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第二章・監国の王女

162.夢の終わりに餞を5

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 そして、病み上がりの王女と王女の為なら何でもする騎士によるいけない事は始まった。
 まず最初にリンゴの皮を剥き、その芯を取って、三日月のような形に切る。勿論これはイリオーデが行った。
 次に鉄製の平たい鍋にてバターを熱し、そこに先程切ったリンゴを投入。暫くそのまま焼き、いい具合に焼けて来たらシナミーをかけた。
 こちらはイリオーデが隣で「危険です!」「御身に何かあれば……!」と慌てる中、アミレスが「これぐらい平気よ、きっといけるわ!」と根拠のない自信から意気揚々と行った。
 次に小さめのパンの真ん中を、横に切って二つに分ける。分けたうちの片方だけ表面をバターで少しだけ焼いて、その上に焼いたリンゴを乗せる。最後にそれをサンドするようにもう片方のパンを置けば、完成だ。
 それを二皿、それぞれに二つずつ置いて全工程は終了した。

「じゃじゃーんっ! こちら、お手軽焼きリンゴサンド~シナミーを添えて~になります!」
「流石です王女殿下、なんと神々しい品なのでしょうか……っ!」

 むふーっ、と満足気に胸を張るアミレス。そんな彼女を盲目的に賞賛し、パチパチパチパチと高速で何度も拍手するイリオーデ。
 アミレスの中でのいけない事、それはこの通り……料理だったのだ。
 大抵の事はやらせて貰えたアミレスだったが、料理だけはハイラが絶対にやらせてくれなかったのだ。やれ手を切っては危ないだのやれ火傷するかもしれないだの、ハイラは過保護過ぎるあまり料理だけはやらせない様にしていた。
 普段から剣を扱い、火の精霊と特訓している事には何も言わないのにだ。全く不思議な話である。
 その為、アミレスは自分が料理出来るかどうかすらも知らないまま、ただ『料理はしちゃ駄目な事』という認識で生きて来た。故に──いけない事、なんて言い方になってしまったのだ。

(いや~、正直料理出来るかどうか不安だったけど、意外と出来るものね! ただ焼いただけだけど!)

 それにイリオーデも共犯に出来たし! とアミレスは大変満足していた。後でハイラに怒られる時、これなら少しは説教も軽く済むだろう。なんて企んでいるのだ。

「よし、それじゃあイリオーデも一緒に食べましょう?」
「っ!? ですがそれでは王女殿下の食事が……」
「久しぶりの食事なのに、一人で寂しく食べるなんて嫌よ。貴方も一緒に食べて」

 頭がまだ上手く働いてないのか、いつもよりもずっと幼さを表に出すアミレス。そんな姿を見て、誰が断る事など出来ようか。

「………ご相伴にあずかります、王女殿下」
(ああっ、まさかまたもや王女殿下と食事を共に出来る日が来るなんて……!)

 おずおずとイリオーデは着席し、喜びが口から出るのを必死に堪えていたのだが…すぐ隣に座るアミレスが両手で頬杖をつき、上目遣いでニッコリと笑う。

「ふふっ、私の手作り料理を食べるのは貴方が初めてなんだから。とくと味わってくださいな」
「~~~~っ!?」

 その可愛さ、まさに天災級。多少ネジが外れている方が愛嬌もあっていい、と言うが……アミレスの場合は多少体調不良な方が加減が無くていい…とでも言うべきか。
 彼女が多少体調不良であると、アミレス・ヘル・フォーロイトという少女の持つ魅力がいかんなく発揮されてしまうようだ。
 それを至近距離で直撃したイリオーデは、アミレスの手作り料理という言葉とその笑顔で完璧なコンボを決められ、放心していた。

(──嗚呼、私はなんと、幸福なのか……)

 最早悟りの境地に至っている。彼は突如天を仰ぎ、その目尻から一筋の涙を零れさせた。
 その後も何かと世界に感謝しつつ、イリオーデは一口一口を噛み締めるようにお手軽焼きリンゴサンド~シナミーを添えて~を歓喜に打ち震えながら食べていった。
 味と原型が無くなるまで咀嚼し、もう咀嚼するものがなくなれば次に行く。そんな、非常に時間のかかる食べ方だった。
 それを見たアミレスはお手軽焼きリンゴサンド~シナミーを添えて~をもぐもぐしながら、

