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第三章・傾国の王女
197,5.ある諜報員の奮闘
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「ルティは本当に飲み込みが早いなァ、成長速度だけで見ればウチ最強だぜ?」
「あ……ありがとう、ございます」
諜報部の先輩、偽名ランスが俺の背中を叩きながら「ガハハ!」と豪快な笑い声を上げる。
経験や知識の浅い俺は、少しでも早く強く立派な諜報員になるべく手の空いている先輩方に様々な稽古をつけてもらう日々を送っていた。
今日もその一環で、長い得物を使った戦闘行為に一家言あるランス先輩に何本か付き合ってもらっていた。幸か不幸か……俺は地方の砦にいた頃に色んな武器の扱い方を教えてもらっていたので、一通りの武器は扱える。その個性を活かして万能型戦闘員になれとヌルさんから言われたので、とりあえず俺は全ての武器で戦えるようになる必要があった。
流石は諜報部と言うべきか、本当に個性溢れる人ばかりでその分戦闘方法も多彩。俺が師事すべき人が多くいて、充実した半年を送れていた事だろう。
「しっかし、俺には分かんねぇな。何でお前はそこまでして早く強くなろうとするんだ? 俺達に顔が割れなかったぐらい、お前ってそもそも強いだろ」
ランス先輩が、蛇腹剣を鞘に収めながら問うてくる。
これは訓練の時に良く聞かれる事だった。何がそこまでお前を突き動かすのか──…そう、何度も聞かれた。
その度に俺の中には一つの答えだけが思い浮かんで。
「……どうしても役に立ちたい人がいるんです。この命に代えてでも、俺はあの御方の恩に報いたいんです」
脳裏に浮かぶ、ある一人の貴き御方の笑顔。俺の眼には何色も映らないが……世の人々曰く、月の女神の化身のような美しさの少女。
『またどこかで会いましょう、アルベルト』
そう最後に別れを告げられてからは、声を聞く事すらも叶っていない。その姿は暇さえあれば遠くからこっそりと見ていたが、声は………。
あの鈴の鳴るような声をまた聞きたい。また、彼女に名前を呼んで欲しい。そんな分不相応な望みが俺の心に居座る。
ただ一人、俺の事を理解してくれた御方。初めて、無条件に俺の事を信じてくれた御方。平然と、人の望みを叶えては素知らぬ振りをする正義の味方のような御方。
俺には彼女の色は何も見えないけど……それでも、あの御方がまさに女神のような美しさと可憐さを誇り、大海のように広く深き慈悲の心を持っている事は分かる。何せ俺はあの御方の慈悲の心を身をもって体感したからね。いいでしょう!
「ほーぅ、まあいいと思うぜ? 諜報員なんて仕事、それぐらい強い意思がねぇとやってられねぇからな。その御方ってのが誰かは詮索しないでおいてやるが、頑張れよな。新人」
気前のいい快活な笑顔で、ランス先輩が何度か肩を叩く。
ありがとうございます。と返事をして、俺達は訓練場を出て諜報部に戻った。そして汗を拭き着替えを済ませた時。部屋の扉が開かれて、『窓』担当のうちの一人が「仕事ですよ~」と言いながらやって来た。
『窓』というのは諜報部が唯一外部との接触を図る為に設置している窓口の事で、外部からの極秘任務などを受け付ける場所の事でもある。
そこの担当が来たという事は、『窓』の存在を知る誰かが依頼をしたと言う事。はっきり言って珍しい事だ。
「ルティ、お前も珈琲飲むか?」
「いただきます」
ランス先輩から珈琲をいただき、熱々のそれに唇をつけながら窓の話を聞く。
「えーっと、今回の依頼は『白紙の辞書』。初めて『窓』を利用した一見さんですね。その割に手馴れてましたが」
「ほーん、一見も気軽に利用出来るようになったのか。『窓』は」
「そうですねぇ。嬉しいような、諜報部としてはいかがなものか、とも考えてみたり………ってそれどころじゃないんですよ。その依頼者が凄い人なんです!」
「どうしたついに侯爵家でも依頼して来たか?」
ランス先輩がどこかワクワクしながら尋ねるも、『窓』は顔を横に振った。どうやら依頼者は侯爵家ではないようだ。
まぁ、依頼者が誰であろうと俺はまだ依頼を受けられる程の実力は無いし、この件は多分ランス先輩が引き受けるだろ──、
「それがですね、なんと依頼者は王女殿下なんですよ!」
何ぃっ!? と衝撃のあまり飲んでた珈琲を吹き出して噎せた。あまりにも突然の事にランス先輩も『窓』もこちらを心配してくる。
しかしその声もほとんど届かない程に、俺の心臓はバクバクとうるさく鼓動して、心や頭はぐるぐると様々な感情が入り乱れる。
何で、どうして王女殿下が諜報部に依頼を? そもそも『窓』の存在をどうして知って──…あぁ、そうか。これは俺へのメッセージなんだ。
早く直接命令出来るぐらい強くなれという、王女殿下なりの激励の言葉。俺に少しでも強くなる機会を与えようと、王女殿下が気を配ってくださったんだ。
ああ、やっぱりあの御方はどこまでも慈悲深く気高き人だ。
お任せください、王女殿下。俺は必ずや貴女の意図を汲み取り、貴女の望むままに動いてみせます。貴女の駒の一つとして完璧に働いてご覧に入れましょう!
