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第二章・監国の王女
120,5.ある少年少女の活躍
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「ふっふっふっ………どうじゃシュヴァルツよ! 我のこの完璧な窓拭き。これではあまりの窓の美しさにアミレスとて目を細めてしまうじゃろうな!」
「ははっ! それならぼくだって負けてないよぅ、見てみろこの埃ひとつ無い彫刻! ぼくの磨きによって更に輝きを増したね!」
皇宮が東宮の廊下にて、侍女服に身を包んだ少年少女が競い合う形で掃除に励む。
少年はシュヴァルツ、少女はナトラ。どちらもこの東宮の主たる王女アミレス・ヘル・フォーロイトによってここに連れて来られた子供である。
そのアミレスが仲のいい精霊達と友人と共に出掛け、二人に侍女業の指南を行っていたハイラもまた、同じように用事があるとつい今しがたどこかに行ったので……今やこの東宮にはほとんど人がいないのだ。
そこで二人は考えた。アミレスの目につきそうな範囲をハイラのように完璧に掃除して、褒めてもらおうと。
それ故、他に誰もいない静粛とした廊下で二人は騒ぎながら掃除をしていたのだ。
体が丈夫で身体能力にも優れたシュヴァルツと、人間に擬態している緑の竜たるナトラ。この二人は持ち前の身体能力で縦横無尽に動き回り、高速に広範囲を掃除する事を可能としていた。
「次はどこを掃除するのじゃ?」
「うーん、おねぇちゃんの部屋の前の廊下をピカピカにする?」
掃除道具をバケツに適当に突っ込み、そのバケツを持って二人は仲良く並んで歩く。
暇を持て余した竜と少年は今まで一度もやって来なかった掃除というものにドップリとハマっていた。
地道で苛立つ事もままある作業ではあるが……いざ上手くこなせた時の達成感、そしてその後に待つアミレスからの褒め言葉がナトラとシュヴァルツを魅了し、中毒性をも生み出したのだ。
「よぅし。ここから先はぼくがやるから、そっち側はナトラがやってね」
コトンッ…とバケツを床に置いて、腕を左右にぶんぶんと振って境界線を示し、シュヴァルツはナトラに指示を飛ばした。
「うむ、よかろう。こっち側は任されたのじゃ」
ナトラはそれに頷き、箒を手に取る。
しかしその時異変が起きた。人がほとんどいない東宮……そこに、突如として大勢の来客が現れたのだ。
「話に聞いてた通り人っ子一人いねぇな、皇宮だってのに。侍女の一人や二人、いいのがいたら連れ去ろうと思ってたんだがな」
「いいじゃねぇか、仕事がやりやすくて」
「で、俺達のお目当てはどこにいんのかねぇ」
まるで野盗のような格好をした、武器を手に持つ十人近い大人達がわらわらと東宮に侵入して来る。最早姿も正体も隠すつもりがないようで、堂々とした態度で皇宮内を歩く。
「ここか?」
「おーいこっちの部屋にもいねぇぞ」
「どこなんだよ…」
「部屋だけ無駄に多いな」
「ったく、どこにいんだよ野蛮王女ってのは」
手当り次第目に付いた全ての部屋の扉を開ける男達。泥の着いた靴で美しい廊下を歩き回り、粗暴な振る舞いで東宮を荒らす。
男達は何かを探すように全ての部屋を見て回り、しれっと金目の物を懐にしまっていた。
そのような強盗の侵入に、シュヴァルツとナトラもすぐさま気づいたのである。
「なんじゃ、招かれざる客が来おったのう」
「ほんとだぁ。どーするー?」
静かな廊下に響く話し声や足音や荒々しく扉を開ける音が、ナトラとシュヴァルツの元へと徐々に近づいて来る。
チッ、と面倒事に舌打ちを落とすナトラにシュヴァルツがどうするかと問う。その問にナトラはふむ…と顎に手を当てて思案した。
(…はっきり言って面倒極まりない事なのじゃが……しかし、しかしじゃ。アミレスの留守を守ったとあれば、アミレスは我を褒めてくれるじゃろう。くふふっ、良い、良いぞ。我、褒めて貰えるなら頑張るのじゃ!)
