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第三章・傾国の王女
252.ようこそ、ディジェル領へ5
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長剣を二本用意したアルベルトは、アミレス同様すかさず邪魔な二人から排除した。長剣を素早く投擲して副団長と団員の影を地に縫い付け、影を介して精神干渉を試みた。
それにより蒼鷲騎士団副団長セファールと、団員のラナンスは軽い恐慌状態に陥り戦闘不能となる。
(どれだけ強靭な肉体を持とうとも、それを扱う精神さえ壊してしまえばどうと言う事はない)
まさにその通りなのだが、だとしても容赦と迷いがなさすぎる。
まるで野を駆ける馬のごとき速さで、鳥かと見紛う程軽やかに跳躍する。美しい黒の長髪を風に預け、黒と白を基調とした品のある侍女服と共に胸元の青いリボンを揺らす。
アルベルトの鍛え上げられた肉体は、元々着痩せするタイプだった事もあって侍女服の構造で上手く誤魔化されており、太い首と色香の漂う喉仏は長髪のカツラとハイネックの肌着で隠されていた。
顔にはナチュラルな化粧が施されており、元の素材の良さを全力で活かしている。ほんの少し肩幅が広く、手が骨ばった筋肉質な侍女──……そのように、今のアルベルトは周りの目に映っている事だろう。
虚ろな灰色の瞳で彼女は冷ややかに最後の一人を見据えていた。
(──流石はあの王女の侍女と言うべきか。あれは戦い慣れた動きだ……それも、気配を消して確実に相手の息の根を止める、暗殺者のそれだな)
蒼鷲騎士団団長ムリアンの目は確かだった。叩き上げられた騎士の経験と勘で、見事にアルベルトの本性に一歩近づいたのだから。
だが、そこまでだった。
今回はとにかく相手が悪かったと言えよう。何せアルベルトが持つのは闇の魔力。同じ希少属性たる光の魔力と比べても、世界的に見て桁違いに所持者が少ない魔力だ。
闇の魔力は、とにかく対人戦において異常に強かった。精神干渉ないし影の支配……そのどちらかのみしか使えない者相手でも、闇の魔力所持者相手の対人戦は分が悪い。
ただでさえ厄介な相手なのに、アルベルトは闇の魔力を使いこなし、ダメ押しとばかりに武芸にも精通していた。
──貴方は何をしてもいい。貴方は何だって出来る。
アミレスよりその言葉を与えられたアルベルトは、その言葉を信じ、自重という言葉を忘れその才能を瞬く間に開花させた。
この乙女ゲーム世界を盛り上げる脇役に過ぎなかった彼は、まるで、攻略対象かのような圧倒的な力と存在感を得たのだ。
(勝負に勝てばきっと、主君は俺を褒めてくれるよね。凄いって言って、笑ってくれるよね)
彼は夢想する。大事な大事な、たった一人の幼い女神を想い、陶磁器のように白い肌に恍惚とした笑みを象る。
「……──出来る限り、カッコよく勝とうか」
だって、その方がきっと彼女は喜んでくれるから。
深い忠誠と浅ましい欲望を抱き、アルベルトはその場で立ち止まった。長剣二つをその辺にポイッと投げ捨てて、魔法を発動する。
「っ! 何だ、あれは……!?」
ムリアンは愕然と空を見上げた。
突如として太陽から降り注ぐ光が途絶えた。闘技場の上空に黒く、この世の闇を全て凝縮したような黒い塊が浮かんでいたのだ。
それはやがて小さく、小さく、圧縮されてアルベルトの目の前に降り注いだ。