「──その依頼、俺に受けさせてください」
「「え?」」
ランス先輩と『窓』の声が重なる。そんな二人に向けて、俺はもう一度力強く告げた。
「その依頼、俺に受けさせてください」
原則、見習いには依頼を受ける資格は無いのだが…俺は事情が事情なので、本来はある筈だった一年の見習い期間がぐっと減って四ヶ月に。実はもう既に正規の諜報員だったりする。
しかしまだまだ技術的に拙い所や、自信の無い所が多かったのでこうして訓練に明け暮れる日々を自発的に送っていた。なので、一応依頼を受ける事は可能なのだ。
俺が自発的に依頼を受けると言い出した事が心配なのか、ランス先輩が不安げな顔を作り、
「確かに『白紙の辞書』なら闇の魔力のが圧倒的に楽だろうが………お前大丈夫か? ちゃんとやれるのか?」
ポンっと優しく肩に手を置いて来た。まだ諜報員として未熟なんだから依頼は早いと。無茶はよせ、と暗に忠告してくれる。
しかし。俺は絶対にこの依頼を受けねばならない。この王女殿下のお役に立てる絶好の機会、逃す訳にはいかないのだ。
「はい。いつかは俺も依頼を受ける必要があるのです、それが今だったというだけ。という訳で、俺がその依頼を受けます」
「お前………こんな頑固だったか…??」
そりゃあ頑固にもなる。だって他ならぬあの御方からの依頼なんだから。
「ま、まぁ……それじゃあルティが依頼を受ける方向で処理しますね。はい、これが依頼書です」
「ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀しながら手渡された依頼書に視線を落とす。そこには確かに以前一度だけ見た王女殿下の筆跡で『アミレス・ヘル・フォーロイト』『白紙の辞書探し』と書かれており…本当に王女殿下が依頼者なのだと、密かに舞い上がってしまった。
ああ、あぁ! 遂に王女殿下のお役に立てる時が来たんだ! これまで割と辛い訓練に耐えてこられたのもエル──サラと王女殿下の存在あってこそ。
俺の命の恩人で、唯一の理解者で、尊敬する御方。そんな彼女の為に働けるなんて嬉しいな。ようやく、あの御方のご恩に報いれるんだ。
「…ルティ、お前めちゃくちゃ嬉しそうだが……そんな顔出来たんだな。そんなに初依頼を受けれたのが嬉しいのか?」
ランス先輩の冷静な指摘に、俺はここで初めて自分の表情が弛みに弛んでいた事に気づく。
諜報員は己の表情さえも武器とせよ。その教えを完璧に忘れてしまっていた。まさか表情を把握し損ねたなんて。
気合いを入れてキリリとした表情を作り、
「すっごく嬉しいです。この依頼」
「ハハ、そりゃ良かったな」
自分の心に正直に嬉しいと口にしたら、ランス先輩は子供にするように、俺の頭に手を置いてわしゃわしゃと掻き乱していった。
その後、今日中に片しておきたい仕事を片付けてから、俺は身嗜みを整えて王女殿下の元に向かった。依頼を受けたら、その日のうちに依頼者に最終確認に行く決まりがあるのである。
ただの依頼者ならば普通に家を訪ねる所なのだが、今回の依頼者は王女殿下だ。どうしても秘密裏に接触する必要がある。
いくら仕事と言えど、突然王女殿下の私室に侵入するなど言語道断。王女殿下が気づいてくれますようにと願いながら、花を一輪、王女殿下の私室の窓際に置いた。
そして暫く近くの木の上で待っていたら、ようやく王女殿下が気づいてくれたようで、窓を開けて花を眺めていた。
花、気に入ってくれたのかな? 色は分からないけれど、形が綺麗な花を選んだから気に入ってくれたのなら嬉しいな。
こんなにも近くで王女殿下を見る事が出来るなんて、俺は本当に幸運だ。……そんな浮き足立つ気持ちのまま俺は王女殿下の前に姿を表した。
「っ?!?!」
すると、王女殿下は警戒した表情で後ろに飛び退き、白い長剣を構えた。
……これは、もしかして怖がらせてしまった?
