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第二章・監国の王女

161.夢の終わりに餞を4

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「王女殿下の騎士たるこの私と戦うか、無様に逃げ出すか………今なら好きな方を選ばせてやろう」

 イリオーデの冷たい睨みに、男達は「お、覚えてろよ!!」とありきたりな捨て台詞を吐いて脱兎のごとく逃げ出した。その後をへっぴり腰で追いかける護衛の騎士達。
 その背中が見えなくなるまでイリオーデはずっと睨み続け、やがて逃げ出した男達が見えなくなると急いでアミレスの方を向いた。
 流れるように扉を開き、イリオーデは「王女殿下、早く中へと入りましょう」とエスコートする。こくりと頷いてアミレスが歩き出した時、

「あっ」

 ふらり、と彼女の体がよろめく。

「大丈夫ですか、王女殿下!?」

 だがイリオーデがきちんとその体を受け止めた。アミレスはイリオーデの胸元で、「ごめん、ちょっと目眩が……」と顔色を悪くした。
 その姿を見てイリオーデはハッとして、

(やはりまだまだ体調が優れないのでは……! このまま王女殿下を歩かせるのは危険。私がお抱えしてお運びした方がいい!!)

 アミレスが昏睡状態から目覚めたばかりの病み上がりである事を再確認した。
 その為、意を決してイリオーデは行動する。

「王女殿下、失礼致します」
「え? ……っひゃあ!」

 彼女の羽織る厚手の布団ごと、アミレスを横抱きで抱き上げた。ぼんやりとする意識の中でもアミレスとてそれはきちんと認識出来たようで、突然の事に恥ずかしい悲鳴をあげてしまった。
 美形への耐性はそれなりにあるものの、美形に接近されたりこういった事をされる事への耐性はあまり無い、アミレスなのであった。

「それでは早速お部屋に──…」
「あ、待って。厨房に行って欲しいの」
「厨房ですか?」

 歩き出した途端に足を止め、それは何故…とイリオーデが首を傾げると。

「今とってもお腹がすいてて……」
「成程。でしたらお部屋まで何かお持ちしますが」
「それだと貴方が二度手間になるじゃない。だから、私が直接行った方が早いわ」

 アミレスにここまで言われてしまえば、イリオーデはもうこれ以上何も言えない。主の意向に従い、イリオーデはアミレスを抱えたまま厨房に向かい始めた。
 その道中、イリオーデからアミレスへと『何故誰も呼ばず一人で出歩いていたのか』という質問があり、アミレスはその事について目覚めた時を思い出しつつ話し始めた。

 ──遡る事、十分程前。
 アミレスは静寂の中で目を覚ました。

『ん……まぶし…』

 カーテンの隙間から溢れ出る外の光は、アミレスの眠る寝台ベッドへと落ちていた。線のように細く開かれた瞳はその光を直に受け、まず最初に眩しいという感想をアミレスに与えた。

『いま、なんじ……というか、なんにち…?』

 張り付いた声でアミレスはボソボソ呟きつつ、起き上がろうとする。しかし体中に全然力が入らず、仰向けのままでは起き上がれない。
 更に、ぐぅううううう…と腹の虫が鳴る。ここで、アミレスも『わたし、いったい何日間寝てたの?』と己が意識を失っていた期間に恐怖を覚えた。
 とにかく起き上がろう。と決意したアミレスは寝返りをうってうつ伏せになり、全体重を使って何とか起き上がった。

(体おもっ、力入らなさすぎ、お腹すいた、体ダルっ!)

 ここまでの不調、今まであっただろうか。そう過去を思い返す程にアミレスは己の体の不調っぷりに驚いていた。
 彼女は知らない。自分が眠っている間に三週間が過ぎ去り、その期間に様々な魔法に薬にを片っ端から試されていた事を。
 副作用…という程でもないが、それなりにそれらの影響が体に残っている。主に頭痛や腰痛や筋肉痛としてだが。
 シルフに与えられた加護と、拉致されて来たラフィリアの治癒魔法と、ホリミエラより齎された薬が所謂点滴のような役割を果たしていたので、アミレスの体はまあまあ健康。
 しかしずっと眠っていた為、体は鈍り重く感じる。食事等もとっていない為、単純に凄くお腹はすくし力も入らない。とにかくお腹がすくのだ。
 この昏睡による最大の影響はその空腹だろう。今アミレスは、飢餓状態かと思う程の空腹に襲われている。

