だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜

十和とわ

文字の大きさ
上 下
358 / 786
第四章・興国の王女

319.薔薇の君へ、花車を6

しおりを挟む
「急にお呼び出しってまた何かあったんすか──って、マジで何があったの姫さん!? 全身ずぶ濡れじゃないッスか!」

 重い隈を引っ提げてエンヴィーは現れた。
 頭の上でバケツをひっくり返したかのように全身ずぶ濡れのアミレスを見て、エンヴィーはギョッとした顔になり、

「ええと……とりあえず、風邪引いたらマズイんで、俺の服着ておいてください」

 慌てて服を脱いで、膝を折りアミレスにそれを掛けた。エンヴィーとアミレスの体格差もあって、その服は余裕をもってアミレスを包み込む。
 その優しさに触れて、彼女は感極まった。

「うぅ……ししょお~~っ!」
「ど、どーしたんすか? 俺を呼び出す程の事だから、やっぱり何かあったんすね?」

 勢いよくエンヴィーの逞しい胸元に飛び込み、アミレスは彼に縋りついた。
 アミレスがこんな風に振る舞う事はかなり珍しい。だから彼は、非常に困惑しながらもアミレスの話を聞く姿勢に入る。

(姫さんがこれだけ取り乱す、って一体何があったんだ?)

 少し不安な気持ちを頭の片隅に残しつつ、エンヴィーはアミレスの背中を優しく摩った。その温かみに少し落ち着いたのか、彼女は雨音に負けるぐらいの小さな声で、ぽつりぽつりと話し始めた。
 聞けば聞く程、エンヴィーの表情が消えていく。まさに雨で流されていく汚れのように……彼の顔から、色という色が抜け落ちてゆくのだ。

「……──姫さん。これだけは確認させてください。姫さんは、人命救助だからとシュヴァルツに無理やりキスされて…………嫌でした?」

 いつもの気さくな雰囲気など、今の彼からは表情と共に失われていた。低く真剣な声。一切笑わぬ瞳を携えた真顔。
 エンヴィーは感情の起伏が激しい激情型の精霊だった。そんな彼が心の底から怒る時、その先には分岐路があった。
 一つは全てを燃やし尽くす業火の怒り。
 もう一つは、灼熱を蓄える劫火の怒り。
 今回は後者に当たるらしい。大事な大事な一番星エストレラを傷つけられて、彼は心の底から憤怒していた。
 今すぐにでもシュヴァルツを始末してやる。そう、エンヴィーは考えた。しかしその前にアミレスの意思を確認しておかねばとも考えたのだ。
 憎き相手と言えども、シュヴァルツをアミレスが気に入ってる事実に変わりはない。もし彼女の意思を無視して始末したなら……きっと、アミレスは悲しむだろう。
 アミレスのお人好しっぷりを知っているエンヴィーは、その可能性を危惧しているのだ。

「……嫌とか、分かんないよ。だって比較対象が無いもん。何が良くて、悪いのか……全然分かんない」

 エンヴィーの胸元に顔を埋めながら、アミレスは心境を吐露する。
 答えになっていないその返答に、エンヴィーは怒る訳でも呆れる訳でもなく、ただ優しくアミレスの背を摩っては静かに語り掛けた。

「じゃあ、もう一度あいつとキスしたいと思いますか?」
「……どちらとも言えない。したいともしたくないとも言えないの」

 アミレスの複雑な心境に、エンヴィーは小さなため息を一つ。

「そうですか。じゃあ、まぁ……あいつの事は数発殴るぐらいに留めておきますよ。後からでも、やっぱり嫌だった。って思ったらそん時は言って下さい。喜んであいつを始末しますので」

 エンヴィーは怒りをぐっと堪え、アミレスに向けて笑いかけた。

(姫さんの記憶を消せたらすげー楽だったんだけどな。姫さんには精神干渉出来ねぇし、とにかく姫さんが立ち直ってくれる事を祈るしかねぇってのがもどかしいな)

