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第二章・監国の王女
151.動乱に終幕を
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あれから一週間。姫様は未だに目覚めない。
突如訪れたこの緊急事態に……この事を外部に知られてはならないと、私達は全力を賭して隠し通す事にしました。
可能な限りいつも通り、姫様が眠りについて目を覚まさないなどと外部に知られぬように私達は動いた。
どこぞの貴族達が姫様に押付けた仕事は全て私達で片付けました。意外な事にシュヴァルツが書類整理や細かい処理を得意としていて、姫様に押し付けられた仕事のほとんどが機密事項と呼ぶ程のものでは無かった事から彼も手伝ってくれたのです。
東宮内の事はイリオーデ卿とナトラとマクベスタ様とカイル様が手伝ってくれました。カラスを動員しても良かったのですが、彼等には爵位簒奪計画に関する雑務を任せていたので……正直、イリオーデ卿達がいて助かりました。
そもそも何故イリオーデ卿がまだここに滞在しているのか。クラリスさんは御家族の方が心配してるだろうからとあの後ひとまず家まで送ったのですが、イリオーデ卿はどうしても姫様が心配らしく、姫様がお目覚めになるまではと東宮に残ったのです。
我々も一晩経てば姫様もお目覚めになるだろうと思っていたのですが…シュヴァルツやナトラが何度呼び掛けても、姫様は一向に目を覚まされない。
姫様が倒れた日の二日後、ようやく精霊界からこちらにやって来たシルフ様とエンヴィー様ですら、この原因が分からず混乱していた程。
姫様が倒れた一連の流れを御二方に話すと、それはもう怒り心頭といった具合で。
『どうして………ボクはいつも大事な時に限ってアミィの傍を離れてるんだ…ッ!』
シルフ様のそんな嘆きに、私達はただ打ちひしがれる事しか出来ませんでした。
一週間、私達は静かに眠る姫様に『早くお目覚めになってください』と祈る事しか出来ず、気が気でない日々を過ごしていた。
こんな時に爵位簒奪計画などと言ってる場合ではないと分かっている。けれど、少しでも早く権力という盾を用意せねば………あと数ヶ月で皇太子殿下の十五歳の誕生パーティーが行われてしまう。それよりも早く、姫様をお守りする力を手に入れなければならないのです。
だから私は、
「……お目覚め下さい、姫様」
私の全てを賭けて戦うと誓いましょう。
毎朝一度ずつ、静かな寝息をたてる姫様にお目覚め下さいと声をかける事七回。今日も姫様は瞳を開けてくださらない。そんな姫様の手を両手でぎゅっと握り、私は懇願するようにそれを額に当てた。
「姫様、私の愛しい姫様……どうか──…私がハイラでなくなっても、私をハイラと呼んで下さい」
次に私が貴女様の前に立つ時は、きっともう私はハイラではなくなっている。あの名前を名乗らざるを得ない事でしょう。
だけど。それでも貴女様にだけは…変わらずハイラと呼んでいただきたいのです。私にとってこの名前は、貴女様がくれた、我が生涯の夢そのものですから。
「私は……姫様のお傍でハイラとして過ごせたこの八年を宝のように思います」
本当に偶然が重なっただけでした。たまたま私が侍女の娘で、たまたま母の葬式の時期に皇宮侍女の募集があって、たまたま街で出会ったご婦人が紹介状を書いて下さり、たまたま人事担当のケイリオル卿が私の事情を汲み取って下さった。そんな、いくつもの偶然が重なり私はこの東宮にやって来ました。
そこで見た吐き気を催すような侍女達の腐敗。皇帝陛下のお膝元でこんなにも堂々と不正が横行しているのかと…子供でも出来るような礼儀さえも満足に弁えられない者達ばかり。
姫様の慈悲深く寛大な御心に付け込む外道ばかりで、私はあの手この手を尽くしてそれらを排除しました。カラスをこっそり遣い様々な家門に痛手を追わせました。
中には社会的に抹殺された者もいた事でしょう。しかし、当然の報いでした。何故ならあれらは姫様に牙を剥いたのですから。
そんな風に姫様が穏やかに健やかに過ごせる環境を、と懸命に駆け回った結果……東宮に侍女はほとんど残らず、必然的に私が姫様の専属侍女となる事に成功しました。