キュピーン、と翡翠のツインテールを揺らしてナトラは妙案を思いついた。その口元はだらしなく笑みを作り上げており、その頬には浮かれの象徴ともとれる赤みが浮かぶ。
それはもう、ナトラが何を考えているのか一目で分かる程。
(多分、おねぇちゃんに褒めて貰えるだろうから頑張るぞとか考えてるんだろうなァ。ほんとにチョロいなこの竜……まぁぼくも今はそれで全然動くんだけども。おねぇちゃんに褒められるのって…なんかこう、凄い中毒性があると言うか………自己肯定感ぶち上がんだよねぇ…)
突然ニヤニヤとするナトラを見て、シュヴァルツはその思考を見事ズバリ当ててみせた。
麻薬に等しいアミレスに褒めて貰うという行為……それにはナトラだけでなくシュヴァルツもまた若干の依存を見せていたのだ。
その為、ナトラの思惑に思わず共感したシュヴァルツは真っ白なアホ毛を揺らして小さくうんうん、と頷いていた。
そしてアミレスに褒められる事を妄想していたナトラは、シュヴァルツよりどうするかと意見を求められていた事を途端に思い出し、ハッとなる。
「はっ…まぁ、なんじゃ、その。とにかく侵入者共をこう……ぶん殴るぞ。殴れば人間は死ぬからの!」
「殺しちゃ駄目なんじゃないかなぁ」
握り拳にグッと力を入れて、ナトラは自信満々な顔でシュヴァルツに見解を伝えた。しかしシュヴァルツは真顔でまず否定から入った。
「何故じゃ、侵入者とは即ち罪人さな。別に殺しても問題無いじゃろ?」
ナトラは困惑した。人間社会の規律や法律を学びつつあるナトラは『無闇矢鱈と人を殺してはならない』と言う学びを得た。
だからこそ、今回は侵入者を殺してもいい人間ときちんと判断した上で発言したのだが…それをすぐさま否定されたので納得がいかないようだ。
そんなナトラに向け、シュヴァルツはにこやかに語る。
「確かにアイツ等は殺しても問題無いゴミだけどぉ……ここで殺しちゃ駄目だよ。だってさ──ゴミ共の汚ぇ血でおねぇちゃんの家が汚れちゃうじゃん」
だから殺さないようにしないと。そうシュヴァルツは笑顔で付け加える。
これらの発言にはナトラも頭に電撃が走った思いであった。そこまで考えが至らなかった自分はまだまだと己の未熟さを実感し、そして、
「──お前賢いのぅ! それもそうじゃ、アミレスの家を汚す訳にはいかぬな、何せ我等はアミレスの家を綺麗にしておるのじゃから!」
シュヴァルツの考えに感銘を受けたようで、バンバンとシュヴァルツの肩を叩きながら「わはははは!」と大きく口を開け上機嫌に笑う。
シュヴァルツはそれに「ちょ、ほんとに痛いって」と困り顔でこぼす。
どれだけ衰弱していようとも、少女──いいや、幼女の姿をしていようとも。ナトラが何百何千の時を生きる幻想の王たる竜種である事に変わりは無い。
故に、上機嫌なナトラの肩パンはめちゃくちゃ痛いのである。普通の人間なら一発で肩の骨を木っ端微塵に砕かれ、その振動だけで全身粉砕骨折ものだ。筋肉とて無事かも分からない。
「ア? おい、何かガキが二人いるぞ。どっちも侍女の服着てやがるが……こいつ等しか侍女いねぇのか?」
「皇宮にいるっつー事は、そこそこの貴族のガキの可能性も高いわな」
「てか二人共結構可愛くね、俺ちっこい方なら全然イけるわ」
「お、まえ…っ、やばすぎんだろ…!」
「やべぇっ、こいつやっぱり変態だ」
侵入者が角を曲がると、その先に二人の侍女服を着た子供の姿が見えた。
