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第三章・傾国の王女

284.星は流れ落ちる5

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 だが、どうしてだろう。思わず目を細めてしまうような眩しい光が発生したのに、イリオーデから聞いたような音や熱や衝撃波は何一つとして、私達に届かない。
 どうして──? そう、言葉が零れそうになった時。

「───まったく……どうしてこう、君は目を離した隙にいつも危険な目に遭っているんだ?」

 とても聞き覚えのある、温かな声が私の耳に届いた。それはこの場にいる筈のない、大事な大事な……私の、友達の声だった。

「しる、ふ……?」

 ゆっくりと瞼を開き、まだ光にチカチカとする視界を広げる。
 するとそこには、七色に煌めく長髪をふわりと舞わせる、星空の瞳の美青年が立っていた。
 彼はにこりと微笑み、

「うん、ボクだよ。ようやく会えたね、アミィ」

 私をぎゅっと抱き締めた。その声音も、温かさも、全部がよく知るものだった。
 ああ──このヒトは、本当にシルフなんだ。

「本当に……こうして、この手で君に触れ抱き締められる日をどれだけ心待ちにしていた事か」

 覆面越しに私の頭を撫でて、シルフは熱っぽい声を零す。

「これが、シルフ様なのか……?」
「猫じゃない……」

 後方から、イリオーデとアルベルトの困惑が聞こえて来た。私が迷わず呼んだシルフという名に驚いているのだろう。

「猫は世を忍ぶ仮の姿……って格好つけても意味無いか。実のところボクにも事情があったってだけ。その事情がようやく片付いたから、こうして本当の姿で人間界こっちに来られたんだ」

 一言喋るだけで空気が変わる。そんな威厳や風格を漂わせる口調に、何だか少し違和感を覚えた。私が知らなかったシルフの一面。きっと、これが本当のシルフなんだ。
 ……というか、爆発は!? こんな事してる場合じゃないよね!?

「ねぇシルフ、今ね、周りの人達が自爆特攻を仕掛けて来てるの! だから早く逃げるか何とかしないと!」

 シルフの美しい顔を見上げて、慌てて訴える。しかしシルフはあまり合点の行かない様子で首を傾げた。
 だが程なくして、シルフは「ああ!」と何かを思い出したように声を上げ、

「アミィが危なかったから、慌てて出て来てよく分からないまま適当に止めたけど、あれって自爆しようとしてたんだね。非効率的すぎて考えもしなかったよ」

 ケロッと言ってのけた。
 止めた……止めたってどういう事?? 純粋な疑問から眉を顰めた時、イリオーデとアルベルトも似たような表情になっていた。多分、同じ疑問にぶち当たっている事だろう。
 言われて見れば、先程自爆特攻を仕掛けて来た人達は一人残らず眠るようにその場で倒れている。爆薬に至ってはそもそも消え失せていた。
 一体何が起きたのか……シルフが何をしたのか、私達には分からなかった。

「ところでさ。アミィ、怪我してるよね? それもかなりの大怪我。ボクが分からないとでも思った?」

 ギクッ!

「お腹にあるこの氷塊は何かな~? 何で君はいつも無理するのかな~?」

 ギクギクッ!

「王女殿下……大怪我をされていたのですか!?」
「患部をお見せください。今すぐ応急処置の方を!!」

 ああもうどんどん私の怪我が知れ渡っていく! こうなるから隠しておいたのに!!

「応急処置をするにも、ここは空気が悪いから移動しようか。何処か、治療に適した場所とかないの?」
「でしたら、この戦いでの拠点としている要塞が一番マシでしょう。私共で案内しましょうか?」
「そうだね、案内は頼んだ。ボクはアミィを抱えて…………いや、目立つか。適当に姿を変えてついて行くから」

 そう言って、シルフは何らかの魔法を使用した。すると頭から次第にシルフの見た目が変わってゆく。
 プラチナブロンドの髪に、愛らしい面持ちの女の子。目まぐるしく変化したシルフの姿に、私達はぽかーんとしていた。

「何その姿……可愛い……」
「やっぱりアミィは可愛い方が好きなんだね。アイツの姿にして正解だった」
「アイツの姿……って?」
「部下の男の顔をちょっと借りてるんだ。これなら素顔でいるより目立たないからね」