『ハイラー……シルフー……』

 思うように声が出ないものの、とにかく誰かを呼ぼうとしたのだが…暫く待ってみても誰かが来る気配は無い。

『おかしい。いつもならこれでハイラが来てもおかしくないのに』

 どういう地獄耳なのか、ハイラはどこにいようともアミレスに呼ばれたら猛ダッシュで駆けつける。東宮とてそこそこ広いのにも関わらず、どこで仕事をしていようと彼女は駆けつけたのだ。
 しかし今日は来ない。それはハイラという人間がそもそもいなくなったからなのだが──…それはアミレスの知らない事。
 それにアミレスは驚いた。おかしい、いつもと違うと。

『……相当忙しいのかな』

 ぐぅううううう……とまた腹の虫は鳴る。

(ハイラにあんまり迷惑かけちゃ駄目、ってアミレスにも言われたし…自分で取りに行こうかな、食べ物)

 うん、そうしよう。とぼーっとする頭で決意したアミレスは布団を羽織って寝台ベッドから立ち上がる。
 立ちくらみを覚えつつも、気を抜けばすぐに倒れてしまいそうな体でアミレスは歩く。布団を引き摺りながら裸足でペタペタと廊下を進む。
 人っ子一人いない静かな廊下。それ自体は人が圧倒的に少ない東宮ではいつもの事なのだが……本当に、どこにも人の気配を感じないのだ。

『ん? 外が騒がしいわね』

 大きな階段を降りると、その前にある正面玄関の向こうから騒ぎ声が聞こえてきた。扉に近づき、聞き耳を立てると、

『おいおい、どこの家門の騎士だか知らないが礼儀がなってないんじゃないか? 俺達は貴族だぞ。どうせ平民なんだろ、貴様。こんな所に相応しく無いのは貴様の方だろう!』

 そんな誰のものかも分からない叫び声が聞こえて来たのだ。
 その会話からして、もしかしたらこの扉の向こうにはイリオーデがいるのでは。とアミレスは考える。

(外にいるから、わたしの部屋の前にはいなかったのね。厄介事かしら……)

 この間も、外からは『そうだそうだ』『どこの家門の騎士か名乗れ!』『お前ッ、何様のつもりでまた無視して……!!』と言った野次が聞こえて来る。
 これは厄介事だ。と確信したアミレスは肌が凍るような寒さを耐えつつ扉を開き、

『わたくしの宮の前で……何を騒いでいるのかしら』

 この東宮の主らしく、堂々とした口調で姿を現したのだ──。

「………と、いう感じで。目が覚めたら誰もいないし、とにかくお腹がすいたから厨房に行こうとしてたの。これでも、今もすっごくお腹がペコペコなのよ」
「申し訳ございません、私が部屋の前にて待機しておれば、王女殿下にこのようなご苦労を強いる事も無かったのに……!」
「仕事なんだから仕方ないよ。そんなに気にしないでちょうだい、イリオーデ」

 イリオーデに全身を預け、アミレスはここまでの簡単な経緯を話した。
 その際、イリオーデが仕事で東宮前の警備をしていた事を知り、アミレスは成程…と納得もしていた。なのでその事で謝罪して来るイリオーデに気にするなと繰り返している。

「ねぇイリオーデ。前からずっと聞きたかったのだけど」
「は、何なりとお聞き下さいまし」

 ふと、気になる事があった。アミレスはイリオーデの端正な横顔をじっと見上げつつ、口を切った。

「貴方はどうして……そんなにも私によくしてくれるの? 初めて会った時からずっと疑問だったの。貴方の忠誠心が…よく分からなくて」
「それは………」

 イリオーデの表情が固まる。その瞳は、迷いのようなものに揺れていた。

(話しても良いものなのだろうか。王女殿下がまだお生まれになられたばかりの頃、お傍にいたのだと。だが……それを話して、王女殿下のお傍を離れてしまった私に王女殿下が失望でもしてしまったら。私は、それに耐えられるのだろうか)

 そんな事を考えてしまう弱い己の心に、イリオーデはぐっ、と下唇を噛む。己の死よりも、アミレスを失う事やアミレスに失望される事の方が、イリオーデにとっては強大な恐怖に他ならないのだ。
 少しして、イリオーデはおそるおそる口を開いた。

「先程も名乗りました通り、私はランディグランジュの人間なのです。その関係で、私は……昔、王女殿下がお生まれになられたばかりの頃。貴女様が二度目の誕生日を迎えられる少し前まで、ずっと──…お傍に仕えていたのです」

 怖い。どんな反応をされるのか分からない。失望されたらどうしよう、嫌われてしまえばどうしよう。もし、これが切っ掛けで彼女の記憶が戻ってしまったら──。
 そんな恐怖や不安が、イリオーデの心に巣食う。だがそれすらも……アミレスはたった一言で払いのけてしまうのだ。

「え、そうなの? えっとー、じゃあ、お久しぶり…なのかな?」
(やっば、そんなの初耳なんだけど!? アミレスさん何で教えてくれなかったの! 相手だけ覚えててこっちだけ覚えてないとかめちゃくちゃ失礼なやつ!!)

