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第四章・興国の王女
330.それは彼方より来る3
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♢♢
夏なので皆で納涼でもしようかと、室温を操作した東宮の一室でかき氷を食べたりしながらのんびりしていた日の事だった。
「──ん? アイツ、まさか…………」
何処か遠くの空を見つめ、ボソリとシュヴァルツが零した。その不安げな表情がどうしても気になって、
「どうしたの、シュヴァルツ?」
私はシュヴァルツに話を振った。
窓の外に向けていた視線をこちらに戻し、シュヴァルツはかき氷にサクッとスプーンを突っ込んで、
「……おねぇちゃん。もし命の危機を感じるような事があれば、ぼくでもナトラでも精霊達でもいいからとにかく誰かを喚んで」
真っ直ぐとこちらを見つめて、私の問に答える訳でもなく藪から棒に忠告してきた。
「いや……ぼくを喚んでも今は無意味だ。ぼくはまだ何も出来ないから…………だからナトラか精霊達を喚ぶようにして。出来ればナトラを喚ぶようにしてくれ。多分それが──最も被害を減らす方法だから」
「ね、ねぇちょっと待ちなさいよ。貴方はさっきから何の話をしてるの? 何で急に、命の危機だとか被害だとか……そんな話になったの? それにナトラやシルフ達を喚べって一体どういう…………」
あまりにもシュヴァルツが物々しい雰囲気で語るので、その場にいた──ナトラ、イリオーデ、アルベルト、マクベスタ、そして私の五名は思わず息を呑んだ。
それぞれ、かき氷を食べる手も止まってしまっている。
「まだ、ここまで来る確証は無いんだ。だけど恐らく……ぼくの予想が正しければアイツは来る。人類への恨みや憎しみを爆発させて、大暴れするだろうね」
「いやいや、だから何の話なの! 来るだとか恨みだとか!」
「はぁ…………」
シュヴァルツは重くため息を吐いて、ナトラの方を一瞥した。「……これがお前の答えなんだな」と誰にも聞かせるつもりがない蚊の鳴くような声で、呟いた。
そして彼は今一度こちらに向き直って、
「世界最凶の災害。最古にして原初の純血の竜種、黒の竜──……それが、どうやら人間界に戻ってきたらしい」
思わず言葉を失うような、驚愕の発言をした。
それには誰もが開いた口が塞がらない。しかし、その中でただ一人……ナトラだけは、これに強く反応を示した。
ガシャンっ! とかき氷の器が床に落ちる。それはナトラの震える手から零れ落ちたものだった。
ナトラは目を点にして、瞳孔を震えさせる。程なくして勢いよく立ち上がり、縋るような声でシュヴァルツを問い詰めた。
「シュヴァルツ、それは、まことなのか? あに、兄上が……黒の兄上が、この世界のどこかにおるのじゃと、お前はそう言ったのか!?」
小さいが怪力を宿す手で、ナトラは抉ってしまいそうな程に力強くシュヴァルツの両肩を掴んでいた。
「うん、そう言ったよ。ぼくはそういうのもなんとなく分かるんだ。だから、アイツが人間界に来たって事もなんとなく分かった」
「そんな……黒の兄上が、この世界に……もしかしたら、また、兄上達と過ごせるようになるのか…………?」
「まあ、いつかはそうなるんじゃない? 簡単ではないだろうけど」
黄金の瞳を潤ませてナトラはしゃくり声を上げた。
肩を竦めながらも、シュヴァルツはナトラの手を引き剥がしたりはしなかった。
あの日ナトラと会って、そして聞く事となった『寂しかった』という言葉。それが頭の中で反芻される。
ナトラは寂しかったのだ。訳も分からず眠らされ……目が覚めたら大好きなお兄ちゃん達が死んでおり、残るお姉ちゃんとお兄ちゃんはそれぞれ封印と行方不明ときた。
もし私がナトラの立場だったとしたら、きっと寂しさのあまりおかしくなっていただろう。それだけ、ナトラは孤独を感じていた筈だ。
どれほど過去の記述を調べても、白の竜の封印を解く方法と黒の竜の行方は分からなかった。そう、ナトラが辛酸を嘗めていたのを私は知っている。
だからこそ、我が事のように嬉しかった。
ナトラがずっと捜していた黒の竜が自ら現れてくれた。私達ではきっと癒しきれなかったであろう、ナトラの孤独を埋めてくれる存在がようやく現れたのだ。
そりゃあ……ナトラだって泣いて喜ぶだろう。
「……うん? ナトラのお兄さんが来るのなら、普通にいい事じゃない。どうして命の危機だとかそんな話になったの?」
シュヴァルツのあの発言が妙に頭に引っ掛かる。涙ぐむナトラからこちらに視線を移し、シュヴァルツは淡々と口を開いた。
「何言ってるの、おねぇちゃん。相手はあの黒の竜だよ? そんなものが突然人間の街に現れて──何も起きない筈がないでしょ?」
そうだ、その通りだ。相手は純血の竜種……そんな怪物が突然人間社会に現れて、騒動にならない筈がない!
