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第二章・監国の王女

169.十三歳になりました。4

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 その日の夜、夕食も入浴も終えた私は自室でゴロゴロとしながら、ディオ達やリードさんやハイラからの手紙を読んでいた。
 皆が今日だけは仕事しちゃ駄目、と言うものだから後はもう寝るだけとなったのである。
 ………そう言えば、毎年誕生日の夜に差出人不明の薄紅色の花が私の部屋の窓際に決まって一輪置かれていたのだが、今年は無いようだ。
 皆からの手紙を見てニヤニヤしてしまう我が口元が憎い。どれだけ表情筋ゆるっゆるなのよ、まったく。こんな姿、誰にも見せられないわよ。
 リードさんからの手紙もかなり嬉しかった。何せお別れすら言えなかったのだ……こうしてリードさんの近況を知れるのは嬉しいというもの。
 近頃は祖国で修行に励んでいるらしい。『また必ず会おうね。今度は僕から会いに行くから』と言う一文を見つけてとても嬉しかった。ただ文句をつけるのなら、これに返事が出来ない事だろうか。
 リードさんの出身がジスガランドだという事は知っているが、それ以上の踏み込んだ事は知らない。だから手紙を送ろうにも送れないのだ。……リードさんからは一方的に送れるのにね。ちょっと不公平じゃないかしら?
 次に読んだハイラからの手紙はとにかく私を心配する内容だった。『睡眠はきちんと出来ていますか?』『食事はきちんととれていますか?』『着替えは一人で出来ていますか?』『仕事のし過ぎは控えてください』と、私を赤ちゃんか何かかと思っている言葉が多い。
 そして仕事のし過ぎと言う言葉はそっくりそのまま貴女に返すわよ、ハイラ。過労常連の貴女にだけは言われたくないわ。

「王女殿下、少しお時間をいただいても宜しいでしょうか」

 扉をノックする音と共に、イリオーデの声が聞こえて来た。適当な上着を羽織り、扉を開く。
 そこには真剣な面持ちのイリオーデが立っていて。立ち話もあれだし、中に入ってちょうだいと招き入れる。長椅子ソファに座るよう促すと、躊躇いつつもイリオーデは腰を下ろした。
 そして、改まった面持ちで彼は口を切る。

「以前お話致しました通り……私は王女殿下が二歳の誕生日を迎えられる少し前まで、東宮にて王女殿下に仕えておりました」

 そうらしいね、前にもその話は聞いたし。と私は頷いて相槌を打つ。

「当時の私には力が無く、実家の事件に巻き込まれた結果、王女殿下のお傍を離れるしかありませんでした」
「事件って?」
「俗に、侯爵家爵位簒奪事件と呼ばれているものです。兄が両親を……殺害し、その爵位を簒奪した事件。その際に私は兄に殺されると勘違いし、実家を飛び出して貧民街へと逃げ込んだ為、突然王女殿下のお傍を離れる事になったのです」
「そうだったの…」

 初めて聞いた時はぼけーっとしてたから気づかなかったが、イリオーデはあの帝国の剣たるランディグランジュ侯爵家の出身なのだと言う。
 訳あって家を出て、貧民街に暮らしていたそう。その訳というのが、彼の語る侯爵家爵位簒奪事件らしい。
 その事件については、私も以前ハイラの授業の雑談で聞いた事がある。当時十四歳という若さで前当主を殺害し、その座についた歴代最年少の侯爵──アランバルト・ドロシー・ランディグランジュ侯爵。
 しかしその概要しか聞いてなった為、イリオーデが行方不明になっていたランディグランジュ家の次男という事も、騎士界隈では有名なランディグランジュの神童という存在な事も、全く知らなかったのだ。
 ランディグランジュ侯爵家という家名やその功績は知っていたが、その中の個人名までは知らなかった。もしそれを知っていたならば、もっと早くイリオーデが行方不明の神童だと気づけたかもしれないのに。
 とことん興味のない事には無知で恥ずかしいな。

「王女殿下がお生まれになってから一年と少し………とても短い期間ではありましたが、私は確かにその期間を王女殿下の騎士として過ごしておりました。あの日々は、未だ我が輝かしき記憶としてこの心に残り続けているのです」