ハッとなり俺は自分の格好を見直してみる。諜報部支給の闇夜に紛れる真っ黒の制服。顔もフードと覆面とで半分隠れている為に、夜も相まって姿が全く見えない事だろう。
どう考えても不審者だ。街で百人に聞けば百人が黒と答えるレベルの不審者だ。
例え、どれだけ王女殿下が勇敢な人と言えども彼女はまだ十三歳の少女。こんな明らか完璧に不審者な男がこんな時間に突然目の前に現れたら……普通の人なら怯えて当然だ。
不審者だけど不審者ではないんです! と両手を胸の前で何度も左右に振る。ついでに顔も左右に振っていたのだが、王女殿下は更に警戒を強めるだけで。
こうなったらもう仕方無い、と俺は覆面を取った。諜報員は原則素顔を見せてはいけないのだが……、
「王女殿下、俺です」
彼女相手ならば問題無いだろう。今はとにかく、依頼者であり恩人である王女殿下に怯えられている状況の打破が最優先事項だった。
「え、あ………アルベルト…??」
王女殿下はぽかんとした顔で剣を持つ手を体側に落とした。
……名前、また呼んでもらえた。諜報員になった以上もう呼ばれる事なんてないと思っていた俺の名前…王女殿下に呼ばれただけで、こんなにも心が温かくなるなんて不思議だな。
こうやってまたお会い出来て本当に嬉しい。たったこれだけの事でとても幸福になれるなんて。俺は本当に単純な人間だ。
「本当は顔とか見せたらいけないんですが、王女殿下相手ならば今更な節もありますし……どうやら、怖がらせてしまったようなので」
こんな事なら覆面だけでも外しておけばよかった。そう思いながら、申し訳ございません。と謝る。
すると王女殿下が「勘違いして警戒したのは私だから」とまるで俺に非がないように言ってくれて…なんて心が広い人なんだと、その高潔な御心に感服した。
「もしかして、依頼を受けてくれたのって……」
突然、何かに気づいたように王女殿下がこちらに視線を送って来る。ようやく気づいてくださった、と喜びながら俺はこくりと頷いた。
「はい、俺です。王女殿下の役に立ちたくて」
その為にこの依頼に立候補しました。全力で。
「依頼を受けた諜報員がその日のうちに、依頼者の元に依頼内容の最終確認と大まかな日数を聞きに行く事になってて……こんな時間にこんな格好だったから怖がらせてしまったようで、すみません」
「いやそれは………そんな仕組みだって事を知らなかった私に非があるので…」
王女殿下は本当になんと慈悲深い御方なのか。俺が責任を感じないで済むように、こんなにも非が自分にあると言うなんて…。
じーんと感動する心を落ち着かせる為にわざとらしく咳払いをして、
「改めまして──…此度の辞書探しの方を務めさせていただきます、偽名ルティと申します」
俺は渾身の一礼をして諜報員らしく名乗った。
決まった……いつか来るかもしれない日の為に、サラと一緒に練習した甲斐があった。こうしてちゃんとお披露目の機会があって良かった。
「あ……ありがとう、ございます」
諜報部の先輩、偽名ランスが俺の背中を叩きながら「ガハハ!」と豪快な笑い声を上げる。
経験や知識の浅い俺は、少しでも早く強く立派な諜報員になるべく手の空いている先輩方に様々な稽古をつけてもらう日々を送っていた。
今日もその一環で、長い得物を使った戦闘行為に一家言あるランス先輩に何本か付き合ってもらっていた。幸か不幸か……俺は地方の砦にいた頃に色んな武器の扱い方を教えてもらっていたので、一通りの武器は扱える。その個性を活かして万能型戦闘員になれとヌルさんから言われたので、とりあえず俺は全ての武器で戦えるようになる必要があった。
流石は諜報部と言うべきか、本当に個性溢れる人ばかりでその分戦闘方法も多彩。俺が師事すべき人が多くいて、充実した半年を送れていた事だろう。
「しっかし、俺には分かんねぇな。何でお前はそこまでして早く強くなろうとするんだ? 俺達に顔が割れなかったぐらい、お前ってそもそも強いだろ」
