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第二章・監国の王女

137,5.ある聖人の役目

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「くしゅんっ」

 誰かが僕の噂をしているのだろうか。突然くしゃみに襲われた。
 まぁね、僕だってついつい不老不死になってしまったとは言えど、盛衰が無くなった事以外は人間と変わりないんだ。だからそりゃあ、くしゃみの一つや二つ……してもなんらおかしくないのだけど。
 今回は、うん。場所が悪かったなぁ。

「せ………」
「聖人様……っ」
「そんな、聖人様が…!」
「……っ?!」

 大司教達の顔からどんどん血の気が引けてゆく。皆、僕の方を見てわなわなと震えている。中には子が死ぬ瞬間を目の当たりにした親のような──恐慌状態の者もいた。
 そう。今は円卓議会中にて。僕は丁度、過保護な人達に囲まれた状態で偶然にもくしゃみをしてしまったのだ。

「だッ、誰か体を温めるものを!!」
「その前にまずは治癒魔法でしょう! 聖人様がもし万が一何か大病に罹っておられたらどうするのですか!!」
「せせせせ、聖人様お身体を休めてください! 誰か、至急寝台ベッドを! 聖人様がゆっくりと滋養なされる為の最上級の寝台ベッドを用意するのだ!!!!」
「それならば自分が! 至急、倉庫から持って参ります!!」
「ではっ、私は何か体に良い食事の方を用意して来ますわ!」
「聖人様がくしゃみをなされるなんて、きっと相当な事に違いありません………これはもしや、リンデア教の奴等からの宣戦布告……ッ?!」
「もしそうであれば、わたくし共とて黙っていられないわ。よくも我等が聖人様に卑劣な真似を……!!」

 大司教達がいつになく取り乱して大騒ぎする。彼等は本当に面白いなぁ、たかがくしゃみ一つでここまで深読みするなんて。
 ふふ、と微笑ましく様子を見ていた所、横からラフィリアの毒舌がボソリと聞こえて来た。

「馬鹿、過多……」
「そう言ってやらないで下さい、ラフィリア卿…彼等とて聖人様が心配なだけなのです」
「結局、馬鹿」
「ハハ……」

 ラフィリアの無機質な罵倒にジャヌアが彼等の肩を持つも、ラフィリアは一貫して大司教達が馬鹿だと言い切った。まぁ、馬鹿と言うよりかは純粋なんだよね…彼等は。
 僕としてはこのまま暫く成り行きを見守っていてもいいのだけど、しかしそれでは一向に議会を再開出来ない。今回の議題は僕達にとっての厄介事──おっと、間違えた。僕達であろうと一筋縄ではいかない事なので、一応ちゃんと話し合いたいのだ。

「……うーん、そうだなぁ。緊縮のディセイル、君はこの事態をどう捉える?」

 僕は自分の右隣に座る青年に問いかけた。彼は、国教会の教義に反した行いをした大司教、緊縮のジュークラッドがその位を剥奪されたが為に新たに緊縮の名を賜り第十二席に座った大司教。
 ジュークラッドが元第七席であった為、空白になったその席をつめるように第八席以降の大司教達の席次が繰り上がった。故に新たな大司教のディセイルは第十二席なのだ。
 ただ、少し前に風の噂で聞いたのだけど、どうやら大司教達の間ではこの第十二席と言う立場が密かに人気らしく、どうにかして自ら第十二席に降ろう……なんて考える者もいるらしい。
 ジャヌアに本当かい? と前に尋ねた所、『…本当にお恥ずかしい話ですが』と彼は口を切った。第一席はラフィリアから変わる事が無い為、僕の隣に座れるのが後はもう第十二席だけだから。なんて理由らしい。
 これを聞いた時、なんてくだらない事で彼等は争っているのだろう。とついつい心に思ってしまったよ。
 少し話に水を差してしまったね。そんな感じで僕の隣には今ラフィリアとディセイルが座っているのだけど…ディセイルは僕に声をかけられてすぐに、体ごとこちらに向けてハキハキと答えた。