こうして人型になって窮屈な人間社会で大人しくしてくれているナトラが特殊なだけで、本来の彼女達は竜種──……強大な存在なのだから。
当然黒の竜も、竜らしい姿で現れる事だろう。行方不明とされている黒の竜が何らかの目的で姿を見せたその時には──、
「間違いなく、人類はまた竜を討伐しようとする。その戦いで、この国が巻き込まれる可能性が高いって事か……っ!」
最悪の可能性に気づいてしまった。そしてようやく、シュヴァルツの言葉の意味が分かる。
命の危機を感じたらすぐにナトラやシルフ達を喚べというのは……黒の竜が襲来した時の事を想定しての発言だったんだ。
「アミレス、人間達は……黒の兄上まで、殺すというのか? 我等は何もしていない。我等はただ生きておっただけなのに……我等は、また、人間達に裏切られなくてはならないのか?」
「──っ!」
ナトラの震える声に、八の字に下げられた眉と潤む瞳に、私は息を呑んだ。
「…………無理よ」
「そんな……」
思わず零したその言葉に、ナトラは悲痛に顔を歪めた。
違う、違うの。私はあなたにそんな顔をして欲しくない。もう、寂しい思いをして欲しくないの。
「──無理よ。私には、黒の竜を殺す事なんて出来ない。それがどれだけ人類にとって不利益な事なのだとしても、私にはナトラのお兄さんを殺す事なんて出来ないわ。だから私は、あなた達の味方であり続けるわ、ナトラ」
「アミレス……!」
どれほど世間から非難されようと、私には出来ない。目の前のこの少女が悲しむような事は、どうしても出来ないのだ。
「ぅぐっ……ありがとう、ありがとう、アミレス……! お前だけでも味方になってくれて、ひぐっ……われは…………っ!!」
「いいのよ。寧ろ、こんな事しか出来なくてごめんなさい」
泣きながら私の胸に飛び込んで来たナトラを受け止めて、優しく抱き締める。
こんなにも小さな体を震えさせて、すすり泣きながら何度も感謝の言葉を口にしていた。
ああ、きっと──ナトラ達には味方がいなかったんだ。頼れるのは家族だけ……そんな状況で人類が総力をあげたものだから、結局赤の竜と青の竜は討伐された。
ナトラ達家族は、人類の悪意によってバラバラに引き裂かれたのだ。だから、ナトラは『味方であり続ける』というたった一言で喜んでいるのだろう。
ナトラの頭を撫でながら、一度深呼吸をする。
……覚悟を決めよう。元より私は悪役で、既に何度も必要悪にも絶対悪にもなった。
例え世間から後ろ指を指されようとも構わない。皇帝やフリードルへ私を処刑する口実を与える事になってしまっても構わない。
身勝手で、我儘で、傲慢で、強がりな私は────たったひとりの寂しがり屋の少女の為に、世界だって敵に回そう。
「ナトラ、安心して。あなたのお兄さんの事は、きっと私が何とかしてみせるわ」
ニコリと笑いかけてみる。ナトラが期待に満ちた目でこちらを見上げた時、
「──アミレス。私、ではなく私達……だろ? いい加減オレ達を置いていくのはやめてくれ」
かき氷の器をコトッと机に置いて、マクベスタが眉根を寄せ更に続けた。
「竜種相手なら少しでも戦力が多い方がいいだろう。お前一人に全てを背負わせたりはしないさ」
「マクベスタ……」
「イリオーデ、ルティ。お前達も同じ思いだろう?」
マクベスタが視線を送るとイリオーデ達はこくりと頷いて、
「勿論だとも。私達は、王女殿下のご意思に従うまでだ」
「はい。俺も主君の決定に恭順します」
ハッキリと言い切った。
ここで私は悟った。何気に頑固な彼等は、きっとこの意見を曲げないと。
私の意思に従うと言いつつ、私が巻き込みたくないと思ったところで……彼等はそれを無視して巻き込まれようとする。
私に忠誠を誓った癖に、彼等は私の言葉や意思を無視するんだ。
夏なので皆で納涼でもしようかと、室温を操作した東宮の一室でかき氷を食べたりしながらのんびりしていた日の事だった。
「──ん? アイツ、まさか…………」
何処か遠くの空を見つめ、ボソリとシュヴァルツが零した。その不安げな表情がどうしても気になって、
「どうしたの、シュヴァルツ?」
私はシュヴァルツに話を振った。
