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第四章・興国の王女

422.王女と悪魔と聖職者

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「あの、姫君。先程からずっとお伺いしたかったんですが……そちらの悪魔は? 姫君が悪魔を召喚したなどという噂はまことだったのですか?」
「ええと……実際に召喚した訳ではなくてですね……元々居たというか、なんというか」

 お茶会が始まって早々の事だった。またシュヴァルツについて詰め寄られて途方に暮れていた私を、更にあの愉快犯は追い詰めていく。

「ややこしいからもう名乗っちまうか。どーも、人類最強の聖人とやら。オレサマはヴァイス・フォン・シュヴァイツァバルティーク。当代の魔王デ~~ス」

 どうにも鼻につくテンションでシュヴァルツが自己紹介をすると、

「……はい? シュヴァルツ君が魔王?」
「──魔王? 姫君の傍に、魔王が?」

 リードさんとミカリアが驚きや怒りで顔を染める。
 ああもうまた修羅場じゃん! と心で叫びながら、私は彼等とシュヴァルツの間に割って入り、仲裁する。

「た、確かに彼は魔王ですけど、これでも魔物の行進イースター解決の立役者で普段はすっごく大人しくしてるので! 全然、全然危なくなんてないですよ!!」
「そーだそーだ。オレサマは、アミレスがいる限りこの世界に手を出すつもりはないからなァ~~」

 どうして貴方はそう煽るような言い方しか出来ないのよ!

「国教会やリンデア教にとって魔族が怨敵である事はよく分かってますし、魔王なんて到底受け入れ難い存在だという事もよく分かっています。だけど、彼は大丈夫です! 今のところ何も悪い事なんてしてないし……寧ろいい事しかしてません!」

 何とか二人を説得しようと力説するも、

「うーん……シュヴァルツ君に悪意や敵意が無いのは分かってるんだけどね、流石に魔王はなぁ……一応これでも一つの宗教をあずかる者だし、見逃せないというか。こればかりはね、主の教えに反してしまうから」

 リードさんは申し訳無さそうな表情で、子供に語り聞かせるように優しい言葉を口にする。

「───いいですか、姫君。悪魔とは悪性そのものであり、僕達人間の善性を喰らう毒です。取引・契約と言えば聞こえはいいですが……悪魔は人間の純粋な願いや欲望を利用し、人間が事の重大さに気づかないからと法外な代償を要求する。悪魔を召喚する者は元より精神が不安定な傾向にあるのですが、悪魔は召喚されたその瞬間に、召喚者の不安定な精神を侵食して無意識のうちに理性を剥奪する。それにより正常な判断が出来なくなった──とすら認識出来ていない召喚者は、悪魔から非道な代償を要求されたとしても、『これは理性的に考え出した決断こたえだ』と誤認して承諾してしまう。悪魔とは、それ程に卑劣で罪深い存在なのですよ」

 ミカリアに至っては、真顔で淡々と悪魔の恐ろしさについて説明してくる。口を挟む隙すら与えてくれない怒涛の語り口調からは、聖人として聖書に従い生きてきた彼の中にある魔族への深い嫌悪が窺える。
 この人達を説得するとか不可能では?

「……じゃあ、そんなシュヴァルツ──魔王ヴァイスを庇う私も粛清対象ですよね」

 人として、あの日の判断やこの発言が間違っている事ぐらいは分かる。分かってはいるけど……でも、これは、そんな常識とかで割り切れる事じゃない。

「私は、凄く単純で利己的な人間なんです。あの夜の日に偶然出会ったシュヴァルツを、あの戦場で命懸けで私達を守ってくれたヴァイスを──私は、今更裏切る事なんて出来ません。たとえそれが褒められた事ではなくとも、世界から後ろ指を指されるような事だとしても……私は、迷わず彼を信じます。だから貴方達が彼に危害を加えるつもりなら、私は、貴方達と戦います」

 もう、他人の為に生きるつもりは無い。自由になったのだから、私は私の為に生きる。
 絶対に失いたくない大切な身内みんなを守る為なら、私は世界から嫌われてもいい。多分それが、一番私の為になる事だし。
 一度信じたのならば最後まで信じる。それが、人との繋がりというものだって……遠い記憶の中で誰かが言っていたから。
 そんな私の歪んだ決意が嫌でも伝わったらしく、リードさん達はあからさまに狼狽えた。

「戦うだなんて……っ、あのね、王女殿下。私だってシュヴァルツ君がそこまで悪くない事は分かってるんだ。数年前に彼に助言された覚えもあるし、粛清とか、討伐とか、私だって叶うならそんな事はしたくない。君と同じように、彼を信じたい気持ちの方が強いんだよ。だけど、彼が魔王──魔界の統治者である以上、これはそんな単純な話では済まないんだ」