姫様の専属侍女となってからは沢山の事がありましたね。姫様が高熱になられた時は私も胸が引き裂かれる思いでした。私が仕事でお傍を離れてしまった間に姫様が記憶喪失に陥られたと聞いて、どれ程私の胸は締め付けられた事か。
姫様が精霊様と親しくなり、あんなにも御家族を愛していたにも関わらずそれを恨むようになって……密かに喜ばしい事と思ってしまった事を、姫様は知らないでしょう。
私はとても酷い人間なのです。誰よりも御家族の愛を求める姫様を支え応援すると決めていたのに、いざ姫様が御家族の愛を不要と定めたならば私は手のひら返しでそれに従い応援するなどと吐かしたのです。
一時的な感情で愚かにも少し浮かれてしまった私は、姫様の御心を、見誤ってしまったのです。
姫様は元よりとても勉強熱心な方でしたが、しかしどうしても私などには頼って下さらなかったのですが…シルフ様と仲良くなり変わられてからというもの、私にも積極的に頼って下さるようになりましたね。
……剣に魔法に体術に勉学に礼儀作法と、その内容は少し王女殿下には相応しくないものでしたけれど、カラスの隊長より趣味で武芸百般を教わっていた私にはそれを言う資格は無いでしょう。
姫様はとても頭脳明晰で、発想力にも優れ頭がとても柔らかくあそばされる。そしてなんと言っても記憶力が非常に良い。
特に必要は無いのですが、試しで歴代皇族の御名前全てと功績と没年を全て覚えていただいた所………なんとものの五日程度でそれを成し遂げられた。こんなもの、普通の人ならば一ヶ月で成し遂げても賞賛を浴びる事だろうに。
この時点で私は既に確信しておりました。姫様の記憶力は我々の想像を遥かに超えるものなのだと。それを更に確かめるべく、では次に、と私は帝国法全条全項を覚えていただく事にした。流石の姫様も、この話を聞いた時は物凄く唖然としていらっしゃった。
しかしそれでも姫様は素晴らしく努力家な御方です。皇帝陛下と皇太子殿下ともあろう御方がまさか暗記していない訳無い。何せ御二方とも帝国を担う御方です、覚えていて当然では? と私が口にすると、姫様は俄然やる気になられたのか……異様な速度で一つずつ暗記していかれた。
そしておよそ一ヶ月強が経った頃には、姫様は見事、帝国法全条全項を暗記すると言う快挙を成し遂げた。その間にも通常の授業やシルフ様エンヴィー様との特訓もあったのに、姫様は本当にあっという間に成し遂げられたのです。
天才。まさにその一言に限ります。シルフ様やエンヴィー様からも度々姫様が才能の塊であると言う風に伺ってはいたのですが…姫様が学びたいと仰った全分野──…特に戦闘系において発揮なされたその才覚は、天より与えられたとしか思えない程。
ある日突然他国の王子殿下を特訓場まで連れて来た時には、シルフ様と共にかなり驚いた記憶があります。姫様が共に高めあえる御友人を見つけられたのはとても良い事と思いました。しかし、しかしですよ。何故男性なのですか。
初対面の頃は少しよそよそしかったエンヴィー様でさえも、数年間間近で姫様の魅力を味わった事により、姫様にとても甘くなられたのですよ。
年頃の若い男など目と目が合うだけで姫様に心を奪われるに決まってます! と私が暫くマクベスタ様を目の敵にしていた事には気づいてましたか? 今やそれ所ではございませんが。
ずっと東宮の中で生きて来た姫様は、私の知らぬ間に外の世界へと出られましたね。単身で奴隷商の本拠地に乗り込んだとか、貧民街を何とかしたいとか、オセロマイト王国を救いたいだとか………私達が何度注意しても全く学ばず反省して下さりませんでしたね。
それもまた、姫様の魅力の一つなのですが…だとしても危険を冒しすぎなのです。どれだけ私の肝を冷やしたら気が済むのですか。なんて思いつつも、私は、姫様がこの広い世界を少しずつでも楽しんで下さっている事が嬉しかったのですよ。ただ、やはり無茶をしすぎとは思いましたが。
姫様がオセロマイト王国より戻られるまでの数週間………私は誰も帰って来ない東宮にて一人過ごしていました。ああ、あの時が一番、心が苦しかったですね。姫様はどこにもおらず、その無事を祈る事しか出来なくて。何度心が折れてしまいそうになった事でしょうか。
姫様がオセロマイト王国よりお戻りになられた時。私はあまりの嬉しさに涙を堪え切れませんでした。はしたないと分かっていても、どうしても姫様への思いを抑え切れなかったのです。