 ファーストキスを奪われたショックから錯乱するアミレスを優しく宥める。その温もりに癒されて、アミレスも少し、落ち着きを取り戻した。
 もそもそと起き上がり、エンヴィーから離れると……アミレスはしゅんとした顔で顎を引いた。

「ごめんなさい、師匠。こんな事で呼び出して……師匠もお仕事忙しいのに……」
「別にいーんですよ、これぐらい。これからも、他の奴等には相談しにくい事とかあれば俺を喚んでくださいな。大したアドバイスとかは出来ませんが、愚痴の聞き役ぐらいにはなれるんで」
「し……ししょぉお~~!」
「はは、今日の姫さんは甘えたさんっすねぇ」

 アミレスはもう一度エンヴィーに抱き着いた。今度はその胸元ではなく、彼の首元に腕を回して。エンヴィーはそれを当然のように受け入れて、彼女の気が済むまで付き合う事に決めた。

(役得、って思ってたら流石にシルフさんに刺されるかねー……よし、シルフさんにもこの事は報告しないでおこう。うん。てか下手に一連の流れを話せばこの国滅ぶかもしれねーしな)

 いやはや、笑い話で済ませられたらよかったのだが……残念な事に、人命救助だとしても、彼女の自業自得だとしても。
 アミレスのファーストキスを奪った男というのは、何名かの恨みを買う事になるだろう。
 例えば精霊界を統治する精霊達の王だったり、帝国最大の商会の魔女だったり。他にも人類最強の聖人だったり、鈍色の天才と歌姫だったり、影に生きる執事だったり、風を操る女侯爵だったり。
 もしかしたら……緑の竜や、東の大国の切り札や、神々に愛された男まで。粒ぞろいの化け物達の顰蹙を買うかもしれない。
 もし本当にそんな事になれば──……世界規模の大戦が起こる事間違い無し。
 というか、シルフに報告した時点でこの国から魔力原子が失われる可能性すらある。魔力を管理する精霊達の王ならば、そんな事まで可能なのだ。
 それをよく分かっているエンヴィーは、シルフには絶対報告しないと決めた。それがシルフ自身と人類の為だと判断したのである。

「ああ、そうだ。師匠……この事は……」
「勿論誰にも言いませんよ。姫さんが嫌がる事はしませんから」
「よかった。ありがとう、師匠」

 あからさまにホッとした顔で目元を綻ばせる。アミレスは、何とかしてこの事を忘れようとしていた。
 それだけ、なんの前触れもなくファーストキスを奪われた事がショックだったのだろう。……彼女にも、普通の女の子らしい一面があったものだ。

「さて。風邪を引く前に東宮に戻りましょう、姫さん。人間ってのは簡単に倒れるものなんでしょう? なら気をつけないと」
「うん、分かった」

 エンヴィーは、アミレスを抱えてゆっくりと立ち上がった。エンヴィーの頭上ではたちまち降り注ぐ雨が蒸発し、彼に届く事無く消えている。
 故に、エンヴィーは一切雨に濡れずに、家々の屋根の上を疾走していた。何にも阻まれる事は無く、最短距離で風を切るように進む。
 やがて城壁に辿り着き、そこからアミレスは王城の敷地内へと入って行った。
 しかしエンヴィーは少し用事があると言って街に戻った。その用事というのは……。