見ているだけでも呼吸が上手く出来なくなり、血の通わない指先で背筋を撫でられた錯覚を覚えるのに……あろう事かアルベルトはその黒い塊に触れ──、
「前に本で見たんだけど、これ、カッコよくないかな?」
その塊を、歪んだ刃の巨大な鎌へと変貌させた。
黒い髪に灰色の虚ろな瞳、黒と白の侍女服に暗黒の鎌。今の彼は、どこの誰が見ても魂を刈る死神と形容する姿であった。
(主君はカッコイイ武器とかが好きみたいだし、きっとこういうのも好きだろうな。この前だって俺が手入れしていた蛇腹剣を見てすっごい楽しそうにしてたし)
様相は完全に死神なのに、考えている事は何とも微笑ましい内容だった。実に温度差が激しい。
「なっ……、何あれカッコイイ!!」
「楽しそうですね、王女殿下」
「うん! 今凄い楽しい!」
(…………ずるいなあの男。まさかあのような隠し球を持っていたとは……油断ならない……)
だがアルベルトの作戦は大成功。アミレスはきっちり目を輝かせていた。まるでヴィランに憧れる子供のように、興奮気味にキャッキャと飛び跳ねる。
あまりにもアミレスが楽しそうなので、イリオーデは少し、面白くないようだ。
(なんだろう、主君の楽しそうな声が聞こえた気が。でも今振り向いたら『手合わせに集中してないの?』と主君のお怒りを受ける気がする……予定通りさっさと終わらせよう)
そう決めてからは早かった。
身の丈の二倍程はありそうな巨大な鎌をアルベルトは軽々振り回し、迷いの無い一閃を繰り出す。それは見事ヒットし、文句のつけようが無いサヨナラホームランとなった。
刃の無い部分で腹部にアルベルト渾身のフルスイングを受けたものだから、さしものムリアンと言えども無事では済まなかった。というかディジェル領の民でなければ即死だった事だろう。
飛ばされた先は観客席。そこに墜落した隕石のような凹みを作って彼は意識を朦朧とさせていた。
いくつもの骨が砕ける音と、彼の口から飛び出す鮮血。こんなのどう考えても戦闘不能である。
よって、この試合はアルベルトの勝利となった。アルベルトは巨大な鎌を影に溶け込ませ、ボールを取ってきた犬のように飼い主の元に戻った。
そして、褒めてくれと言わんばかりにじっとアミレスを見つめる。
「お疲れ様、ルティ! ところでさっきの鎌って何なの? 何と言うか、カッコよさの塊だったけど……」
「~~っ! あれはですね──……」
期待通り、アミレスの楽しそうな笑顔を見られてアルベルトは大満足。嬉々として先程の巨大な鎌についての説明を始めた。
その横で、ムスッとしたまま佇むイリオーデ。ずいっと体ごと二人の間に割り込み、イリオーデはアミレスに告げた。
「ちょっと今ワタシが主君に……」
「王女殿下。では、私も行って参ります。必ずや貴女様に勝利を捧げましょう」
「ああ、行ってらっしゃい。無理はしないようにね」
折角気持ちよくアミレスと会話していたのに、それを遮られて今度はアルベルトがムスッとする。
不機嫌そうに頬を少し膨らませ、両手剣を持って颯爽と闘技場に向かったイリオーデの背中を睨んでいた。
「……青い髪。騎士の装い。そしてその佇まい。お前、帝国の剣か?」
黒狼騎士団団長バルロッサが、イリオーデに問いかける。バルロッサの後ろでは副団長エストと団員ナァラが少し離れた場所で立っていた。
これまでの二戦を経て、黒狼騎士団の面々はイリオーデを強く警戒していた。