ランス先輩が、蛇腹剣を鞘に収めながら問うてくる。
これは訓練の時に良く聞かれる事だった。何がそこまでお前を突き動かすのか──…そう、何度も聞かれた。
その度に俺の中には一つの答えだけが思い浮かんで。
「……どうしても役に立ちたい人がいるんです。この命に代えてでも、俺はあの御方の恩に報いたいんです」
脳裏に浮かぶ、ある一人の貴き御方の笑顔。俺の眼には何色も映らないが……世の人々曰く、月の女神の化身のような美しさの少女。
『またどこかで会いましょう、アルベルト』
そう最後に別れを告げられてからは、声を聞く事すらも叶っていない。その姿は暇さえあれば遠くからこっそりと見ていたが、声は………。
あの鈴の鳴るような声をまた聞きたい。また、彼女に名前を呼んで欲しい。そんな分不相応な望みが俺の心に居座る。
ただ一人、俺の事を理解してくれた御方。初めて、無条件に俺の事を信じてくれた御方。平然と、人の望みを叶えては素知らぬ振りをする正義の味方のような御方。
俺には彼女の色は何も見えないけど……それでも、あの御方がまさに女神のような美しさと可憐さを誇り、大海のように広く深き慈悲の心を持っている事は分かる。何せ俺はあの御方の慈悲の心を身をもって体感したからね。いいでしょう!
「ほーぅ、まあいいと思うぜ? 諜報員なんて仕事、それぐらい強い意思がねぇとやってられねぇからな。その御方ってのが誰かは詮索しないでおいてやるが、頑張れよな。新人」
気前のいい快活な笑顔で、ランス先輩が何度か肩を叩く。
ありがとうございます。と返事をして、俺達は訓練場を出て諜報部に戻った。そして汗を拭き着替えを済ませた時。部屋の扉が開かれて、『窓』担当のうちの一人が「仕事ですよ~」と言いながらやって来た。
『窓』というのは諜報部が唯一外部との接触を図る為に設置している窓口の事で、外部からの極秘任務などを受け付ける場所の事でもある。
そこの担当が来たという事は、『窓』の存在を知る誰かが依頼をしたと言う事。はっきり言って珍しい事だ。
「ルティ、お前も珈琲飲むか?」
「いただきます」
ランス先輩から珈琲をいただき、熱々のそれに唇をつけながら窓の話を聞く。
「えーっと、今回の依頼は『白紙の辞書』。初めて『窓』を利用した一見さんですね。その割に手馴れてましたが」
「ほーん、一見も気軽に利用出来るようになったのか。『窓』は」
「そうですねぇ。嬉しいような、諜報部としてはいかがなものか、とも考えてみたり………ってそれどころじゃないんですよ。その依頼者が凄い人なんです!」
「どうしたついに侯爵家でも依頼して来たか?」
ランス先輩がどこかワクワクしながら尋ねるも、『窓』は顔を横に振った。どうやら依頼者は侯爵家ではないようだ。
まぁ、依頼者が誰であろうと俺はまだ依頼を受けられる程の実力は無いし、この件は多分ランス先輩が引き受けるだろ──、
「それがですね、なんと依頼者は王女殿下なんですよ!」
何ぃっ!? と衝撃のあまり飲んでた珈琲を吹き出して噎せた。あまりにも突然の事にランス先輩も『窓』もこちらを心配してくる。
しかしその声もほとんど届かない程に、俺の心臓はバクバクとうるさく鼓動して、心や頭はぐるぐると様々な感情が入り乱れる。
何で、どうして王女殿下が諜報部に依頼を? そもそも『窓』の存在をどうして知って──…あぁ、そうか。これは俺へのメッセージなんだ。
早く直接命令出来るぐらい強くなれという、王女殿下なりの激励の言葉。俺に少しでも強くなる機会を与えようと、王女殿下が気を配ってくださったんだ。
ああ、やっぱりあの御方はどこまでも慈悲深く気高き人だ。
お任せください、王女殿下。俺は必ずや貴女の意図を汲み取り、貴女の望むままに動いてみせます。貴女の駒の一つとして完璧に働いてご覧に入れましょう!
