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第二章・監国の王女
幕間 その役を演じ切る。
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それから、俺のランディグランジュ家当主としての慌ただしい生活が始まった。
幸いにも我が家門は分家筋も含めて武家の家門。事業のようなものはあまりやっていなかった。その代わりに、ランディグランジュ家の領地では農業が行われているので、唯一の収入源と言っても過言では無いそれの更なる活性化を目指し、奮闘する事になった。
我が領地……と言うか帝国全域では冬になると農業が難しくなる。それがやはりネックだったので、必死に色んな書物を読み漁っては領地と帝都を行き来して、農家達と議論し検証しを繰り返した末に、何と冬でも幾つかの作物の栽培が可能になったのだ。
この成功までおよそ二年。だがこれだけではまだ足りない。皆を、ランディグランジュを守れない。農業改革と同時に、実は別の計画も進めていたのだ。
俺には本来当主となる資格が無かった。簒奪してまで手に入れたこの紛い物の爵位。父と同じような働きは不可能な為、俺は代々ランディグランジュ侯爵が務めてきた帝国騎士団騎士団長の役職を辞退した。
その為、父が生前に国から貰っていたような俸給は一枚たりとも無く、その癖納税額は変わらないので本当に大変だった。
数年は蓄えられていた財産から捻出可能だが、数年後にはそれも不可能となる。とにかく他にも事業を始める必要があった。そこで俺達武家の者が考えたのは──…ズバリ、剣術学校の運営だった。
我が帝国の騎士団や兵団はその門戸を広げている為、身分問わず誰でも入団試験を受けられる。だが、その試験の難しさに合格出来ない者が多いと聞く。
ならば少しでもその可能性を上げられたならと。身分問わずの剣術学校を開く事にしたのだ。場所は帝都からもほど近いランディグランジュ領。そこに剣術学校を建て、運営する許可を一応ケイリオル卿からもいただいた。
その学舎設立の資金をシャンパージュ伯爵家に借りたりしつつ、どうせやるならとしっかりした設備と道具を用意。更には遠くから学びに来てくれた生徒用にと学生寮まで作った。
これで町興しをしようと、剣術学校のすぐ側の町は未だかつて無い程に大盛り上がり。様々な店が立ち並ぶようになった。
この学校の運営で一番の不安が、経営そのものだった。誰もやった事が無いような事だったので、恥も外聞を捨てて俺はまたシャンパージュ伯爵家に頭を下げた。
どうか、剣術に覚えがあり頭が切れる者を派遣して欲しいと。あれだけの借金をした上で人材まで寄越せという無茶苦茶な要望、普通なら聞き届けて貰えないだろうと思っていた。
しかしシャンパージュ伯爵の代理の人は、伯爵に相談した上で人材をも派遣してくれた。派遣された人がうちの者に色々と教鞭を執ってくれたお陰もあり、剣術学校は無事運営されるようになったのだ。
そして有難い事にこの剣術学校はかなりの大盛況となった。例え当主が無能であろうとも、ランディグランジュ──帝国の剣の名が持つ力は絶大。教師陣がランディグランジュの分家筋の者達という事もあって、質の良い剣術を学べると貴族からも平民からも評判だった。
何もかもが不慣れな事ばかりであったが、死ぬ気で勉強し努力し、多くの人達の助けを得てなんとか十年間駆け抜けて来た。
あまりの忙しさにイリオーデを捜す暇も無くて、ただあいつが今どこで何をしているのかが気がかりだった。だからこそ、あいつがいつでも帰って来られるように……俺は、ランディグランジュを守る必要があった。
この地位を奪ったのは俺だから。ちゃんと、責任を取って守り抜かないといけなかったんだ。
九年程前にシャンパージュ伯爵家より借りた大金も、利子含めそろそろ纏めて返せる見込みだった。ひとまず、ようやく少しだけ肩の荷を降ろせると思っていた時だった。
「久しぶりだな、アランバルト」
初恋の人に再会出来た事に浮かれていた俺を、雷が貫いたようであった。
生意気にも兄である俺よりずっと背も高く逞しい体になった仏頂面な男が、シャンパージュ伯爵の隣に立っていた。
驚きと困惑のあまり、俺はパクパクと口を動かすだけであった。
「何だその間抜けな顔は……情けない」
「っ、いつからそんなに、毒舌になったんだよ」
「共に暮らしていた弟分の癖が移ったのだろう」
「………今まで、どこにいたんだ」
「貧民街だが」
「そ、っか…そりゃあ、見つからなかった訳だ」
帝都中を隅々まで捜す前に、人手が足りないランディグランジュ家は泣く泣くイリオーデの捜索を打ち切らざるを得なかった。そこでまだ捜索出来ていなかった場所が、偶然にも貧民街を始めとした西部地区だったのだ。
捜索を打ち切らずに西部地区を捜していれば、もっと早く見つけられたかもしれないのか。目の前の事にいっぱいいっぱいだった俺には無理だったが。
というかイリオーデ、何だその服。騎士っぽいが……騎士団の服では無いな。もしやシャンパージュ伯爵家の騎士とかなのか、お前!? 凄いなお前!