窓の外に向けていた視線をこちらに戻し、シュヴァルツはかき氷にサクッとスプーンを突っ込んで、
「……おねぇちゃん。もし命の危機を感じるような事があれば、ぼくでもナトラでも精霊達でもいいからとにかく誰かを喚んで」
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「いや……ぼくを喚んでも今は無意味だ。ぼくはまだ何も出来ないから…………だからナトラか精霊達を喚ぶようにして。出来ればナトラを喚ぶようにしてくれ。多分それが──最も被害を減らす方法だから」
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あまりにもシュヴァルツが物々しい雰囲気で語るので、その場にいた──ナトラ、イリオーデ、アルベルト、マクベスタ、そして私の五名は思わず息を呑んだ。
それぞれ、かき氷を食べる手も止まってしまっている。
「まだ、ここまで来る確証は無いんだ。だけど恐らく……ぼくの予想が正しければアイツは来る。人類への恨みや憎しみを爆発させて、大暴れするだろうね」
「いやいや、だから何の話なの! 来るだとか恨みだとか!」
「はぁ…………」
シュヴァルツは重くため息を吐いて、ナトラの方を一瞥した。「……これがお前の答えなんだな」と誰にも聞かせるつもりがない蚊の鳴くような声で、呟いた。
そして彼は今一度こちらに向き直って、
「世界最凶の災害。最古にして原初の純血の竜種、黒の竜──……それが、どうやら人間界に戻ってきたらしい」
思わず言葉を失うような、驚愕の発言をした。
それには誰もが開いた口が塞がらない。しかし、その中でただ一人……ナトラだけは、これに強く反応を示した。
ガシャンっ! とかき氷の器が床に落ちる。それはナトラの震える手から零れ落ちたものだった。
ナトラは目を点にして、瞳孔を震えさせる。程なくして勢いよく立ち上がり、縋るような声でシュヴァルツを問い詰めた。
「シュヴァルツ、それは、まことなのか? あに、兄上が……黒の兄上が、この世界のどこかにおるのじゃと、お前はそう言ったのか!?」
小さいが怪力を宿す手で、ナトラは抉ってしまいそうな程に力強くシュヴァルツの両肩を掴んでいた。
「うん、そう言ったよ。ぼくはそういうのもなんとなく分かるんだ。だから、アイツが人間界に来たって事もなんとなく分かった」
「そんな……黒の兄上が、この世界に……もしかしたら、また、兄上達と過ごせるようになるのか…………?」
「まあ、いつかはそうなるんじゃない? 簡単ではないだろうけど」
黄金の瞳を潤ませてナトラはしゃくり声を上げた。
肩を竦めながらも、シュヴァルツはナトラの手を引き剥がしたりはしなかった。
あの日ナトラと会って、そして聞く事となった『寂しかった』という言葉。それが頭の中で反芻される。
ナトラは寂しかったのだ。訳も分からず眠らされ……目が覚めたら大好きなお兄ちゃん達が死んでおり、残るお姉ちゃんとお兄ちゃんはそれぞれ封印と行方不明ときた。
もし私がナトラの立場だったとしたら、きっと寂しさのあまりおかしくなっていただろう。それだけ、ナトラは孤独を感じていた筈だ。
どれほど過去の記述を調べても、白の竜の封印を解く方法と黒の竜の行方は分からなかった。そう、ナトラが辛酸を嘗めていたのを私は知っている。
だからこそ、我が事のように嬉しかった。
ナトラがずっと捜していた黒の竜が自ら現れてくれた。私達ではきっと癒しきれなかったであろう、ナトラの孤独を埋めてくれる存在がようやく現れたのだ。
そりゃあ……ナトラだって泣いて喜ぶだろう。
「……うん? ナトラのお兄さんが来るのなら、普通にいい事じゃない。どうして命の危機だとかそんな話になったの?」
シュヴァルツのあの発言が妙に頭に引っ掛かる。涙ぐむナトラからこちらに視線を移し、シュヴァルツは淡々と口を開いた。
「何言ってるの、おねぇちゃん。相手はあの黒の竜だよ? そんなものが突然人間の街に現れて──何も起きない筈がないでしょ?」
そうだ、その通りだ。相手は純血の竜種……そんな怪物が突然人間社会に現れて、騒動にならない筈がない!