それもその筈。紅獅子騎士団も蒼鷲騎士団もどちらも、ディジェル領内でも指折りの実力者達の集まり。その中でも特に強い騎士団長や副団長達がこぞって敗北し続けているのだ。
彼等の予想を超える強さで勝ったアミレス。異質な強さで速攻で勝負を終わらせたアルベルト。
この流れで、最後の一人を警戒するなと言う方が無理がある。
「いいや、私は帝国の剣ではない。私は王女殿下の騎士、イリオーデだ」
イリオーデは帝国の剣という称号を否定する。
帝国の為の騎士ではなく、ただ一人の為の騎士であるイリオーデにはその名誉も立場も不要。故に彼は、帝国の剣を名乗らなかった。
「そうか。では騎士イリオーデ……黒狼騎士団団長バルロッサ、貴殿に真剣勝負を申し込む」
「勿論私は構わないが、そちらの仲間はどうするんだ」
「……そうだな、アイツ等とは俺を斬り伏せてから戦えばいい」
「了解した。あくまでも一対一の真剣勝負か」
二人の騎士は話し合い、合意の元でこの試合形式をとった。その会話は観客にも聞こえていたようで、騎士道精神に則ったその真剣勝負に観客達は興味惹かれ、前のめりで観戦していた。
(王女殿下の目的は可能な限り相手の戦力を削る事だ。手っ取り早くこの男を倒せればいいのだが……)
切れ長の瞳でバルロッサを見据え、イリオーデは思い悩む。
(何か、王女殿下に喜んでいただけるような方法はないだろうか)
真剣勝負とは。イリオーデは確かに騎士道精神を叩き込まれて育ったものの、今や彼の騎士道はただ一人の少々に捧げられている為、あってないようなもの。
彼は己が主の笑顔の為に、堂々と真剣勝負に水を差すつもりでいた。見上げた忠誠心である。決して、アルベルトに嫉妬して対抗心を燃やしているとかではない。たぶん。
思い悩んだ末、イリオーデはおもむろに両手剣を構え──、
「魔法を使うのは、あまり得意ではないんだが」
その背中に、白にも緑にも見える不透明な翼を宿した。それが強く羽ばたくとまるで上昇気流が発生したかのようにイリオーデは上空に飛び上がり、やがて重力に引きずり落とされたかのように急降下する。
誰もが唖然とする中、構えられた両手剣が高速でバルロッサの胴を斬る……かと思えたが、その寸前にてバルロッサは剣を出し防いでみせた。
まるで、一戦目のアミレスVSモルスの試合の再演のよう。
「お前……翼の魔力を持っているのか!」
「いや、風の魔力だが?」
「は?」
一歩も引けぬ鍔迫り合いの最中、バルロッサが珍しい魔力を前に面白ぇとばかりに不敵な笑みを浮かべるも、まさかの見当違い。
確かにイリオーデの背には翼のような、常に風を纏う何かがある。しかしイリオーデは翼の魔力ではなく風の魔力を扱っていると話した。
それが、バルロッサに混乱を招く。
「……どういう事だ? お前は今、確かに翼で飛んでいるだろう」
「これの事か。普通に、風の魔力だが?」
そう。実はこの翼、彼がこれまでにユーキより教わった魔法の使い方とアミレスの奇想天外な魔法の使い方を応用し、今この場で適当に編み出した風の翼なのだ。
バルロッサが呆気にとられるのも無理はない。
「……は??」
「そもそも私の魔力は風と……いや、何でもない。とにかく翼の魔力など私は所持していない。これは風を翼にしているだけだ」
「お前自分が何言ってんのか分かってんのか? 土で金貨作るとかそんな事言ってるようなものだ、今のお前は」
「そのように言われても困る。出来ているものは出来ているのだから、これ以上は説明のしようが無い。それと……」
(それと?)