 何度も何度も、リードさんは同じ事を柔らかい声音で説明してくる。決して私を否定しないその言い回しには、彼の優しさが滲み出ていた。
 どこからどう見ても、私が悪いのに。

「姫君は世界を敵に回してでもその悪魔を庇うのですか? 百害あって一利なし、貴女の平生を脅かすような事にしかならないのに?」
「はい。彼の正体が分かったその時から、この意思は変わりません」
「……そうですか。──姫君、このような時にこのような事を言うのも何ですが」

 緊迫した空気の中、ミカリアが私の手を取ってニコリと笑い、

「僕は、貴女の事が好きなんです。なのでここからは聖人としての発言というよりかは、貴女に想いを寄せる一人の男の発言になります」

 耳を疑うような、変な前置きをしてから深呼吸をする。

「……──ふぅ。貴女にあんなにもベタベタ触れる男が傍にいる事がそもそも許せないというのに、ましてや魔王だなんて本当に有り得ない! 精霊様に気に入られていらっしゃる姫君は、万が一にも悪魔に精神を汚染されている事はないでしょうが……だからこそ、貴女のような方があんなにも悪魔の肩を持つ事が信じられないのです。どうして姫君は悪魔に味方するのですか? 僕がどれだけ危険だと説明しても、決して意思を曲げないんですか!」

 ミカリアの声がどんどん大きくなっていくものだから、お茶会を楽しんでいた面々がこちらに意識を向ける。
 だが周りが見えなくなっているのか、ミカリアは私の手を両手で握り締めて更に続けた。

「もうどうすればいいんですか! どうすればその男を姫君の傍から排除出来るんですか! 悪魔の危険性を説いても無駄だと言うのならば、もう素直に目障りだとでも言えばいいんですか? でもそんな事を言って姫君に嫌われたら……そう考えて説得を試みたのに、姫は僕と戦ってでも魔王を庇うつもりみたいだし……もう、どうすればその男を貴女の傍から排除出来るんですかぁ!」

 なんと、ミカリアは泣き出した。人類最強の聖人が子供のように泣き出したので、それには私達も思わず唖然となる。
 そこで黙々とスイーツを頬張っていたアンヘルがミカリアの異変に気づき、

「ああ……昨夜ゆうべ、『明日のお茶会が楽しみすぎて眠れないんだよ~!』とかほざくミカリアと飲む羽目になったから、嫌がらせでしこたま酒を飲ませたんだ。めちゃくちゃ弱い癖に俺が飲ませまくったから、見事に泥酔しててな……まだ酒抜けきってなくて多分酔ってるぞ、そいつ」

 サラッととんでもない事を言ってのけた。
 寧ろ今までよく酔ってる事に誰も気づかなかったわね? もしかして治癒魔法とかで誤魔化してたの?

「感情的になって酔いが戻って来たのかもな。知らんけど」
「ちょっと無責任すぎませんかねアンヘルさん!?」
「えー……だって俺巻き込まれた側だし。酒弱い癖に俺に酒飲もうって持ちかけて来たのそっちだし……つーか、悪魔がどうのって言う割に吸血鬼オレの事看過してるから、そこの馬鹿な聖人の話は気にしなくていいと思うぞーおーじょさまー」

 確かに! と納得してしまった。
 吸血鬼はかなりグレーゾーンな立場で、誰もが触れづらい存在である。だが聖書などでは往々にして悪しき存在と記されており、本来ミカリアが関わる事などあってはならないのだが……ミカリアはアンヘルを無二の知人としてとても大切に思っている。
 ならば別に、私もシュヴァルツとの交流を続けてもいいのでは?

「あの、ミカリア様」
「なんですか姫君。その男を殺しても宜しいのですか?」
「まったく宜しくないですよ」

 シクシクと物静かな涙を流しておきながら物騒な事を言うな。

「ミカリア様にとって、アンヘルはとても大事な存在なんですよね?」
「はい。アンヘル君は大事な知人です」
「なら、貴方にもわかりますよね。本当は駄目だと分かっていても、その人を大事な友だと感じる気持ちが」
「…………」

 少し目を丸くして、ミカリアは口を真一文字に結んだ。どうやら私の言葉が彼の心に響いたらしい。
 あともう一押しでミカリアを説得出来る気がする!

