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第三章・傾国の王女

266.鈍色の天才

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 ローズと一日中レッスンに励んだ大公領生活四日目。
 やはりその道のスペシャリストらしく、ローズのレッスン時の熱量は凄まじかった。
 姿勢から指導が入り、恋人かのような体の密着具合で彼女は手取り足取り教えてくれた。体が密着する度に鼻をくすぐる香水の香りや、柔らかなローズの体温に、私は女でありながらノックアウトされてしまいそうだった。
 そんな誘惑にも耐えながらのレッスン……一日中歌うなんて人生初なので、少し喉がガラガラになってしまった。
 勿論、無理のない範囲でのレッスンだったので、適宜休憩として喉にいいハーブティーを飲んだり、昼食ではスタミナ系のガッツリした料理を食べた。
 昼食が終わったら、レオナードに呼び止められた。しかしローズが、「アミレスちゃんは私と先約があるんですぅー!」と私の腕に彼女の細腕を絡ませてレオナードに宣言していた。
 ぽかんとし、こちらに手を伸ばしたままその場で固まるレオナードを尻目にローズは、「行こう、アミレスちゃんっ」と私の腕を引っ張って歩き出した。その横顔がとても明るくて、この兄妹実はそんなに仲良くないの……? とちょっと不安になってしまった。

 ちなみに、ローズのアミレスちゃん呼びには昨夜の夕食時その場にいた人全員が驚いていた。
 誰もが固唾を呑んで様々な視線をローズに向けたものだから、「私がローズにお願いしたんです」と言うや否や、私が彼女を愛称で呼んだ事にもテンディジェル一家は目が飛び出そうな程たまげていた。
 急に仲良くなった私達。それに一番驚いていたのはレオナードだった。
 腕を組んで仲良く歩く私達を羨ましそうに見て来た彼に、妹さんを取っちゃってごめんね……と申し訳無い思いになった。やめないけど。対等な女友達と過ごす時間が楽しくって!
 シスコンのレオナードには悪いけれど、大公領にいる間はローズを貸してちょうだいね! ……なんて、シスコン相手に酷な事を考えていたからだろうか。

「王女殿下。このような夜中にどうされましたか?」

 夜中に気分転換がてら城内を散歩していると、レオナードとエンカウントしてしまった。
 これまでの四日間で城内の地図はあらかた完成し、イリオーデも欲しかった情報を手に入れてくれたので、アルベルトに頼んでそれらをまとめてスコーピオン達に共有してもらった。
 だから後は内乱発生と計画始動を待つのみ。それまではローズを内乱で守り、レオナードを内乱にどう巻き込むかを考えよう……と、今日はのんびり考えながら散歩していたのだ。
 そしたらまさかのレオナード本人と遭遇。嘘をつくのもなんだかなぁと思い、

「眠れなくて、ちょっと散歩してましたの。公子はどうされたんですか?」

 正直に答えてレオナードに質問返しをする。

「俺も似たようなものです。でもまさか、王女殿下にお会い出来るなんて思ってなかったので、嬉しいです」

 レオナードはローズとそっくりな柔らかい微笑みを作った。……意外ね、シスコンの彼からローズを奪ってしまったのに、案外好意的な態度だ。
 せっかくこんな夜中に会ったんですから、立ち話もなんですし……と自然に談話室のような場所に向かい、レオナードが用意してくれたホットミルクを手に暖炉に当たりながら談笑する。
 レオナードの話は大体ローズの事だった。ここ二日間やけにローズと仲が良くないかとか、ローズと何してるんだとか…………ほらね! やっぱり気になってるんじゃないのこのシスコンめっ!
 シスコンがちゃんとシスコンらしい事を聞いて来たので、何故かテンションが上がる私。
 しかし歌のレッスンだって事は絶対に言えない。だって恥ずかしいし。ならばどう話したものかと悩んだ末、私はおもむろに人差し指を立てて口元に当てて、

「ひ、み、つ、です♡」

 恥じらいつつも色っぽい感じにはぐらかしてみた。
 こうも思い切り秘密だと言われてしまえば、流石に追及しづらいのだろう。彼もそれ以上は何も言わなかった。
 眠くなるまで、と決めて何気ない話を続ける。三十分ほど経った頃だろうか、レオナードが深刻な面持ちで「……相談したい事があるんですが」と切り出した。

「ローズから、王女殿下に相談したら悩みが少し解決したって聞いて……つまらなくて、長い話ですけど大丈夫ですか?」
「勿論大丈夫ですよ。力になれるかは分かりませんが、愚痴の聞き役ぐらいにはなれるかと」
「ありがとうございます」

 ぺこりと一度頭を下げてから、レオナードは顔を上げて話し始めた。

「実は……俺は本来、公子だなんて呼ばれていい立場の人間じゃないんです。俺はディジェル領の人間としては不出来な人間…………血筋だけの人間、それが俺でして」

 おやおやおや? 何か急にかなり重い話が始まったぞ。

「ディジェル領の人間が妖精の祝福で強靭な肉体を持つ事はご存知ですよね」
「えぇ。実際に戦って、それは実感しました」
「この領地に生まれてくる人間は妖精の祝福で、強靭な肉体を持って生まれるのです。ですが……俺は違っていて」