「私は、魔法を使うのが得意ではない」
「なっ!?」
互いの息が分かる距離で会話をしていたかと思えば、突然吹き荒れた強風に土煙が上がる。
視界が悪くなり、バルロッサは周囲を警戒する。しかし、その時近くにイリオーデの気配は感じられなかった。
だが次の瞬間。イリオーデの気配ではなく、圧倒的な殺意をバルロッサは全身の毛が逆立つ程に感じる事となった。
「ッッ?!」
嵐のような圧倒的な風力を背に、両手剣だけがバルロッサ目掛け真っ直ぐ飛んで来た。
何故、どれだけ時間が経とうとも土煙が収まらなかったのか。それは離れた場所で両手剣を鞘に収め、風を利用し投擲する準備をイリオーデがしていたからである。
ハリケーンなどのようにどれだけ重いものでも軽々飲み込む小型の嵐を両手剣に纏わせ、力のままに投擲した。後はもう風に全てを委ねて。
すると、空間を抉り貫くかの如き勢いで、イリオーデの予想よりも速く鋭く両手剣は飛んで行った。その衝撃波で、ごうっ、と風を切る轟音が耳を襲う程に。
時間にして約一秒。瞬く間に両手剣はバルロッサの元に到着し、有り余る殺意と力を以てバルロッサ諸共更に吹っ飛ぶ。偶然にも、ずっと蚊帳の外だったエストとナァラもそれに巻き込まれて闘技場の壁まで吹っ飛ばされた。
「……やはり、魔法を使うのはまだ慣れないな」
目玉が飛び出そうな程驚く観客達。しかし一番驚いているのは恐らくイリオーデ本人だ。彼は、完全に出力を誤ったのだ。
誰もがバルロッサ達の無事を心配する中、崩れる瓦礫の中からヒビの入った剣を手にフラフラと立ち上がる男が一人。バルロッサだ。
(流石はディジェル領の民……あの攻撃を剣で防ぎ負傷を最小限にしたか)
あの勢いの両手剣が直撃した日には体を容易に貫かれてしまう。例えディジェル領の民でもそれには変わりない。
咄嗟の判断で何とか剣で防いだものの、その衝撃は当然全てバルロッサの体に伝わっている。
(……妖精に祝福された訳でもなく、あの強さとは…………恐ろしい存在が、外にはいたものだ)
何とか立ち上がったが彼の体は限界だった。体中の骨に亀裂が生じ、いくつもの筋肉が痙攣を起こしている。
だがしかし。まだ見ぬ強者と出会えたからか、バルロッサは満足げな表情で倒れたのだ。
巻き込まれたエストとナァラも当然意識を失っており、イリオーデは手合わせに勝っただけでなく、誰よりも相手方の戦力を削る事に成功したのだった。
「……──お兄様。王女殿下とお付の方々…………明らかに強すぎませんか? うちの騎士団が手も足も出ないなんて」
「帝都って、怖いな……」
最後に。ディジェル領の三大騎士団の団長相手に完封勝利を決めたアミレス達に、今後、レオナードやローズニカを初めとした多くの領民から畏怖の視線が送られる事となるのであった……。
それにより蒼鷲騎士団副団長セファールと、団員のラナンスは軽い恐慌状態に陥り戦闘不能となる。
(どれだけ強靭な肉体を持とうとも、それを扱う精神さえ壊してしまえばどうと言う事はない)
まさにその通りなのだが、だとしても容赦と迷いがなさすぎる。
まるで野を駆ける馬のごとき速さで、鳥かと見紛う程軽やかに跳躍する。美しい黒の長髪を風に預け、黒と白を基調とした品のある侍女服と共に胸元の青いリボンを揺らす。
アルベルトの鍛え上げられた肉体は、元々着痩せするタイプだった事もあって侍女服の構造で上手く誤魔化されており、太い首と色香の漂う喉仏は長髪のカツラとハイネックの肌着で隠されていた。
顔にはナチュラルな化粧が施されており、元の素材の良さを全力で活かしている。ほんの少し肩幅が広く、手が骨ばった筋肉質な侍女──……そのように、今のアルベルトは周りの目に映っている事だろう。
虚ろな灰色の瞳で彼女は冷ややかに最後の一人を見据えていた。
(──流石はあの王女の侍女と言うべきか。あれは戦い慣れた動きだ……それも、気配を消して確実に相手の息の根を止める、暗殺者のそれだな)
蒼鷲騎士団団長ムリアンの目は確かだった。叩き上げられた騎士の経験と勘で、見事にアルベルトの本性に一歩近づいたのだから。
だが、そこまでだった。
今回はとにかく相手が悪かったと言えよう。何せアルベルトが持つのは闇の魔力。同じ希少属性たる光の魔力と比べても、世界的に見て桁違いに所持者が少ない魔力だ。