くだらない話をしながら、下卑た笑みを浮かべおもむろに近づいてくる侵入者を、ナトラとシュヴァルツは汚物を見るような目で睨む。
「なんじゃあやつ等、気色悪い顔しおって」
「生まれつきそういう顔なんでしょ」
小声で辛辣に会話するナトラとシュヴァルツ。そんな二人をいつでも捕まえられるようにと侵入者は半円状に広がり、そして二人に声をかけた。
「なァお嬢ちゃん。ここにいる野蛮王女っつーお姫様、知らね?」
「俺達その女に用があってさぁ~」
「お嬢ちゃんお兄さんと一緒に来ない? 美味しいもの食べさせてあげるから」
「あったかくて太いモン食わせてやるからさ?」
「うわっ、お前最低かよ!」
男達が下劣な笑い声を響かせる中、シュヴァルツとナトラはその瞳から光を消していた。それは何故か──侵入者の目当てがアミレスであると知ったからである。
ただの侵入者ならば、ある程度ぶん殴って野犬の餌にでもして済ませていただろう。しかしことアミレスが関わる事ならば……二人とて生半可な対応では済ませられない。
きちんと、然るべき対応をせねばならなくなったのだ。
「………ナトラ、分かってるね」
「………ああ、分かっておる」
男達の笑い声の中、シュヴァルツとナトラは短く言葉を交わす。そして、俯いていた顔を二人同時に上げた。
「──殺すなよ」
「──殺さぬとも」
殺意の籠る二人の瞳に男達が睨まれ、その威圧感にたじろいだ刹那。ナトラの姿が男達の視界から消え去る。
しかしその直後、一人の男が頭から地面にめり込んだ。陥没する床、その男の頭の上に足を乗せる一人の幼女の姿。
目の前で起きた事に驚き、理解の追いつかぬ男達はその場から一歩も動けなかった。それが……男達にとって命取りとなる。
「ちゃあんと生かしておかないと、誰の差し金か分かんなくなっちゃうもんねー」
シュヴァルツが底知れぬ狂気を孕んだ無邪気な声でそう話すとほぼ同時。シュヴァルツの手に握られていた箒は呆然とする男の顎に命中。強く突き上げられたそれに男は脳震盪を起こしその場にて倒れた。
「そうさな。しかし、ここはこの国で対外的に最も安全な場と聞いていたのじゃが………全然ゴミが紛れ込んでおるではないか」
「うん。だからこそゴミを紛れ込ませた誰かがいる筈なんだよねぇ、それをぼく達で突き止めようじゃないか」
ナトラは軽い裏拳で近くにいた男の腹を殴り、壁に叩きつけた。シュヴァルツもまた、箒が折れてもおかしくない勢いと強さで男の頭を叩いて気絶させた。
残る侵入者は六人。ここに来てようやく、侵入者は己の置かれた状況を理解する事が叶った。
「な、なんなんだよこのガキ共……ッ?!」
「ガキの癖に生意気な…!!」
「話が違うじゃねえかッ! 野蛮王女を殺るって話だったろ!!」
「こんなガキ共がいるなんて聞いてねぇっ!!」
「おいどうすんだよこれ!!?」
「お……おれは逃げるからな?!」
目の前で無惨にもあっさりやられた仲間を見捨て、侵入者達は逃げ腰で後ずさる。その顔には醜い脂汗が溢れんばかりに滲んでいた。
そんな男達の目の前に瞬く間にナトラが移動し、鋭い黄金の瞳で男達を見上げた。
「逃がす訳がなかろう。お前達はアミレスに危害を加えようとした、それは我々にとって最も許し難い重罪じゃ」
ナトラの拳が男の腹目掛けて放たれる。それは人の目には見えぬ刹那の所業。愚かな人間達がそれを認識した時、それは衝撃で内蔵をいくつも潰された男が口から血を垂れ流しつつ、壁に倒れ込む姿を目にした時だろう。