こうして人型になって窮屈な人間社会で大人しくしてくれているナトラが特殊なだけで、本来の彼女達は竜種──……強大な存在なのだから。
当然黒の竜も、竜らしい姿で現れる事だろう。行方不明とされている黒の竜が何らかの目的で姿を見せたその時には──、
「間違いなく、人類はまた竜を討伐しようとする。その戦いで、この国が巻き込まれる可能性が高いって事か……っ!」
最悪の可能性に気づいてしまった。そしてようやく、シュヴァルツの言葉の意味が分かる。
命の危機を感じたらすぐにナトラやシルフ達を喚べというのは……黒の竜が襲来した時の事を想定しての発言だったんだ。
「アミレス、人間達は……黒の兄上まで、殺すというのか? 我等は何もしていない。我等はただ生きておっただけなのに……我等は、また、人間達に裏切られなくてはならないのか?」
「──っ!」
ナトラの震える声に、八の字に下げられた眉と潤む瞳に、私は息を呑んだ。
「…………無理よ」
「そんな……」
思わず零したその言葉に、ナトラは悲痛に顔を歪めた。
違う、違うの。私はあなたにそんな顔をして欲しくない。もう、寂しい思いをして欲しくないの。
「──無理よ。私には、黒の竜を殺す事なんて出来ない。それがどれだけ人類にとって不利益な事なのだとしても、私にはナトラのお兄さんを殺す事なんて出来ないわ。だから私は、あなた達の味方であり続けるわ、ナトラ」
「アミレス……!」
どれほど世間から非難されようと、私には出来ない。目の前のこの少女が悲しむような事は、どうしても出来ないのだ。
「ぅぐっ……ありがとう、ありがとう、アミレス……! お前だけでも味方になってくれて、ひぐっ……われは…………っ!!」
「いいのよ。寧ろ、こんな事しか出来なくてごめんなさい」
泣きながら私の胸に飛び込んで来たナトラを受け止めて、優しく抱き締める。
こんなにも小さな体を震えさせて、すすり泣きながら何度も感謝の言葉を口にしていた。
ああ、きっと──ナトラ達には味方がいなかったんだ。頼れるのは家族だけ……そんな状況で人類が総力をあげたものだから、結局赤の竜と青の竜は討伐された。
ナトラ達家族は、人類の悪意によってバラバラに引き裂かれたのだ。だから、ナトラは『味方であり続ける』というたった一言で喜んでいるのだろう。
ナトラの頭を撫でながら、一度深呼吸をする。
……覚悟を決めよう。元より私は悪役で、既に何度も必要悪にも絶対悪にもなった。
例え世間から後ろ指を指されようとも構わない。皇帝やフリードルへ私を処刑する口実を与える事になってしまっても構わない。
身勝手で、我儘で、傲慢で、強がりな私は────たったひとりの寂しがり屋の少女の為に、世界だって敵に回そう。
「ナトラ、安心して。あなたのお兄さんの事は、きっと私が何とかしてみせるわ」
ニコリと笑いかけてみる。ナトラが期待に満ちた目でこちらを見上げた時、
「──アミレス。私、ではなく私達……だろ? いい加減オレ達を置いていくのはやめてくれ」
かき氷の器をコトッと机に置いて、マクベスタが眉根を寄せ更に続けた。
「竜種相手なら少しでも戦力が多い方がいいだろう。お前一人に全てを背負わせたりはしないさ」
「マクベスタ……」
「イリオーデ、ルティ。お前達も同じ思いだろう?」
マクベスタが視線を送るとイリオーデ達はこくりと頷いて、
「勿論だとも。私達は、王女殿下のご意思に従うまでだ」
「はい。俺も主君の決定に恭順します」
ハッキリと言い切った。
ここで私は悟った。何気に頑固な彼等は、きっとこの意見を曲げないと。
私の意思に従うと言いつつ、私が巻き込みたくないと思ったところで……彼等はそれを無視して巻き込まれようとする。
私に忠誠を誓った癖に、彼等は私の言葉や意思を無視するんだ。
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