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第二章・監国の王女

160.夢の終わりに餞を3

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「こっちに回ってくる仕事、大体が資料を参考にして纏めるだけのヤツだから楽なのは楽なんだが………資料を探す手間がなァ。たまにくる報告書の作成みたいなヤツとか、これ何の意味があるんだよマジで……」
「さあね。ボク達はとにかくアミィの筆跡を完璧に真似てこれを片っ端から片付けていくしかないんだから、その内容は気にしたら負けだって何回も言っただろ」
「そりゃそうっすけど……マジで無意味な仕事多くないすか? 人間効率悪くね??」

 仕事の山に辟易しつつエンヴィーが大きくため息をつくと、

「本来は雑用にやらせるような仕事の多くが、皇太子派閥の人間からの嫌がらせでこちらに流されているみたいだからな……はぁ、この国の貴族達の器の小ささが見て取れる」

 マクベスタが侮蔑を含む表情と声色で、くだらない…と吐き捨てた。
 教師を雇った事も無く、剣を握る事しか能のない野蛮な王女──それが世間からのアミレスの評価だったのだが、いざ皇帝不在のうちにと皇太子派閥の人間がこぞってアミレスに仕事を押し付けてみた所、何故か完璧に仕上がった状態でそれは返ってきた。
 最初はアミレスが誰かに仕事を肩代わりさせたと疑う者もいたが、一度ケイリオルを初めとして何人かの貴族の前でアミレスがその頭脳を発揮してからというもの、そう疑う者はいなくなった。
 アミレスに仕事を押し付け、皇族なのにこんな簡単な仕事すら出来ないなんて! と批難するつもりだった貴族達は非常に焦ったとか。
 アミレスの頭がそれなりに優れていると分かった皇太子派閥の人間達は、どうしてもアミレスを批難したくて何かその理由を意図的に作り出そうと、仕事の山を押し付け続けている。
 しかしそれは特に意味を成さなかったのだ。アミレス自身の優秀さと、アミレスが眠る今彼女の代わりとなる者達の卓越した模倣技術によって。
 ………まぁ、なので、今だけはアミレスが何者かに仕事を肩代わりさせている事に変わりない。しかしこれは不可抗力なのである。だから仕方無いのだ。

「人間の中には一定数のクソ野郎と馬鹿がいるのは昔からだろ、エンヴィー。何を今更人間に期待してるのさ」

 書類仕事をする猫が呆れ気味にやたらと辛辣な言葉を吐くと、

「いやアンタだって割と期待しがちなタチじゃないっすか。それと俺は期待してるんじゃなくて信じてるんですよ」

 エンヴィーがキリッとキメ顔を作って言い放つ。それを聞いた猫の中のヒトは割と本気の引き顔を浮かべた。
 確かに彼の言葉に同意はするものの、ここまで思い切り言い切る度量がシルフには無かったのだ。

「うっわー、クッセェ…………エンヴィーって本当にそういう所あるよね。そんなんだから女に言い寄られるんだぞ」
「全員丁重にお断りしてるんスけどね。シルフさんからも言ってくれません? しつこいからまとわりつくなって」
「自業自得」
「いや、そこをなんとか」

 精霊達が軽い口調で会話しながらも、異様な速度で仕事の山を片付けていく様子を見て、マクベスタは頬に小さな汗を浮かべつつ思う。

(相変わらず、アミレスがいる時といない時の差が激しいな。このヒト達は)

 シルフに関しては凄まじい猫の被り様。エンヴィーに至ってもかなり本性を抑えに抑えてる。だがそれはアミレスの前でのみであり、それ以外ではこの通りだ。
 しかし近頃はこの後者の二体しか見ていない為、マクベスタはアミレスの前ではちゃんと取り繕うこの二体の精霊の姿を、少し懐かしく思っていた。

(……アミレス、早く目を覚ましてくれ。お前が笑っていてくれないと…オレは…………)

 その端正な顔に影を落とし、悲痛から僅かに瞳を細める。彼の人生にとって何よりも大きな存在であるアミレスが一向に目を覚まさない為、彼も本調子では無いのである。
 贖罪と初恋が為に生きる男、マクベスタは軋むように痛む胸の中で、ただ切実に願っていた。脳裏に痛い程焼き付いているかの少女の笑顔を、何度も思い浮かべて。
 ──それと同時刻。東宮の前にて、