「──その依頼、俺に受けさせてください」
「「え?」」
ランス先輩と『窓』の声が重なる。そんな二人に向けて、俺はもう一度力強く告げた。
「その依頼、俺に受けさせてください」
原則、見習いには依頼を受ける資格は無いのだが…俺は事情が事情なので、本来はある筈だった一年の見習い期間がぐっと減って四ヶ月に。実はもう既に正規の諜報員だったりする。
しかしまだまだ技術的に拙い所や、自信の無い所が多かったのでこうして訓練に明け暮れる日々を自発的に送っていた。なので、一応依頼を受ける事は可能なのだ。
俺が自発的に依頼を受けると言い出した事が心配なのか、ランス先輩が不安げな顔を作り、
「確かに『白紙の辞書』なら闇の魔力のが圧倒的に楽だろうが………お前大丈夫か? ちゃんとやれるのか?」
ポンっと優しく肩に手を置いて来た。まだ諜報員として未熟なんだから依頼は早いと。無茶はよせ、と暗に忠告してくれる。
しかし。俺は絶対にこの依頼を受けねばならない。この王女殿下のお役に立てる絶好の機会、逃す訳にはいかないのだ。
「はい。いつかは俺も依頼を受ける必要があるのです、それが今だったというだけ。という訳で、俺がその依頼を受けます」
「お前………こんな頑固だったか…??」
そりゃあ頑固にもなる。だって他ならぬあの御方からの依頼なんだから。
「ま、まぁ……それじゃあルティが依頼を受ける方向で処理しますね。はい、これが依頼書です」
「ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀しながら手渡された依頼書に視線を落とす。そこには確かに以前一度だけ見た王女殿下の筆跡で『アミレス・ヘル・フォーロイト』『白紙の辞書探し』と書かれており…本当に王女殿下が依頼者なのだと、密かに舞い上がってしまった。
ああ、あぁ! 遂に王女殿下のお役に立てる時が来たんだ! これまで割と辛い訓練に耐えてこられたのもエル──サラと王女殿下の存在あってこそ。
俺の命の恩人で、唯一の理解者で、尊敬する御方。そんな彼女の為に働けるなんて嬉しいな。ようやく、あの御方のご恩に報いれるんだ。
「…ルティ、お前めちゃくちゃ嬉しそうだが……そんな顔出来たんだな。そんなに初依頼を受けれたのが嬉しいのか?」
ランス先輩の冷静な指摘に、俺はここで初めて自分の表情が弛みに弛んでいた事に気づく。
諜報員は己の表情さえも武器とせよ。その教えを完璧に忘れてしまっていた。まさか表情を把握し損ねたなんて。
気合いを入れてキリリとした表情を作り、
「すっごく嬉しいです。この依頼」
「ハハ、そりゃ良かったな」
自分の心に正直に嬉しいと口にしたら、ランス先輩は子供にするように、俺の頭に手を置いてわしゃわしゃと掻き乱していった。
その後、今日中に片しておきたい仕事を片付けてから、俺は身嗜みを整えて王女殿下の元に向かった。依頼を受けたら、その日のうちに依頼者に最終確認に行く決まりがあるのである。
ただの依頼者ならば普通に家を訪ねる所なのだが、今回の依頼者は王女殿下だ。どうしても秘密裏に接触する必要がある。
いくら仕事と言えど、突然王女殿下の私室に侵入するなど言語道断。王女殿下が気づいてくれますようにと願いながら、花を一輪、王女殿下の私室の窓際に置いた。
そして暫く近くの木の上で待っていたら、ようやく王女殿下が気づいてくれたようで、窓を開けて花を眺めていた。
花、気に入ってくれたのかな? 色は分からないけれど、形が綺麗な花を選んだから気に入ってくれたのなら嬉しいな。
こんなにも近くで王女殿下を見る事が出来るなんて、俺は本当に幸運だ。……そんな浮き足立つ気持ちのまま俺は王女殿下の前に姿を表した。
「っ?!?!」
すると、王女殿下は警戒した表情で後ろに飛び退き、白い長剣を構えた。
……これは、もしかして怖がらせてしまった?