「兄弟の感動の再会に水を差すようで申し訳無いが、実は今日はランディグランジュ侯爵に相談……いや、提案があってね」
「提案?」
シャンパージュ伯爵から俺に提案するなんて、何事だろうか。はっ、もしや農作物の取引停止とかか?!
いやそれだけは駄目だ、シャンパー商会と取引出来なくなったとなれば、その噂だけで他商会も取引に応じなくなってしまう。
最悪の事態だけは避けねば!!
「私を筆頭に、ララルス侯爵が王女殿下の派閥に入っている事は知っているだろう?」
「え? あぁ…はい。最近良く聞きますし、その話は」
農作物の話じゃないのか? と、ひとまず安心して良さそうな流れに思わず肩を撫で下ろす。
「そこで、君にも王女殿下の派閥に入って欲しいんだ。王女殿下を支える為に、磐石の布陣を敷く必要がある。そこの一角を、ランディグランジュ侯爵………君が担って欲しい」
随分と意外な提案だ。しかしシャンパージュ伯爵の瞳は真剣そのもの。イリオーデとて、意思の籠った強い表情をしている。
しかし、王女殿下の派閥か。うちは元帝国の剣として一応、中立の立場にあったからな……というか有力家門は大体特定の派閥に入っていないんだよな、今は。
何せ皇族の継承権争いが無いからな。だから俺もそこのところはなあなあで放置して来たんだが、それに入る事で、イリオーデが王女殿下の元に舞い戻るきっかけになるのなら…まぁ、それも有りだな。
「分かりました。王女殿下を支持すると公言すれば良いんですね?」
二つ返事で提案を飲むと、シャンパージュ伯爵がたまげたように目を丸くして。
「……驚いた。随分とあっさり決めたじゃないか。提案した私が言うのも何だが、君はランディグランジュ侯爵──帝国の剣だ。もっと慎重に決めるべきではないか?」
「俺は確かにランディグランジュ侯爵になりましたが、ご存知の通り名ばかりの存在です。俺は帝国の剣ではないので、立場とかも無いんですよ」
そうだ。俺が騎士にも当主にもなれない半端者である事は俺自身が一番よく分かっている。名ばかりの侯爵だと言う自覚も当然ある。
だから立場なんて無い。俺は俺の思うがままに、紛い物の侯爵として振る舞うだけだ。
「それに……俺が王女殿下を支持すれば、イリオーデが王女殿下と関わっていてもおかしくはないかと思って」
これまで色々と苦労をかけたんだ。少しでもイリオーデがやりやすいようにしてやらないとな。と思いつつ発言すると、
「っ!? お前、何故それを知って……!」
「おかしいな。どこから情報が漏れた…?」
イリオーデとシャンパージュ伯爵がギョッと反応する。何なんだ、一体どういう事なんだ??
