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第一章・救国の王女

114.終幕 救国の王女

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 深夜。夜が大きく口を開け朝が身を隠す頃。
 フォーロイト帝国皇帝エリドル・ヘル・フォーロイトは己の執務室にて機嫌を悪くしていた。いっそ恐怖すら覚える美貌…その額には深い川のごとき皺が作られ、完全に据わっている絶対零度の瞳に睨まれればたちまち凍死してしまいそうな程。
 エリドルは報告書を片手でぐしゃり、と握り潰して目前の男をキツく睨んだ。

「一体どう言った事情があるのか話すがよい、私自らお前の弁明を聞いてやる」

 ほんの僅かでも動けば殺されてしまいそうな空気の中、エリドルの睨みを真正面より受け止める男は、その圧倒的な威圧に屈する事無くおもむろに口を開いた。

「…………弁明はございません。王女殿下に長期の外出許可を出した事は間違いなく私の判断です」

 何処かエリドルと似た声音で、男──ケイリオルはその布の下からエリドルを真っ直ぐ視て返答する。
 それに怒りを覚えたのか、エリドルは更に目くじらを立てて追及する。

「アレが他国の問題に口を挟む事を何故黙認した? アレの身勝手な行動が我が帝国の威信に関わる事はお前とて良く知る事だろう」
「勿論でございます。しかし、その上で私は彼女を送り出しました。彼女の行動が、必ずや陛下にとって都合のいい結果になると確信したからです」

 大の大人でも震えながら逃げ出したくなるような凍える空間にて、ケイリオルは一切言葉を詰まらせる事無く堂々と言い放つ。
 彼の発言にエリドルの眉がピクリと反応する。エリドルは訝しげな瞳でケイリオルを睨んだ。

(私にとって都合のいい結果だと? ハッ、笑わせる。アレが死んだのならまだしも、オセロマイトを救い帰って来おった。何より──)

 エリドルが此度の件で最も厄介だと感じた事を心の内に抱いたその時。
 ケイリオルが同時に口を開いた。

(──シャンパージュが絡んでおる)
「シャンパージュ家が絡む問題の為、陛下も気を揉まれているのでしょう。しかし、それには及ばないのです」

 ほぼ同時。寸分違わずエリドルの思考……シャンパージュ家の話を言い当てる。それに驚く事無く、スっ…とケイリオルを冷めた目で見据えるエリドル。
 そう、エリドルが受けた報告は確かにオセロマイト王国にて大流行した草死病そうしびょうとアミレスの事であったが、その中でも特にエリドルの琴線に触れた事はシャンパージュ伯爵家の介入だった。
 フォーロイト帝国においても特殊な立場にある異端の存在、シャンパージュ伯爵家。これまでの数百年の歴史の中でも中立を保ち、どの派閥にも属する事のなかった家門。
 だがしかし、ついにシャンパージュ家が大きく動き出したのだ。それは何故か──アミレスが関わる事であったから。
 心身共に救われた思いのシャンパージュ伯爵とその妻、そしてその愛娘三名共がアミレス・ヘル・フォーロイトに強い感謝と恩を感じており、果てなき忠誠を誓った。
 これまで一度たりとも特定の皇族に関わろうとしなかったシャンパージュ伯爵家が、初めて特定の皇族に肩入れした。
 その事実がエリドルを憤慨させる理由の大部分を占めた。それを理解しているケイリオルは巧みに話を進める。エリドルと──彼にとって、都合のいい方向へと。

「これは、ようやくシャンパージュ伯爵家の力を皇室に取り込める絶好の機会なのです。これまで何人もの皇帝が挑戦し諦めざるを得なかったそれを、陛下が成し遂げる時が来たのです」
「シャンパージュを完全に支配する為にアレを利用すべきと言う事か。確かに一理ある………しかし私には理解出来ん。シャンパージュが何故アレなぞの為に中立を捨てたのか、分かるかケイリオル」
「…私もまだ詳しい経緯は把握しておりませんが、昏睡状態だったシャンパージュ伯爵夫人を彼女が救ったようです。伯爵がこの件に箝口令を敷いていた為間違いないかと」
「伯爵夫人……あの原因不明の。国教会の大司教共でも不可能だった事を、アレが?」
「はい。それ以前より伯爵家と彼女の間では交流があり、貧民街の件もシャンパー商会がかなり密接に関わっているようでした」

 しかし伯爵夫人を治した方法までは依然として明らかになっておりません。とケイリオルは付け加えた。
 それを受け、エリドルはふむ……と頬杖に使っていた手を口元に当て思案顔を作る。確かにまだ苛立ちは抱えているものの、アミレスに突如生まれた利用価値から今後の使い道を考え始めたのだ。
 エリドルはアミレスを酷く嫌っていた。その為、基本的にはアミレスに関する報告も全て聞かない。そも彼女の事を考える事すら嫌うのだ。
 故に全てをケイリオルに一任していたのだが………この度、流石にエリドルにも報告せねばならない事柄が起きた為、ケイリオルも報告した。
 これはケイリオルにとっても賭けであった。帝国出発前にアミレスが危惧していた通り、エリドルが何らかの罰をアミレスに与えようとする可能性もある。
 だが同時に、この件を切っ掛けにエリドルがアミレスに強い利用価値を見い出せば──。