「おいそこのお前! 聞いているのか!!」
「何様のつもりで無視しているんだ、貴様!」

 眉尻をつり上げて醜く喚き散らす輩が現れた。騎士らしき人間が五人程と、その後ろで仁王立ちをする偉そうな男が二人。
 その者達は東宮の正面扉の前に立つ一人の青髪の美丈夫に向けて叫んでいた。しかしその全てを無視するは変装もしていないイリオーデ。
 基本的にアミレスの部屋の前から離れようとしないイリオーデではあるが、ここ数日はこうして東宮の入口そのものの警備をしている。こんな風に、不敬な輩が雨後の筍のように沸いてくるからだ。
 彼等の目的は一辺倒。どうにかしてアミレスの粗を探そうと躍起になり、わざわざ東宮まで赴いているのである。
 連続殺人事件の犯人確保に大きく貢献した上に以前より行われていた貧民街の計画……あれらによってアミレスの市民からの支持はかなりのものとなった。
 それだけでも少し厄介なのに、今やアミレスの派閥が生まれ、その筆頭にシャンパージュ家が。更にはララルス家とランディグランジュ家が王女派閥に与したと社交界は大騒ぎ。
 ララルス侯爵家は前当主とその肉親による不正により処刑され、家門は事実上の没落を迎えたが──…新たな当主が王女の慈悲に平伏し、ララルス家はシャンパージュ家の助けを受けて再建に向かっており、それに感銘を受けたランディグランジュ家もまたララルス家を支援し王女派閥に与した。
 何なら、他の侯爵家や大公家や公爵家までもがララルス家を支援し、下手したら王女派閥に属してしまうやもしれない………そんな噂や憶測が社交界では飛び交っているのだ。
 それは当然、皇太子派閥の人間にとって非常に不味く美味しくない展開。その為、これ以上アミレスが出しゃばる事が出来ぬよう、連日皇太子派閥の人間が東宮に押しかけてはイリオーデやシュヴァルツやナトラに返り討ちにされている。
 そして……この者達もそれまでの輩と同じ末路を辿る事であろう。

「……はぁ。高貴なるこの場に相応しく無い人間が何の用だ。身の程を弁えて早急に失せろ」

 あまりにも男達が五月蝿いので、イリオーデは渋々対応する。侮蔑を含んだその睨みに、騎士達もビクッと肩を跳ねさせる。

(何なんだあの男……ッ、帝国騎士団や兵団の制服ではないが…どこの家門の騎士だ? 見るからに上質な……変わった服を着ているが──まさか、シャンパージュ家の騎士か!? ランディグランジュ家とシャンパージュ家は私的な騎士団を持たないのではなかったのか!?)

 貴族の一人がイリオーデの所属を推測し、恐怖する。しかしそれは間違いである。
 イリオーデの着ている制服は確かにシャンパー商会で作られた物ではあるが、イリオーデの所属は王女の私兵団。シャンパージュ家の騎士では無い。
 その特異性から、ランディグランジュ家同様に私的な騎士団を持とうとしなかったシャンパージュ家が、ついに騎士団を持ったのだと。その目に馴染みのない系統の上質な服を見て貴族の男は判断した。

(ただでさえシャンパージュ家に支持される王女の粗探しなど容易ではないのに、こんな騎士がシャンパージュ家から派遣されているだと!? 巫山戯るなッ、何故あのシャンパージュ家が野蛮王女相手にそこまでするのだ!!!?)

 男の頬を脂汗が伝う。あのシャンパージュ家に雇われるぐらいなのだから、相当な手練であることは確か。ならばこの場をどうするか……と男は必死に悩み始めた。

(今すぐこの場を離れる事こそが最善ッ、シャンパージュ家の騎士相手にうちの騎士なぞが勝てる訳なかろう! 一瞬にして負けるに決まっておるわ!!)

 全くもってその通りではあるが、己の騎士を信用してなさすぎである。
 そして、男がそう逃げる事を決意した時だった。もう一人の貴族の男が偉そうな顔で大口を叩く。

「おいおい、どこの家門の騎士だか知らないが礼儀がなってないんじゃないか? 俺達は貴族だぞ。どうせ平民なんだろ、貴様。こんな所に相応しく無いのは貴様の方だろう!」
(おまっ……おまぇえええええええええええええ!? なんて事吐かしてんだ! 見て分からないのか、あれがただの貴族の騎士な訳ないだろ! あんなのどう見てもシャンパージュ家の騎士だッ、お前今自分が何に喧嘩売ったか分かってるのかこの馬鹿野郎!!)

 鼻持ちならない顔で騒ぐもう一人の男の発言に、脂汗を滲ませる男は首を凄まじい勢いで曲げて内心で絶叫していた。その顔は真っ青に染まり、首元には滝のような汗が流れている。
 この国の大抵の貴族にとって、嫌われ者の野蛮王女よりもシャンパージュ家の方がよっぽど恐怖の対象なのである。
 もう一人の男の発言に引っ張られ、護衛として連れて来ていた騎士達も「そうだそうだ」「どこの家門の騎士か名乗れ!」と野次を入れ始めた。
 騎士たるもの、その立ち姿や纏う空気だけで相手の大まかな力量を推し量れる筈なのだが………彼等の目は節穴らしい。どうやら騎士としてまだまだ未熟なようだ。
 きちんと鍛え上げられた騎士ならば、イリオーデの実力など一目見て分かる事だろう。
 騎士として生まれ騎士として死ぬ事を目指す彼は生粋の騎士であり、剣を捧げし相手──仕える相手がいてこそ、その真価を発揮する。
 マクベスタ相手に仲間達と模擬戦をした時よりも、今のイリオーデは格段に強くなっている。ランディグランジュの神童と呼ばれた過去に恥じない、帝国の剣と呼ぶべき圧倒的な強さを持つのだ。

(面倒だな……全員殺すか?)