「ランディグランジュ侯爵、君はどうしてイリオーデ卿が王女殿下の騎士であると知っているのかい?」
「えっ、そうなのかイリオーデ!?」
「あれ…? 何だこの反応は。話が拗れてきたなこれ」
バッとイリオーデの方へ顔を向けると、そこには怪訝な顔つきのイリオーデが立っていた。
シャンパージュ伯爵の困惑の声を他所に、俺は湧き上がるような感情を押し止められず、溢れさせてしまった。
「…──そうか。良かった……本当に良かったな、イリオーデ」
まるで我が事のように嬉しかった。どういう経緯でそうなったのかは知らないが、イリオーデが王女殿下の騎士として生きている事が本当に嬉しかった。
だからだろうか。だらしなく、自然と頬が緩む。侯爵として律して来た自我が、物凄く騒ぎ倒そうとしている。
「………ランディグランジュ侯爵、一つ聞きたい。君は…彼が王女殿下の騎士である事を知らなかった。なのにどうして、イリオーデ卿の王女殿下との関わりを示唆したんだ?」
「あ、えっと。それは…昔、イリオーデが王女殿下の騎士になると言っていたから、です。俺は、イリオーデが何の憂いも無く王女殿下の騎士として生きていけるように、爵位を簒奪したので」
少し恥ずかしくもあったが、俺はその場で心情を吐露した。
「イリオーデが王女殿下の騎士になってくれる事が、俺の望みのようなものなんです。なので……俺が王女殿下の派閥に入る事でイリオーデが王女殿下と関わるきっかけになるのなら、いいなぁと思い」
すると、イリオーデの表情が驚愕と困惑に染まり、複雑な色となった。その隣でシャンパージュ伯爵は考え込む。
「どういう、事なんだ。お前が……私の為に爵位を簒奪しただと?」
「ああ。お前は知らなかったかもしれないが、父さんは無能な俺じゃなくて天才のお前に後を継がせようとしてたんだよ。だけど、それだとお前は王女殿下の騎士になれないだろう? だから、俺が奪ったんだ。お前に与えられる筈だったこの座を、お前に与えられるよりも前に」
「──なら、何故…母も殺したんだ。母は、怪我を負いながら、私に逃げろと……そう…」
「母さんの傷は父さんが付けたものだ。あの夜に、父さんと母さんは後継者問題で言い合いになってた。多分、その末に父さんが怒りに任せて……。母さんは俺にも逃げろと言って来た。父さんを止められなかったからって」
「そん、な…」
イリオーデは愕然とした。信じられないとばかりに、疑いの目をこちらに向けてくる。
もしかしたら、イリオーデは世間に喧伝された強欲な俺の姿が真実なのだと思っているのかもしれない。……兄弟なのだから、少しぐらい俺を信じてくれてもいいだろ。
イリオーデが俺に対してあまり興味関心が無いのは昔からだが。
「俺の話なんて信じられないかもしれないが、これが真実なんだ。俺の自己満足で揉み消して隠して来た事実。すまなかった、当時、何も言わなくて………お前に負担をかけたくなくて、重荷は全部俺が背負えばいいと、イリオーデにだけは何も話さず計画を実行してしまったんだ」
そこに偶然重なってしまった事件の所為で母が死に、イリオーデは行方を眩ませた。俺が初めから話しておけばイリオーデがいなくなる事も無かったのかもしれないのに。
「だけど、俺が父さんを殺した事に変わりは無い。だからその事で批難されるのならば、俺は甘んじて全て受け入れよう」
今までだってそうしてきたから。偉大な騎士であった父を殺した俺は様々な批難と後ろ指に晒されて来た。だがそれは俺が受けるべき正当な批難だったので、全てちゃんと受け入れて来たのだ。
「………私の、勘違い…だったのか。全部…初めから」