「よし、これで目撃者は集められたか」

 アミレスにとっての忘れたい出来事、ファーストキス事件の目撃者達に他言無用と釘を刺す事だった。
 なんなら、殴って記憶を消してやろうか、とさえも考えている。

「姫さんから話は聞いた。お前等、今日あった事は忘れろ。もしも他言したならばそのときは命は無いと思え。俺の権能を以てして、お前等を灰すら残さず燃やし尽くしてやる」

 有無を言わさぬ口調に、息が詰まりそうな威圧。今のエンヴィーには、最上位精霊の側面がかなり強く出ているようだった。

「エンヴィー様、王女殿下はご無事なのでしょうか?」

 イリオーデが威圧に負けず口を開くと、

「ああ。姫さんを東宮まで送ってからお前等を回収しに来たからな」

 エンヴィーはつっけんどんな態度で返事した。

「そう、ですか……良かった…………私は、当然王女殿下のご意向に従います」
「今日の事は忘れたらいいのか。王女様がそれを望んでるなら、俺も頑張って忘れよう」
「僕も……別に、姫の為とかじゃなくて、燃やされたくないからだけど」

 次々に今日の事は忘れると発言する中、シュヴァルツは一人、口を閉ざしていた。その事が鼻についたようで、エンヴィーはシュヴァルツをひと睨みして、

「お前も何とか言えよ」

 ドスの効いた声で凄む。しかしシュヴァルツはそれに怯んだりする事はなく、

「……後で、ちゃんと彼女には謝る。ぼくの考えが甘かった事も認める。その上で、忘れられるよう努力もするよ」
(──何でこう、アイツ相手だと何もかも上手くいかねェんだよ……クソッ)

 あの時の、本気で戸惑い傷ついていた彼女の表情を思い出し……思い通りにならない事へと、苛立ちを覚えていた。
 この後イリオーデとシュヴァルツはシャルルギル達と別れて東宮に戻り、そしてエンヴィー立ち会いのもと、こっそりとアミレスに謝罪した。
 あのシュヴァルツが──……傲慢なりし悪魔が、大人しく頭を下げた。これはそれだけの事だったのだ。
 謝罪の時、シュヴァルツの声はとても真剣だった。
 アミレスは自分にだって非がある事をよく分かっている。だからこそ、この謝罪の時をもって全員がその事を忘れ、無かった事にする……としたのだ。

(忘れて、全て無かった事にする。とか本来のオレサマなら面白くねェから絶対拒否したな)

 アミレスへの謝罪を済ませて、シュヴァルツは侍女服に着替える。

「はァ……マジでどうしちまったんだよ。オレサマは、こんなんじゃねェだろォが──……」

 後頭部を掻き毟り、シュヴァルツは深く項垂れた。
 その独白は誰にも聞かれる事無く、静かに闇に消えてゆく。それはまさに、悪魔かれ自身のように……一寸先の闇へと落ちていったのだ。
しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

異世界成り上がり物語~転生したけど男?!どう言う事!?~

ファンタジー
 高梨洋子(25)は帰り道で車に撥ねられた瞬間、意識は一瞬で別の場所へ…。 見覚えの無い部屋で目が覚め「アレク?!気付いたのか!?」との声に え?ちょっと待て…さっきまで日本に居たのに…。 確か「死んだ」筈・・・アレクって誰!? ズキン・・・と頭に痛みが走ると現在と過去の記憶が一気に流れ込み・・・ 気付けば異世界のイケメンに転生した彼女。 誰も知らない・・・いや彼の母しか知らない秘密が有った!? 女性の記憶に翻弄されながらも成り上がって行く男性の話 保険でR15 タイトル変更の可能性あり

婚約したら幼馴染から絶縁状が届きました。

黒蜜きな粉
恋愛
婚約が決まった翌日、登校してくると机の上に一通の手紙が置いてあった。 差出人は幼馴染。 手紙には絶縁状と書かれている。 手紙の内容は、婚約することを発表するまで自分に黙っていたから傷ついたというもの。 いや、幼馴染だからって何でもかんでも報告しませんよ。 そもそも幼馴染は親友って、そんなことはないと思うのだけど……? そのうち機嫌を直すだろうと思っていたら、嫌がらせがはじまってしまった。 しかも、婚約者や周囲の友人たちまで巻き込むから大変。 どうやら私の評判を落として婚約を破談にさせたいらしい。