闇の魔力は、とにかく対人戦において異常に強かった。精神干渉ないし影の支配……そのどちらかのみしか使えない者相手でも、闇の魔力所持者相手の対人戦は分が悪い。
ただでさえ厄介な相手なのに、アルベルトは闇の魔力を使いこなし、ダメ押しとばかりに武芸にも精通していた。
──貴方は何をしてもいい。貴方は何だって出来る。
アミレスよりその言葉を与えられたアルベルトは、その言葉を信じ、自重という言葉を忘れその才能を瞬く間に開花させた。
この乙女ゲーム世界を盛り上げる脇役に過ぎなかった彼は、まるで、攻略対象かのような圧倒的な力と存在感を得たのだ。
(勝負に勝てばきっと、主君は俺を褒めてくれるよね。凄いって言って、笑ってくれるよね)
彼は夢想する。大事な大事な、たった一人の幼い女神を想い、陶磁器のように白い肌に恍惚とした笑みを象る。
「……──出来る限り、カッコよく勝とうか」
だって、その方がきっと彼女は喜んでくれるから。
深い忠誠と浅ましい欲望を抱き、アルベルトはその場で立ち止まった。長剣二つをその辺にポイッと投げ捨てて、魔法を発動する。
「っ! 何だ、あれは……!?」
ムリアンは愕然と空を見上げた。
突如として太陽から降り注ぐ光が途絶えた。闘技場の上空に黒く、この世の闇を全て凝縮したような黒い塊が浮かんでいたのだ。
それはやがて小さく、小さく、圧縮されてアルベルトの目の前に降り注いだ。
見ているだけでも呼吸が上手く出来なくなり、血の通わない指先で背筋を撫でられた錯覚を覚えるのに……あろう事かアルベルトはその黒い塊に触れ──、
「前に本で見たんだけど、これ、カッコよくないかな?」
その塊を、歪んだ刃の巨大な鎌へと変貌させた。
黒い髪に灰色の虚ろな瞳、黒と白の侍女服に暗黒の鎌。今の彼は、どこの誰が見ても魂を刈る死神と形容する姿であった。
(主君はカッコイイ武器とかが好きみたいだし、きっとこういうのも好きだろうな。この前だって俺が手入れしていた蛇腹剣を見てすっごい楽しそうにしてたし)
様相は完全に死神なのに、考えている事は何とも微笑ましい内容だった。実に温度差が激しい。
「なっ……、何あれカッコイイ!!」
「楽しそうですね、王女殿下」
「うん! 今凄い楽しい!」
(…………ずるいなあの男。まさかあのような隠し球を持っていたとは……油断ならない……)
だがアルベルトの作戦は大成功。アミレスはきっちり目を輝かせていた。まるでヴィランに憧れる子供のように、興奮気味にキャッキャと飛び跳ねる。
あまりにもアミレスが楽しそうなので、イリオーデは少し、面白くないようだ。
(なんだろう、主君の楽しそうな声が聞こえた気が。でも今振り向いたら『手合わせに集中してないの?』と主君のお怒りを受ける気がする……予定通りさっさと終わらせよう)
そう決めてからは早かった。
身の丈の二倍程はありそうな巨大な鎌をアルベルトは軽々振り回し、迷いの無い一閃を繰り出す。それは見事ヒットし、文句のつけようが無いサヨナラホームランとなった。
刃の無い部分で腹部にアルベルト渾身のフルスイングを受けたものだから、さしものムリアンと言えども無事では済まなかった。というかディジェル領の民でなければ即死だった事だろう。
飛ばされた先は観客席。そこに墜落した隕石のような凹みを作って彼は意識を朦朧とさせていた。
いくつもの骨が砕ける音と、彼の口から飛び出す鮮血。こんなのどう考えても戦闘不能である。
よって、この試合はアルベルトの勝利となった。アルベルトは巨大な鎌を影に溶け込ませ、ボールを取ってきた犬のように飼い主の元に戻った。
そして、褒めてくれと言わんばかりにじっとアミレスを見つめる。
「お疲れ様、ルティ! ところでさっきの鎌って何なの? 何と言うか、カッコよさの塊だったけど……」
「~~っ! あれはですね──……」
期待通り、アミレスの楽しそうな笑顔を見られてアルベルトは大満足。嬉々として先程の巨大な鎌についての説明を始めた。
その横で、ムスッとしたまま佇むイリオーデ。ずいっと体ごと二人の間に割り込み、イリオーデはアミレスに告げた。
「ちょっと今ワタシが主君に……」