呆然としたイリオーデがボソリと呟くと、その隣でシャンパージュ伯爵が「はぁぁ…」と大きなため息をついて、
「君達、一度腹を割って話し合ってくれないか? 部外者は退散するから、兄弟水入らずで一から話し合いなさい。それで、これまでの勘違いやすれ違いを正してくれ」
また新たな提案をしてきた。それに驚いた俺達は視線を重ね、おずおずと頷く。
すると、どこかゲンナリとした表情でシャンパージュ伯爵は「いや本当に………これは予想外だな…ちゃんと調査すべきか……」とブツブツ呟き、部屋を出る。
部屋に残された俺達二人は、とりあえず向かい合って長椅子に座る。そう言えば客人に茶のひとつも出てないな、と気づいた俺は慌てて紅茶の準備に取り掛かる。
幸いにも部屋には俺が先程まで使っていたまだまだ熱いティーポットがあるので、必要なのは茶葉とカップと茶菓子のみ。部屋の一角にある棚からそれらを取り出し、やがて紅茶を注ぐ。
そして、「茶菓子はこれしか無いが大丈夫か?」と聞きつつ紅茶と茶菓子を振舞った。イリオーデも「……問題無い」と短く返答して紅茶を一口含む。
「この味……」
「懐かしいだろう。昔よく乳母が入れてくれたものに少しでも似るよう、結構練習したんだ」
「六十五点」
「…辛口だな。まぁ確かに、まだまだ乳母の味には届かないが」
まさかこんな風にイリオーデと話せる日が来ようとは。これまで結構苦労したからか、天がご褒美をくれたのかもしれない。
ある程度紅茶を味わってから一度カップを置き、俺はシャンパージュ伯爵のお勧め通りにイリオーデと話し合う事にした。
「それじゃあ、俺と話し合ってくれるか、イル?」
「………あぁ。勿論だとも、アランバルト…兄さん」
かつて、騎士らしくないからと呼ぶのをやめてしまったイリオーデの愛称。十数年ぶりにそれを呼んで……イリオーデから兄さんだなんて呼ばれ方をして、少し気恥ずかしくなる。
…──ああ、おかえり。イリオーデ。お前の帰りをずっと待ってたんだ。本当に、生きててくれて、ありがとう。
幸いにも我が家門は分家筋も含めて武家の家門。事業のようなものはあまりやっていなかった。その代わりに、ランディグランジュ家の領地では農業が行われているので、唯一の収入源と言っても過言では無いそれの更なる活性化を目指し、奮闘する事になった。
我が領地……と言うか帝国全域では冬になると農業が難しくなる。それがやはりネックだったので、必死に色んな書物を読み漁っては領地と帝都を行き来して、農家達と議論し検証しを繰り返した末に、何と冬でも幾つかの作物の栽培が可能になったのだ。
この成功までおよそ二年。だがこれだけではまだ足りない。皆を、ランディグランジュを守れない。農業改革と同時に、実は別の計画も進めていたのだ。
俺には本来当主となる資格が無かった。簒奪してまで手に入れたこの紛い物の爵位。父と同じような働きは不可能な為、俺は代々ランディグランジュ侯爵が務めてきた帝国騎士団騎士団長の役職を辞退した。
その為、父が生前に国から貰っていたような俸給は一枚たりとも無く、その癖納税額は変わらないので本当に大変だった。
数年は蓄えられていた財産から捻出可能だが、数年後にはそれも不可能となる。とにかく他にも事業を始める必要があった。そこで俺達武家の者が考えたのは──…ズバリ、剣術学校の運営だった。
我が帝国の騎士団や兵団はその門戸を広げている為、身分問わず誰でも入団試験を受けられる。だが、その試験の難しさに合格出来ない者が多いと聞く。