ハッとなり俺は自分の格好を見直してみる。諜報部支給の闇夜に紛れる真っ黒の制服。顔もフードと覆面とで半分隠れている為に、夜も相まって姿が全く見えない事だろう。
どう考えても不審者だ。街で百人に聞けば百人が黒と答えるレベルの不審者だ。
例え、どれだけ王女殿下が勇敢な人と言えども彼女はまだ十三歳の少女。こんな明らか完璧に不審者な男がこんな時間に突然目の前に現れたら……普通の人なら怯えて当然だ。
不審者だけど不審者ではないんです! と両手を胸の前で何度も左右に振る。ついでに顔も左右に振っていたのだが、王女殿下は更に警戒を強めるだけで。
こうなったらもう仕方無い、と俺は覆面を取った。諜報員は原則素顔を見せてはいけないのだが……、
「王女殿下、俺です」
彼女相手ならば問題無いだろう。今はとにかく、依頼者であり恩人である王女殿下に怯えられている状況の打破が最優先事項だった。
「え、あ………アルベルト…??」
王女殿下はぽかんとした顔で剣を持つ手を体側に落とした。
……名前、また呼んでもらえた。諜報員になった以上もう呼ばれる事なんてないと思っていた俺の名前…王女殿下に呼ばれただけで、こんなにも心が温かくなるなんて不思議だな。
こうやってまたお会い出来て本当に嬉しい。たったこれだけの事でとても幸福になれるなんて。俺は本当に単純な人間だ。
「本当は顔とか見せたらいけないんですが、王女殿下相手ならば今更な節もありますし……どうやら、怖がらせてしまったようなので」
こんな事なら覆面だけでも外しておけばよかった。そう思いながら、申し訳ございません。と謝る。
すると王女殿下が「勘違いして警戒したのは私だから」とまるで俺に非がないように言ってくれて…なんて心が広い人なんだと、その高潔な御心に感服した。
「もしかして、依頼を受けてくれたのって……」
突然、何かに気づいたように王女殿下がこちらに視線を送って来る。ようやく気づいてくださった、と喜びながら俺はこくりと頷いた。
「はい、俺です。王女殿下の役に立ちたくて」
その為にこの依頼に立候補しました。全力で。
「依頼を受けた諜報員がその日のうちに、依頼者の元に依頼内容の最終確認と大まかな日数を聞きに行く事になってて……こんな時間にこんな格好だったから怖がらせてしまったようで、すみません」
「いやそれは………そんな仕組みだって事を知らなかった私に非があるので…」
王女殿下は本当になんと慈悲深い御方なのか。俺が責任を感じないで済むように、こんなにも非が自分にあると言うなんて…。
じーんと感動する心を落ち着かせる為にわざとらしく咳払いをして、
「改めまして──…此度の辞書探しの方を務めさせていただきます、偽名ルティと申します」
俺は渾身の一礼をして諜報員らしく名乗った。
決まった……いつか来るかもしれない日の為に、サラと一緒に練習した甲斐があった。こうしてちゃんとお披露目の機会があって良かった。
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