「王女殿下。では、私も行って参ります。必ずや貴女様に勝利を捧げましょう」
「ああ、行ってらっしゃい。無理はしないようにね」
折角気持ちよくアミレスと会話していたのに、それを遮られて今度はアルベルトがムスッとする。
不機嫌そうに頬を少し膨らませ、両手剣を持って颯爽と闘技場に向かったイリオーデの背中を睨んでいた。
「……青い髪。騎士の装い。そしてその佇まい。お前、帝国の剣か?」
黒狼騎士団団長バルロッサが、イリオーデに問いかける。バルロッサの後ろでは副団長エストと団員ナァラが少し離れた場所で立っていた。
これまでの二戦を経て、黒狼騎士団の面々はイリオーデを強く警戒していた。
それもその筈。紅獅子騎士団も蒼鷲騎士団もどちらも、ディジェル領内でも指折りの実力者達の集まり。その中でも特に強い騎士団長や副団長達がこぞって敗北し続けているのだ。
彼等の予想を超える強さで勝ったアミレス。異質な強さで速攻で勝負を終わらせたアルベルト。
この流れで、最後の一人を警戒するなと言う方が無理がある。
「いいや、私は帝国の剣ではない。私は王女殿下の騎士、イリオーデだ」
イリオーデは帝国の剣という称号を否定する。
帝国の為の騎士ではなく、ただ一人の為の騎士であるイリオーデにはその名誉も立場も不要。故に彼は、帝国の剣を名乗らなかった。
「そうか。では騎士イリオーデ……黒狼騎士団団長バルロッサ、貴殿に真剣勝負を申し込む」
「勿論私は構わないが、そちらの仲間はどうするんだ」
「……そうだな、アイツ等とは俺を斬り伏せてから戦えばいい」
「了解した。あくまでも一対一の真剣勝負か」
二人の騎士は話し合い、合意の元でこの試合形式をとった。その会話は観客にも聞こえていたようで、騎士道精神に則ったその真剣勝負に観客達は興味惹かれ、前のめりで観戦していた。
(王女殿下の目的は可能な限り相手の戦力を削る事だ。手っ取り早くこの男を倒せればいいのだが……)
切れ長の瞳でバルロッサを見据え、イリオーデは思い悩む。
(何か、王女殿下に喜んでいただけるような方法はないだろうか)
真剣勝負とは。イリオーデは確かに騎士道精神を叩き込まれて育ったものの、今や彼の騎士道はただ一人の少々に捧げられている為、あってないようなもの。
彼は己が主の笑顔の為に、堂々と真剣勝負に水を差すつもりでいた。見上げた忠誠心である。決して、アルベルトに嫉妬して対抗心を燃やしているとかではない。たぶん。
思い悩んだ末、イリオーデはおもむろに両手剣を構え──、
「魔法を使うのは、あまり得意ではないんだが」
その背中に、白にも緑にも見える不透明な翼を宿した。それが強く羽ばたくとまるで上昇気流が発生したかのようにイリオーデは上空に飛び上がり、やがて重力に引きずり落とされたかのように急降下する。
誰もが唖然とする中、構えられた両手剣が高速でバルロッサの胴を斬る……かと思えたが、その寸前にてバルロッサは剣を出し防いでみせた。
まるで、一戦目のアミレスVSモルスの試合の再演のよう。
「お前……翼の魔力を持っているのか!」
「いや、風の魔力だが?」
「は?」
一歩も引けぬ鍔迫り合いの最中、バルロッサが珍しい魔力を前に面白ぇとばかりに不敵な笑みを浮かべるも、まさかの見当違い。
確かにイリオーデの背には翼のような、常に風を纏う何かがある。しかしイリオーデは翼の魔力ではなく風の魔力を扱っていると話した。
それが、バルロッサに混乱を招く。
「……どういう事だ? お前は今、確かに翼で飛んでいるだろう」
「これの事か。普通に、風の魔力だが?」
そう。実はこの翼、彼がこれまでにユーキより教わった魔法の使い方とアミレスの奇想天外な魔法の使い方を応用し、今この場で適当に編み出した風の翼なのだ。
バルロッサが呆気にとられるのも無理はない。
「……は??」
「そもそも私の魔力は風と……いや、何でもない。とにかく翼の魔力など私は所持していない。これは風を翼にしているだけだ」
「お前自分が何言ってんのか分かってんのか? 土で金貨作るとかそんな事言ってるようなものだ、今のお前は」
「そのように言われても困る。出来ているものは出来ているのだから、これ以上は説明のしようが無い。それと……」
(それと?)