その後、姫様はまた新たな子供を連れ帰って来ましたよね。孤児に続いて今度は竜種と聞いて私は自分の耳を疑いましたよ。しかしシュヴァルツもナトラも姫様が好きだと言う点では話せる事もあり、本人達が妙に侍女業に興味を抱いた事から、私はよく二人と関わるようになりました。
かなり世間知らずで無知な二人ではありましたが、こと掃除に関してはかなりの速度で上達して、今となっては、二人に東宮の一階部分を纏めて任せてもいいのでは、と思える程の掃除の腕前です。少し、私の仕事が減ってしまい寂しい思いにもなりました。
いつからでしょうか。私は、悪夢を見るようになりました。
姫様が外の世界に出るようになられた頃から……その悪夢は少しずつ、ゆっくりと私の背後に迫って来ていたのです。最初はとても朧気なもので、ただ、とても苦しくて悔しくて……その悪夢から目覚めるといつも私は泣いていました。
それも一日、一週間、一ヶ月、と日を重ねるにつれてどんどんはっきりとした悪夢へと変貌しました。ピッタリと私の背に張り付いたその悪夢は、私を恐怖の谷底へと突き落として来たのです──。
『………姫様、が…処刑…? なん、で。どうして……』
皇帝陛下より勅命を賜りハミルディーヒ王国に向かわれた姫様が、『祖国の裏切り者』と呼ばれ処刑された。その報せを聞いた今より少し歳をとっているようだった私は、理解不能なその現実を受け入れられず、ただ絶望しておりました。
姫様を失った私は絶望の淵にて膝をつき、苦しみのあまり身動きも取れずにいました。夢なのに…あの悪夢は、まるで我がものとばかりにその艱難辛苦を私の心に残していったのです。
果てにその悪夢にて、私は姫様の物に囲まれたまま………歴史ある東宮に火を放って自ら命を絶ちました。
姫様のいない世界など必要無いと、私が生きる意味も無いと、そう…悪夢の中の私は思ったのでしょう。炎に巻かれ、皮膚が焼かれ焦げ爛れようと何も感じませんでした。熱気で内蔵はやられてしまい、煙の所為で息が出来なくても何も感じませんでした。
そんなものよりも、姫様がもうこの世のどこにもおられないという悲しみや苦しみの方が強かったのです。
『ごめ、ん、なさ…い………ひめ…さ、ま…わた、し……むり、にでも……い、しょ…に………』
姫様が十年以上使っておられた寝台の上で。私は勢いを増す炎に囲まれて泣いていました。
皇帝陛下の勅命を受け、今まで見た事も無いような笑顔で東宮から出て行かれた姫様の背を、私は無理にでも追いかけるべきでした。姫様を、一人にするのではなかった。
姫様が国を裏切る筈が無い。そんな事、誰よりも何よりも姫様のお傍にいた私が一番よく分かってます。だからこそ、私だけは………姫様の味方でいられる私だけは、姫様のお傍を離れる訳にはいかなかったのに。
私は、姫様を一人で逝かせてしまった。私の姫様、愛しい姫様…本当にごめんなさい。本当に申し訳ございません。
ああ、だから。今から──私もそちらに向かいます。そして、姫様のお傍に離れてしまった事を、謝らせて下さい。姫様の望みを叶えられなかった事を、謝らせて下さい。姫様と交した約束を守れなかった事を、謝らせて下さい。
『ひ、め…さま……いつ、までも…わたっ…し、は…あな…た、を──…』
愛してます。愛しい、私の姫様。どうか、どうか。もしも次があるならば…今度こそは、姫様をお守りし、望みを叶えてさしあげたい。
そして、願わくば。私はいつまでも、姫様の侍女としてお傍に────。
いつもここで悪夢は終わりを迎えました。痛い程伝わってくる悪夢の中の私の感情。これを夢に見るようになってからというもの、私は何があっても姫様をお守りせねばという気持ちに駆られるようになりました。
毎日侍女の仕事をこなしては裏でシャンパージュ伯爵と連絡を交わし、カラスに様々な雑務を任せたりもして、爵位を簒奪する計画を練り上げてきました。
そしてついにそれを実行する時が来たのです。
この八年間、姫様の侍女としてお傍に仕えてこられて本当に幸せでした。爵位を奪えたのなら、恐らくもう私は姫様の侍女ではいられない事でしょう。
とても辛い事ではありますが、これも姫様の為だと、私は我慢する事にしたのです。侍女なんて弱い立場ではなく、四大侯爵家の当主という強い立場となり貴女様をお守りする為に。