(──そう簡単には彼女も殺されない。明らかな自由意志を持つ彼女を私が庇い続ける事にも限界がありますから……どうにかして彼女が価値を証明出来るようにと考えていたが、幸運だな…まさかこんなにもおあつらえ向きな価値を彼女が示してくれるとは)

 ケイリオルはしたり顔で思考する。賭けはケイリオルの勝ちだった。
 エリドルはアミレスに利用価値を見い出し、しばしの間は彼女を殺せなくなった。それはエリドルにもケイリオルにも得のある事。
 一挙両得に話が進み、ケイリオルはホッと肩をなでおろした。
 しかしそれだけ、皇帝にとってシャンパージュ伯爵家の存在が大きい事も意味する。
 シャンパージュ伯爵家はフォーロイト帝国の歴史の始まりより存在しており、その特異な立場故か常に特権を認められている。
 数百年間、歴代皇帝があまりにも強大なシャンパージュ伯爵家を支配しようにも、商いに全てを捧げる伯爵家は一度たりとも首を縦に振らなかった。
 しかしその間にもシャンパージュ伯爵家は日々力を増すばかり。最早支配は不可能、潰すしか無い……と考えた皇帝もいた。しかし、それもまた不可能であった。
 シャンパージュ伯爵家の影響力…特に帝国の市場に及ぼすそれは絶大で、万が一シャンパージュ伯爵家が潰れるなんて事が起これば──間違いなく帝国の市場は混沌のうちに荒れ果て、この国の財政は破綻する。
 下手をすれば、芋づる式に周辺諸国の市場をも荒らす事になる。
 それが分かっていた為、歴代皇帝は誰もシャンパージュ伯爵家に手を出せなかった。目障りと思っていても、純粋にその力を欲しても、絶対に首を縦に振らないあの家門の事は放置するしか無かったのだ。
 だがしかし。今代の伯爵がこの度数百年続いたその流れを断ち切ったのだ。シャンパージュ伯爵は引きこもりの野蛮王女、アミレス・ヘル・フォーロイトの手を取り跪く。
 貧民街の一件が世に知られた時、同時にこの衝撃の事実も世に伝わる事だろう。それは貴族社会に大きな変化と衝撃を齎す事になる。
 そしてアミレスも醜き権謀術数に巻き込まれる事になるだろう。何せ彼女の存在はあのシャンパージュ伯爵家が初めて見せた弱みのようなものだから。
 これまで良くも悪くも誰にも見向きもされなかった一人の幼き王女が、これからの帝国貴族社会の動乱の中心になる………そう、ケイリオルは直感していた。

(…ふぅ。権謀術数から王女殿下をお守りする方は、恐らく彼女が担ってくれるでしょう。私はこれからも……陛下の気を逸らし続けよう。それしか私には出来ないのだから)
(あの忌まわしき女にかような使い道が出来るとは……どうせ、どこまで行っても捨て駒ぐらいにしかならんと思っていたのだがな。しばし利用してから戦争の大義名分にでも使うか…)

 ケイリオルとエリドルはそれぞれの思惑を胸中に浮かべる。ケイリオルが後ろ手に握り拳を強く握り、エリドルは退屈そうな面持ちで何度も人差し指でトントンと肘掛けを叩く。
 片やアミレスを守ろうとし、片やアミレスを利用せんとする。
 この国のツートップとも言える男達──長き信頼を積み重ね、共に歩み同じ未来を見ていた二人は……ついに別々の未来を見る。
 それは本来起こり得ない分裂。ゲームでは最後まで同じ道を進んでいた二人は、この世界において別の道を選ぶ事となった。
 アミレスの異変により齎された変化。愛を求めずただ生き延びたいとがむしゃらに努力するアミレスにあてられ、ケイリオルの仮面が崩された事が理由であった。
 今までもこれからもずっとエリドルの後ろを歩く筈だったのに。ケイリオルは突如として道無き道を進み始めた。
 それは彼等の運命の分岐点。二人の深く厚き絆を捨て去る事になりうる分かれ道。
 この、本人達すらも気付かぬ僅かな亀裂が、やがて大きく取り返しのつかないものになるかどうかは、この世界の特異点たるアミレス次第なのであった──。


♢♢


「え、オセロマイトの件が解決した? マジで?!」
「マジです」

 カイルの軟禁されている部屋にて、アミレスが帝国に戻った日より更に数日後の事。
 コーラルよりオセロマイト王国の事件の顛末を聞いたカイルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。そんなカイルに向け、コーラルは軽く頷いた。
 コーラルは情報収集に長けた魔力を持っており、それで軟禁されているカイルに変わり情報収集等をしているのだ。その情報収集より舞い戻ったコーラルが一息つこうと紅茶を入れていると、カイルが慌てて彼に詰め寄る。