 内心では非常に焦りつつも、アミレスは軽い口調で久しぶりと口にした。その言葉にイリオーデは驚愕し、感激する。

(お久しぶり──…だなんて。誓いを違えた私を、貴女様は笑ってお許し下さるのですね。ああ、本当に……貴女様はどれだけ慈悲深く寛大な御心をお持ちであらせられるのですか。私の事を知っても尚、追求も叱責も無く、ただ笑って受け入れて下さるなんて)

 それは盛大な勘違いであった。アミレスは何も気づいてなければ思い出してもいない。何なら、内心では失礼かましちゃったわよねこれ?! と大焦りである。

(あの時の誓いを、私は違えてしまった。理由は何であれ私が王女殿下の騎士である事を放棄した事実に変わりない……だからこそ、私は、今度こそ誓いたいのだ。二度と違える事の無い誓いを──貴女様に)

 決意を帯びた強い瞳が、焦りを浮かべるアミレスの顔を映す。その視線に気づいたアミレスが困惑しつつもふにゃりとはにかむと、イリオーデもまた、珍しくその美しい顔に微笑みを浮かべた。

(んなっ!? 顔ッ、良ッ!!)
(今度こそ、愛らしくお美しい王女殿下をお守りするんだ。この御方の傍で、この御方の騎士として)

 温度差が酷い。イリオーデが至極真面目な事を考えているにも関わらず、アミレスはイリオーデの微笑みの破壊力に目を細めていた。
 そうこうしているうちに厨房に辿り着き、アミレスを木の椅子に座らせてから、イリオーデは厨房を物色し始めた。何か食べ物が無いかと、戸棚や氷室を次々漁る。
 しかしタイミングの悪い事に、丁度今、厨房担当として派遣されてきた諜報部隊カラスが食材の買い出しに出たばかりで、ほとんど何も無かった。
 シルフ達用に作られた軽食を最後に、作り置きの類は無くなった。体のいい在庫処理のようなものだ。その為、現在この厨房には限られた食材が少しずつしか残っていないのだ。

「必要とあらば、城の厨房より幾らか拝借して来ます」
「そこまでしなくてもいいわよ。でも…そうね、今あるのはリンゴとかの果物がいくつかと小さめのパンかぁ……」
「空腹を満たせる程の物はありませんね、やはり調達して来るしか」
「大丈夫よ。そもそも、貴方がここでいなくなったら私は身動きが取れなくなっちゃうわ」
「っ! 確かに仰る通りにございます。度重なる浅慮な発言、恥じ入る思いです」

 ハッとなったイリオーデが大袈裟に背を曲げる中、アミレスは何かいい案は無いかと頭を悩ませる。
 アミレスが何か考えているのであれば、とイリオーデはその場で直立不動。彼女の指示を待つ事にした。

「ねぇ、何か調味料の類はあるかしら?」
「調味料ですか。少し探してみます」

 そう言ったイリオーデが今一度厨房を荒らす事、数分。机の上には二十個近い調味料の小袋が綺麗に並べられた。それらには別の布が縫い付けられており、そこには調味料の名前も書かれていた。

「何かお目当ての調味料があるのでしょうか」
「うん……あっ、そこのシナミーっていう袋、ちょっと取ってくれる?」
「畏まりました」

 アミレスの指示通りイリオーデが袋を手に持ち、その口を開けてアミレスの顔に近づける。手で軽く口の上辺りを仰いでその匂いを嗅ぎ、アミレスの表情は明るくなる。

(よし、やっぱりこれだわ…! なーんか名前が似てるからもしかしたらとは思ったけど、これシナモンだわ! 多分!!)

 勘で選んだ調味料の匂いを嗅ぎ、それが己の記憶にあるシナモンの匂いと何となく合致した為、アミレスは内心でガッツポーズを作った。
 ここまで喜んでいるが、確信した訳では無い。

「よし。決めたわよ、イリオーデ」
「決めた……とは?」

 アミレスは口元に人差し指を立て、いたずらっ子のように笑う。

「今から二人で、いけない事──…しちゃいましょう?」

 イリオーデを、共犯者とする為に。
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