困りました。縦ロールにさよならしたら、逆ハーになりそうです。《改訂版》

新 星緒
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢アニエス(悪質ストーカー)に転生したと気づいたけれど、心配ないよね。だってフラグ折りまくってハピエンが定番だもの。 趣味の悪い縦ロールはやめて性格改善して、ストーカーしなければ楽勝楽勝! ……って、あれ? 楽勝ではあるけれど、なんだか思っていたのとは違うような。 想定外の逆ハーレムを解消するため、イケメンモブの大公令息リュシアンと協力関係を結んでみた。だけどリュシアンは、「惚れた」と言ったり「からかっただけ」と言ったり、意地悪ばかり。嫌なヤツ! でも実はリュシアンは訳ありらしく……

逃げて、追われて、捕まって

あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。 この世界で王妃として生きてきた記憶。 過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。 人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。 だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。 2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ 2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。 **********お知らせ*********** 2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。 それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。 ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。

3年前にも召喚された聖女ですが、仕事を終えたので早く帰らせてもらえますか?

せいめ
恋愛
 女子大生の莉奈は、高校生だった頃に異世界に聖女として召喚されたことがある。  大量に発生した魔物の討伐と、国に強力な結界を張った後、聖女の仕事を無事に終えた莉奈。  親しくなった仲間達に引き留められて、別れは辛かったが、元の世界でやりたい事があるからと日本に戻ってきた。 「だって私は、受験の為に今まで頑張ってきたの。いい大学に入って、そこそこの企業に就職するのが夢だったんだから。治安が良くて、美味しい物が沢山ある日本の方が最高よ。」  その後、無事に大学生になった莉奈はまた召喚されてしまう。  召喚されたのは、高校生の時に召喚された異世界の国と同じであった。しかし、あの時から3年しか経ってないはずなのに、こっちの世界では150年も経っていた。 「聖女も2回目だから、さっさと仕事を終わらせて、早く帰らないとね!」  今回は無事に帰れるのか…?  ご都合主義です。  誤字脱字お許しください。

……モブ令嬢なのでお気になさらず

monaca
恋愛
……。 ……えっ、わたくし? ただのモブ令嬢です。

モブはモブらしく生きたいのですっ!

このの
恋愛
公爵令嬢のローゼリアはある日前世の記憶を思い出す そして自分は友人が好きだった乙女ゲームのたった一文しか出てこないモブだと知る! 「私は死にたくない!そして、ヒロインちゃんの恋愛を影から見ていたい!」 死亡フラグを無事折って、身分、容姿を隠し、学園に行こう! そんなモブライフをするはずが…? 「あれ?攻略対象者の皆様、ナゼ私の所に?」 ご都合主義です。初めての投稿なので、修正バンバンします! 感想めっちゃ募集中です! 他の作品も是非見てね!

前世では美人が原因で傾国の悪役令嬢と断罪された私、今世では喪女を目指します!

鳥柄ささみ
恋愛
美人になんて、生まれたくなかった……! 前世で絶世の美女として生まれ、その見た目で国王に好かれてしまったのが運の尽き。 正妃に嫌われ、私は国を傾けた悪女とレッテルを貼られて処刑されてしまった。 そして、気づけば違う世界に転生! けれど、なんとこの世界でも私は絶世の美女として生まれてしまったのだ! 私は前世の経験を生かし、今世こそは目立たず、人目にもつかない喪女になろうと引きこもり生活をして平穏な人生を手に入れようと試みていたのだが、なぜか世界有数の魔法学校で陽キャがいっぱいいるはずのNMA(ノーマ)から招待状が来て……? 前世の教訓から喪女生活を目指していたはずの主人公クラリスが、トラウマを抱えながらも奮闘し、四苦八苦しながら魔法学園で成長する異世界恋愛ファンタジー! ※第15回恋愛大賞にエントリーしてます! 開催中はポチッと投票してもらえると嬉しいです! よろしくお願いします!!

処理中です...