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第二章・監国の王女
146.帝都に混乱を2
しおりを挟む(…──何が起きたんだ。何故あいつは泣きながら、自ら意識を断った? そもそもどうして急に泣き出したんだ?)
明らかな異変を見せて今は意識を失っているアミレスを呆然と見下ろし、フリードルは困惑していた。そんなフリードルを置いて、侍女服を翻してシュヴァルツとナトラがアミレスに駆け寄る。
「おねぇちゃん、おねぇちゃん!」
「お、おいアミレス…どうしたのじゃ、目を覚まさんか。アミレス!!」
「くっそ……っ、何でこんな事になったんだよ…!!」
「シュヴァルツ、我は…我はどうすればよいのだ?!」
「とにかくハイラを呼んで看病を! それよりも先に暖かい所に連れて行かないと、どんどんおねぇちゃんの体温が下がっていってる!!」
「分かった、我がアミレスを運ぶ!」
意識を失い倒れ込んだアミレスを抱き上げ、ナトラは地面を強く蹴り、瞬間移動に等しい高速移動を行った。行先は勿論東宮。そしてその場にはシュヴァルツとフリードルだけが取り残された。
おもむろにシュヴァルツは立ち上がり、悪意に満ちた目でフリードルを睨んだ。
「何が何だか分からない、って顔してんなァ…お前。自覚ねぇの? それとも心がねぇの? ハンッ、どっちにしろとんだ不良品だな」
普段の明るい声でもなく、気の抜けた口調でもなく。少年は普段とは全く違う声と口調でフリードルに接近する。まるで二重人格なのかと疑うぐらい、その表情も放つ禍々しい威圧感も普段のシュヴァルツからはかけ離れたものだった。
少年によるあまりの不敬に、フリードルは僅かに不快さを表に出した。しかしそれも構わず少年は続けた。
「なあ、それ楽しいか? 血の繋がった妹をあそこまで追い詰めて、目の前で自殺未遂までさせて。何でお前等みたいな屑は決まって自分には非が無いって考えてんだろォな。自分の思考や言動が絶対的に正しいって信じてやまないんだろォな。ぼくには分からねぇよ、お前等みたいな人間のそーゆー独善的な所が」
その少年はフリードルの目と鼻の先まで近づき、その足元にあるフリードルの影を踏んだ。そして、全身の毛が逆立つような高圧的な声で少年は口ずさむ。
「頭が高ェんだよ、跪け」
「──ッ?!」
その瞬間、フリードルの足から力が抜け、彼は地に跪く事となる。
(な──、何が起きて……っ?! この子供は、一体何者なんだ…!!)
突然の事に目を見開き、冷や汗を滲ませる。フリードルは必死に頭を働かせた。
目の前の侍女服を着た子供が何者であるか、この力が何であるか。しかしその答えに辿り着ける筈がなかった。
(精霊の、さっさと制約を破棄してくれないかなァ……)
ギョロ、と鋭く見開かれた金色の瞳孔。天使と見紛う愛らしい顔で、少年はフリードルを冷たく見下していた。
その胸中ではどこぞの精霊がさっさと制約を破棄する事を望む。
「ハァ………ここでお前の事殺せたら、後顧の憂いもなく万々歳、最高だったんだけどなァ。ぼくは誰も殺せないしぃ、お前の事殺したら彼女が泣くからなァ、あームカつく。お前ホンットに恵まれてるよ。当然のようにそれを享受して疑わないのもすげームカつく」
少年はフリードルを見下し謗る。虚ろとなっている少年の瞳。ふわふわな白い髪が彼の顔に濃い影を落としていた。
「…僕が死んであいつが泣くだと? あんなにも憎悪に満ちた目で僕を睨む、あの女が?」
(──この子供が何者で、あいつとどのような関係なのかは知らないが……知ったように自分を語られる事がこうも腹立たしい事とは)
フリードルは密かに奥歯を噛み締めていた。突然見ず知らずの少年によって跪かされ、抵抗すら出来ないこの状況が気に食わないのである。それと同時に、フリードルにとって理解不能な事を語る少年に苛立ちを覚えていたのだ。
フリードルの反応に少年は眉を顰める。
「は? さっきの見てなかったのかよ、お前。つーか、そもそも何で彼女が泣いてたのか教えろ。お前は彼女に何をした、何を言ったんだ」
「……僕が何故あいつを愛してやる必要があるのか、と言った。この言葉に何の意味がある」
