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第四章・興国の王女

428.酔った皇帝と困った側近

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「くははは! エリドルよ、酔っても顔色一つ変えんとは相変わらずの仏頂面だな!」
「喧しいぞ、蜥蜴。黙って酒を飲む事すら出来ぬのか、貴様は」
「いつも通りの冷たい態度……っ、やはり良いな」
「気色悪い言動を繰り返すようであれば追い出すぞ」

 それは、国際交流舞踏会が始まってから五日目とかの夜の事。仕事終わりの陛下は、半ば押し掛ける形で現れた旧知の王達と城の一室で酒を飲み交わす事となった。
 土産にと持って来たタランテシア帝国特産の酒を飲み、酔ったロンドゥーア皇帝は早速陛下相手にくだをまく。

「まあまあ……多目に見てやって下さいよ、フォーロイト皇帝。彼、この機会をとても楽しみにしていたそうですから……」
「そうだぞお、エリドル! オレがどれ程この国フォーロイトに来たかった事か!!」

 クサキヌア王国の国王、アビリオ王がロンドゥーア皇帝を庇うも、当のロンドゥーア皇帝は偉そうな態度を崩さずあまつさえ陛下を指さした。
 ……やはり、あの男はあの時殺しておくべきだったか。

「我が国の絶景をいくら見ようとも『期待外れだな』とか吐かしおったオマエ自慢の国をな、舐め回すように見てやろうと思っていたのに……くそッ、なんでちゃんといい国なのだ! 寒い事以外に何も文句をつけられぬ!!」
「当たり前だ、私の国だぞ。現在この世で最も栄えし泰平の世……美しく、眩く、幸福と平穏に満ちた国でなければならないのだ。この国は」

 これまたロンドゥーア皇帝の土産である浅めの盃に注がれたタランテシア産の酒に、陛下は静かに喉を鳴らす。そうして空になった陛下の盃に、すかさずわたしは酒をついだ。

「ぐぬぬ…………エリドルの口からは絶対飛び出さなさそうな言葉が次々と……!!」
「フォーロイト皇帝は相変わらず民思いの英明な王ですな。歴代で最も安定した治世であると頻繁に耳にしますが──実際にこの国を訪れ噂に違わぬ平穏な営みを見ては、是非我が国もこのように……と景気づけられます」

 民思いの英明な王。その言葉を聞いた陛下は目を伏せ、白い肌に睫毛の影を落とした。

(──他国の王からは未だにそう思われているのか。私のような愚かな男が)

 最愛の人との約束誓い一つの為に、国を発展させているだけに過ぎない。彼は、民思いの英明な王などと呼ばれるような人間ではないと自負している。
 事実、そうだった。

 皇帝の座についたのは、あの女性ひとが平和に過ごせる国にする為。
 保守派ばかりの元老院を解体し、人身売買等を一際厳しく取り締まり、帝国法を次々に改定していったのは、あの女性ひとの望む平和な国にする為。
 どれだけ目障りでも今まで王女殿下の好きにさせていたのは、あの女性ひととの約束を──この国を発展させるという約束を果たす為。
 彼の功績の多くはたった一人の女性の為の行動であり、決して国や民を思っての事ではない。だがそれを知らぬ者達は、エリドルを『無情の皇帝』と呼ぶ傍らで『賢王』とも呼ぶ。

 彼はその事実すらもどうでもいいようで、これまで放置してきたが……久々に面と向かって言われたからか、感傷に浸っているらしい。
 本人に訂正するつもりがないようなのでわたしも特に訂正するつもりはない。そもそも、無情の皇帝が一人の女性の為に皇帝として君臨し続けているなんて……誰も信じないだろう。

「そう言えば……なあ、ケイリオルよ。オマエはまだ顔を見せてくれぬのか? オレ達は友達だろう?」

 陛下のお酌を任されていたのだが、ついにわたしもロンドゥーア皇帝に絡まれてしまった。

「貴方と友達だった覚えなど特にありませんが……」
「くっ……相変わらずエリドル以上の塩対応だな、オマエは。良いぞ、とても良い」

 本当に追い出したいんですけど、この酔っ払い。

「オレの見立てではオマエもエリドル並の美形かつ、死んだ魚のような目だと思うのだ。それを確認し、あわよくば一度睨まれてみたいとオレは主張する」

 蜥蜴とか蛇って確か寒さに弱かったような……水をかけてから外に放り出せば死んでくれますかね。

「おい、ケイリオルに絡むな変態。生肌を剥がれたいのか」
「かなり魅力的ではあるが、流石のオレも殺されては頂きに達する事も叶わん。故に、ありがたい提案ではあるが断ろう」
「チッ……もう酔いが覚めよったか」
「くははっ! 龍族は酒豪が多いのでな」