 違うって……何が? と私が小首を傾げていると、レオナードが袖を捲りながらスっと立ち上がり、暖炉の横に立て掛けてあった火かき棒で自分の腕を思い切り叩いた。

「なっ……! 何をしてるんですか公子!?」
「大丈夫ですよ、ただの打撲です。それにこれぐらいの怪我、ディジェル領の人間ならすぐ治りますから」

 にこやかに語るレオナード。確かにここに来た初日、私達三人でかなりボコボコにした騎士団の面々も、ほんの数日で八割方回復していたようだった。
 昨日、城内で大公との会議が終わった直後らしい騎士団長三名とたまたま鉢合わせたのだが……数日前までボロボロだったのに、今やピンピンしていた。
 これにはイリオーデやアルベルトも驚いていた。本当に大公領の人間は自然治癒力が高すぎる。それは目の当たりにしたから分かるのだが…………。
 そこでふと、違和感を覚える。
 確かに大公領の人間ならこれしきの事、取るに足らない怪我なのだろう。だがどうだろう……レオナードの腕に出来た打撲痕はいつまで経っても癒える様子が無い。
 どういう事なの? もしかして自然治癒にも時間差があるのかしら? と疑問符を浮かべていると。

「……この怪我は治りませんよ。だって俺は、ですから」

 声にならない驚きが、吐息となって口から漏れ出る。

「俺はテンディジェルの人間ですが……残念ながら、強靭な肉体も強力な自然治癒力も持ち合わせず生まれた、ディジェル領の出来損ないなんです」

 レオナードはつとめて明るく話した。
 その驚愕の事実に、私はついに言葉を失った。

「原因不明の半端者……それが、俺なんです。おかしな話ですよね。妹のローズはドジだから戦えないけど、その体はきちんとディジェル領の人間らしい強靭な肉体です。外から来た母さんはともかく、父さんも伯父様も強靭な肉体を持ってるんですが、俺だけは。何故か外の世界の人達と同じ平凡な肉体なんです」

 彼はなんでもないように明るく話す。だからだろうか、その姿がとても痛ましく悲哀に沈んで見えて仕方無いのだ。
 何か言葉を掛けようにも、言葉が出て来ない。何と伝えたら、私はレオナードの心の膿を取り除けるのだろうか。

「まあ、だから俺は至って普通の人間……というか出来損ないの普通以下の人間でして。それなのに、ローズと一緒にいる為にと伯父様の仕事を手伝ってただけで周囲から秀才だとか持て囃されるようになって。それが理由で、噂だとフリードル殿下の側近候補だとかに選ばれてるらしいんです」

 もやもやと考え続ける。その間も、レオナードは「ここで相談したい事がありまして」と話を続けていた。

「フリードル殿下がお求めなのはきっと、強靭な肉体を持つディジェル領の民です。それなのに、多少記憶力がいいだけの出来損ないの俺が側近になるなんて畏れ多くて……いくら俺でも身の程は弁えてますし。なので王女殿下には是非とも、角の立たないお断りの方法について何か助言頂ければと……!」

 フリードルの側近……そうだったわ、この人はこのままだとローズを失ってフリードルの側近になって、いずれフリードルに殺されてしまう。
 というかちょっと待ちなさいよ、記憶力がいいだけ? 一目見るか一度聞くだけでありとあらゆる事を覚えられる超記憶能力者が何をほざいてるのかしら? 帝国の盾テンディジェルの誇る最強の軍師、作中トップクラスの天才と公式に言われていた貴方が出来損ないですって??
 寧ろフリードルの方から頭下げて側近になって下さいってお願いすべき存在が、何をそんなに謙遜しているの?
 どういう事なの、どうしてこんなにレオナードは自分を過小評価しているの?

「……どうしても兄様の側近になるのが嫌なら、兄様が口出し出来ない理由を作るのが一番でしょう。公子が大公になる──とか」

 とにかく自分を落ち着かせて、今は一応レオナードからの相談に返事する。
 というかやっぱりフリードルの側近になりたくなかったのね、貴方……ゲームでもそんな感じの事言ってた気がするし。

「俺が、大公に……ですか」
「はい。さしもの兄様でも、大公ともあろう存在を側近にする事は無いかと」
「成程、一応このまま順調に行けば、俺もいずれ大公になるらしいんですけど…………まあ、その。フリードル殿下の側近選びには間に合いませんし、そもそも俺みたいな出来損ないが大公になんて……」

 本当に分からない。どうしてもレオナードはこんなに自分を卑下しているの?
 ゲームのレオナードはフリードルの側近としてその辣腕を発揮していた。皇太子の側近としてそれなりに自信に満ちていた筈なのに、まだ側近になってないから、自分に自信が持てないのかし、ら…………。
 いや、違う! そうだ、ゲームのレオナードは言っていた。『死んだ妹の分も頑張って生きる事にしたんだ』って……!
 つまり彼はローズが死んだ影響で頑張らざるを得ず、才能を発揮するようになったの? ローズの死が、彼が才能を覚醒させるキッカケって事?
 最悪だ……彼がフリードルの側近になってミシェルちゃんと出会わなくても大丈夫なよう、ローズの死と内乱を阻止しようとしているのに。
 ローズの死が、彼の天才的頭脳を発揮させる為の自信の発露に繋がるなんて。こんな酷い事ってある?!
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