ナトラはその男の口に適当に生み出した葉っぱを詰め込み、血で皇宮が汚れぬよう気を使った。
可愛らしい幼女の人間離れした──化け物じみたその力に、男達は恐怖する。ガチガチと何度も歯を鳴らし、全身を震えさせる。
その中の一人があまりの恐怖に失禁しそうになったのだが、それに気づいたシュヴァルツが「まずッ」と言いながら急いで窓を開けて叫ぶ。
「ナトラ、今すぐこのゴミを外にぶっ飛ばして! 生死度外視で!!」
「任された!」
シュヴァルツの指示通り、ナトラが男の鳩尾の辺りを殴った。
するとおよそ人体から鳴ってはならない音を発しながら、男は窓の外へとぶっ飛ばされ、その勢いのまま余裕で王城の敷地外へとその身を飛ばす。きっと、街のどこかに落ちて死ぬ事だろう。
しかしそのような事、シュヴァルツとナトラの頭には全くない。無事にゴミを外に飛ばせたと、シュヴァルツはホッと肩を撫で下ろしていた。
「危ねぇ……あのゴミの汚いモンでここが汚される所だったぁ…」
ふぅ、と安心からため息を一つこぼすシュヴァルツ。
しかしそれも束の間、シュヴァルツは残りの男達に向けて天使の如き眩き笑みを作り、
「逃げられるなんて思うなよ、ゴミ共が」
悪魔のような、ドスの聞いた言葉を贈った。
それに男達は完全に戦意を喪失し、投降したのだが……ナトラは一人を除いて容赦なく侵入者を殴った。そして気絶した男達を山のように積み上げて、シュヴァルツがその上に座る。
唯一気絶を免れてしまった男は、シュヴァルツに見下される形で地面にひれ伏していた。その男の後ろで、まるで囚人を連行する看守かのように仁王立ちをするナトラ。
「ねぇ、今どんな気持ち? たかが侍女のガキ二人って侮って汚ぇ妄想してさぁ、その相手に為す術なくやられちゃって。どんな気持ちなの?」
積み上げられた力無く横たわる人間。その頂点で足を組み頬杖をつく少年………堂に入ったその姿から発せられる威圧感に、地にひれ伏す男はかつてない恐怖を覚えていた。
(なんなんだよこのガキ共……っ! 化け物だ、なんでこんな化け物が嫌われ者の野蛮王女の所にいるんだよ!! こんな筈じゃなかったのにッ、なんで俺はこんな仕事を受けちまったんだ………ッ!!!!)
震え縮こまる体で男は後悔した。この仕事を依頼して来た者の手引きで皇宮への侵入も撤退も完璧、噂の野蛮王女を殺したら後は何をしてもいいと言われていたこの仕事…確かに余裕であるかに思えた。
しかし実際には皇宮から滅多に出ないと噂の野蛮王女が東宮のどこにもおらず、代わりにいたのは二人の侍女服の子供だけ。
だがその二人があまりにも、まるで化け物かのように強く……男達は誰一人として抵抗も出来ず地に沈められた。
そしてその子供のうちの一人は、今や明らかに子供の風格ではないそれで、男を愉しげに見下している。
「……ま、いっか。それじゃあ拷問…じゃなくてぇ、尋問始めよっか! ぼくの質問に嘘偽りなく答えてね? 嘘ついたその瞬間にお前の目ェ抉るから」
「ひぃぃいいいっ?!」
シュヴァルツの発言に男は情けない叫び声を上げた。それにナトラが「五月蝿い、黙れ」と吐き捨てるように反応し、男は更なる緊張状態へと追いやられる。
そして尋問は始まった。手馴れた口調、会話運びで少年は次々に欲しい情報を男から引き出していった。
その時の少年の金色の瞳は。獣を惑わす満月のように、強く妖しく、光り輝いていた──。