ならば少しでもその可能性を上げられたならと。身分問わずの剣術学校を開く事にしたのだ。場所は帝都からもほど近いランディグランジュ領。そこに剣術学校を建て、運営する許可を一応ケイリオル卿からもいただいた。
その学舎設立の資金をシャンパージュ伯爵家に借りたりしつつ、どうせやるならとしっかりした設備と道具を用意。更には遠くから学びに来てくれた生徒用にと学生寮まで作った。
これで町興しをしようと、剣術学校のすぐ側の町は未だかつて無い程に大盛り上がり。様々な店が立ち並ぶようになった。
この学校の運営で一番の不安が、経営そのものだった。誰もやった事が無いような事だったので、恥も外聞を捨てて俺はまたシャンパージュ伯爵家に頭を下げた。
どうか、剣術に覚えがあり頭が切れる者を派遣して欲しいと。あれだけの借金をした上で人材まで寄越せという無茶苦茶な要望、普通なら聞き届けて貰えないだろうと思っていた。
しかしシャンパージュ伯爵の代理の人は、伯爵に相談した上で人材をも派遣してくれた。派遣された人がうちの者に色々と教鞭を執ってくれたお陰もあり、剣術学校は無事運営されるようになったのだ。
そして有難い事にこの剣術学校はかなりの大盛況となった。例え当主が無能であろうとも、ランディグランジュ──帝国の剣の名が持つ力は絶大。教師陣がランディグランジュの分家筋の者達という事もあって、質の良い剣術を学べると貴族からも平民からも評判だった。
何もかもが不慣れな事ばかりであったが、死ぬ気で勉強し努力し、多くの人達の助けを得てなんとか十年間駆け抜けて来た。
あまりの忙しさにイリオーデを捜す暇も無くて、ただあいつが今どこで何をしているのかが気がかりだった。だからこそ、あいつがいつでも帰って来られるように……俺は、ランディグランジュを守る必要があった。
この地位を奪ったのは俺だから。ちゃんと、責任を取って守り抜かないといけなかったんだ。
九年程前にシャンパージュ伯爵家より借りた大金も、利子含めそろそろ纏めて返せる見込みだった。ひとまず、ようやく少しだけ肩の荷を降ろせると思っていた時だった。
「久しぶりだな、アランバルト」
初恋の人に再会出来た事に浮かれていた俺を、雷が貫いたようであった。
生意気にも兄である俺よりずっと背も高く逞しい体になった仏頂面な男が、シャンパージュ伯爵の隣に立っていた。
驚きと困惑のあまり、俺はパクパクと口を動かすだけであった。
「何だその間抜けな顔は……情けない」
「っ、いつからそんなに、毒舌になったんだよ」
「共に暮らしていた弟分の癖が移ったのだろう」
「………今まで、どこにいたんだ」
「貧民街だが」
「そ、っか…そりゃあ、見つからなかった訳だ」
帝都中を隅々まで捜す前に、人手が足りないランディグランジュ家は泣く泣くイリオーデの捜索を打ち切らざるを得なかった。そこでまだ捜索出来ていなかった場所が、偶然にも貧民街を始めとした西部地区だったのだ。
捜索を打ち切らずに西部地区を捜していれば、もっと早く見つけられたかもしれないのか。目の前の事にいっぱいいっぱいだった俺には無理だったが。
というかイリオーデ、何だその服。騎士っぽいが……騎士団の服では無いな。もしやシャンパージュ伯爵家の騎士とかなのか、お前!? 凄いなお前!
「兄弟の感動の再会に水を差すようで申し訳無いが、実は今日はランディグランジュ侯爵に相談……いや、提案があってね」
「提案?」
シャンパージュ伯爵から俺に提案するなんて、何事だろうか。はっ、もしや農作物の取引停止とかか?!
いやそれだけは駄目だ、シャンパー商会と取引出来なくなったとなれば、その噂だけで他商会も取引に応じなくなってしまう。
最悪の事態だけは避けねば!!