「──っ!」
何が原因でアミレスが泣き出したのか…それに何故か気づかないフリードルは少年を見上げて疑問符を浮かべた。フリードルにとってアミレスとは道具。役に立つかどうかも分からない使い捨ての道具にすぎない。
ただ、ここ暫くでフリードルにとっても厄介な障害となりつつあったが………何にせよ、フリードルがアミレスを妹だの家族だのと思った事はただの一度もなかった。
ずっと、物心ついた時より父であるエリドルから洗脳に等しく言い聞かせられていた為か、フリードルは『アミレスはいつでも捨てられる道具である』と信じて疑わない。それ以外の認識が、彼の中にはそもそも無いのだ。
(こいつ、もう駄目だ。救いようがねぇ……何でこんな奴の所為で彼女が泣かないといけないんだ。こんな形で彼女の泣き顔を見る事になるなんて…っ)
フリードルの歪みを垣間見た少年はギリ、と歯ぎしりする。アミレスがこんな男の所為で苦しみ涙してしまった事実が、どうしようもなく少年の腸を煮えくり返させた。
「──ぼくさ、はっきり言ってこの世界とか人間とかどうでもいいんだよね」
(いきなり何なんだ……?)
プツン、と。少年の中で何かが切れた音がした。何故かとても明るい声音で少年は語り、フリードルの影を踏むのをやめる。
すると途端にフリードルの体に自由が戻り、フリードルは警戒しながら弾かれたように立ち上がる。数歩後退り、少年より距離を取って、フリードルは目前の不気味な子供の笑顔を見ていた。
「でも彼女だけは別。アミレス・ヘル・フォーロイトだけは特別なんだ。彼女はとっても面白い。一緒にいて退屈しない、とてもとても特別な存在なんだ。だからぼくは彼女が望む未来の為に協力する事にした。彼女の見た未来をぼくも見たい。彼女は今やぼくの存在意義……生きる糧、と言っても過言ではないね」
少年は笑う。輝かしい未来を夢見る子供達のように。
「だからね、ぼく──……この世界を敵に回す事にしたよ。愛しい彼女の為ならばぼくは何だってしよう。彼女の面白おかしい人生を見届ける為ならば、世界の一つや二つ、破壊しても構わない」
少年の口が鋭く開かれる。そこには鋭い牙があり、満月のようであった彼の金色の瞳は夜闇の如く黒く塗り潰され、その中心には紫水晶のように妖しく輝く紫色の瞳があった。
まるで仮面がひび割れるかのように、少年の顔に亀裂が入る。それはさながら、これより孵化せんとする卵のようで……このまま世に解き放たれてはならない存在だと、フリードルも本能で感じ取った。
「ッ、凍てつけ!!」
少年を足元から凍結する。魔法にも秀でたフリードル渾身の氷魔法で全身を氷漬けにされた少年は身動きを取れない、筈だった。
氷塊の中で黒い眼球がギョロリと動く。紫色の瞳孔がフリードルを捉えた直後、氷塊は内側から爆ぜたかのように弾け飛んだ。
弾け飛んだ氷が頬や体を掠め、フリードルは怪我をする。しかしそれすらも気にならない程……今、フリードルの意識は目の前に立つ人ならざる何かに向けられていた。
「ぼくに課せられた制約はさ、人間を殺してはならない。人間界で大規模な力の行使を認めない。とかで精霊のとは違ってて………実は最初からこんな風に擬態する必要なんて無かったんだよね」
少年の顔が、壊れた仮面のようにパラパラと崩れ始める。そこから黒い影のようなものが漏れ出ては少年を包み込む。やがて全身を闇に包まれたそれは、徐々に大きく、周囲に無差別に恐怖を振り撒く存在へと逆戻る。
ずっと、人間と言うガワによって完璧に隠されていたその存在が、擬態を辞めて本来の姿へと戻ってしまった。現れてはならない人類にとっての災厄そのもの。まさに忌むべき存在──、
「でもオレサマは偉大なる悪魔だからさ、こうでもしないと人間界を満喫するとか不可能だったんだよなァ」
内側だけが純白に染まる艶やかな漆黒の長髪に、尊大な物言い。低く蠱惑的な声。人ならざる者と一目で分かるその黒と紫の瞳。身長は百九十はありそうなぐらい高く、体格も細くなくごつ過ぎず、いい塩梅のものである。
気が狂ってしまいそうな程に整った顔で、高貴な存在が着るような上質な服とマントをなびかせて悪魔はニヤリと笑みを作った。
(───魔族、それも悪魔だと!?)