 その時はまだちゃんとアミレスだったから、私はそれを知らないのだけど……でも、どこか胸の奥が温かくなってくる。もしかしたらアミレスはこの事に心当たりがあるのかも。
 それに、イリオーデの話し方や表情からその感情が伝わってくるようで。本当に、イリオーデにとってもアミレスにとってもその一年と少しは思い出に残る期間だったのだろう。

「私は騎士として貴女様をお守りすると誓いました。その誓いが為に生きると決めていたにも関わらず、私は貴女様のお傍を離れてしまいました。騎士でありながら、誓いを違えてしまったのです」
「でもそれは貴方の意思じゃないんでしょう?」
「私の意思で無いにしろ、私が王女殿下へと捧げた誓いを違えた事に変わりはないのです」
「……生真面目なのね、貴方は。そんなに思い詰める必要は無いと思うけれど」

 私が慰めの言葉をかけても、イリオーデの表情は曇る一方。彼は実直な人だ。騎士の中の騎士と言うべき、芯のある人。
 だから深く考え過ぎてしまうのかも。

「それでも、今こうして私の騎士として傍にいてくれているのだから、そんなに気にしないでちょうだい」

 だからこそ伝えるべきだと思った。気にしないでいいのだと。
 真面目過ぎるイリオーデの事だから、きっとその誓いを違えた事をずっと後悔し、それが重荷となっていたのだろう。だからその重荷を少しでも降ろせるよう、私なりの言葉を尽くそう。
 きっと、アミレスもこれを望んでいるだろうから。

「今も昔も私の騎士は貴方だけよ、イリオーデ。私の元に戻って来てくれてありがとう」
「……っ!」

 見開かれるイリオーデの瞳。いつかの朝のように、その瞳は涙を溢れさせた。そして、感動に濡れる目元を手の甲で必死に拭っている。
 前からずっと思っていたけれど、本当にイリオーデの涙は綺麗だな。本人がとても綺麗な事もあって、絵画のよう。
 それはともかくだ。引き出しからハンカチーフを一つとって来て、それをイリオーデに「これ使って」と手渡す。
 弱った表情で、イリオーデは恐る恐るハンカチーフを使った。そうやってひとしきり涙を拭った後、少し赤みがかった目元で彼は立ち上がり、深く腰を曲げて懇願して来た。

「……私からこのようにお願い申し上げるなど、本来許されぬ事とは重々承知の上。しかしそれでも懇願せずにはいられないのです──…どうか、今一度。貴女様に永遠の忠誠を誓う事を、お許しください」

 突然の事に目を丸くして、私は悩む。
 彼の言う誓いは……多分騎士の誓いの事だろう。我が国で行われる騎士の誓いの多くは、見習いから正規の騎士となる叙任式にて皇帝ないし皇太子に対して行われる。
 その騎士の誓いを、彼は私に対して行いたいのだという。皇帝でも皇太子でも無く、野蛮王女と呼ばれるこの私に。

「本当に構わないの? 私が主で」
「王女殿下でなければならないのです。私が忠誠を捧げる御方は、今生において王女殿下ただ御一人です」

 彼が深く頭を垂れている為、その表情は良く見えない。しかしその声から真剣そのものである事だけは分かる。
 ──『私』が初めて彼に会った時から抱いていた疑問。どうして、イリオーデはこんなにも私に尽くしてくれるのだろうと。
 違えてしまったと言いつつも、イリオーデは私に会ってからずっとその誓いを守ろうとしていた。ずっと、アミレスの騎士であろうとしてくれた。
 その気持ちに、アミレスならざる私が答えるのは少し違うと思うけれど……きっと、こればかりはアミレスも同じ答えだと思うから。