「私を筆頭に、ララルス侯爵が王女殿下の派閥に入っている事は知っているだろう?」
「え? あぁ…はい。最近良く聞きますし、その話は」
農作物の話じゃないのか? と、ひとまず安心して良さそうな流れに思わず肩を撫で下ろす。
「そこで、君にも王女殿下の派閥に入って欲しいんだ。王女殿下を支える為に、磐石の布陣を敷く必要がある。そこの一角を、ランディグランジュ侯爵………君が担って欲しい」
随分と意外な提案だ。しかしシャンパージュ伯爵の瞳は真剣そのもの。イリオーデとて、意思の籠った強い表情をしている。
しかし、王女殿下の派閥か。うちは元帝国の剣として一応、中立の立場にあったからな……というか有力家門は大体特定の派閥に入っていないんだよな、今は。
何せ皇族の継承権争いが無いからな。だから俺もそこのところはなあなあで放置して来たんだが、それに入る事で、イリオーデが王女殿下の元に舞い戻るきっかけになるのなら…まぁ、それも有りだな。
「分かりました。王女殿下を支持すると公言すれば良いんですね?」
二つ返事で提案を飲むと、シャンパージュ伯爵がたまげたように目を丸くして。
「……驚いた。随分とあっさり決めたじゃないか。提案した私が言うのも何だが、君はランディグランジュ侯爵──帝国の剣だ。もっと慎重に決めるべきではないか?」
「俺は確かにランディグランジュ侯爵になりましたが、ご存知の通り名ばかりの存在です。俺は帝国の剣ではないので、立場とかも無いんですよ」
そうだ。俺が騎士にも当主にもなれない半端者である事は俺自身が一番よく分かっている。名ばかりの侯爵だと言う自覚も当然ある。
だから立場なんて無い。俺は俺の思うがままに、紛い物の侯爵として振る舞うだけだ。
「それに……俺が王女殿下を支持すれば、イリオーデが王女殿下と関わっていてもおかしくはないかと思って」
これまで色々と苦労をかけたんだ。少しでもイリオーデがやりやすいようにしてやらないとな。と思いつつ発言すると、
「っ!? お前、何故それを知って……!」
「おかしいな。どこから情報が漏れた…?」
イリオーデとシャンパージュ伯爵がギョッと反応する。何なんだ、一体どういう事なんだ??
「ランディグランジュ侯爵、君はどうしてイリオーデ卿が王女殿下の騎士であると知っているのかい?」
「えっ、そうなのかイリオーデ!?」
「あれ…? 何だこの反応は。話が拗れてきたなこれ」
バッとイリオーデの方へ顔を向けると、そこには怪訝な顔つきのイリオーデが立っていた。
シャンパージュ伯爵の困惑の声を他所に、俺は湧き上がるような感情を押し止められず、溢れさせてしまった。
「…──そうか。良かった……本当に良かったな、イリオーデ」
まるで我が事のように嬉しかった。どういう経緯でそうなったのかは知らないが、イリオーデが王女殿下の騎士として生きている事が本当に嬉しかった。
だからだろうか。だらしなく、自然と頬が緩む。侯爵として律して来た自我が、物凄く騒ぎ倒そうとしている。
「………ランディグランジュ侯爵、一つ聞きたい。君は…彼が王女殿下の騎士である事を知らなかった。なのにどうして、イリオーデ卿の王女殿下との関わりを示唆したんだ?」
「あ、えっと。それは…昔、イリオーデが王女殿下の騎士になると言っていたから、です。俺は、イリオーデが何の憂いも無く王女殿下の騎士として生きていけるように、爵位を簒奪したので」
少し恥ずかしくもあったが、俺はその場で心情を吐露した。
「イリオーデが王女殿下の騎士になってくれる事が、俺の望みのようなものなんです。なので……俺が王女殿下の派閥に入る事でイリオーデが王女殿下と関わるきっかけになるのなら、いいなぁと思い」
すると、イリオーデの表情が驚愕と困惑に染まり、複雑な色となった。その隣でシャンパージュ伯爵は考え込む。
「どういう、事なんだ。お前が……私の為に爵位を簒奪しただと?」