「私は、魔法を使うのが得意ではない」
「なっ!?」
互いの息が分かる距離で会話をしていたかと思えば、突然吹き荒れた強風に土煙が上がる。
視界が悪くなり、バルロッサは周囲を警戒する。しかし、その時近くにイリオーデの気配は感じられなかった。
だが次の瞬間。イリオーデの気配ではなく、圧倒的な殺意をバルロッサは全身の毛が逆立つ程に感じる事となった。
「ッッ?!」
嵐のような圧倒的な風力を背に、両手剣だけがバルロッサ目掛け真っ直ぐ飛んで来た。
何故、どれだけ時間が経とうとも土煙が収まらなかったのか。それは離れた場所で両手剣を鞘に収め、風を利用し投擲する準備をイリオーデがしていたからである。
ハリケーンなどのようにどれだけ重いものでも軽々飲み込む小型の嵐を両手剣に纏わせ、力のままに投擲した。後はもう風に全てを委ねて。
すると、空間を抉り貫くかの如き勢いで、イリオーデの予想よりも速く鋭く両手剣は飛んで行った。その衝撃波で、ごうっ、と風を切る轟音が耳を襲う程に。
時間にして約一秒。瞬く間に両手剣はバルロッサの元に到着し、有り余る殺意と力を以てバルロッサ諸共更に吹っ飛ぶ。偶然にも、ずっと蚊帳の外だったエストとナァラもそれに巻き込まれて闘技場の壁まで吹っ飛ばされた。
「……やはり、魔法を使うのはまだ慣れないな」
目玉が飛び出そうな程驚く観客達。しかし一番驚いているのは恐らくイリオーデ本人だ。彼は、完全に出力を誤ったのだ。
誰もがバルロッサ達の無事を心配する中、崩れる瓦礫の中からヒビの入った剣を手にフラフラと立ち上がる男が一人。バルロッサだ。
(流石はディジェル領の民……あの攻撃を剣で防ぎ負傷を最小限にしたか)
あの勢いの両手剣が直撃した日には体を容易に貫かれてしまう。例えディジェル領の民でもそれには変わりない。
咄嗟の判断で何とか剣で防いだものの、その衝撃は当然全てバルロッサの体に伝わっている。
(……妖精に祝福された訳でもなく、あの強さとは…………恐ろしい存在が、外にはいたものだ)
何とか立ち上がったが彼の体は限界だった。体中の骨に亀裂が生じ、いくつもの筋肉が痙攣を起こしている。
だがしかし。まだ見ぬ強者と出会えたからか、バルロッサは満足げな表情で倒れたのだ。
巻き込まれたエストとナァラも当然意識を失っており、イリオーデは手合わせに勝っただけでなく、誰よりも相手方の戦力を削る事に成功したのだった。
「……──お兄様。王女殿下とお付の方々…………明らかに強すぎませんか? うちの騎士団が手も足も出ないなんて」
「帝都って、怖いな……」
最後に。ディジェル領の三大騎士団の団長相手に完封勝利を決めたアミレス達に、今後、レオナードやローズニカを初めとした多くの領民から畏怖の視線が送られる事となるのであった……。
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