「ははっ! それならぼくだって負けてないよぅ、見てみろこの埃ひとつ無い彫刻! ぼくの磨きによって更に輝きを増したね!」
皇宮が東宮の廊下にて、侍女服に身を包んだ少年少女が競い合う形で掃除に励む。
少年はシュヴァルツ、少女はナトラ。どちらもこの東宮の主たる王女アミレス・ヘル・フォーロイトによってここに連れて来られた子供である。
そのアミレスが仲のいい精霊達と友人と共に出掛け、二人に侍女業の指南を行っていたハイラもまた、同じように用事があるとつい今しがたどこかに行ったので……今やこの東宮にはほとんど人がいないのだ。
そこで二人は考えた。アミレスの目につきそうな範囲をハイラのように完璧に掃除して、褒めてもらおうと。
それ故、他に誰もいない静粛とした廊下で二人は騒ぎながら掃除をしていたのだ。
体が丈夫で身体能力にも優れたシュヴァルツと、人間に擬態している緑の竜たるナトラ。この二人は持ち前の身体能力で縦横無尽に動き回り、高速に広範囲を掃除する事を可能としていた。
「次はどこを掃除するのじゃ?」
「うーん、おねぇちゃんの部屋の前の廊下をピカピカにする?」
掃除道具をバケツに適当に突っ込み、そのバケツを持って二人は仲良く並んで歩く。
暇を持て余した竜と少年は今まで一度もやって来なかった掃除というものにドップリとハマっていた。
地道で苛立つ事もままある作業ではあるが……いざ上手くこなせた時の達成感、そしてその後に待つアミレスからの褒め言葉がナトラとシュヴァルツを魅了し、中毒性をも生み出したのだ。
「よぅし。ここから先はぼくがやるから、そっち側はナトラがやってね」
コトンッ…とバケツを床に置いて、腕を左右にぶんぶんと振って境界線を示し、シュヴァルツはナトラに指示を飛ばした。
「うむ、よかろう。こっち側は任されたのじゃ」
ナトラはそれに頷き、箒を手に取る。
しかしその時異変が起きた。人がほとんどいない東宮……そこに、突如として大勢の来客が現れたのだ。
「話に聞いてた通り人っ子一人いねぇな、皇宮だってのに。侍女の一人や二人、いいのがいたら連れ去ろうと思ってたんだがな」
「いいじゃねぇか、仕事がやりやすくて」
「で、俺達のお目当てはどこにいんのかねぇ」
まるで野盗のような格好をした、武器を手に持つ十人近い大人達がわらわらと東宮に侵入して来る。最早姿も正体も隠すつもりがないようで、堂々とした態度で皇宮内を歩く。
「ここか?」
「おーいこっちの部屋にもいねぇぞ」
「どこなんだよ…」
「部屋だけ無駄に多いな」
「ったく、どこにいんだよ野蛮王女ってのは」
手当り次第目に付いた全ての部屋の扉を開ける男達。泥の着いた靴で美しい廊下を歩き回り、粗暴な振る舞いで東宮を荒らす。
男達は何かを探すように全ての部屋を見て回り、しれっと金目の物を懐にしまっていた。
そのような強盗の侵入に、シュヴァルツとナトラもすぐさま気づいたのである。
「なんじゃ、招かれざる客が来おったのう」
「ほんとだぁ。どーするー?」
静かな廊下に響く話し声や足音や荒々しく扉を開ける音が、ナトラとシュヴァルツの元へと徐々に近づいて来る。
チッ、と面倒事に舌打ちを落とすナトラにシュヴァルツがどうするかと問う。その問にナトラはふむ…と顎に手を当てて思案した。
(…はっきり言って面倒極まりない事なのじゃが……しかし、しかしじゃ。アミレスの留守を守ったとあれば、アミレスは我を褒めてくれるじゃろう。くふふっ、良い、良いぞ。我、褒めて貰えるなら頑張るのじゃ!)