「ああ。お前は知らなかったかもしれないが、父さんは無能な俺じゃなくて天才のお前に後を継がせようとしてたんだよ。だけど、それだとお前は王女殿下の騎士になれないだろう? だから、俺が奪ったんだ。お前に与えられる筈だったこの座を、お前に与えられるよりも前に」
「──なら、何故…母も殺したんだ。母は、怪我を負いながら、私に逃げろと……そう…」
「母さんの傷は父さんが付けたものだ。あの夜に、父さんと母さんは後継者問題で言い合いになってた。多分、その末に父さんが怒りに任せて……。母さんは俺にも逃げろと言って来た。父さんを止められなかったからって」
「そん、な…」
イリオーデは愕然とした。信じられないとばかりに、疑いの目をこちらに向けてくる。
もしかしたら、イリオーデは世間に喧伝された強欲な俺の姿が真実なのだと思っているのかもしれない。……兄弟なのだから、少しぐらい俺を信じてくれてもいいだろ。
イリオーデが俺に対してあまり興味関心が無いのは昔からだが。
「俺の話なんて信じられないかもしれないが、これが真実なんだ。俺の自己満足で揉み消して隠して来た事実。すまなかった、当時、何も言わなくて………お前に負担をかけたくなくて、重荷は全部俺が背負えばいいと、イリオーデにだけは何も話さず計画を実行してしまったんだ」
そこに偶然重なってしまった事件の所為で母が死に、イリオーデは行方を眩ませた。俺が初めから話しておけばイリオーデがいなくなる事も無かったのかもしれないのに。
「だけど、俺が父さんを殺した事に変わりは無い。だからその事で批難されるのならば、俺は甘んじて全て受け入れよう」
今までだってそうしてきたから。偉大な騎士であった父を殺した俺は様々な批難と後ろ指に晒されて来た。だがそれは俺が受けるべき正当な批難だったので、全てちゃんと受け入れて来たのだ。
「………私の、勘違い…だったのか。全部…初めから」
呆然としたイリオーデがボソリと呟くと、その隣でシャンパージュ伯爵が「はぁぁ…」と大きなため息をついて、
「君達、一度腹を割って話し合ってくれないか? 部外者は退散するから、兄弟水入らずで一から話し合いなさい。それで、これまでの勘違いやすれ違いを正してくれ」
また新たな提案をしてきた。それに驚いた俺達は視線を重ね、おずおずと頷く。
すると、どこかゲンナリとした表情でシャンパージュ伯爵は「いや本当に………これは予想外だな…ちゃんと調査すべきか……」とブツブツ呟き、部屋を出る。
部屋に残された俺達二人は、とりあえず向かい合って長椅子に座る。そう言えば客人に茶のひとつも出てないな、と気づいた俺は慌てて紅茶の準備に取り掛かる。
幸いにも部屋には俺が先程まで使っていたまだまだ熱いティーポットがあるので、必要なのは茶葉とカップと茶菓子のみ。部屋の一角にある棚からそれらを取り出し、やがて紅茶を注ぐ。
そして、「茶菓子はこれしか無いが大丈夫か?」と聞きつつ紅茶と茶菓子を振舞った。イリオーデも「……問題無い」と短く返答して紅茶を一口含む。
「この味……」
「懐かしいだろう。昔よく乳母が入れてくれたものに少しでも似るよう、結構練習したんだ」
「六十五点」
「…辛口だな。まぁ確かに、まだまだ乳母の味には届かないが」
まさかこんな風にイリオーデと話せる日が来ようとは。これまで結構苦労したからか、天がご褒美をくれたのかもしれない。
ある程度紅茶を味わってから一度カップを置き、俺はシャンパージュ伯爵のお勧め通りにイリオーデと話し合う事にした。
「それじゃあ、俺と話し合ってくれるか、イル?」
「………あぁ。勿論だとも、アランバルト…兄さん」
かつて、騎士らしくないからと呼ぶのをやめてしまったイリオーデの愛称。十数年ぶりにそれを呼んで……イリオーデから兄さんだなんて呼ばれ方をして、少し気恥ずかしくなる。
…──ああ、おかえり。イリオーデ。お前の帰りをずっと待ってたんだ。本当に、生きててくれて、ありがとう。
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