(イリオーデって食べ方綺麗だなぁ)

 割とどうでもいい事を考えていた。そうやって二人で和やかな食事を楽しみ、食後のティータイムと洒落こんでいた時だった。
 ドタドタドタと凄まじい速度で誰かの足音が近づいて来る。やがてそれは厨房の前で止まり、壊れんばかりの勢いで厨房の扉は開け放たれた。

「ここじゃっ! ここからアミレスの匂いが──す、る………」
「おねぇちゃん!! ……って、あれ」
「アミレス様! ご無事、です……か?」

 現れたのはナトラとシュヴァルツとメイシアだった。三人共血相を変えて厨房に飛び込んできたのだが、中でのんびりとティータイムと洒落込むアミレスを見て唖然となる。
 アミレスが「びっくりしたぁ……皆、急にどうしたの?」と目を丸くして呟くと、

「びっくりした、はこっちの台詞じゃ! メイシアからお前がいなくなったと聞いて我がどれ程驚いた事か……っ」
「そーだそーだ! 本当に部屋におねぇちゃんいないし、ぼく達めちゃくちゃ怖かったんだからね!!」
「アミレス様の様子を見にお部屋に向かったら姿が無くて……本当に、凄く、心配したんだから…ぁ!!」

 今にも泣き出してしまいそうな顔でメイシアがアミレスに抱き着くと、それに続くようにナトラとシュヴァルツもアミレスに抱きつこうとした。
 が、しかし。それはイリオーデによって阻まれる。襟元を掴まれて動きを抑えられたナトラとシュヴァルツは、恨めしそうにイリオーデを見上げ、

「さっさと離すのじゃ、人間」
「つーか何でお前はここにいるんだよ、お前がおねぇちゃんを連れ出したわけ?」

 睨みつける。だがイリオーデはそれに一切動じず、言い放つ。

「王女殿下は昏睡状態から目覚められたばかりで空腹に耐えられず、近くに誰もいなかったら事から御自身の足でこちらの厨房を目指されたのだ。王女殿下が寝室から突然いなくなられた事に関しては、常に人員を配置しておかなかった我々全員の失態である」

 そして、と彼は更に続ける。

「病み上がりの王女殿下にそう何人も寄りかかっては、負担になられる事間違いない。王女殿下の騎士として、王女殿下の負担になられる事を看過する訳にはいかない」

 それを聞き、頷けるものがあったからかナトラとシュヴァルツも大人しくなった。メイシアもまた、ハッとなり慌ててアミレスから離れる。
 メイシアが「ごめんなさい、アミレス様…」と謝ると、アミレスは特に気にしていない様子で「大丈夫よこれぐらい」と笑った。
 その後、三週間程眠っていた事やその間の事をメイシア達から聞き、アミレスは「まさかそんなにも眠ってたなんて」とたまげていた。

「……それにしてもハイラはどこにいるのかしら。全然姿を見ないのだけど」

 アミレスがボソリと呟くと、メイシアとシュヴァルツとナトラの顔が途端に固いものとなった。三人共困ったように目を明後日の方向に逸らしている。
 その事にアミレスは眉を寄せて首を傾げ、

(何なのかしら、この反応…)

 ちらりとイリオーデの方を見た。するとイリオーデはおもむろに口を開いて。

「結論から申し上げますと、ハイラはいません。ですが、彼女は健在です。事が整い次第、いつか必ず……王女殿下の御前に馳せ参じるでしょう」
「え、ど……どういう事? いないって…何?」

 アミレスは当然困惑した。その困惑に答えをと、イリオーデは一つ一つ語ってゆく。

「彼女にはある使命がありました。その為に貴女様のお傍を離れる必要があり、彼女はそれを酷く悲しんでおりました。その使命が為、二週間程前から彼女は東宮を離れているのです」

