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第三章・傾国の王女
211,5.ある令嬢とお茶会
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ざわざわ………、と賑わう広く美しい庭園。着飾った男女が仲睦まじく談笑する中、その一角にて多くの男達の視線を奪う者がいた。
「おいあれ見てみろよ……ララルス侯爵だ…」
「本当に美人だよなぁ。しかもあの美貌に加えてララルス侯爵家を取り纏める敏腕女侯爵と来た!」
「高嶺の花過ぎて近寄れないな」
「噂によると、他侯爵家の当主達ともかなり仲がいいとか……」
「まぁここはオリベラウズ邸だし、呼ばれてるって事は事業で関わりがあるか仲が良いかだろうな」
「何にせよ、俺達みたいな木っ端が声掛けていい相手じゃないな」
「「それはそう」」
遠目に女性を見てはきゃあきゃあと騒ぐ男達。
粗が一つも見つからない完璧な立ち姿。柔らかな茶色の長髪は上質なココアのように艶やかに輝き、淡い栗色の怜悧な瞳は静かに世界を映す。
今巷で流行りのヴァイオレットの新作ドレスを、まるで自分の為にあつらえたかのように着こなし、誰一人として寄せ付けぬ高貴なオーラを放つ女性。
彼等が見ていたのは、マリエル・シュー・ララルス──女侯爵と呼ばれている稀有な存在だった。
場所は帝都にあるオリベラウズ侯爵家の邸。
この日、珍しく四大侯爵家の一つが邸でお茶会を開くとなり、帝都中から招待状を受け取った貴族達が足を運んでいた。
彼等とて招待客ではあるのだが……それぞれの家門の位は低めであり、オリベラウズ侯爵家の事業で取引している家門という事で、招待されたのだ。
しかしマリエルは違った。マリエルはオリベラウズ侯爵から『マリエルちゃんへ、もし良かったらまたウチに遊びにおいで』と、友達同士のお手紙のような招待状を受け取った為この場にいる。
世話になっているオリベラウズ侯爵からこのような招待状でも貰わなければ、マリエルが自らお茶会を開く事もお茶会に赴く事も無かっただろう。
何故なら、マリエルはこのお茶会というものが苦手だからだ。
(あのテーブル……駄目ですね、カトラリーの配置がずれている。花瓶の花もそんなに偏りがあってはならないでしょう。向こうのテーブルはテーブルクロスの掛け方が少し粗雑です。あれでは座る位置によっては邪魔となるでしょう……そもそも、あちらのテーブルは場所が悪い。何故あのような中途半端な位置に………)
元侍女としてのこだわりだろうか。マリエルは、こういった場で決まって侍女の仕事を観察してしまう。というか、それにばかり目が行くのだ。
かれこれ八年近く侍女をしていたからか、侍女の時の癖や仕事脳が、そういう性として彼女の中に残り続けている。
別にオリベラウズ侯爵にケチをつけたい訳では無い。ただ純粋に、マリエルは気になってしまうのだ。侍女達の仕事が。
(いけませんね。分かってはいましたが、やはり私は、いつになってもどうやら侍女視点が抜けないらしい。こんな所に来てまで他人の粗探しなど………姫様が聞いたら馬鹿者と一蹴されそうですわ)
はぁ。とため息をついて、マリエルは目を伏せた。
細められた彼女の瞳。溢れ出すアンニュイさが、周囲の男達の心を鷲掴みにする。
「なっ……なんだあの憂い顔は……」
「なんとも色香のある…」
「高嶺の花でも、せめて一言交わしたい……!」
「どうにかして話し掛ける切っ掛けを!」
「おれ、なんか凄い胸がドキドキして来た」
マリエルの魅力にあてられて、またぎゃあぎゃあと騒ぎ出す男達。彼等が何か切っ掛けをと騒ぐ間に、マリエルの元に小走りで駆け寄る少女が一人。