…………ですから、一旦さようならです、姫様。
突如訪れたこの緊急事態に……この事を外部に知られてはならないと、私達は全力を賭して隠し通す事にしました。
可能な限りいつも通り、姫様が眠りについて目を覚まさないなどと外部に知られぬように私達は動いた。
どこぞの貴族達が姫様に押付けた仕事は全て私達で片付けました。意外な事にシュヴァルツが書類整理や細かい処理を得意としていて、姫様に押し付けられた仕事のほとんどが機密事項と呼ぶ程のものでは無かった事から彼も手伝ってくれたのです。
東宮内の事はイリオーデ卿とナトラとマクベスタ様とカイル様が手伝ってくれました。カラスを動員しても良かったのですが、彼等には爵位簒奪計画に関する雑務を任せていたので……正直、イリオーデ卿達がいて助かりました。
そもそも何故イリオーデ卿がまだここに滞在しているのか。クラリスさんは御家族の方が心配してるだろうからとあの後ひとまず家まで送ったのですが、イリオーデ卿はどうしても姫様が心配らしく、姫様がお目覚めになるまではと東宮に残ったのです。
我々も一晩経てば姫様もお目覚めになるだろうと思っていたのですが…シュヴァルツやナトラが何度呼び掛けても、姫様は一向に目を覚まされない。
姫様が倒れた日の二日後、ようやく精霊界からこちらにやって来たシルフ様とエンヴィー様ですら、この原因が分からず混乱していた程。
姫様が倒れた一連の流れを御二方に話すと、それはもう怒り心頭といった具合で。
『どうして………ボクはいつも大事な時に限ってアミィの傍を離れてるんだ…ッ!』
シルフ様のそんな嘆きに、私達はただ打ちひしがれる事しか出来ませんでした。
一週間、私達は静かに眠る姫様に『早くお目覚めになってください』と祈る事しか出来ず、気が気でない日々を過ごしていた。
こんな時に爵位簒奪計画などと言ってる場合ではないと分かっている。けれど、少しでも早く権力という盾を用意せねば………あと数ヶ月で皇太子殿下の十五歳の誕生パーティーが行われてしまう。それよりも早く、姫様をお守りする力を手に入れなければならないのです。
だから私は、
「……お目覚め下さい、姫様」
私の全てを賭けて戦うと誓いましょう。
毎朝一度ずつ、静かな寝息をたてる姫様にお目覚め下さいと声をかける事七回。今日も姫様は瞳を開けてくださらない。そんな姫様の手を両手でぎゅっと握り、私は懇願するようにそれを額に当てた。
「姫様、私の愛しい姫様……どうか──…私がハイラでなくなっても、私をハイラと呼んで下さい」
次に私が貴女様の前に立つ時は、きっともう私はハイラではなくなっている。あの名前を名乗らざるを得ない事でしょう。
だけど。それでも貴女様にだけは…変わらずハイラと呼んでいただきたいのです。私にとってこの名前は、貴女様がくれた、我が生涯の夢そのものですから。
「私は……姫様のお傍でハイラとして過ごせたこの八年を宝のように思います」
本当に偶然が重なっただけでした。たまたま私が侍女の娘で、たまたま母の葬式の時期に皇宮侍女の募集があって、たまたま街で出会ったご婦人が紹介状を書いて下さり、たまたま人事担当のケイリオル卿が私の事情を汲み取って下さった。そんな、いくつもの偶然が重なり私はこの東宮にやって来ました。
そこで見た吐き気を催すような侍女達の腐敗。皇帝陛下のお膝元でこんなにも堂々と不正が横行しているのかと…子供でも出来るような礼儀さえも満足に弁えられない者達ばかり。
姫様の慈悲深く寛大な御心に付け込む外道ばかりで、私はあの手この手を尽くしてそれらを排除しました。カラスをこっそり遣い様々な家門に痛手を追わせました。
中には社会的に抹殺された者もいた事でしょう。しかし、当然の報いでした。何故ならあれらは姫様に牙を剥いたのですから。
そんな風に姫様が穏やかに健やかに過ごせる環境を、と懸命に駆け回った結果……東宮に侍女はほとんど残らず、必然的に私が姫様の専属侍女となる事に成功しました。
姫様の専属侍女となってからは沢山の事がありましたね。姫様が高熱になられた時は私も胸が引き裂かれる思いでした。私が仕事でお傍を離れてしまった間に姫様が記憶喪失に陥られたと聞いて、どれ程私の胸は締め付けられた事か。