キュピーン、と翡翠のツインテールを揺らしてナトラは妙案を思いついた。その口元はだらしなく笑みを作り上げており、その頬には浮かれの象徴ともとれる赤みが浮かぶ。
それはもう、ナトラが何を考えているのか一目で分かる程。
(多分、おねぇちゃんに褒めて貰えるだろうから頑張るぞとか考えてるんだろうなァ。ほんとにチョロいなこの竜……まぁぼくも今はそれで全然動くんだけども。おねぇちゃんに褒められるのって…なんかこう、凄い中毒性があると言うか………自己肯定感ぶち上がんだよねぇ…)
突然ニヤニヤとするナトラを見て、シュヴァルツはその思考を見事ズバリ当ててみせた。
麻薬に等しいアミレスに褒めて貰うという行為……それにはナトラだけでなくシュヴァルツもまた若干の依存を見せていたのだ。
その為、ナトラの思惑に思わず共感したシュヴァルツは真っ白なアホ毛を揺らして小さくうんうん、と頷いていた。
そしてアミレスに褒められる事を妄想していたナトラは、シュヴァルツよりどうするかと意見を求められていた事を途端に思い出し、ハッとなる。
「はっ…まぁ、なんじゃ、その。とにかく侵入者共をこう……ぶん殴るぞ。殴れば人間は死ぬからの!」
「殺しちゃ駄目なんじゃないかなぁ」
握り拳にグッと力を入れて、ナトラは自信満々な顔でシュヴァルツに見解を伝えた。しかしシュヴァルツは真顔でまず否定から入った。
「何故じゃ、侵入者とは即ち罪人さな。別に殺しても問題無いじゃろ?」
ナトラは困惑した。人間社会の規律や法律を学びつつあるナトラは『無闇矢鱈と人を殺してはならない』と言う学びを得た。
だからこそ、今回は侵入者を殺してもいい人間ときちんと判断した上で発言したのだが…それをすぐさま否定されたので納得がいかないようだ。
そんなナトラに向け、シュヴァルツはにこやかに語る。
「確かにアイツ等は殺しても問題無いゴミだけどぉ……ここで殺しちゃ駄目だよ。だってさ──ゴミ共の汚ぇ血でおねぇちゃんの家が汚れちゃうじゃん」
だから殺さないようにしないと。そうシュヴァルツは笑顔で付け加える。
これらの発言にはナトラも頭に電撃が走った思いであった。そこまで考えが至らなかった自分はまだまだと己の未熟さを実感し、そして、
「──お前賢いのぅ! それもそうじゃ、アミレスの家を汚す訳にはいかぬな、何せ我等はアミレスの家を綺麗にしておるのじゃから!」
シュヴァルツの考えに感銘を受けたようで、バンバンとシュヴァルツの肩を叩きながら「わはははは!」と大きく口を開け上機嫌に笑う。
シュヴァルツはそれに「ちょ、ほんとに痛いって」と困り顔でこぼす。
どれだけ衰弱していようとも、少女──いいや、幼女の姿をしていようとも。ナトラが何百何千の時を生きる幻想の王たる竜種である事に変わりは無い。
故に、上機嫌なナトラの肩パンはめちゃくちゃ痛いのである。普通の人間なら一発で肩の骨を木っ端微塵に砕かれ、その振動だけで全身粉砕骨折ものだ。筋肉とて無事かも分からない。
「ア? おい、何かガキが二人いるぞ。どっちも侍女の服着てやがるが……こいつ等しか侍女いねぇのか?」
「皇宮にいるっつー事は、そこそこの貴族のガキの可能性も高いわな」
「てか二人共結構可愛くね、俺ちっこい方なら全然イけるわ」
「お、まえ…っ、やばすぎんだろ…!」
「やべぇっ、こいつやっぱり変態だ」
侵入者が角を曲がると、その先に二人の侍女服を着た子供の姿が見えた。
