業をしていたので、街に現れた穢妖精けがれの事など全く聞き及んでいない。
 ただ、何らかの異常事態が起きているとだけ、簡単に把握し──今日初めて、実際にその異常事態に直面したのだ。

「つまり、妖精の力で奇跡的に俺へも精神干渉が可能に──……って、『僕達』?」
「……どうやら、僕の記憶も何者かの意図により改竄されたみたいなんだ」
(ミカリアまで──……!)

 アンヘルがらしくなくぎょっと瞬くと、ミカリアは眉尻を下げ深く頷いた。

「本当は別の切っ掛けで起きた事象が、まるで全く別の切っ掛けで起きたようになっている。その所為でどうにも記憶の齟齬が発生していて──……ここ数日、その原因を個人的に調べていたんだ」
(──しかし。まさか、アンヘル君まで同じ状態だったとは)

 これは些か穏やかじゃないな。と、ミカリアは剣呑な顔つきとなる。
 互いに、まさか相手までもが同じような境遇に置かれているとは夢にも思わなかったらしい。

「それにしても──どうして、僕達だけはこの異変を“異変”として認識出来ているのかな。おそらくは、これまでの数日間で散々抱いてきた違和感から察するに──……僕達以外にも、相当数の人間が同じような被害に遭っていると見て、間違いないと思うんだけど……」
「はぁー……めんどくせぇぇぇぇぇぇ……なんで俺がこんな面倒事に巻き込まれないといけないんだよ。おい、おまえは何か知らないのか」

 深く項垂れて肺の中のものを全て吐き出した直後、アンヘルは据わった瞳で食堂の入り口の方を見遣り、

「──変人王子」

 気配を消して聞き耳を立てていた男を、名指しした。

(っ!? 流石は吸血鬼だ、気づかれていたか……)

 当然、呼ばれた本人は肩を跳ねさせ目を点にする。しかし瞬時に気を切り替え、ゆっくりと扉を開いた。

「……俺に何か御用かな? アンヘル」
「さっきも言ったろ、おまえは何か知らねぇかって聞いてんだ」

 主語はどこー……。と、カイルは遠い目になるも、ここまで盗み聞きしていたので当然何について聞かれているかは、彼も分かる。

「知ってるか知らないかで言えば──知ってるよ。それと……二人の会話を聞いて、なんとなく、原因と・・・手段・・の心当たりも出来てしまった」
「「……──ッ!!」」

 精霊よりも、人間よりも、誰よりも彼は情報を持っていた。運がいいのか悪いのか……彼はことごとく、よりにもよって重要な情報ばかりを手に入れていたのだ。

「本当ですか、カイル王子!」
「だったら勿体ぶらずに早く言えよ」

 ミカリアとアンヘルが前のめりに聞いてくる。そう急かすなよ。と二人を落ち着かせ、カイルは満を持して口火を切った。

「……──ミシェル・ローゼラ。どこかで妖精と接触したのだろう……彼女が『皆に愛されたい』と願ったから、奇跡が起きて“皆”が彼女を愛するようになった。現に、二人共──今は彼女の事を愛しているんだろう?」

 妖精は奇跡を起こす──。そのような言い伝えファンタジーをこの魔導具オタクが知らない筈がなかった。
 だから、この街に妖精が現れたという話を聞いて。彼の中ではあっさりと点と点が繋がってしまったのだ。

「僕が、彼女を…………それが、やはり異変だと。貴方はそう言うのですね」
「いや……俺は別にあいつの事なんて……」

 衝撃の事実に目眩がするかのよう。
 そのまま、ズッ友コンビは記憶の修復方法についての話を進める。それを蚊帳の外から眺めつつ、カイルもまた一人で思考に耽った。

(俺はともかく、聖人殿とデリアルド伯爵が強制力──……妖精の奇跡に僅かでも抵抗していて、この異変を認識出来ていたとは。マクベスタ達の様子からして、“攻略対象だから”という理由ではなさそうなんだが……)

 同じく攻略対象であり、同じく奇跡力の餌食となった男達を脳裏に思い浮かべる。そこでふと、彼は違和感を覚えた。

(そういえば……ロイとセインカラッドは、ミシェルが妖精の奇跡を手に入れたと思しき日の前後で、彼女への態度を変えてはいなかったよな……)

 そしてそれは──アミレスも同じだった。
 昼間の一件。仕方なく、彼はアミレスに銃口を向けたのだが、その時の彼女の反応といったら。
 マクベスタに殺されかけたことに怯えるだけで、ミシェルと出会う事で訪れる強制力らしきものを受けた様子はなかった。その少し前には、私兵団の面々でさえミシェルの虜となっていたというのに。
 一体どうやって、ロイ達やアミレスは強制力──……妖精の奇跡を回避したのか。カイルの中では、その疑問が縦横無尽に駆け回る。

(──彼女の願いが『皆に愛されたい』だから、元々彼女を愛していたらしい・・・ロイとアミレスは奇跡力の影響を受けなかったとか? だがそれならば、セインカラッドや、アミレスと共にいた男達まで様子が変わらなかった説明がつかなくなる)

 精霊はともかく、あの人間達。セインカラッドと、ユーキと、シャルルギル。この三名が奇跡力の餌食にならなかった理由が分からない──と、彼の推理はここで行き詰まってしまった。

(……はぁ。頭脳担当は、俺じゃないんだが……)

 腕を組み、困り顔でカイルは疲労の息を零す。

「……──いい加減起きてくれ、ルカ・・

 時計の針が前へと進む音に掻き消され、その呟きは誰にも触れられず虚空へと落ちた。
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