 ロンドゥーア皇帝は膝を叩きながら豪快に、されど優雅に笑う。

「一つよろしいでしょうか、ロンドゥーア皇帝」
「む、何だ?」
「もし、わたしの顔を見たならば貴方を始末しなければならなくなります。なのでその上でお聞きしますね。わたしの顔、見ますか?」
「暗にオレに死ぬかと問うているのか、オマエは」
「はい。陛下の命でもありますので、見なくてもいいものを見た者は……残念ながら死んでいただく事にしているのです」

 抑揚の無い声で威圧すると、彼は肩を竦めて足を組み直した。

「仕方あるまい、ケイリオルの素顔御開帳はまたの機会に残しておこう」
「フン、貴様なぞにケイリオルの顔を見せてやる価値など一欠片も無いわ。二度とそのような戯言を吐くでないぞ、ロンドゥーア」
「オマエはケイリオルの事となると面白いぐらい当たりが強くなるな……こちらとしてはありがたい限りだが」

 などとふざけた事を宣うロンドゥーア皇帝に、陛下はついに痺れを切らした。

「おいケイリオル、この蜥蜴を吹雪の中に捨てて来い」
「仰せのままに」
「ちょっと待て、冗談だぞエリドル。流石のオレでもこの吹雪の中に身一つはキツい。クるとか言ってる場合じゃなくなるんだが! オマエのような美形に無理やり何かをされるのは好きだが、流石にこれは洒落にならぬぞエリドル!!」

 陛下ならこう言うだろうと予想して、ロンドゥーア皇帝の背後に回ってすぐの命令だった。わたしは瞬時に彼の両肩に手を置いて命令通り外に捨てて来ようとしたのだが、ロンドゥーア皇帝がそれはもう暴れる暴れる。
 やはり龍族らしく、身体能力は異様に良い。彼に本気で暴れられては、さしものわたしでも一筋縄ではいかない。
 もういっその事窓から放り投げる方が楽かもしれない。そんなわたしの思惑に気がついたのか、アビリオ王が「ま、まぁ……一旦落ち着いて下され」「国際問題待ったナシですぞ」とわたしと陛下に交互に訴えかける。

「チッ……」

 部屋に響くは彼の舌打ち。
 相変わらずいい音だなぁ……とうっとりしていると、彼は虫を追い払うように手を動かす。それに従い、わたしはロンドゥーア皇帝を解放した。

「なあエリドルよ。一つ、オマエに聞きたい事があったのを今思い出したんだが」
「……何だ。くだらない内容であれば三枚おろしにするぞ」
「三枚おろしか……っと、違う違う。実は数日前にオマエの娘に会ったのだが」

 瞬きのうちの事だった。陛下の体が、一瞬固まる。

「オマエの娘をオレの妃に迎えたい。駄目か?」

 どうしてそうなった。──いや、あの王女殿下ならさぞかし彼好みの対応をしそうですね。クソッ……ぬかったか。

「……呆れた奴よな。この私の前でアレの話をするなど。貴様なぞと親類になるなど想像もしたくないわ。ケイリオル、もうその蜥蜴に構わなくていい。お前まで蜥蜴臭くなってしまう」
「は、仰せのままに。もし臭くなったら、適当に香水でも振りかけておきますね」
「そこらの香水の陳腐な匂いなど、お前には合わん。香水で誤魔化すような真似はするな」

 これ以上王女殿下の話題を広げさせぬようにと、エリドルは強引に話を切り上げた。
 彼も酔いが回って来たようで、エリドルは不思議な発言を繰り返す。その瞬間、彼に胸ぐらを掴まれ引っ張られた。
 一気に互いの呼吸が聞こえるぐらいの距離に近づく顔。ロンドゥーア皇帝とアビリオ王が目を点にするなか、彼はそんなの気にも留めずにわたしの首元で何度か鼻を動かす。

「──やはり市販の香水などお前には合わない。せめて特注品オーダーメイドにしろ」
「香水とか興味無いんですけどねぇ……そのような事に割く時間ひまがあれば、仕事をしたいですし」
「本当に仕事中毒だなお前は。ならば私と同じ匂いになれ。下手な匂いを纏われても鬱陶しいからな」
「陛下が使っている香油を使えばいいんですか?」
「そうしろ。わざわざ用意するのが面倒なら、私が使っているものを持っていけばいい」
「あー……あれでしたら、まだまだ在庫はあったかと」