くだらない話をしながら、下卑た笑みを浮かべおもむろに近づいてくる侵入者を、ナトラとシュヴァルツは汚物を見るような目で睨む。
「なんじゃあやつ等、気色悪い顔しおって」
「生まれつきそういう顔なんでしょ」
小声で辛辣に会話するナトラとシュヴァルツ。そんな二人をいつでも捕まえられるようにと侵入者は半円状に広がり、そして二人に声をかけた。
「なァお嬢ちゃん。ここにいる野蛮王女っつーお姫様、知らね?」
「俺達その女に用があってさぁ~」
「お嬢ちゃんお兄さんと一緒に来ない? 美味しいもの食べさせてあげるから」
「あったかくて太いモン食わせてやるからさ?」
「うわっ、お前最低かよ!」
男達が下劣な笑い声を響かせる中、シュヴァルツとナトラはその瞳から光を消していた。それは何故か──侵入者の目当てがアミレスであると知ったからである。
ただの侵入者ならば、ある程度ぶん殴って野犬の餌にでもして済ませていただろう。しかしことアミレスが関わる事ならば……二人とて生半可な対応では済ませられない。
きちんと、然るべき対応をせねばならなくなったのだ。
「………ナトラ、分かってるね」
「………ああ、分かっておる」
男達の笑い声の中、シュヴァルツとナトラは短く言葉を交わす。そして、俯いていた顔を二人同時に上げた。
「──殺すなよ」
「──殺さぬとも」
殺意の籠る二人の瞳に男達が睨まれ、その威圧感にたじろいだ刹那。ナトラの姿が男達の視界から消え去る。
しかしその直後、一人の男が頭から地面にめり込んだ。陥没する床、その男の頭の上に足を乗せる一人の幼女の姿。
目の前で起きた事に驚き、理解の追いつかぬ男達はその場から一歩も動けなかった。それが……男達にとって命取りとなる。
「ちゃあんと生かしておかないと、誰の差し金か分かんなくなっちゃうもんねー」
シュヴァルツが底知れぬ狂気を孕んだ無邪気な声でそう話すとほぼ同時。シュヴァルツの手に握られていた箒は呆然とする男の顎に命中。強く突き上げられたそれに男は脳震盪を起こしその場にて倒れた。
「そうさな。しかし、ここはこの国で対外的に最も安全な場と聞いていたのじゃが………全然ゴミが紛れ込んでおるではないか」
「うん。だからこそゴミを紛れ込ませた誰かがいる筈なんだよねぇ、それをぼく達で突き止めようじゃないか」
ナトラは軽い裏拳で近くにいた男の腹を殴り、壁に叩きつけた。シュヴァルツもまた、箒が折れてもおかしくない勢いと強さで男の頭を叩いて気絶させた。
残る侵入者は六人。ここに来てようやく、侵入者は己の置かれた状況を理解する事が叶った。
「な、なんなんだよこのガキ共……ッ?!」
「ガキの癖に生意気な…!!」
「話が違うじゃねえかッ! 野蛮王女を殺るって話だったろ!!」
「こんなガキ共がいるなんて聞いてねぇっ!!」
「おいどうすんだよこれ!!?」
「お……おれは逃げるからな?!」
目の前で無惨にもあっさりやられた仲間を見捨て、侵入者達は逃げ腰で後ずさる。その顔には醜い脂汗が溢れんばかりに滲んでいた。
そんな男達の目の前に瞬く間にナトラが移動し、鋭い黄金の瞳で男達を見上げた。
「逃がす訳がなかろう。お前達はアミレスに危害を加えようとした、それは我々にとって最も許し難い重罪じゃ」
ナトラの拳が男の腹目掛けて放たれる。それは人の目には見えぬ刹那の所業。愚かな人間達がそれを認識した時、それは衝撃で内蔵をいくつも潰された男が口から血を垂れ流しつつ、壁に倒れ込む姿を目にした時だろう。
