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第五章・帝国の王女
486,5.ある騎士の偶然
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少し時は遡り、数十分程前の事。
タイミングにして──アミレスがテロリスト達と交戦した頃合。
そして各国の王子三人による業務提携がちょうど実現した頃合。
「……あのさあ、イル。せめてもうちょっと殺気を抑えてくれないか? 気合いが入っているのは分かるが、それでは狩れるものも狩れないぞ」
「殺気──ああ、そうかその所為か。どうりで魔獣も魔物も出て来ない訳だ」
(自覚が無かったのか……)
アミレスの騎士であるイリオーデ・ドロシー・ランディグランジュは、珍しく主の元を離れ実兄であるアランバルト・ドロシー・ランディグランジュと行動を共にしていた。
ランディグランジュ家の特徴とも言える、澄み切った天空のような美しい髪を風で遊ばせ、主人より賜りし黒のリボンと共に舞わせる。
本日は王女の騎士としてではなくランディグランジュ侯爵家の人間として参加している為か、私兵団の制服ではなく私服での参戦となったが……それでも自身が王女の騎士であると周囲にアピールすべく、ここぞとばかりにリボンを結びつけていた。
たとえアミレスの傍を離れていようが自身が彼女だけの騎士である事に変わりなく。
これまた、当然のようにアミレスに最良の獲物を捧げるべくイリオーデも気合いを入れて馬を走らせていた。
──しかし。
その気合いの現れか、はたまた無意識のうちにアミレスの傍を離れた事で不機嫌になっているのか──……イリオーデからは並々ならぬ殺気が溢れ出ていた。
それを本能で感じ取った生き物が必死に息を潜めている為か、まったくと言っていい程に獲物に出くわさないのだ。
「そんなに気張らなくとも、王女殿下ならばどんな獲物を捧げても喜んでくださるだろうに」
アランバルトがため息混じりにぽつりと零すと、
「海のように広く深いご慈悲と些細な事でも尊べる清らかな御心を兼ね備えてあらせられるからな、王女殿下は。だが──……やはり、どうせならば私が最も価値のある獲物を捧げたい」
意外な負けず嫌いが炸裂する。いや、負けず嫌いと言うよりも──これは嫉妬や牽制に近いのやもしれない。
「相変わらず王女殿下への愛が重いなお前は……」
「愛などというありふれた言葉で片付けるな。あの御方は私の全てであり、私の生きる意味そのもの。我が命と言っても過言ではないのだぞ」
ふんと鼻を鳴らして自信満々に言い切る。
相変わらずの忠誠心にアランバルトが呆れた視線を送るなか、気まずい空気を感じ取ったイリオーデはおもむろに話題を変えた。
「……風の噂で聞いたのだが、婚約者が出来たらしいな」
「え? ああ、そうだな。縁あって素敵なお嬢さんと出逢えたんだ。お前にも伝えたかったんだが、手紙は受け取ってくれないし直接伝える機会もなくてな」
「手紙を受け取ったら返事を書かねばならないだろう。面倒だ」
「本当にそういうところあるよな、昔から」
横に並んで馬に跨り、二人は雑談に花を咲かせながらゆっくりと進む。
その最中、イリオーデはマリエル・シュー・ララルス伝に聞いた件を話題に挙げた。
「まあ、色々あって。とりあえず半年間婚約者として過ごす事になったんだ」
「そうなのか」
「婚約期間は帝都の邸にいるつもりだが、結婚したら領地の城に行くつもりだから……その前に一度、彼女に会ってみるか?」
「休暇が合えば」
「……そうか。ありがとう」
イリオーデは超がつく程の仕事人間。
常に王女の騎士でありたい彼は自ら休暇を返上しており、(アミレスに強引に与えられた)滅多にない休日なんかは鍛錬に費やしたり、私兵団に顔を出したりする。
休みがあっても実家に帰省するという発想が無いイリオーデ。そんなイリオーデが、休みがあれば行くとまで言った。
その事に、アランバルトは喜びを覚えたのだ。
「どのような人間なんだ、その婚約者とやらは」
相手に視線を向ける訳でもなく、まるで独り言のようにイリオーデは呟いた。
(今日のイルはやけに喋るな)
「──普通の伯爵令嬢だよ。騎士になって武勲を立て、家の借金を返済したいってうちの剣術学校に通おうとしていたレディでな。なんやかんやあって、利害の一致で婚約者になったんだ」