「皆様の暴走、と私は捉えます。まずは正確な診断等を行ってから細かい行動をすべきかと、私は愚考致します」
「つまり彼等の慌てっぷりは君的には宜しくないと?」
「はい。その気持ちも分からなくは無いのですが、皆様、未知のものに対する恐慌から我を失っているようにも窺えます」
「ははは、未知のものかぁ」

 ディセイルは若いのにしっかりした子だなぁ。自分よりもずっと先輩で偉い立場にある大司教達の事と言えども、きちんと…己で定めた基準のもと厳しい評価もしている。
 この円卓に座る者は基本的に皆平等の立場にある、とは言えども……誰だって自分よりも、遥かに長くその座についていた相手には恐縮するものなのに。
 彼はきちんとこの円卓の理念を理解してくれているようだ。これは中々に将来有望な新人が入ったなぁ。揺るぎない芯を持つ彼が、他の大司教達に良い影響を齎すといいのだけど。
 しかし、未知のものか。彼等は僕の事を何だと思っているんだろう。

「……君達は僕を何だと思っているんだい?」

 つい、気になってしまったのだ。暫く、目にかかるぐらいの彼の黒髪とその隙間から見える不思議な色の瞳を見つめていると。

「聖人様は俗的な病気になど罹られません。何故なら我等が指導者、神の代理人たる偉大な聖人様なのですから!」

 ディセイルは満足気にふんっと鼻息をもらす。答えになってないね、うん。
 言い切った、とばかりにキラキラ輝く彼の顔を見て僕は思う。僕、生まれてこの方ずっと人間なんだけどな。病気にだって普通に罹るよ………百年近く生きててまだ片手で数えられる程しか罹った覚えはないけれど。

「ああそうかい…」

 僕がため息をつくと、

「主、大司教暴走」

 ラフィリアが、早くアレを何とかしろとばかりに大司教達を指さして、僕の服の袖を引っ張る。貴重な光景だからと面白がって様子見していたけど、僕が彼等を止めるのが最も楽な方法である事には違いない。
 幸いにもジャヌアがこっそり展開していた結界のお陰か、誰も議会室からは出られていないようだ。
 確かにこれは止めないとね、とおもむろに立ち上がると何人かが僕に気づきこちらに目を向けた。しかし、まだ半分近い大司教達はぎゃあぎゃあと慌てふためいている。
 彼等を一旦鎮める為にはどうしようか……うーん、難しいなぁ。ああそうだ、前にアンヘル君が言っていたな。人間って言うのは──

「力で捩じ伏せるのが手っ取り早い」

 僕は円卓に拳を振り下ろした。身体強化の付与魔法エンチャントで強化された僕の拳は白亜の円卓に亀裂を走らせ、やがてそれを破壊した。

「ハァ……」
「ああ…伝統ある円卓が………」

 ラフィリアとジャヌアがこの事に驚く…と言うよりかは呆れたり困り果てたりしている。更に右隣ではキラキラした目でディセイルが僕を見上げている。そして問題の大司教達はと言うと。

「…………」

 全員が同じようにポカーンと口を開け、呆然としている。うん、鎮める事には成功したようだね!
 伝統ある円卓を犠牲にしたものの、目的は達成したので良しとしよう。それに、後でラフィリアに直すように言えばなんとかなるからね。ラフィリアは『仕事増加……残業…規定時間超過』と文句を言うだろうけど。