ナトラはその男の口に適当に生み出した葉っぱを詰め込み、血で皇宮が汚れぬよう気を使った。
可愛らしい幼女の人間離れした──化け物じみたその力に、男達は恐怖する。ガチガチと何度も歯を鳴らし、全身を震えさせる。
その中の一人があまりの恐怖に失禁しそうになったのだが、それに気づいたシュヴァルツが「まずッ」と言いながら急いで窓を開けて叫ぶ。
「ナトラ、今すぐこのゴミを外にぶっ飛ばして! 生死度外視で!!」
「任された!」
シュヴァルツの指示通り、ナトラが男の鳩尾の辺りを殴った。
するとおよそ人体から鳴ってはならない音を発しながら、男は窓の外へとぶっ飛ばされ、その勢いのまま余裕で王城の敷地外へとその身を飛ばす。きっと、街のどこかに落ちて死ぬ事だろう。
しかしそのような事、シュヴァルツとナトラの頭には全くない。無事にゴミを外に飛ばせたと、シュヴァルツはホッと肩を撫で下ろしていた。
「危ねぇ……あのゴミの汚いモンでここが汚される所だったぁ…」
ふぅ、と安心からため息を一つこぼすシュヴァルツ。
しかしそれも束の間、シュヴァルツは残りの男達に向けて天使の如き眩き笑みを作り、
「逃げられるなんて思うなよ、ゴミ共が」
悪魔のような、ドスの聞いた言葉を贈った。
それに男達は完全に戦意を喪失し、投降したのだが……ナトラは一人を除いて容赦なく侵入者を殴った。そして気絶した男達を山のように積み上げて、シュヴァルツがその上に座る。
唯一気絶を免れてしまった男は、シュヴァルツに見下される形で地面にひれ伏していた。その男の後ろで、まるで囚人を連行する看守かのように仁王立ちをするナトラ。
「ねぇ、今どんな気持ち? たかが侍女のガキ二人って侮って汚ぇ妄想してさぁ、その相手に為す術なくやられちゃって。どんな気持ちなの?」
積み上げられた力無く横たわる人間。その頂点で足を組み頬杖をつく少年………堂に入ったその姿から発せられる威圧感に、地にひれ伏す男はかつてない恐怖を覚えていた。
(なんなんだよこのガキ共……っ! 化け物だ、なんでこんな化け物が嫌われ者の野蛮王女の所にいるんだよ!! こんな筈じゃなかったのにッ、なんで俺はこんな仕事を受けちまったんだ………ッ!!!!)
震え縮こまる体で男は後悔した。この仕事を依頼して来た者の手引きで皇宮への侵入も撤退も完璧、噂の野蛮王女を殺したら後は何をしてもいいと言われていたこの仕事…確かに余裕であるかに思えた。
しかし実際には皇宮から滅多に出ないと噂の野蛮王女が東宮のどこにもおらず、代わりにいたのは二人の侍女服の子供だけ。
だがその二人があまりにも、まるで化け物かのように強く……男達は誰一人として抵抗も出来ず地に沈められた。
そしてその子供のうちの一人は、今や明らかに子供の風格ではないそれで、男を愉しげに見下している。
「……ま、いっか。それじゃあ拷問…じゃなくてぇ、尋問始めよっか! ぼくの質問に嘘偽りなく答えてね? 嘘ついたその瞬間にお前の目ェ抉るから」
「ひぃぃいいいっ?!」
シュヴァルツの発言に男は情けない叫び声を上げた。それにナトラが「五月蝿い、黙れ」と吐き捨てるように反応し、男は更なる緊張状態へと追いやられる。
そして尋問は始まった。手馴れた口調、会話運びで少年は次々に欲しい情報を男から引き出していった。
その時の少年の金色の瞳は。獣を惑わす満月のように、強く妖しく、光り輝いていた──。
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