姫様が精霊様と親しくなり、あんなにも御家族を愛していたにも関わらずそれを恨むようになって……密かに喜ばしい事と思ってしまった事を、姫様は知らないでしょう。
私はとても酷い人間なのです。誰よりも御家族の愛を求める姫様を支え応援すると決めていたのに、いざ姫様が御家族の愛を不要と定めたならば私は手のひら返しでそれに従い応援するなどと吐かしたのです。
一時的な感情で愚かにも少し浮かれてしまった私は、姫様の御心を、見誤ってしまったのです。
姫様は元よりとても勉強熱心な方でしたが、しかしどうしても私などには頼って下さらなかったのですが…シルフ様と仲良くなり変わられてからというもの、私にも積極的に頼って下さるようになりましたね。
……剣に魔法に体術に勉学に礼儀作法と、その内容は少し王女殿下には相応しくないものでしたけれど、カラスの隊長より趣味で武芸百般を教わっていた私にはそれを言う資格は無いでしょう。
姫様はとても頭脳明晰で、発想力にも優れ頭がとても柔らかくあそばされる。そしてなんと言っても記憶力が非常に良い。
特に必要は無いのですが、試しで歴代皇族の御名前全てと功績と没年を全て覚えていただいた所………なんとものの五日程度でそれを成し遂げられた。こんなもの、普通の人ならば一ヶ月で成し遂げても賞賛を浴びる事だろうに。
この時点で私は既に確信しておりました。姫様の記憶力は我々の想像を遥かに超えるものなのだと。それを更に確かめるべく、では次に、と私は帝国法全条全項を覚えていただく事にした。流石の姫様も、この話を聞いた時は物凄く唖然としていらっしゃった。
しかしそれでも姫様は素晴らしく努力家な御方です。皇帝陛下と皇太子殿下ともあろう御方がまさか暗記していない訳無い。何せ御二方とも帝国を担う御方です、覚えていて当然では? と私が口にすると、姫様は俄然やる気になられたのか……異様な速度で一つずつ暗記していかれた。
そしておよそ一ヶ月強が経った頃には、姫様は見事、帝国法全条全項を暗記すると言う快挙を成し遂げた。その間にも通常の授業やシルフ様エンヴィー様との特訓もあったのに、姫様は本当にあっという間に成し遂げられたのです。
天才。まさにその一言に限ります。シルフ様やエンヴィー様からも度々姫様が才能の塊であると言う風に伺ってはいたのですが…姫様が学びたいと仰った全分野──…特に戦闘系において発揮なされたその才覚は、天より与えられたとしか思えない程。
ある日突然他国の王子殿下を特訓場まで連れて来た時には、シルフ様と共にかなり驚いた記憶があります。姫様が共に高めあえる御友人を見つけられたのはとても良い事と思いました。しかし、しかしですよ。何故男性なのですか。
初対面の頃は少しよそよそしかったエンヴィー様でさえも、数年間間近で姫様の魅力を味わった事により、姫様にとても甘くなられたのですよ。
年頃の若い男など目と目が合うだけで姫様に心を奪われるに決まってます! と私が暫くマクベスタ様を目の敵にしていた事には気づいてましたか? 今やそれ所ではございませんが。
ずっと東宮の中で生きて来た姫様は、私の知らぬ間に外の世界へと出られましたね。単身で奴隷商の本拠地に乗り込んだとか、貧民街を何とかしたいとか、オセロマイト王国を救いたいだとか………私達が何度注意しても全く学ばず反省して下さりませんでしたね。
それもまた、姫様の魅力の一つなのですが…だとしても危険を冒しすぎなのです。どれだけ私の肝を冷やしたら気が済むのですか。なんて思いつつも、私は、姫様がこの広い世界を少しずつでも楽しんで下さっている事が嬉しかったのですよ。ただ、やはり無茶をしすぎとは思いましたが。
姫様がオセロマイト王国より戻られるまでの数週間………私は誰も帰って来ない東宮にて一人過ごしていました。ああ、あの時が一番、心が苦しかったですね。姫様はどこにもおらず、その無事を祈る事しか出来なくて。何度心が折れてしまいそうになった事でしょうか。
姫様がオセロマイト王国よりお戻りになられた時。私はあまりの嬉しさに涙を堪え切れませんでした。はしたないと分かっていても、どうしても姫様への思いを抑え切れなかったのです。
その後、姫様はまた新たな子供を連れ帰って来ましたよね。孤児に続いて今度は竜種と聞いて私は自分の耳を疑いましたよ。しかしシュヴァルツもナトラも姫様が好きだと言う点では話せる事もあり、本人達が妙に侍女業に興味を抱いた事から、私はよく二人と関わるようになりました。