「それは普通と言うのか?」
予想外の情報量にイリオーデは、反射的にアランバルトを見つめた。
「はは、普通じゃないかもな」
「しかし何故、婚約者なんだ。さっさと結婚した方が良いだろうに」
「それは──ずっと西の領地にいた彼女がある程度社交界に慣れるよう時間を取る目的と、そして俺が初恋を忘れられるよう時間を費やす目的で、二人で話し合って結婚まで半年の猶予を設けたんだ」
かつて一目惚れし、それ以来ずっと彼の心に鮮烈に刻まれてきた一人の女性。
それを今更忘れようと、不器用なりに努力しているらしい。
「先方は納得しているのか」
「ああ。初恋云々を伝えた上で、『借金返済と剣術指導をしていただくのにこれ以上文句なんてありません』って言われた」
「……やはり普通ではないだろう、その令嬢」
「言われてみればそうかもな。彼女、かなり変わってるよ」
その後も暫し婚約者について明るく話すアランバルトを見て、
(お前がそれでいいのなら、私から言う事など何もない)
イリオーデは、胸中にあった心配の二文字を振り払った。彼なりに、家門の事すべてを兄に押し付けた負い目というものを感じていたのだ。
侯爵家当主でさえなければ初恋を諦める必要などなかっただろう────。
そう喉まで出かかった言葉を、彼は何度も飲み込んでいた。
(お前のお陰で、私は今、幸せだ。だから……どうか幸せになってくれ、アランバルト兄さん──……)
切れ長の瞳をおもむろに伏せた、その時だった。
──ズシン! ズササッ!
這いずるような重たい足音が響く。近づく気配に彼等が気付いたのはほぼ同時。二人は颯爽と馬から降りて、音の出処を睨んだ。
木々を掻き分けて現れたのは、蛸のように波打ち地を叩く根を持つ魔物、樹縛霊。
その周辺では、樹縛霊の樹液に魅了された大型の魔群蜂が不気味な羽音を鳴らす。
「アランバルト、戦えるか」
「ああ。一応これでもランディグランジュの人間だからな」
「そうか。ならば雑魚は任せたぞ」
剣を抜き、イリオーデは強く地面を蹴った。
樹縛霊の攻撃を躱しつつ、足を止めず一直線に突撃していく。
(雑魚って……魔群蜂はそこそこ強い魔物なんだが……)
無茶を言う弟に呆れながらも、アランバルトは剣を構えて魔群蜂を見据えた。
刹那、アランバルトの足元で突風が巻き起こり彼の体を宙に放つ。だかそれは事故などではなく、彼自身が故意に起こしたもの。
風の魔力を活用し、アランバルトは空中戦を可能にしたのだ。
「さて──人々の善き日常の為に死んでくれ」
何を隠そう、アランバルトは魔法の扱いにおいてはイリオーデよりも遥かに巧みであった。
そして本人は無能だと思い込んでいるが、それは比較対象が帝国の剣とイリオーデだからこそ発生した認識の齟齬。
アランバルト・ドロシー・ランディグランジュは──……このフォーロイト帝国において、帝国騎士団騎士団長を務めても問題無い程度の実力者であった。
♢♢♢♢
ランディグランジュ兄弟が戦闘する事、たったの十分。
強力な魔物である樹縛霊と魔群蜂の群れを相手にしておきながら、無傷であっさりと勝利してしまった。
「この樹液は確か甘いのだったな……王女殿下に捧げるか」
「王女殿下に魔物の樹液を捧げるとか、正気か?」
「私は至って正気──、なんだこれは」
剣の血を振り落とした時、樹縛霊の死骸の中から壊れた何かを見つけた。
イリオーデは剣を納めてからそれを拾い上げ、顔を顰める。
「何かの魔導具のようだが……お前、備品を壊してしまったんじゃないのか?」
「まさか。もし仮にそうだとすれば、王女殿下にご迷惑をかけてしまう事になるだろう」
「……どうするんだ?」
「──アランバルト。お前は私の兄だ。つまりは私の保護者も同然ではないか?」
イリオーデの斬撃をもろに食らったらしく綺麗に真っ二つとなった、手のひらよりも大きな立方体の魔導具。
それを壊した事についての責任の所在を争い、彼等は魔導具を押し付け合う。
「責任転嫁するなっ、素直に王女殿下に怒られたらいいじゃないか!」
「嫌に決まっているだろう!? 王女殿下からの心証が悪くなったらどうする!!」
「自業自得だ!」
「少しは弟を庇おうと思わないのか!」
「だったら普段から弟らしく振る舞え!!」
はじめてかもしれない兄弟喧嘩が繰り広げられる。
