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第四章・興国の王女

294.ある兄妹の冷戦

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 ──困ったな。果たして、僕はどう行動すべきなのか。

 かれこれもう数日間悩み続けている気がする。ただでさえ仕事が立て込んでいて忙しいというのに、何故このような雑事にまで気を割かねばならないのか。
 仕事の合間に本をペラペラと捲りながら、僕は自問自答する。どうしてこんな時間を無駄にするような事ばかりしているのか、自分でも自分がよく分からない。

「……おい、ジェーン。お前の取り寄せたこの本、確かに参考になるのか?」

 本から顔を上げ、書類を次々に捌く秘書の男に文句をつける。すると彼は手を止めてからこちらを見て、

「それは殿下次第ですよ……ふっ、くく……っ」
「お前、何を笑ってるんだ? 何がおかしい?」
「笑ってなど……フフッ、おりませんよ」

 ジェーンは真顔で肩を小刻みに震わせる。
 何だろうか、これはどう考えても馬鹿にされている。僕に仕える『影』の分際で不敬だな。

「いやしかし、殿下……きっと読み込めば参考になりますよ。えぇ!」
「……信用ならないな。先程から読んでいるが、意味不明というか理解不能な内容ばかりだが」
「それは殿下が常識や普通から逸脱してるからですよ」
「つまりは僕が非常識な異常者だとお前は宣うか」
「はは、まさかそんな」

 そんなやり取りに呆れの息を零し、今一度本に視線を落とす。
 ジェーンに命じ取り寄せさせたこの本、『仲良し兄弟の秘訣!~喧嘩するほど仲がいい~』。僕は兄妹仲の改善に繋がる参考書を用意しろと命じたので、実際の本の選定そのものはジェーンに任せていたのだが……何だこの本は。
 ジェーン曰く市井で大人気の本だとかいう触れ込みだったが、にわかに信じ難い。
 何だこの項目……【毎朝毎晩の「おはよう」と「おやすみ」はかかさないこと! これさえしておけばとりあえず最低ラインは死守できます。】だと? 僕がこの本の筆者が勝手に決めつけた尺度において最低限の基準にすら達していないと、そう言いたいのか?
 そもそも僕とあの女とでは生活圏が違う。挨拶など交わす機会がないだろう。……ちっ、役に立たんな。
 他にも、【誕生日や記念日のプレゼントは忘れずに。案外弟妹はそういう事ばかり根に持ちます。】だとか、【「ありがとう」と「ごめんなさい」はすぐに言いましょう。人として最低限のマナーです】だとか。
 随分と尊大な物言いだな、この筆者は。

「……プレゼントと言えば。おい、ジェーン。例の物は指示通り置いて来たな?」
「ああはい。殿下に指示されたその日の夜のうちに、東宮の前に置いておきましたよ。翌朝にはなくなっていたので、東宮の侍女が回収したのでしょう」
「この本の指示通りにあの女にプレゼントをくれてやったが、本当に意味があるのか? 全く価値も意義も見い出せないのだが」

 はぁ。と僕がため息をつくと、

「そうは仰っても、殿下こそ喜んでらしたではないですか。毎年毎年、控えめでおしとやかな匿名のメッセージカードつきのプレゼントだけは」

 ジェーンがここぞとばかりにニタリと笑う。相変わらず趣味の悪い男だ……どうしてこんな奴が僕の『影』なのか……。
 いやジェーンの事などどうでもいい。問題は彼の発言だ。

「──お前、どうして、その事を知っている?」

 氷の魔力で冷気を放ち威圧的に詰問すると、ジェーンはあっさりと白状した。

「俺を何だと思ってるんですか? 貴方の『影』ですよ。殿下の事はある程度把握してますとも。あのメッセージカードつきのプレゼントが王女からのものだと気づいたのは、大体五年程前でしょうか」
「…………つまり最初から知っていたという事か!」
「そりゃあ、まぁ。殿下の『影』になった時、殿下に贈られるプレゼントの山の中に、見慣れない侍女がこっそりと小さなプレゼントを紛れ込ませているのを目撃しまして。気になったので跡をつけたら東宮の侍女だったんですよね~、その侍女と王女の会話にこっそり聞き耳を立てていたら、知ってしまったんですよ」

 ジェーンは語る。あの女とその侍女……あの専属侍女が話していた内容というものを。

『姫様、本年度も無事紛れ込ませる事に成功しました。しかしわざわざ毎年メッセージカードまでおつけになる必要などないと思いますが……』
『うーん……私もそう思うんだけど、体がつい動いちゃう……みたいな?』
『姫様はご兄弟想いなのですね。それに比べ皇太子殿下ときたら……!』
『ハイラ、どうどう』

 何だかさり気なく僕への批難が含まれていたそれを、無駄な演技力の高さで演じた。本当に図太い神経をしているな、この男は。

「……──とまあ、こんな感じでして。この後もあの二人は何か話していたようなのですが、突如命の危機を感じてすぐさま退散しましたのでその後はサッパリ。ただ、毎年王女が殿下にとプレゼントとメッセージカードを用意していた事は確かでしょう」

 不気味にニコニコと笑うジェーンがいつの間にかすぐ目の前に。そして、彼は屈んで笑顔で言い放った。

「楽しかったですよ。まさか送り主が王女とはつゆ知らず、毎年メッセージカードを大事にしまってプレゼントもきちんと使う殿下をお傍で見守るのは! 何度、『いつ教えてさし上げましょうかねぇ』と悩んだ事か」
「死にたいのか?」
「あっはははは、処刑はご勘弁を」

 八の字眉で心底腹立つ笑顔をこちらに向けてくるものだから、氷で剣を作ってその喉元に突き立ててしまった。
 すると流石のジェーンも冷や汗を浮かべて手のひらを返す。舌打ちと共に剣を消し、僕は椅子に座り直して本を一瞥した。

「【食事は積極的に! 一緒に食べる事で温かな関係を築ける事でしょう。】か……今更食事の一つや二つでどうにかなる問題でもないと思うがな」

 この数年で幾度となくあの女から向けられて来た憎悪の視線を思い出す。
 一度は僕から振り払ったあの手を、今度はこちらから掴もうとしている事が実に滑稽であり愚かな事だという自覚はある。
 だがそれでも、僕はあの女を愛してやらねばならない。僕があの女を殺す為にはあの女を愛する必要がある。だから、こうしてあの女を愛する為に歩み寄ろうとしているのだ。

「ですが、何もしないよりかはずっといいと思いますよ? 食事であまりにも難易度が高いと仰るなら、お茶会などはいかがですか? 何やら王女は紅茶が好きなようですし」
「お茶会? あの七面倒な暇人の集いを僕に開けと?」
「仕方無いでしょう。もし王女がお茶会を開いても殿下を招待する筈がないのですから、殿下が開き殿下が王女を招待しなければ」

 ふと、あの女とお茶会をする様子を想像する。いや想像出来ないな。そもそも、僕自身お茶会など経験が無い。更にあの忌々しい女と食事をした事も当然無い。
 そんな僕に想像出来るような内容ではなかったな。
 ……それなのに。やるしか、ないのか? この僕が?
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