フリードルは驚愕する。召喚されなければ人間界に来る事など滅多に無い悪魔という存在が、これ程の存在感を放ち目の前に立つのだから。
「本当はもっと人間生活を楽しみたかったんだが、まぁどうせリードとかにはバレてた上にいつかボロも出ただろうし、もう仕方ないか。これもお気に入りの人間の為だ、とオレサマの趣味よりアイツの事を優先してやる優しいオレサマなのであった」
悪魔は背伸びをしながら独り言を呟く。彼はずっと、最初から人間という役を演じ続けていたのだ。文字通り、人の皮を被った悪魔…それも精霊の目さえも欺ける程の。
ただ、光の魔力を持つ者達は、何となくではあるが彼の正体を察する事が出来てしまったのだ。その詳細までは分からずとも、大まかな像ぐらいは。
シュヴァルツの時の名残りか、はたまた本来の姿の影響だったのか……そのつむじでは大きな漆黒の髪がユラユラと揺れており、そこはかとなく可愛らしさを演出しているようであった。効果はかなり薄いが。
「まさか、悪魔召喚をしたのか……あの女…ッ!」
「さァどうだろうな。オレサマ程の悪魔を召喚出来るとなりゃ、アイツはさぞかし優秀な人間だと思うがな」
(こんなにも自我と存在感が強い悪魔が下位悪魔な訳が無い。低くて中位悪魔、最悪の場合上位悪魔だぞ………! そんなものを、あの女が召喚しただと!? そもそも一体どうやって…!?)
フリードルの頬を冷や汗が伝う。悪魔と呼ばれる存在は意外と精霊と似たり寄ったりな所があるのだ。数いる魔族の中でもトップクラスの強さを誇る悪魔族。その内訳はこうだ。
上位悪魔、中位悪魔、下位悪魔──悪魔召喚などで召喚されるものは大体下位悪魔であり、自我も希薄で強さも悪魔の中では底辺の部類だ。
中位悪魔も悪魔召喚に応じるが、自我がそれなりに強くその強さ自体も人間をゆうに越える為、召喚したが最後…召喚主が殺されてかなり強い悪魔がそのまま世界に解き放たれる、なんてケースもある。だがそれでも中位悪魔だ。
上位悪魔はまず召喚する術が無い。既存の悪魔召喚の術式で上位悪魔を召喚出来た者は未だかつていない。上位悪魔ともなるとその自我も強さも人間とは比較にならない程の真性の化け物。そんなものを人間の召喚術で呼び出せる訳が無いのだ。
そんな上位悪魔達が人間界に来るとすれば、それは魔界から人間界への侵攻の際、ないし魔物の行進の指揮の際。
かなり限られた状況でのみ人間界に現れる上位悪魔という存在は、正直な所…眉唾物な扱いを受けていた。我々人間が悪魔を恐れ過ぎるがあまり作り上げた偽りの存在、誰も召喚出来ていない諸説の中だけの存在、だとか言って。
だがまぁ……残念な事に魔界には全四十四体の上位悪魔がいるし、この場にはその四十四体の悪魔よりももっと恐ろしく凶悪な悪魔がいた。
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