かなり世間知らずで無知な二人ではありましたが、こと掃除に関してはかなりの速度で上達して、今となっては、二人に東宮の一階部分を纏めて任せてもいいのでは、と思える程の掃除の腕前です。少し、私の仕事が減ってしまい寂しい思いにもなりました。
いつからでしょうか。私は、悪夢を見るようになりました。
姫様が外の世界に出るようになられた頃から……その悪夢は少しずつ、ゆっくりと私の背後に迫って来ていたのです。最初はとても朧気なもので、ただ、とても苦しくて悔しくて……その悪夢から目覚めるといつも私は泣いていました。
それも一日、一週間、一ヶ月、と日を重ねるにつれてどんどんはっきりとした悪夢へと変貌しました。ピッタリと私の背に張り付いたその悪夢は、私を恐怖の谷底へと突き落として来たのです──。
『………姫様、が…処刑…? なん、で。どうして……』
皇帝陛下より勅命を賜りハミルディーヒ王国に向かわれた姫様が、『祖国の裏切り者』と呼ばれ処刑された。その報せを聞いた今より少し歳をとっているようだった私は、理解不能なその現実を受け入れられず、ただ絶望しておりました。
姫様を失った私は絶望の淵にて膝をつき、苦しみのあまり身動きも取れずにいました。夢なのに…あの悪夢は、まるで我がものとばかりにその艱難辛苦を私の心に残していったのです。
果てにその悪夢にて、私は姫様の物に囲まれたまま………歴史ある東宮に火を放って自ら命を絶ちました。
姫様のいない世界など必要無いと、私が生きる意味も無いと、そう…悪夢の中の私は思ったのでしょう。炎に巻かれ、皮膚が焼かれ焦げ爛れようと何も感じませんでした。熱気で内蔵はやられてしまい、煙の所為で息が出来なくても何も感じませんでした。
そんなものよりも、姫様がもうこの世のどこにもおられないという悲しみや苦しみの方が強かったのです。
『ごめ、ん、なさ…い………ひめ…さ、ま…わた、し……むり、にでも……い、しょ…に………』
姫様が十年以上使っておられた寝台の上で。私は勢いを増す炎に囲まれて泣いていました。
皇帝陛下の勅命を受け、今まで見た事も無いような笑顔で東宮から出て行かれた姫様の背を、私は無理にでも追いかけるべきでした。姫様を、一人にするのではなかった。
姫様が国を裏切る筈が無い。そんな事、誰よりも何よりも姫様のお傍にいた私が一番よく分かってます。だからこそ、私だけは………姫様の味方でいられる私だけは、姫様のお傍を離れる訳にはいかなかったのに。
私は、姫様を一人で逝かせてしまった。私の姫様、愛しい姫様…本当にごめんなさい。本当に申し訳ございません。
ああ、だから。今から──私もそちらに向かいます。そして、姫様のお傍に離れてしまった事を、謝らせて下さい。姫様の望みを叶えられなかった事を、謝らせて下さい。姫様と交した約束を守れなかった事を、謝らせて下さい。
『ひ、め…さま……いつ、までも…わたっ…し、は…あな…た、を──…』
愛してます。愛しい、私の姫様。どうか、どうか。もしも次があるならば…今度こそは、姫様をお守りし、望みを叶えてさしあげたい。
そして、願わくば。私はいつまでも、姫様の侍女としてお傍に────。
いつもここで悪夢は終わりを迎えました。痛い程伝わってくる悪夢の中の私の感情。これを夢に見るようになってからというもの、私は何があっても姫様をお守りせねばという気持ちに駆られるようになりました。
毎日侍女の仕事をこなしては裏でシャンパージュ伯爵と連絡を交わし、カラスに様々な雑務を任せたりもして、爵位を簒奪する計画を練り上げてきました。
そしてついにそれを実行する時が来たのです。
この八年間、姫様の侍女としてお傍に仕えてこられて本当に幸せでした。爵位を奪えたのなら、恐らくもう私は姫様の侍女ではいられない事でしょう。
とても辛い事ではありますが、これも姫様の為だと、私は我慢する事にしたのです。侍女なんて弱い立場ではなく、四大侯爵家の当主という強い立場となり貴女様をお守りする為に。
…………ですから、一旦さようならです、姫様。
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