「それなのに自分の事を棚に上げて私の事ばかり責め立てるなんて、ミカリア様ったら酷いです」
「ち、ちがっ……そんなつもりはなかったんです。僕は、ただ…………」
「友達として私を心配してくださったんですよね。分かってます。だからこそ、ミカリア様に言いたいんです」
「僕に言いたい、事……?」

 酔いの所為か止まる様子のない涙を指の背で拭い、笑いかける。

「──貴方の友達である私を、どうか信じて下さい。彼が人類に牙を剥く事がないよう、私が目を光らせますので!」

 ついでにクロノの事もお任せを。現在進行形で復讐先延ばし計画実行中なので。

「………………わかりました。でも、少しでもその悪魔が人類に牙を剥けば、その時は国教会の聖人として僕が悪魔を殺します」
「納得して貰えたようで何よりです」
「ああ、それと。その男が姫君に手を出したら殺します。なんならもう魔界に乗り込んで魔界を滅ぼします」
「魔界を滅ぼす!?」

 この人今、世界を一つ滅ぼす宣言したよね!? ゲームのあの純粋無垢なミカリアはどこに行ったのよ……!


 ♢♢♢♢


 五分後。ようやくミカリアが落ち着いてくれたので後はアンヘルに任せて、私はリードさんの説得に移った。
 こちらは、なんとなくだけど既に活路を見つけてある。果たして上手くいくかは分からないけども。

「リード先生、質問があります!」
「急になんだい、王女殿下」
「貴方がシュヴァルツを見逃せない理由って、確か魔王だから……なんですよね」
「まあ、要約すればそうなるね。そんな七面ど──危険な存在を野放しにしては、何が起こるか分からないから」
「なるほどなるほど。じゃあ、私がシュヴァルツの手綱を握れたら問題無いですか?」
「手綱……って簡単に言うけど、彼、魔王だよ?」

 リードさんは無理だって言うけれど、私には秘策があるのだ。

「ねぇシュヴァルツ、ちょっと相談があるんだけど」
「──っああ、なんだ?」

 ぼーっとしていたのか、ハッとしたように返事するシュヴァルツを見上げつつ、私は彼に向けて手を差し出した。
 その手のひらを見て、シュヴァルツは目をパチパチと瞬かせていた。

「私と契約して、使い魔になってよ!」

 どこかで聞いた事のあるフレーズ。それを耳にしたカイルが紅茶を吹き出す姿が視界の端に映る。

「ちょっとアミィなんて事言って──ッ!?」
「駄目っすよ姫さん! 悪魔なんか従えるぐらいなら精霊従えてくださいよ!!」

 椅子を倒す勢いで立ち上がったシルフと師匠が止めに入るも、

「ちょっと精霊共は黙ってろ」

 シュヴァルツの一声で地面から無数に這い出てきた黒い手が、シルフ達の体を絡めとり足止めする。

「……で、お前は何がしたいワケ? オレサマ、魔王なんだけど。使い魔になれとか流石に不敬だぞ」
「それは分かってるけど……だってこうでもしないと、貴方の事をリードさん達に許して貰えないじゃない」
「悪魔の危険性ならさっき耳にタコが出来るぐらい聞いたろ? それなのに契約しようとするとか、そこまでしてオレサマと一緒にいたいのか?」
「えぇ、そうだけど」
「エッ」

 シュヴァルツの頭で揺れる大きなアホ毛が、ピンッと伸びて固まる。

「だってこれまでずっと一緒にいたのに今更いなくなられても、何か違和感凄そうだもの」
「……まァそうだよな。お前はそういう……はァ。ったくよォ~~」

 今度はしなしなと垂れてゆく彼のアホ毛。そのアホ毛を巻き込んで、シュヴァルツは頭をガシガシと掻いていた。

「でもさァ、何度も言うがオレサマは魔王なんだよ。魔王が人間の使い魔になるとか、色々と洒落にならんだろ」
「うーん……じゃあ、拘束の契約にしようかな」
「拘束の契約ゥ?」

 拘束の契約。それは、“それぞれの条件のもと、必ず約束を守らせる”という魔法。双方が心から納得出来る条件を提示すると、互いに約束を守り合うように強制力が働くのだ。
 これは国を問わず王族などの間では有名な契約で、契約者同士で共に呪文を唱えたら契約が成立するらしい。
 その旨を簡単に説明すると、シュヴァルツは顎に手を当てて「ほーん」と気の抜けた声を漏らした。

「それならいいぜ。言うなれば取引のようなものだ、それは悪魔の専売特許だからな」
「なら良かった。それでね、貴方には人類を害さないって事を約束して欲しいのだけど──」
「あまりにも抽象的すぎる。履行期間も定まってないのに、それは流石に無理があるぞ」
「……まあそうなるわよね。だからさっき貴方も言ってたように、私が生きている間は人類を害さないで欲しいの。やむを得ない場合は仕方無いと思うけど」

 つまり私が生きている間は、人類は魔王による被害を受けないと。中々にいい条件だと思う。

「フゥン……オレサマがお前を殺して履行期間を強制的に終えるとは思わないのか?」
「えー? あれだけ信じるって言ったのに、私、貴方に殺されちゃうの?」
「──殺すかよ、ばーか。お前が不安なら……オレサマはお前を殺さない事も条件に加えていいぞ」
「それは親切にどうも。それで、貴方はどんな条件にするの?」

 何故か皆の注目が集まる。何人か、凄く怖いぐらい鋭い眼光を飛ばして来ているけど……あれなのかな、軽率に拘束の契約をしようとしているから怒ってるのかな。

「……ふむ。じゃァ、オレサマが望んだ時にオレサマの頭を撫でてくれ」

 ──頭を、撫でる? 頭を撫でられたがっていた事と言い、もしかしてこの悪魔も誰かに甘えたい性質タチだったの……?!