別の場所では緊張の糸が張り巡らされているのだが──今の彼等には、どうやら関係が無いようだ。
タイミングにして──アミレスがテロリスト達と交戦した頃合。
そして各国の王子三人による業務提携がちょうど実現した頃合。
「……あのさあ、イル。せめてもうちょっと殺気を抑えてくれないか? 気合いが入っているのは分かるが、それでは狩れるものも狩れないぞ」
「殺気──ああ、そうかその所為か。どうりで魔獣も魔物も出て来ない訳だ」
(自覚が無かったのか……)
アミレスの騎士であるイリオーデ・ドロシー・ランディグランジュは、珍しく主の元を離れ実兄であるアランバルト・ドロシー・ランディグランジュと行動を共にしていた。
ランディグランジュ家の特徴とも言える、澄み切った天空のような美しい髪を風で遊ばせ、主人より賜りし黒のリボンと共に舞わせる。
本日は王女の騎士としてではなくランディグランジュ侯爵家の人間として参加している為か、私兵団の制服ではなく私服での参戦となったが……それでも自身が王女の騎士であると周囲にアピールすべく、ここぞとばかりにリボンを結びつけていた。
たとえアミレスの傍を離れていようが自身が彼女だけの騎士である事に変わりなく。
これまた、当然のようにアミレスに最良の獲物を捧げるべくイリオーデも気合いを入れて馬を走らせていた。
──しかし。
その気合いの現れか、はたまた無意識のうちにアミレスの傍を離れた事で不機嫌になっているのか──……イリオーデからは並々ならぬ殺気が溢れ出ていた。
それを本能で感じ取った生き物が必死に息を潜めている為か、まったくと言っていい程に獲物に出くわさないのだ。
「そんなに気張らなくとも、王女殿下ならばどんな獲物を捧げても喜んでくださるだろうに」
アランバルトがため息混じりにぽつりと零すと、
「海のように広く深いご慈悲と些細な事でも尊べる清らかな御心を兼ね備えてあらせられるからな、王女殿下は。だが──……やはり、どうせならば私が最も価値のある獲物を捧げたい」
意外な負けず嫌いが炸裂する。いや、負けず嫌いと言うよりも──これは嫉妬や牽制に近いのやもしれない。
「相変わらず王女殿下への愛が重いなお前は……」
「愛などというありふれた言葉で片付けるな。あの御方は私の全てであり、私の生きる意味そのもの。我が命と言っても過言ではないのだぞ」
ふんと鼻を鳴らして自信満々に言い切る。
相変わらずの忠誠心にアランバルトが呆れた視線を送るなか、気まずい空気を感じ取ったイリオーデはおもむろに話題を変えた。
「……風の噂で聞いたのだが、婚約者が出来たらしいな」
「え? ああ、そうだな。縁あって素敵なお嬢さんと出逢えたんだ。お前にも伝えたかったんだが、手紙は受け取ってくれないし直接伝える機会もなくてな」
「手紙を受け取ったら返事を書かねばならないだろう。面倒だ」
「本当にそういうところあるよな、昔から」
横に並んで馬に跨り、二人は雑談に花を咲かせながらゆっくりと進む。
その最中、イリオーデはマリエル・シュー・ララルス伝に聞いた件を話題に挙げた。
「まあ、色々あって。とりあえず半年間婚約者として過ごす事になったんだ」
「そうなのか」
「婚約期間は帝都の邸にいるつもりだが、結婚したら領地の城に行くつもりだから……その前に一度、彼女に会ってみるか?」
「休暇が合えば」
「……そうか。ありがとう」
イリオーデは超がつく程の仕事人間。
常に王女の騎士でありたい彼は自ら休暇を返上しており、(アミレスに強引に与えられた)滅多にない休日なんかは鍛錬に費やしたり、私兵団に顔を出したりする。
休みがあっても実家に帰省するという発想が無いイリオーデ。そんなイリオーデが、休みがあれば行くとまで言った。
その事に、アランバルトは喜びを覚えたのだ。
「どのような人間なんだ、その婚約者とやらは」
相手に視線を向ける訳でもなく、まるで独り言のようにイリオーデは呟いた。
(今日のイルはやけに喋るな)
「──普通の伯爵令嬢だよ。騎士になって武勲を立て、家の借金を返済したいってうちの剣術学校に通おうとしていたレディでな。なんやかんやあって、利害の一致で婚約者になったんだ」
「それは普通と言うのか?」
予想外の情報量にイリオーデは、反射的にアランバルトを見つめた。
「はは、普通じゃないかもな」