明るい水色の髪に亜麻色の瞳の少女は、「マリエルお姉様!」と言いながらマリエルに勢い良く抱き着いた。
「外では侯爵と呼びなさいと言ったでしょう、ファル。それと行儀が悪いですよ。走る事も人に飛びつく事もはしたないのですから」
「う……はぁい、侯爵様。あっ、聞いてマリエルお姉様! 向こうに物語の王子様みたいな人がいたの! 声かけて来てもいい?」
(話も聞いてなければ、全く学習していないし成長もしていない…………)
はぁ。と強く項垂れるマリエル。その呆れは眼前の少女によって齎されたものだった。
マリエルをお姉様と呼び、駄々っ子のようにその体に抱き着くのは彼女の異母妹のファルール・シュー・ララルス。
先の爵位簒奪事件の際、前侯爵及び侯爵夫人とその子供達は処刑されたのだが、その中で唯一犯罪行為を犯していなかったファルールだけは処罰を免れた。
──この娘は馬鹿だった。よく妄想に耽っては自分の世界に潜り込んで周りに迷惑をかける娘だった。容姿の可愛さだけが取り柄の馬鹿。そうマリエルが表現する程の筋金入りの生意気な馬鹿娘だった。
それはマリエルの爵位簒奪後、ララルス邸に戻った時の事だった。
『マリエルお姉様? 本当に帰って来てたんだぁ!』
有力貴族達による審判を終えて無事に前侯爵達の処刑が決定し、ララルス邸に戻ったマリエルを出迎えたのは、現状を全く理解していない馬鹿娘だった。
マリエルは数年振りに会った腹違いの妹に、呆れを抱く。
『……お久しぶりですね、ファルール。見た所…元気だったみたいで何よりです』
しかし彼女はつい先日まで侍女であった。表情コントロールなどお手の物。慣れた外行きの笑顔を貼り付けて、挨拶を交わす。
『昔みたいにファルって呼んで! あっ、そうだマリエルお姉様。お父様達がどこに行ったか知ってる? お父様達ったらひどいの、ファルを置いて皆だけで遊びに行っちゃったの!』
ぷんぷん、とリスのように頬を膨らませて怒るファルール。そんな彼女を見て、マリエルはため息を一つ。
(寧ろ、置いていかれて正解だったと思うのですが。この子はやはり、何も知らないのですね)
生粋の馬鹿で、驚く程純粋な妹に、マリエルも少しは思う所があったのだろうか。彼女は間を置いてから、ファルールに真実を伝える事にした。
『ファル、よく聞きなさい。あの方達はとてつもない罪を犯したのです』
『罪?』
『はい。あの方達は皇帝陛下の逆鱗に触れるような、恐ろしい罪を犯していました。その為、処刑される事になったのです』
(正確にはケイリオル卿の逆鱗ですが)
しかしケイリオルの逆鱗はエリドルの逆鱗も同義。特に間違いという訳ではないのだ。
『しょけい?』
こてんと首を傾げるファルールに、嘘でしょう…………? と軽く引きながらも、マリエルは説明を続けた。
『悪い事をしてしまったので、あの方達はもうどこにもいません。ですがそれだとファルとこの家を守る人がいなくなってしまいます。なので、私が戻って来たのです。貴女とこの家を守る為に』
まるで吟遊詩人かのように感情を込めて、彼女は語る。
流石は帝国唯一の王女の専属侍女と東宮の統括侍女を任されていた女だ。一流の演技力である。
『お姉様が………ファルを……!』
ファルールの顔が途端に明るくなる。その瞳はキラキラと純粋さに輝いていて。
どうやら、ファルールはマリエルの言葉を信じ切ったらしい。
そもそもファルールは世間知らずの箱入り我儘お嬢様だ。そんな彼女が、既に捏造された事の経緯の真実に気づける訳がなかった。
彼女の血縁者達を尽く処刑に追い詰める切っ掛けとなったのは、間違いなくマリエルなのだが──、世間知らずの彼女はそれすらも知らない。
(ファルのために、マリエルお姉様は帰って来てくれたんだ!)