「どっ……どうやって感染症は終息したんだ!? 理由は、そもそもの原因は?!!」
「落ち着いてくださいカイル様、順に話していきますから!」

 鼻息を荒くし、冷や汗を滲ませるカイルにコーラルは落ち着くよう告げる。
 カイルが落ち着いたのを確認し、コーラルは自分が集めた情報をカイルに伝えた。カイルはそれを固唾を飲んで聞き、そして驚愕する。

「アミレス・ヘル・フォーロイトが草死病そうしびょう解決の立役者ァ?!」

 そんな馬鹿な、とびっくり仰天な顔でカイルは叫んだ。
 それもその筈。彼の知るアミレス・ヘル・フォーロイトは絶対にそのような事をしない。つまりそのアミレスはアミレスでありアミレスでない者という事。
 それにいち早く気づいたカイルは、もしもの可能性を考える。

(もしかしたら──アミレスも俺と同じ前世の記憶持ちの転生者って事か? だから俺同様、滅びの一途を辿る筈だったオセロマイトを救いに………!)

 予想外の事態にカイルは思わずニヤリ、と笑みを浮かべた。

(マジか、マジか……!! 今まで考えて来なかった訳じゃねぇけど、ガチで他にも転生者がいるとは! しかもアミレスだって? おいおいおい、めちゃくちゃ面白くなって来たじゃねぇか!)

 ゾクゾクゾクッ、と突き上げるような興奮がカイルを襲う。ずっと前世の事を誰にも話せず孤独を感じていたのはカイルとて同じであった。
 それでも自分なりに目標を立ててこれまで生きて来た彼にとって、アミレスの存在はまさに転機。最高の刺激となる。

「……こうしちゃいられねぇな」
「カイル様? 急にどうしたのですか…?」

 今までにないくらい楽しさを隠しきれていないカイルはおもむろに立ち上がり、引き出しの中から便箋と封筒を取り出す。その背中に向けてコーラルが不安げな声をかけるも、カイルはそれをスルーした。
 暫くして。手紙を書き終えたカイルはニヤニヤといたずらっ子のような笑みのままそれを封筒に入れてゆく。その際に何らかの魔法陣が描かれた小さな正方形の紙も同封した。
 そしてカイルは、封蝋の施された手紙を片手にサベイランスちゃんを起動する。

「か、カイル様? 本当に今度は何をされるおつもりで……」
「──アミレス・ヘル・フォーロイトに、手紙出してみようと思って。普通に出せば絶対検閲されるし、俺はまだ暫くは軟禁されたままだろうからな。だからサベイランスちゃんを活用しようと思ったんだ」

 カイルの突拍子もない行動にあんぐりとするコーラルに、当のカイルはサラリと話す。
 カイルはそもそもオセロマイトを救う為に、自由に行動出来るようにと王位継承権を放棄したにも関わらず、何故か企みがあると勘違いされて軟禁されているのである。
 その為、そんなカイルが手紙を出したとあれば協力者との繋がりを疑われ、確実に検閲が入る。カイルはそれを良しとしなかった。
 故のサベイランスちゃんの出番である。決して、カイルがこれを使いたいからとかではない。断じて違う。

「そもそも何故帝国の王女に手紙を?」
「え? そりゃあ……普通に仲良くなりてぇっつうか、とにかく話してみたくて」
(カイル様にもついに気になる女性が…!!?)
(相手がどういうタイプの転生者か知っておきてぇしな)

 カイルはコーラルの疑問に答えつつ慣れた手つきでサベイランスちゃんを操作していく。
 上機嫌に鼻歌を歌いながら作業するカイルを見てコーラルは盛大な勘違いをした。しかしそれにカイルは気づかず、これから暫くの間生暖かい目を向けられる事になる。
 カイルは座標をアミレスの住まい東宮に指定し、フォーロイト帝国の王城に展開された結界を素通りする術式を組み立て、転送術式を次々に稼働させてゆき、やがて例の手紙をある場所目掛けて転送させた。
 結果は成功。その手紙は無事、フォーロイト帝国が皇宮…その東宮の廊下にポトリと落ちる事となる。その手紙はある侍女の手によって拾われ、アミレスの元に無事に行き着くだろう。
 その手紙の始まりはこうだ。

『この世界は、狂おしいほどに不平等な愛で満ちている──。』

 これはアミレスとカイルその両方が知る言葉。『UnbalanceDesireアンバランスディザイア』のキャッチコピー……それを原文そのまま、カイルは日本語で書いた。
 これで確実にカイルも転生者である事がアミレスに伝わる。カイルはそれを狙っていたのだ。
 もし万が一アミレスが転生者でないにしても…どうせ日本語だから読めやしない。最高の暗号だと分かった上でカイルは日本語を使ったのだ。

(──ああ、楽しみだな。せっかくの転生者同士なんだ、仲良くなれたらいいな)

 カイルは七夕に星空に願う子供のように、明るい表情で窓の外の空を見上げていた。

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