 シルフはふふんと鼻を鳴らしたが、私はそれにツッコミを入れたくなった。
 ──その見た目でも、全然目立つと思うけどね!
 そんな事を考えていると、どなたかの姿をしたシルフが私の事を軽々抱き上げた。彼の見た目の所為で妙に緊張してしまう。
 イリオーデが先導、殿はアルベルトで私とシルフが真ん中に挟まれる形で歩き出す。薄くなりつつある黒煙の中を抜けると、先程までの戦いが嘘のように、浅い積雪を荒らされた平原はがらんとしていた。
 要塞前ともなると、私達が防衛戦線を張っていたからか誰もいない。倒れた領民達以外には、今も尚カイルと戦うモルスさんぐらいしか動いている人が見えない。
 そう。ここはとても見晴らしがよかった。だからか、要塞に向かう途中の私達にカイルが気づいたのだ。

「誰ぇ!?」

 空中でカイルは叫んだ。ギャグ漫画のように目をかっぴらいて、大きく口を開けているようだ。
 カイルがあんなにも思い切り反応したものだから、勿論モルスさんもこちらに気づいたようで。私達三人は覆面と変装があるけれど、シルフは違う。
 シルフを見てモルスさんは顔を顰めていた。多分、敵が増えた事にげんなりしているのだろう。

「誰アレ。もしかしてカイル?」
「うんそうだよ。でも名前で呼ばないであげて欲しいの、一応正体隠してるみたいだから」
「ふぅん……ボクにはあまり関係無いけどね。君がそう言うのなら、仕方無いからそうしてあげようかな」

 上機嫌に歩くシルフの横顔を眺める。まあ、この顔はシルフのものではないそうだけど。

「……歌? 一体どこから──」

 要塞を目前に捉えた時、どこからか歌が聞こえて来た。とても優しくて、体の真ん中からじんわりと温められるような歌だった。

「上だよ。あの要塞の上で、誰かが歌ってる」
「要塞の上で……?」

 シルフに促されて要塞を見上げる。

「あれって──ローズ?!」

 要塞の監視台に立ち、ローズは歌っていた。鈍色の髪を太陽に透かせて、天に祈りを捧げるかのように彼女は音を奏でる。
 まるで宗教画のようだった。ただ美しくて、感嘆のため息だけが口から零れ落ちる。
 決して、声が大きいという訳ではない。それなのに、彼女の歌はこの戦場中に届いているようだった。戦う人々が思わずその武器を下ろして耳を澄ましたのは、彼女の歌が人々の心に届いたからだろう。
 これが、テンディジェルの歌姫…………領民達を癒し、つけあがらせた天使の歌声。
 ああ確かに、これは癖になる。神々自ら楽器を手に取り伴奏をするような、一度聞いたら忘れられない最高の歌だ。

「…………あれ? なんか、傷が……」

 腹部にあった痛みが引いてゆく。何が起きているのかと、氷塊を溶かして腹部に触れる。するとそこにあった筈の大きな傷口が消えていたのだ。
 流石に服を捲って見る訳にはいかないので、手探りで確認しただけなのだが……腹部にあった筈の傷が綺麗さっぱりなくなっているみたいだった。
 もしかしてこれが、ローズの歌の治癒力? でもあの子は歌えない上に大きな怪我は治せないって……。
 今、自分の身に何が起きているのか分からず、当惑する。

「ね、ねぇ傷がなくなったんだけど! 何でか分からないけど傷が治った……っていうか、心做しか凄く力が湧いてくるし疲れも吹き飛んでるような……何これ本当に何が起きてるの?!」
「落ち着いて、アミィ。いやボクもそこそこ驚いてるけどひとまず落ち着いて」
「でも、怪我が!」
「うんそうだね怪我が治ったみたいだね。とりあえず落ち着こうか」

 シルフの胸で暴れる私を、彼はニコニコしながら優しく宥める。
 こんなにも身に覚えのない現象が立て続けに発生し、もはや恐怖すらも感じる。そんな困惑からどうにも落ち着けない私の様子に、何故かホッとしたように胸を撫で下ろすイリオーデとアルベルト。
 どうやら、私の怪我が治ったという事柄に安心したらしいのだ。