それどころか妙に自分に都合の良い解釈をしている。馬鹿で純粋な娘だからこそ、彼女は疑うという事を知らない。マリエルの巧みな話術の術中にはまるのも無理はない。
(相変わらず頭が足りてないのですね、この子は……全く。世話が焼けますね)
呆れを通り越して憐憫すらも湧いて来たマリエルは、この後ファルールへの様々な教育を始めた。
色々と問題のあるファルールが、少しでも人並みの知能を持てるようにと。腹違いとは言えども、半分は血の繋がった姉として。そしてララルス侯爵家当主として。
馬鹿で愚かな妹の幸せを祈って、彼女は日々ファルールの相手をしていた。
実はこのお茶会に参加する事を決めたのも、実はファルールの為だったのだ。今年で十六歳になるファルールではあるが、その容姿の可愛さからは想像がつかない程の狂気──もとい、純粋な妄想癖を持つ。
それ故に過去に問題を起こし、ファルールを外に出さぬようこの箱庭の中に閉じ込める事にした前侯爵は、それ以来彼女への縁談を断って来たのだが……マリエルは違う。
ファルールに常識を教えたならば、外に出しても問題無いと判断したのだ。
「おいあれ見てみろよ……ララルス侯爵だ…」
「本当に美人だよなぁ。しかもあの美貌に加えてララルス侯爵家を取り纏める敏腕女侯爵と来た!」
「高嶺の花過ぎて近寄れないな」
「噂によると、他侯爵家の当主達ともかなり仲がいいとか……」
「まぁここはオリベラウズ邸だし、呼ばれてるって事は事業で関わりがあるか仲が良いかだろうな」
「何にせよ、俺達みたいな木っ端が声掛けていい相手じゃないな」
「「それはそう」」
遠目に女性を見てはきゃあきゃあと騒ぐ男達。
粗が一つも見つからない完璧な立ち姿。柔らかな茶色の長髪は上質なココアのように艶やかに輝き、淡い栗色の怜悧な瞳は静かに世界を映す。
今巷で流行りのヴァイオレットの新作ドレスを、まるで自分の為にあつらえたかのように着こなし、誰一人として寄せ付けぬ高貴なオーラを放つ女性。
彼等が見ていたのは、マリエル・シュー・ララルス──女侯爵と呼ばれている稀有な存在だった。
場所は帝都にあるオリベラウズ侯爵家の邸。
この日、珍しく四大侯爵家の一つが邸でお茶会を開くとなり、帝都中から招待状を受け取った貴族達が足を運んでいた。
彼等とて招待客ではあるのだが……それぞれの家門の位は低めであり、オリベラウズ侯爵家の事業で取引している家門という事で、招待されたのだ。
しかしマリエルは違った。マリエルはオリベラウズ侯爵から『マリエルちゃんへ、もし良かったらまたウチに遊びにおいで』と、友達同士のお手紙のような招待状を受け取った為この場にいる。
世話になっているオリベラウズ侯爵からこのような招待状でも貰わなければ、マリエルが自らお茶会を開く事もお茶会に赴く事も無かっただろう。
何故なら、マリエルはこのお茶会というものが苦手だからだ。
(あのテーブル……駄目ですね、カトラリーの配置がずれている。花瓶の花もそんなに偏りがあってはならないでしょう。向こうのテーブルはテーブルクロスの掛け方が少し粗雑です。あれでは座る位置によっては邪魔となるでしょう……そもそも、あちらのテーブルは場所が悪い。何故あのような中途半端な位置に………)
元侍女としてのこだわりだろうか。マリエルは、こういった場で決まって侍女の仕事を観察してしまう。というか、それにばかり目が行くのだ。
かれこれ八年近く侍女をしていたからか、侍女の時の癖や仕事脳が、そういう性として彼女の中に残り続けている。
別にオリベラウズ侯爵にケチをつけたい訳では無い。ただ純粋に、マリエルは気になってしまうのだ。侍女達の仕事が。
(いけませんね。分かってはいましたが、やはり私は、いつになってもどうやら侍女視点が抜けないらしい。こんな所に来てまで他人の粗探しなど………姫様が聞いたら馬鹿者と一蹴されそうですわ)
はぁ。とため息をついて、マリエルは目を伏せた。
細められた彼女の瞳。溢れ出すアンニュイさが、周囲の男達の心を鷲掴みにする。
「なっ……なんだあの憂い顔は……」
「なんとも色香のある…」
「高嶺の花でも、せめて一言交わしたい……!」
「どうにかして話し掛ける切っ掛けを!」
「おれ、なんか凄い胸がドキドキして来た」
マリエルの魅力にあてられて、またぎゃあぎゃあと騒ぎ出す男達。彼等が何か切っ掛けをと騒ぐ間に、マリエルの元に小走りで駆け寄る少女が一人。
明るい水色の髪に亜麻色の瞳の少女は、「マリエルお姉様!」と言いながらマリエルに勢い良く抱き着いた。
「外では侯爵と呼びなさいと言ったでしょう、ファル。それと行儀が悪いですよ。走る事も人に飛びつく事もはしたないのですから」