 イリオーデは眉一つ動かさずに淡々と述べる。それを聞いたアミレスは呆然とし、戸惑いと寂寥に寒色の瞳を揺らした。

「じゃあ、もうハイラは私の侍女じゃないって事?」
「そうなります。兼業は難しい、と苦々しく語っていたので」
「どうして、私が眠っている間に勝手にそんな事したの?」
「……時期的にも、今しか無かったのです」
「私はもう、二度とハイラに会えないの?」
「それは貴女様次第でございます。身勝手な申し出とは心得ますが、どうか我が言葉を聞き届けて下さいますか、王女殿下」

 一問一答が続く中、イリオーデはその場で片膝をついて悲しみを滲ませるアミレスの瞳を見上げた。
 あまりにも愚直なその視線に、アミレスは「聞いてから、考える」と呟いた。イリオーデはそれで充分だとばかりに深く頷き、

「彼女が次に貴女様の御前にて平伏する際、一度だけで構いませんので……どうか彼女を──もう一度、『ハイラ』と呼んでやって下さいませんか」

 ある女性の夢の為にと懇願した。
 その名その人生が彼女にとっての夢そのものであると、イリオーデは以前少しだけ耳にした事があったから。それを知るからこそ、彼は盟友とも呼ぶべき彼女の為に頭を下げたのだ。

(他の誰でもない貴女様でなければならないのです。他の誰でもない、彼女に夢を与えた貴女様でなければ)

 他の誰かが彼女をハイラと呼ぼうと、それはきっと何の意味も成さない事だろう。その名を呼ぶのはアミレスでなければならないのだ。

「……まだ事情はよく分からないけど、ハイラはきっと、私の所に戻って来てくれるのよね」
「はい。それだけは断言出来ます」
「なら、まあ………ハイラへの文句はその時に言う事にするわ」

 勝手にいなくなった事とかね。とアミレスは少し腑に落ちない様子で頬を膨らませた。
 これにより、イリオーデの申し出はほぼ受け入れられたようなもの。それにイリオーデがほっと肩を撫で下ろしたのも束の間、

「このタイミングで口挟むのもどうかと思うけどぉ……イリオーデ、お前もしかして最初からハイラがいなくなった理由は知ってたの?」

 シュヴァルツが眉尻を吊り上げてイリオーデに問い詰めると、イリオーデは真顔で「ああそうだが」と答えた。
 それがシュヴァルツの顰蹙を買う。

「思い返せば、確かに最初から何か訳知り然としてたなお前! マジでふざけんなよ、あの時割と真面目に悩んでたぼく達に謝れ!!」
「済まなかった。彼女から何も話すなと再三言われていたのでな」
「それで? ハイラは今どこで何してんのさ」
「それはいずれ分かる事だ」
「はぁっ!?」

 暫くよく関わっていたからか、それなりにハイラの事も気に入っていたらしいシュヴァルツ。そんな彼女が突然消えたのだから、彼とて頭の片隅で少しは心配していたのだ。
 しかしここでイリオーデが事情を把握していると分かってしまった。それにより、ここ数週間で彼の中に溜まりに溜まったストレスや鬱憤が暴れ始めてしまった。
 イリオーデに殴り掛かりすんでのところでそれを躱される。帝国の剣たるランディグランジュの神童の名は、伊達では無い。
 シュヴァルツが制約等の影響もあり相当な弱体化を受けているとは言えど、純然たる悪魔の初撃を躱す事が出来る人間など、そうそういない事だろう。
 頬に血管を浮かべて更に暴れようとしたシュヴァルツをアミレスが必死に宥め、この場は何とか落ち着いた。
 その後、シルフ達に会いに行こうと全員で厨房を後にする。当然、今回もアミレスはイリオーデが抱き抱えている。その為、イリオーデに向けられるメイシアとシュヴァルツとナトラの射殺すような視線が凄まじい。
 人の目がある恥ずかしさのあまり顔を両手で覆っていたアミレスは、それに気づかなかったが。
 そうやって歩いてゆくこと十分程。メイシアが「こちらで皆様仕事をしていらっしゃる筈です」と扉を指す。
 イリオーデから降ろして貰い、ドアノブに手をかけた所でアミレスはハッとなり、逡巡する。