「………分かったわ。しましょうか、二人だけの叙任式を」

 バッと上げられたイリオーデの顔は喜びに染まっていた。
 こちらもニコリと微笑み、なんちゃって叙任式の準備を始める。……とは言えども、イリオーデからその剣を預かっただけである。
 その剣を見て、私は少し嬉しい気持ちになった。この長剣ロングソードは以前イリオーデの誕生日にプレゼントしたもの。半年程前に彼に何が欲しいかと聞きまくった結果、何とか聞き出せた答えが、『…では、剣が欲しいです。主より剣を賜る事は、騎士にとって非常に重要な事ですので』というものだった。
 その為、冬に入る前に選りすぐりの物を購入し、そして以前の誕生日に渡したのだ。ちなみに、私兵団全員の誕生日を私は祝っている。主としては当然の事よね。
 話の腰が折れてしまったが、そんな流れで私はイリオーデに剣をプレゼントし、彼はそれを愛剣として大事に使ってくれているらしい。見た感じ物凄く丁寧に手入れもされているようだ。
 こんなにも大事にして貰えるなんて、プレゼントした側としてはこれ以上ない喜びというもの。
 自然と口角だって上がってしまうというものよ。

「さて。では始めましょうか」

 気を取り直して、私はなんちゃって叙任式の開始を告げる。
 それと同時にイリオーデが私の足元にて跪く。月明かりと魔石灯ランタンが照らす室内で、私はいつか見た叙任式の文言を思い出しつつ口を開く。

「──イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。汝はいついかなる戦場においても強くあり、いついかなる戦況においても聡明であり、いついかなる環境においても正義であると誓うか」
「はい。誓います」

 イリオーデの返答を受け、私は彼の剣を抜き、その剣の平を彼の肩に乗せる。
 そして更に、私は必要な文言を口にしてゆく。

「永遠なる忠誠を捧げ、誰にも負けぬ武勇を誇り、その身に恥じぬ礼節を弁え、深き慈愛と厚き奉仕にて我が国を支えよ」

 すぅっ、と息を吸ってラストスパートをかける。

「強くあれ。聡明であれ。正義であれ。慈悲深くあれ。冷徹であれ。謙虚であれ。強欲であれ。汝の剣、汝の誓いは我が元に。その身命が尽きるまで、汝が我が下に跪く事を許そう」

 本来ならば、ここで騎士側の誓いの言葉が入って叙任式は終わりなのだが……これはなんちゃって叙任式。私とイリオーデ二人だけの騎士の誓いだ。
 少しぐらい改変したって許されるでしょう?

「最後に。もう一度、私だけの騎士となる事を許しましょう」
「っ!!」

 イリオーデの体がビクリと反応する。しかしそれも束の間、喜びを噛み締めるような彼の誓いが聞こえて来る。

「……──我が名、イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。我が身命が尽きるその日まで。我が剣、我が志が打ち砕かれるその時まで。この身総てを王女殿下に捧げる事、我が騎士道においてここに誓います」

 騎士側の誓いを受け、最後に主側が一言告げる。それにて、叙任式は終わりを迎える。

「我が騎士、イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュよ。汝がこれより私の騎士となり、その剣を捧げる事──この誓いにおいて許します」
「はっ!! 御意のままに!」

 剣を鞘収め、イリオーデに返還する。それを受け取ったイリオーデがおもむろに立ち上がり、剣を腰に帯びてから改めて跪いた。
 そして、私の手を取り──。

「敬愛せし我が主君。永遠なる忠誠を、貴女様に」

 手の甲に柔らかな口付けを落とす。こんなの叙任式には無い! 私がアドリブしたからイリオーデまでアドリブで返して来たじゃないの!
 突然の事にかなりテンパってしまう。しかもなんとこれだけで終わりではなかった。突然長椅子ソファに座らされたかと思えば、何故か私の足を持ち上げて彼は脛にまで口付ける。
 あまりの恥ずかしさと当惑からまともに声を出せない。「え、ちょっ」みたいな声しか喉から出てくれないのだ。
 脛が終われば今度は足の甲まで。イリオーデは真剣な表情で人の身体にたくさん口付けて来た。
 なんなの、本当になんなの?! 顔から火が出そうなくらい熱いし………っ、イケメンにこんな事されて照れるなって言う方が無理あるって!
 あまりの恥ずかしさからダウンしてしまいそうな所に、イリオーデの幸せそうな微笑みという追い討ちを食らい、私は無事にダウンした。
 精神的に凄く追い詰められた気分です。……というか、本当に何なのよあの謎のキスラッシュは!!
 結局その意味は分からずじまい。目を閉じるとその光景がフラッシュバックして、誕生日の夜なのにロクに眠れないなんて珍事になってしまった。
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