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第二章・監国の王女

Side:イリオーデ

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 王女殿下に手を引かれ、今生において二度目のダンスを踊りにゆく。
 元々、私は社交界に滅多に出ない人生を送っていた。父がそれを不要と断じていたからなのだが、たまに母の付き添いで社交界に出ようとも私は一度も踊る事なく、ただ母の傍に立っていた。
 一応貴族の素養としてダンスを教わってはいたものの、実際にパーティーなどで踊った事は一度もなく、ハッキリ言ってダンスには全く自信がなかった。
 それでも、王女殿下と再会して以来は万が一の時の事を考えて密かにダンスの練習をしていた。書店で『初心者向けダンス~これさえやれば形にはなる~』『中級者向けダンス~今日からあなたも一流のダンサー~』『上級者向けダンス~もう言う事はない~』と謳う本を買い、日課の素振りの後にこっそりと読み込んでいた。
 他にも少し頭から抜けつつあった社交界のマナーやルールなどについてもシャンパージュ伯爵に聞いたりして今一度頭に叩き込んでおいた。
 万が一の際、間違っても王女殿下に恥をかかせる訳にはいかない。その一心で取り組んで来た物事が功を奏したと言うべきか。
 本当に王女殿下のパートナーという大役を任され、彼女をエスコートし、そしてダンスを共にした。まさに夢のような一時であったと言えよう。
 御本人は何故か否定するがどこからどう見ても社交的な王女殿下は、あの国教会の聖人からのダンスの申し込みさえも受け入れた。 事の重大さを、この御方はまだ気づいていない様子。
 手と手を重ね、その繊細なる御方に触れ、耳に届く音楽に従いダンスを踊る。その傍らで私は物思いに耽っていた。
 国教会の聖人はまず滅多に表舞台に出て来ず、もし表舞台に現れても特定の個人と親しくするような事は無かった。そんな男が、突然皇太子殿下の誕生パーティーに現れただけでなく王女殿下と親しいとなれば………欲深い貴族達は聖人との繋がり目当てで王女殿下を利用しようなどと謀るだろう。
 何せ、純潔なりし神の代理人たる国教会の聖人が、特定の誰かと公の場でダンスを共にする事など前代未聞。それ程までに王女殿下と聖人の仲が親しいのだと知らしめるようなもの。
 彼女の騎士として王女殿下に降りかかる火の粉を案ずる。可能な限り我々で払うつもりでいるが、全て払いきれるかどうかは分からない。
 いくらシャンパージュ伯爵家とララルス侯爵家とランディグランジュ侯爵家の力があろうとも、全ての火の粉を払う事は出来ないだろう。
 王女殿下に少しでも火の粉が降りかかってしまう事が、本当に嫌で嫌で仕方ない。

「イリオーデ、どうしたの? さっきから暗い顔して」
「すみません。少し、考え事をしてしまい……王女殿下とのダンスの最中にこのような……」
「別にいいわよそれぐらい。というか、考え事してたのにあんなキレのあるダンスを踊ってた事が驚きだわ」

 この世の何よりも美しく、鮮やかで、可憐なもの。
 水晶のように美しい銀色の御髪に、夜空をそのまま額縁に閉じ込めたようなつぶらな瞳。卓越した剣と魔法の腕を持ち、天より何物も与えられたかのように身体能力にも恵まれた少女。
 しかしその御身体はまだ小さく、手足など私の一回りも二回りも細い。それなのに。こんなにも小さな御身体で、王女殿下は抱えきれぬ程の重責と覚悟を抱えていらっしゃる。
 誰よりも死を恐れているのに……いつも平気な顔で他者の為に駆け出して、体を張って、最後には笑って全てを片付けてしまうのは何故ですか?
 どうして貴女様は、いざと言う時に我々を頼って下さらないのですか。何の為に我々が在ると思っているのですか。どうして、どうして。
 そんな抱いてはいけない不満というものが、次々に湧いて出てくる。王女殿下と再会してからというもの、私は強欲になりつつあった。騎士の領分を超えた浅はかな望みを多く抱いてしまった。
 もっと貴女様の傍にいたい。今までの十年分も、これから先はずっと傍にいたい。
 もっと貴女様に頼って欲しい。私は、王女殿下が傷つく姿を見たくないのです。

「本当にイリオーデは何でも出来るわね。私はどちらかと言えば不器用な方だから、羨ましいわ」

 大輪が咲き誇り、目が覚めるような笑顔。
 この笑顔をもっと見たい。もっと私の名を呼んで欲しい。ずっと、こうして私の腕の中にいてくれたなら………貴女様が傷つく事も悲しむ事も無いように守り抜けるのに。
 それだけは絶対に叶わない。王女殿下はいつだって、私達の腕を振り払ってどこか遠くへ──外の世界へ飛び出してゆく。
 愛玩用の鳥籠の鳥なんかではなく、自由に空を飛び回る鳥のように。自らの信念に従って、彼女はすぐに危険に身を投じる。
 後先なんて考えず、どこかの誰かの為に善を成そうとする貴女様は、私が知る中で最も美しく気高い御方だ。

「お褒めに預かり光栄です。我が存在の全ては貴女様の為にありますので、存分にお使い下さいませ」
「お使い下さい………って言われてもなぁ。もう十分皆には頼ってばっかりだもの」
「そんな事はありません。もっと頼って下さい、もっと我々を使って下さい」

 敬愛せし主君マイ・レディ、アミレス・ヘル・フォーロイト様。
 我々は貴女様に使われる事を望んでいるのです。それこそが我々の望みだから。最愛の貴女様の為に生きられる事が、我々にとっての最大の幸福なのです。
 だからどうか、私を置いていかないで下さい。もう二度と、貴女様を失う苦しみなど味わいたくないのです。何があっても、私を傍に置いておいて下さい。
 お願いです。どうか、どうか。
 私の目の届かぬ所で傷つかないで下さい。私の手の届かぬ所へ行ってしまわないで下さい。

「相変わらずリードがとっても上手ね。今日も踊ってくれてありがとう、イリオーデ」
「………貴女様の騎士として当然の事をしたまでです」

 音楽は止まり、貴女様を最も傍に感じられる夢のような時間は終わってしまった。
 この後王女殿下は国教会の聖人とマクベスタ王子と踊る事になる。王女殿下とダンスを共にする誉は私だけのものではなかった。寧ろ、そう考えてしまった事が烏滸がましいというもの。
 王女殿下がそうと決められたのだから、私は大人しくそれに従い身を引くべきだというのに。
 まだ、この手を離したくない──……。
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