(これ、このまま普通に開けて入ってもいいのかしら……だって三週間よ。皆に凄い迷惑と心配かけたのよ? それなのに平然と入ったら流石に空気読めなさすぎるわよね。ちょっと趣向を凝らした方がいいわよね、これ)

 別にそんな事は全く無い。だが残念な事に今のアミレスは不調も不調。いつものように働く頭を持ち合わせていないのである。

「てっててーん! みんなぁ、おっはよー!」

 覚悟を決めたアミレスは、どこかで聞いた事のあるメロディを口ずさみながら扉を開いてやたらと元気に振舞った。
 するとどうだろう……エンヴィーは目を点にして固まり、マクベスタは手に持つ紙を全て落とし、巨大な猫は開いた口が塞がらず、その中のヒトはガシャンッ…とティーカップを落とし、カイルは戸惑いつつ「だ、大成功…??」と呟いた。
 まさに凍りついた空気。アミレスは、この空気からして入室に大失敗したのだと瞬時に理解した。

(あああああああああっ! 恥ずかしぃぃいっ!! ヤバい何この空気絶対零度ってこういう事言うのかってぐらい心も体も寒いんだけどこの空気! 控えめに言って地獄!!!!)

 耳まで真っ赤にして、笑顔を引き攣らせる。
 あまりの恥ずかしさからプルプルと顔や体を震えさせ、

「あの、えっと………ごめんなさい失礼しました…っ」

 涙声で言い残してアミレスは扉を閉めようとした。しかし、瞬く間に移動した険しい顔のエンヴィーがそれを当然のように阻止する。
 扉が閉まる寸前に、その扉本体を掴んで強引に開ける。それによって倒れ込んで来たアミレスの体を受け止めた。あまりにも一連の流れが早すぎて、イマイチ理解の追いついていないアミレスが頭に疑問符を浮かべる中。
 エンヴィーは泣き崩れるかのように両膝をつき、アミレスの事を抱き締めた。

「っ、本当に………良かった…姫さんが、もう二度と目覚めないかもって……俺、すげー、心配……で…!!」

 エンヴィーが絞り出したような声で紡ぐ。その言葉から痛い程に伝わる心配や不安に、アミレスの羞恥心は次第になりを潜めていった。

「アミィっ! ごめん、ごめんね…ボクがもっと君の傍にいればこんな事には……っ」

 ぼふんっ、と元の大きさに戻った猫がエンヴィーの背中を登り、アミレスと目線を合わせようとする。その中のヒト──…精霊界に在る彼は強い後悔で拳を震えさせていた。

「とにかく、お前が無事に目を覚ましてくれて良かった。頼むから、もう二度とこんな事にはならないでくれ」

 身動きの取れないアミレスへとゆっくりと歩き寄ったマクベスタが、力の抜けた微笑みを浮かべた。
 それを見たカイルは思わず「ヴッ……」と謎の呻き声を上げ、慌てて咳払いする。

「げふんごふん……おはようさん、お姫様。百年の眠りにつくような事にはならなくて良かったよ」

 どこかクサイ台詞を吐きつつも、その表情には確かな安堵が見受けられる。これはカイルなりの照れ隠しであった。
 こんなにも皆が心配してくれていた事を知り、アミレスの心はじんわりと温かくなった。

「──うん、おはよう。皆」

 三週間。短いようで長いその時間を経て、ようやく彼等彼女等の夜は明けた。
 久しぶりに見たアミレスの眩しい笑顔が、ようやく彼等彼女等の長い夜に日の出を齎したのだ。
 この報せはすぐにマリエルやホリミエラ達の元へも届けられた。これにマリエルは涙して喜び、ホリミエラも夫人と身を寄せあい安堵した。
 これにてマリエルは侯爵業に集中して取り組む事が出来るようになった。他有力家門の助力もあって、きっと、あと数ヶ月もすれば──……王女への謁見とて叶うやもしれない。
 十二月。銀世界が広がる帝都の街並み。連続殺人事件やら侯爵家爵位簒奪事件で騒ぎになっていた事がまるで嘘かのような、静寂の夜。

「もう少しだけお待ち下さい、姫様。必ずや………貴女に誇れる私となってみせますから」

 あまりにも眩い星空を見上げて、彼女は誓った。
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