「う……はぁい、侯爵様。あっ、聞いてマリエルお姉様! 向こうに物語の王子様みたいな人がいたの! 声かけて来てもいい?」
(話も聞いてなければ、全く学習していないし成長もしていない…………)
はぁ。と強く項垂れるマリエル。その呆れは眼前の少女によって齎されたものだった。
マリエルをお姉様と呼び、駄々っ子のようにその体に抱き着くのは彼女の異母妹のファルール・シュー・ララルス。
先の爵位簒奪事件の際、前侯爵及び侯爵夫人とその子供達は処刑されたのだが、その中で唯一犯罪行為を犯していなかったファルールだけは処罰を免れた。
──この娘は馬鹿だった。よく妄想に耽っては自分の世界に潜り込んで周りに迷惑をかける娘だった。容姿の可愛さだけが取り柄の馬鹿。そうマリエルが表現する程の筋金入りの生意気な馬鹿娘だった。
それはマリエルの爵位簒奪後、ララルス邸に戻った時の事だった。
『マリエルお姉様? 本当に帰って来てたんだぁ!』
有力貴族達による審判を終えて無事に前侯爵達の処刑が決定し、ララルス邸に戻ったマリエルを出迎えたのは、現状を全く理解していない馬鹿娘だった。
マリエルは数年振りに会った腹違いの妹に、呆れを抱く。
『……お久しぶりですね、ファルール。見た所…元気だったみたいで何よりです』
しかし彼女はつい先日まで侍女であった。表情コントロールなどお手の物。慣れた外行きの笑顔を貼り付けて、挨拶を交わす。
『昔みたいにファルって呼んで! あっ、そうだマリエルお姉様。お父様達がどこに行ったか知ってる? お父様達ったらひどいの、ファルを置いて皆だけで遊びに行っちゃったの!』
ぷんぷん、とリスのように頬を膨らませて怒るファルール。そんな彼女を見て、マリエルはため息を一つ。
(寧ろ、置いていかれて正解だったと思うのですが。この子はやはり、何も知らないのですね)
生粋の馬鹿で、驚く程純粋な妹に、マリエルも少しは思う所があったのだろうか。彼女は間を置いてから、ファルールに真実を伝える事にした。
『ファル、よく聞きなさい。あの方達はとてつもない罪を犯したのです』
『罪?』
『はい。あの方達は皇帝陛下の逆鱗に触れるような、恐ろしい罪を犯していました。その為、処刑される事になったのです』
(正確にはケイリオル卿の逆鱗ですが)
しかしケイリオルの逆鱗はエリドルの逆鱗も同義。特に間違いという訳ではないのだ。
『しょけい?』
こてんと首を傾げるファルールに、嘘でしょう…………? と軽く引きながらも、マリエルは説明を続けた。
『悪い事をしてしまったので、あの方達はもうどこにもいません。ですがそれだとファルとこの家を守る人がいなくなってしまいます。なので、私が戻って来たのです。貴女とこの家を守る為に』
まるで吟遊詩人かのように感情を込めて、彼女は語る。
流石は帝国唯一の王女の専属侍女と東宮の統括侍女を任されていた女だ。一流の演技力である。
『お姉様が………ファルを……!』
ファルールの顔が途端に明るくなる。その瞳はキラキラと純粋さに輝いていて。
どうやら、ファルールはマリエルの言葉を信じ切ったらしい。
そもそもファルールは世間知らずの箱入り我儘お嬢様だ。そんな彼女が、既に捏造された事の経緯の真実に気づける訳がなかった。
彼女の血縁者達を尽く処刑に追い詰める切っ掛けとなったのは、間違いなくマリエルなのだが──、世間知らずの彼女はそれすらも知らない。
(ファルのために、マリエルお姉様は帰って来てくれたんだ!)
それどころか妙に自分に都合の良い解釈をしている。馬鹿で純粋な娘だからこそ、彼女は疑うという事を知らない。マリエルの巧みな話術の術中にはまるのも無理はない。
(相変わらず頭が足りてないのですね、この子は……全く。世話が焼けますね)
呆れを通り越して憐憫すらも湧いて来たマリエルは、この後ファルールへの様々な教育を始めた。
色々と問題のあるファルールが、少しでも人並みの知能を持てるようにと。腹違いとは言えども、半分は血の繋がった姉として。そしてララルス侯爵家当主として。
馬鹿で愚かな妹の幸せを祈って、彼女は日々ファルールの相手をしていた。
実はこのお茶会に参加する事を決めたのも、実はファルールの為だったのだ。今年で十六歳になるファルールではあるが、その容姿の可愛さからは想像がつかない程の狂気──もとい、純粋な妄想癖を持つ。
それ故に過去に問題を起こし、ファルールを外に出さぬようこの箱庭の中に閉じ込める事にした前侯爵は、それ以来彼女への縁談を断って来たのだが……マリエルは違う。
ファルールに常識を教えたならば、外に出しても問題無いと判断したのだ。
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