 エリドルは、十三年前からずっと同じ香りの香油しか使っていない。
 薄紅色の花弁が可愛らしく重なる花、それの蜜を元に作られた甘く優しい香り。彼はあの女性ひとから片時も傍を離れたくないあまり、彼女を彷彿とさせるその香りを纏い続けていた。
 そんな彼の為に、わたしは職権を濫用して専用の職人を雇用し、香油や香水を作らせている。だから、在庫はまだあるのだ。

「なら在庫から好きなだけ持っていけ。これからは変な香水を使うなよ」
「本当に我儘ですね、陛下は。……かしこまりました、今夜からそうしますね」
「ああ、そうしろ」

 満足したのか、陛下はようやくわたしを放した。ぐちゃぐちゃになった胸元を整えつつ、横目でロンドゥーア皇帝達の方を視てみると、

(エリドルめ、もしや娘が惜しいのか? 確かにあの娘はな……手放すのが惜しくなるのも頷ける。というかエリドルはケイリオル相手ならそんな顔も出来るのか……!? ぐぬぅ、妬けるではないか!)
(流石は彼が即位した時から彼を支える側近。フォーロイト皇帝との心の距離が、我々と段違いだな。いや、少々近すぎる気もするが)

 なんともまあ、愉快な事を考えていらっしゃった。


 ♢♢♢♢


 その日の深夜。諸々の後片付けを終え、言いつけ通り北宮の倉庫からエリドルの香油を拝借し、皇宮の中庭を通って城にある自室に向かっていた時だった。

「──ケイリオル卿?」

 遠くから可愛らしい声が聞こえて来た。
 声に引かれて顔を動かすと、東宮の外廊下からこちらを見ている王女殿下と目が合う。突然の事に暫く体が固まったが、慌てて彼女の元に駆け寄る。

「王女殿下、このような時間にどうされたのですか?」
「ちょっとした散歩です。たまに……眠れない時にしてるんですよ。それにしても珍しいですね、ケイリオル卿がふわふわした服を着てるのって。いつもスラッとしてらっしゃるので……」

 確かに、今のわたしは寒さ対策に毛皮のローブを羽織っている。ちなみにこれはエリドルに押し付けられたローブだ。
 それにしてもこんな時間に王女が一人で散歩なんて。あまりにも危険すぎる。どうして彼女には危機感が無いのか……。

「眠れないのなら、子守唄でも歌って差し上げましょうか?」
「ケイリオル卿の子守唄ですか? それはそれですごく聞きたいですけど……折角ならケイリオル卿の話が聞きたいです。もし良ければ、ケイリオル卿の事を教えてくれませんか?」

 少し鼻を赤くして、王女殿下はふわりと笑う。

「──仕方ありません。少々恥ずかしいですが……わたしの話をお聞きいただけますか?」
「はいっ!」

 そして、わたし話せる・・・内容・・だけ話していった。彼女の期待に応えられるかどうか不安ではあったのだが、存外楽しんでくれたようだった。

「ケイリオル卿ってクッキーが好きなんですね。なんだか意外です」
「まあ、この歳にもなって……とは自分でも思います。実はとある思い出のクッキーが記憶にありまして、どうにかその味を再現出来ないかと長年苦心惨憺しているんですよ」
「へぇ……ケイリオル卿の作ったクッキー、とっても美味しそうですね」
「褒めても今は何も出せませんよ?」
「今は、という事は……?」
「ふふふ。今度、自信作を献上させていただいてもよろしいですか?」
「喜んで」

 ああ……この笑顔を見られるだけで、疲れが吹っ飛んでしまう。どんな無茶振りでも応えようと思えてしまう。……やっぱりこの笑顔に弱いなあ、わたし

 そうして、それからも暫く雑談は続いた。
 彼女が眠気に襲われ瞼を擦るその時まで、わたしは子守唄かのように喋り続けたのである。
 ちゃんと東宮の中まで彼女が戻るのを見届けてから、わたしも自室に戻り軽く湯浴みをして眠る──つもりだったのだが。
 あの少女の笑顔が忘れられなくて、わたしはこんな時間にも関わらず、厨房で美味しいクッキー作りに励むのであった。
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