 そのイリオーデは心底呆れ返っていた。騎士道とは一体。
 だがここで、しかし、と彼は思い悩む。

(王女殿下のお住いであるこの神聖かつ高貴な東宮をこのような屑共の血で汚すなど許されない。ならばどうしたものか……)

 真顔でうーん…と考え込むイリオーデの様子に、無視されたと思い込んだ男が「お前ッ、何様のつもりでまた無視して……!!」と激昂した時。
 ガチャリ、と東宮正面玄関の扉が開かれた。そこから現れたまさかの人物に、その場にいた誰もが目を見開いた。

「わたくしの宮の前で……何を騒いでいるのかしら」

 いつもより乾き張り付いた声と、舌足らずな言葉で。純白の寝巻きネグリジェの上に厚手の布団を羽織り、儚げな雰囲気を纏いその少女は現れた。

「王女、殿下──っ!?」

 真っ先に反応したのはイリオーデだった。
 歓喜に打ち震えた声で彼女を呼び、そしてすぐさま跪いた。今にも泣き出してしまいそうなところをぐっと堪えて彼は目前の少女に平伏する。

「ねぇ、そこの貴方達。わたくしの騎士に何か用かしら。それとも………んんっ、わたくしに何か用?」

 途中で一度咳払いをして、アミレスは目前の男達に問うた。しかし男達は皆放心状態で返事は無い。
 病み上がりという事もあって普段より儚さも美しさも五割増のアミレスに、完全に見蕩れているのである。

「あれ。無視された…?」
「王女殿下、そのような薄着ではお身体に障ります……!」
「別に少しぐらいなら平気よ」

 せめてこのマントをお使い下さい、とイリオーデが差し出すもアミレスは「貴方が体調を崩してしまうから」とそれを断る。
 しかし、アミレスは病み上がり。さらにこの薄着ときた。
 これ以上外にいるとアミレスの体に障ってしまう。だから何としてでも早くアミレスに中に入って貰わねば……とイリオーデは焦り、この事態を──あの不敬な輩を追い返す方法を捻り出した。

「王女殿下、ここは私にお任せ下さい」
「え?」

 キリリとした顔で立ち上がると、一歩前に出てアミレスをその背に隠し、イリオーデは男達に向けて宣言する。

「先程どこの家門かと聞いて来たな、必要ならば答えよう──私の名前はイリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。王女殿下の忠実なる騎士だ」

 その名を聞いて、男達の顔が全て青く染まりゆく。中でも騎士達のそれは酷かった。
 この国で騎士を志す者なら誰もが耳にする帝国の剣たるランディングランジュ侯爵家。丁度イリオーデと同年代の騎士達ならばこれも聞いた事があるだろう──…十年前に消えたランディグランジュ家の神童、イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ。その名を。
 これまでは兄に見つからぬように、とその素性を隠して来たイリオーデだったが…先日爵位簒奪計画の関係で兄と十年ぶりに会って色々と話し合った為、もう正体を隠す必要もなくなったのだ。

「……っ?!」
「ラン、ディ…グランジュ………の神童…ッ!?」

 貴族の男達がぱくぱくと魚のように口を動かしたり、その名に戦慄する。今更その美しい青の髪がランディグランジュのものであると気づき、冷や汗を流す男は酷く後悔した。
 何故、もっと早く……最初から気づけなかったのかと。
 ガクガクと全身を小刻みに震えさせ、歯をガチガチと鳴らす護衛の騎士達。騎士達にとってランディグランジュという存在は最早雲の上の存在であると同時に、畏怖の対象なのだ。

(………ランディグランジュ、ってなんだっけ。なんか、凄く聞き覚えはあるんだけど…記憶がぼんやりしてるというか、体がぼーっとしてるというか、お腹がすごく…ぺこぺこだわ……)

 その中でただ一人、アミレスだけは全く働かない頭でのんびりと考え事に耽ける。三週間の昏睡の影響が、その体に色濃く出ているようだ。
 毅然とした態度で男達の前に現れたアミレスだったが、現在の彼女の脳内はかつてない程にぼんやりとしていて、本人の不調が顕著に現れている。
 そんな状況でもそれを表に出さないのだから、流石はフォーロイトの血筋としか言いようがない。
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