「しかし何故、婚約者なんだ。さっさと結婚した方が良いだろうに」
「それは──ずっと西の領地にいた彼女がある程度社交界に慣れるよう時間を取る目的と、そして俺が初恋を忘れられるよう時間を費やす目的で、二人で話し合って結婚まで半年の猶予を設けたんだ」
かつて一目惚れし、それ以来ずっと彼の心に鮮烈に刻まれてきた一人の女性。
それを今更忘れようと、不器用なりに努力しているらしい。
「先方は納得しているのか」
「ああ。初恋云々を伝えた上で、『借金返済と剣術指導をしていただくのにこれ以上文句なんてありません』って言われた」
「……やはり普通ではないだろう、その令嬢」
「言われてみればそうかもな。彼女、かなり変わってるよ」
その後も暫し婚約者について明るく話すアランバルトを見て、
(お前がそれでいいのなら、私から言う事など何もない)
イリオーデは、胸中にあった心配の二文字を振り払った。彼なりに、家門の事すべてを兄に押し付けた負い目というものを感じていたのだ。
侯爵家当主でさえなければ初恋を諦める必要などなかっただろう────。
そう喉まで出かかった言葉を、彼は何度も飲み込んでいた。
(お前のお陰で、私は今、幸せだ。だから……どうか幸せになってくれ、アランバルト兄さん──……)
切れ長の瞳をおもむろに伏せた、その時だった。
──ズシン! ズササッ!
這いずるような重たい足音が響く。近づく気配に彼等が気付いたのはほぼ同時。二人は颯爽と馬から降りて、音の出処を睨んだ。
木々を掻き分けて現れたのは、蛸のように波打ち地を叩く根を持つ魔物、樹縛霊。
その周辺では、樹縛霊の樹液に魅了された大型の魔群蜂が不気味な羽音を鳴らす。
「アランバルト、戦えるか」
「ああ。一応これでもランディグランジュの人間だからな」
「そうか。ならば雑魚は任せたぞ」
剣を抜き、イリオーデは強く地面を蹴った。
樹縛霊の攻撃を躱しつつ、足を止めず一直線に突撃していく。
(雑魚って……魔群蜂はそこそこ強い魔物なんだが……)
無茶を言う弟に呆れながらも、アランバルトは剣を構えて魔群蜂を見据えた。
刹那、アランバルトの足元で突風が巻き起こり彼の体を宙に放つ。だかそれは事故などではなく、彼自身が故意に起こしたもの。
風の魔力を活用し、アランバルトは空中戦を可能にしたのだ。
「さて──人々の善き日常の為に死んでくれ」
何を隠そう、アランバルトは魔法の扱いにおいてはイリオーデよりも遥かに巧みであった。
そして本人は無能だと思い込んでいるが、それは比較対象が帝国の剣とイリオーデだからこそ発生した認識の齟齬。
アランバルト・ドロシー・ランディグランジュは──……このフォーロイト帝国において、帝国騎士団騎士団長を務めても問題無い程度の実力者であった。
♢♢♢♢
ランディグランジュ兄弟が戦闘する事、たったの十分。
強力な魔物である樹縛霊と魔群蜂の群れを相手にしておきながら、無傷であっさりと勝利してしまった。
「この樹液は確か甘いのだったな……王女殿下に捧げるか」
「王女殿下に魔物の樹液を捧げるとか、正気か?」
「私は至って正気──、なんだこれは」
剣の血を振り落とした時、樹縛霊の死骸の中から壊れた何かを見つけた。
イリオーデは剣を納めてからそれを拾い上げ、顔を顰める。
「何かの魔導具のようだが……お前、備品を壊してしまったんじゃないのか?」
「まさか。もし仮にそうだとすれば、王女殿下にご迷惑をかけてしまう事になるだろう」
「……どうするんだ?」
「──アランバルト。お前は私の兄だ。つまりは私の保護者も同然ではないか?」
イリオーデの斬撃をもろに食らったらしく綺麗に真っ二つとなった、手のひらよりも大きな立方体の魔導具。
それを壊した事についての責任の所在を争い、彼等は魔導具を押し付け合う。
「責任転嫁するなっ、素直に王女殿下に怒られたらいいじゃないか!」
「嫌に決まっているだろう!? 王女殿下からの心証が悪くなったらどうする!!」
「自業自得だ!」
「少しは弟を庇おうと思わないのか!」
「だったら普段から弟らしく振る舞え!!」
はじめてかもしれない兄弟喧嘩が繰り広げられる。
別の場所では緊張の糸が張り巡らされているのだが──今の彼等には、どうやら関係が無いようだ。
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