「えっと、そんな事でいいの? というか全然条件として同等じゃないよそれ」
「ならイリオーデにしてたみたいにさ、お前から抱き締めてくれよ。それでいいぜ、オレサマは」
「分かった……けど、流石に私ばかり厳しい条件を突きつけてて申し訳ないから、もう一つ──そうね、ほっぺにちゅーとかしましょうか? これが条件の一つになるかも分からないけれど……」

 それなりに自分の恥と尊厳を費やす作業なので、私個人としてはそこそこ厳しい条件なのだが、シュヴァルツがこれを承諾するかは分からない。
 なので、おずおずと提案してみたところ、

『──はぁ!?』

 と、皆の叫び声が四方八方から飛んで来た。

「よし乗ったァ! アミレス、早く契約するぞ邪魔される前に!!」
「わ、分かった」

 途端に乗り気になったシュヴァルツに呪文を教え、早速契約に取り掛かる。
 いつの間にか私達の周りには結界が張られていて、外の音が聞こえなくなっており、切迫した表情で何かを叫びながら皆は結界を破壊しようとしている。

「私が貴方に与える条件は、『私が生きている限り人類を害さない事と、私を殺さない事』」
「オレサマがお前に与える条件は、『オレサマが望んだ時に、頭を撫でたり抱き締めたり頬に口付けしたりする事』」
「「──この約束を遵守すべく、此処に契約します」」

 こうして契約は成された。
 上機嫌なシュヴァルツが鼻歌混じりに結界を解くと、その瞬間、イリオーデ達やシルフ達が殺意を隠そうともせず彼に襲いかかった。
 物騒だなあと思いつつ、私はドヤ顔でリードさんの方を振り向く。

「リードさん! 契約は成立しましたのでもう大丈夫です! これで許してもらっ──……」
「も~~~~っ! なんで君は数年経っても全ッ然変わってないの?! 君は女の子だし、そんじょそこらの子達と比べて幾万倍にも魅力的なんだよ! それを理解して行動してくれないかなあ!!」
「り、リードさん?」
「目的の為なら手段を選ばない事とかさあ、自分を安売りするような言動とかさあ! 君はそんな事しなくても充分なぐらい力や手段があるのだから、わざわざ禍根を残すような道を選ばなくていいでしょう!? なんでよりによってその自覚がないのさ!」

 緩く波打つ深緑の長髪を揺らして、彼は私の言葉を遮る勢いで両肩を掴んだ。あの優しいリードさんの急なご乱心に、私は完全に呆気に取られていた。

「王女殿下──いいや、アミレス・・・・さん・・。ちょっと今から話があるんだ。数年前からずっと思っていたんだよ……君、本っ当に危機感が無いよね。それに関してお兄さんと色々お話しようか」
「こ、これでも危機察知能力はある方だと思うんですが……」
「勘違いだよそれ。いいからあそこの空いてる席で説教させて貰おうかな」

 ひぃいい! リードさんの笑顔が怖い!!

「ジスガランド教皇聖下。その説教、私も参加させていただきたく思います」
「君は……?」
「姫様の侍女をしていた、マリエル・シュー・ララルスと申します。私の教育が間違っていたようなので、改めて姫様を再教育すべきと判断したのです」
「成程。そういう事なら大歓迎だ。一緒にこのお転婆お姫様に説教しよう」
「はい、喜んで」

 リードさんとハイラに同時に手首を掴まれ、そのまま空席へとズルズルと引き摺られていく。
 二人以外はほとんどの人がシュヴァルツに攻撃しているし、何もしていないアンヘルはスイーツに夢中。
 目が合ったカイルに潤んだ視線で助けを求めるも、彼はリードさんに向かって「その説教、俺も参加していいっすか?」と言う始末。裏切ったな親友!!
 ナトラは助けようとしてくれたみたいなのだが、クロノとベールさんが何故かそれを阻む。
 どうやら、もう逃げ場は無いらしい。

「~~っ、お説教は嫌ぁあああああああああ!」

 美しい雪原に、私の情けない叫びが響き渡った。
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