「ライラジュタ、エフーイリル、ブラリー、オクテリバー、マリリーチカ、セラムプス、メイジス。僕は大丈夫だから、静かにしてくれるね?」

 先程騒いでいた面々の名前を一人ずつ呼び、僕は念押した。すると彼等彼女等は緊張した面持ちで静かに己の席に座った。ついでにと残りの面々にも視線を送る。

「アウグスト、ノムリス、ディセイル、ジャヌア、ラフィリア。君達もこのまま静かにしていてくれるかな?」

 僕に名前を呼ばれると、皆はこくりと一度頷いた。
 これで良し、と僕は議会を再開する。……円卓は壊れたままだけど。

「──それでは。愛し子に関する議会を再開しようじゃないか。アウグスト、先程報告があると言っていたね」
「は、愛し子による被害報告の方がかなり溜まっております」

 くしゃみ事件の前にアウグストから報告があると言う旨だけは聞いていたので、彼に話を振る。するとアウグストはスっと立ち上がり、手元にある資料を読み上げ始めた。

「まず、神殿都市に来た当初より絶え間なく報告され続けている暴言、妄言、厚顔無恥な振る舞い、尊き神々の加護セフィロスの名を軽んじる姿勢、主を崇めるどころかどこか下に見るような発言、司祭達への暴力行為、天の加護属性ギフトを用いた威嚇行為に加え……聖人様が慈悲の御心で一度はお許しになられたものの、度重なる大聖堂への侵入、聖人様の御名前を口にする等…反省が見られませんね」

 ペラリ、と頁を捲ってアウグストはまだ報告を続けた。

「料理人により完璧な栄養バランスで作られた料理に『不味い』『あたしの舌に合わないから作り直してよ』と文句をつけ、祭服を着るようにと何度伝えても『地味だから嫌! 大司教とかが着るやつならちょっとお洒落だから着てもいいけどね』などと宣っており、我々が通常任務の傍らで魔法や体術や勉学の師事を行っているのですが…どれも『何であたしがここに来てもそんな勉強しなきゃいけないのよ!』『あたしは最初から最強だから、特訓とかそんなの必要ないの』と全て投げ出している始末です」

 アウグスト、演技が凄く上手だな。愛し子の物真似の完成度が高い。無表情で声もアウグストのままなのに、抑揚の付け方や息継ぎのタイミングが完璧に愛し子と同じだ。何という演技力。
 多分、他の大司教達も同じように彼の演技力の高さに脱帽しているよ。皆鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているし。
 それはともかく。まるで葬式のような空気だった。愛し子による様々な被害の報告……それを聞いた僕達は、最早苦笑いすらも出来ずに顔を顰めていた。
 特に大司教達のそれは凄い。焦点の合わない目をしている者、顔から生気の抜けている者、明後日の方を見て何もかもを諦めた目をしている者、露骨に怒りを露わにしている者、非常に深い皺を眉間に作る者、思わず真顔になる者……とにかく彼等の苦労が窺える表情であった。

「少し補足してもよろしいでしょうか、アウグスト卿」
「どうした、オクテリバー卿」

 挙手をして、オクテリバーがのそりと立ち上がる。そして彼は宣言通り補足に入った。

「愛し子には勉学、体術、魔法だけでなく礼儀作法や一般常識の授業も行っているのですが……その、妙なのです。稀ではありますが、局所的に礼儀作法に詳しかったり高水準の知識を披露する事もあります。それと、愛し子が以前、一つ気になる事を仰ってまして」
「……気になる事とは?」
「これより数年後に、ハミルディーヒ王国とフォーロイト帝国の戦争が起きるとか…にわかには信じ難い事であり、これもまたいつも通りの彼女の妄言であると思っていたのですが……」

 オクテリバーからの報告を受け、僕達は胸騒ぎを覚えた。それは確かに妄言として片付けるにはあまりにも穏やかではない内容。
 オクテリバーの言いたい事は分かる。ただでさえ、決してお世辞にも賢いとは言えない頭で世間知らずなあの愛し子が、十数年前に休戦して以降表向きには友好関係にある両国の戦争の再開を悟れる筈もない。
 そもそも僕達だっていつ両国の戦争が再開するのかとそちらに気を向ける事にもなり、気が散る原因の一つとなっているのに………よりにもよってあの少女が、それを数年後に予見する事などあっていいのだろうか。
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