「多分だけど、アミィの怪我が治ったのはあの歌の力だと思うよ。あれはー……ミュゼリカが何か小細工したっぽいなぁ…………」

 ローズを見つめ、シルフは眉を顰めてボソリと呟いた。ミュゼリカ? またシルフの知り合いかしら。
 しかし……これは本当にローズの歌の力なの? ローズ本人が無理だと言っていた事が、ことごとく今起きているけれど。

「……アミィ、確か力が湧いてくるとか言ってたよね」
「うん。今も凄くやる気が漲ってるよ」
「ああ、成程ね。ミュゼリカの奴め余計な真似を…………!」

 途端に険しくなるシルフの顔。何が成程なの? と首を傾げていると、

「音の魔力っていうのはね、本人の精神性が強く影響するんだ。特に歌っていう形ならば尚更。特定の誰かへと向けた強い想いが篭ったそれは、その誰かだけに尋常ならざる効果を発揮するんだ」

 うんざりしたような面持ちでシルフが説明する。
 つまり、どういう事? と私は変わらず首を傾げたまま。そんな私の反応にシルフの表情は険しくなった。

「……あの人間はアミィの事を想い、アミィに向けて歌ってるんだ。だから本来ならば聞いた者全てに与えられる筈だった恩恵が、今はアミィ一人に与えられてるの。だからアミィだけ、どんどん力が湧いてくるんだと思うよ」

 そう言って、彼はケッ、と唾を吐く。
 それって前にカイルから聞いた魔導遺産ロスト・アーティファクトってやつと似てるわね……嘘でしょう? ローズの歌が魔導遺産ロスト・アーティファクトと同じような効果や力があるなんて!

「はぁー気に食わない。ボクがいない半年の間に色々起きすぎだろ。何でアミィはそこらじゅうでホイホイ人間を誑し込むんだ…………」

 はぁぁぁぁぁぁ。と深く大きなため息を吐き出して、シルフは項垂れる。
 誑し込むだなんて人聞きの悪い……ローズは女友達なのに。シルフにも後でその辺りをちゃんと話さないとね。
 ずっと閉塞的な世界に生きてた私がこうして外で友達を作ったんだから、もう少し喜んでくれたっていいのに。
 私の苦楽を知る人生初友達のシルフには、一番喜んで欲しいのになぁ。

「──主君。領民達が公女に気づき要塞に向かい始めました。そろそろ潮時かと」

 アルベルトの顔はモルスさんの方に向けられていた。釣られてそちらに顔を向けると、モルスさんを筆頭に次々と要塞に突撃する領民達の姿が。
 ローズの姿を確認して、もう私達を倒す必要はないと判断したのかもしれない。カイルや私達には目もくれず、要塞に雪崩れ込もうとしていた。
 怪我も治ったのでもう大丈夫だと、シルフに言って降ろして貰った。そこで懐から鏡を取り出して、ヘブンに連絡を取った。

「ヘブン、今大丈夫かしら?」
『──まァ。ところでそっちはどうなってんだ? デケェ爆発音とか聞こえたが』
「領民達が自爆特攻して来たの。それはともかく……もう戦うのをやめて戦線を離脱して。そろそろこの計画を終わりにするわよ」
『急かよ。はァ……アイツ等にも伝えておく』

 眉を顰めている事が目に浮かぶような不機嫌な声で、ヘブンは連絡をブツ切りした。
 別にいいんだけどさ、もうちょっと愛想良く出来ないのかな……私相手だから許されるけど、他の人相手ならお説教案件よ。

「アミィ、それってもしかして鏡の魔力? 珍しいものを持つ人間がいたものだね」
「ね。私も初めてこの鏡を使った時は驚いたわ」
「…………くそ、また男か……」
「何か言った?」
「気の所為だよ」

 あからさまにニコニコしているわ。流石の私もスルー出来ない怪しげなニコニコっぷりだ。あまりにも怪しい。
 シルフって、いつもこんな風に表情豊かに喋ってたんだ。
 半年振りに再会出来た事だけじゃなくて、こうして新しい一面を見られた事も……とっても嬉しいな。
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